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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

見えない顔と見える顔

作者: 千島夜

 自分がこんな目に遭うなんて、思ってもみなかった。

 怪談とかをはなから否定するわけではないが、自身とは程遠い誰かに降りかかる災いだと思っていた。


 人間は自分や自分の大切な人が今日も明日も、「普通に」生きていくと思っている。

 異常にあこがれるのは、それが画面の向こう、時空の向こうで自分と関りがない間だけだ。


三日前から”それ”に悩まされているオレは、居酒屋で先輩に相談する約束になっていた。

 ”それ”は異常の極み__オレと対局の存在だった。


 先輩はこう見えて、霊的なモノに強い……はずなのだ。

 なにせ二月ほど前に、神隠しに会っていた人間を発見した事がある。


 当時は神隠しとか笑、と思っていたが、今は違う。


 実際のところ、先輩が神隠しにあった人を発見したのなんて、偶然に過ぎないんだろう。

 そんな偶然にも頼りたくなってしまうほど、今のオレは追い詰められていた。


 いやこのときにはもう「詰められていた」というほうが正確かもしれない。

 

「あれ?お前か。久しぶりだな。心配してたんだぞぉ。まあ私に聞かせてみな」


 先輩が、手を挙げながら声をかけてくる。

 そんな仕草に安心すら覚える。やっぱりこの人には何かあるのかもしれない。


「そうっすね。ずいぶん長く感じました」


 店員に生を、と適当に頼んで鞄を横の席に置く。


 できれば思い出したくもない記憶をたどって、オレは先輩に話り始める。


 三日前に始まり、もうとっくに終わっていた、この話を。



 * * *



 “それ”に気づいたのは、三日前の夕方のことだ。


「も…いいか…?」


 といううめき声を聞いた。あるいはそんな気がした。


 このうめき声に関しては、虫の知らせというやつかもしれない。

 なにせそれから一回も聞いていないのだから。


 そのうめき声のした方を、振り返った時のことだ。


 ”それ”は部屋の隅にいたんだ。


 虫の死骸か、日焼けした木目か、菓子の食べかすか、画鋲の跡か。


 なんらかの染みが、顔に見えたのだ。


 まあ、よくある事だ。

 誰もが一度は体験していることだろう。

 科学的にはシミュラクラ現象というらしい。


 だからその時は、その顔がやけに恨めしそうなのも、錯覚だと断じたのだ。

 自分自身に言い聞かせるように。



 次に“それ”が現れたのは、シャワーを浴びていた時。

 ふと後ろに気配を感じて、振り返ったのだ。

 

 __いた。


 前と全く同じ、顔が。

 寸分たがわず、神かけて、全く同じ顔が。

 

 ”それ”がいたんだ。


 疲れているんだ。疲れているだけなんだ。

 たぶん本当はなにかヤバいと感じていたのに、オレにはそのときも自分に言い聞かせることしかできなかった。



 風呂をあがったらすぐに寝室に向かった。

 重い足を引きずるようにして、倒れそうな体を支えながらフラフラと向かった。

 早く寝て忘れようと、忘れたいと、忘れられると、思ったんだった。


 天井に何もいないのを確認して、毛布を被った時。


 __いた。


 青を基調とした花柄の毛布に“それ”がいた。

 笑うような、嘲笑うような顔をして、こっちを見ていた。


 オレは思わず叫びそうになったが、近所迷惑だと思い、我慢した。

 なるべく顔を合わせないように、意識しないように、目を閉じた。


 明日になればすべて元通りだ、と。

 そう

 その微かで唯一の救いに縋り付きながら、オレはウトウトと微睡みにおちていった。




 二日目になると、事態は改善するどころか、ひどくなった。

 “それ”はあちらこちらに、頻繁に現れるようになった。

 フライパンの油に、消しゴムの屑に、靴の汚れに。


 朝だけで三回……。


 仕方がないので、会社を休んで何とかしようと思った。


 誰かに相談しようと思って、真っ先に思い浮かんだのが先輩のことだった。

 会社に連絡を入れるついでに、先輩に相談しようと思ったんだ。


「どうした、鈴木」


「今日なんですけど、一身上の都合で、休ませてもらってよろしいでしょうか?」


「……?休むのは構わんが、都合ってなんだ?」


「それは__」


 言葉に詰まった。

 なんて言えばいい?

 

 顔が見えます?

 完全に、頭がおかしい奴じゃないか。


「__疲れがたまっているんで」


「……そうか。田中のこともあるし。お前も気をつけろよ」


 心配そうにそう言って、先輩は電話を切った。


 田中というのは二月ほど前に、行方不明になった同僚だ。

 田舎に帰ったとか、自殺したとか、北朝鮮のスパイだったとか様々な噂が流れているが、どれも眉唾だ。


 連絡も入れたので、何とかすることにした。

 具体的には、精神病院にいくことにした。


 知り合いに会わないように隣町のものを選んで、病院に向かう途中で少し笑った。

 この期に及んで、知り合いに会ったら恥ずかしいなんて考えている自分が馬鹿らしかった。

 くだらないプライドで先輩にも相談できない自分が愚かしかった。

 たぶんその時のオレの顔は”それ”に似ていたんじゃないだろうか。


 電車の中でも様々な所に出現したが、このころにはオレも慣れてきていた。

 またか……という感じだった。


 病院の待合室は、様々な患者であふれていた。

 ブツブツと同じ言葉をつぶやく中年男性、自分の腕をしゃぶり続ける老婆、真っ黒な瞳を見開きうなだれている男。


 そして、いまや腕時計に”それ”が見えている男。


 この場所にいる人はみんな一人だ。

 それを意識すればするほど、気分が沈んでいく。


 いやな場所に来たもんだ、と思っていると一人の少女に話しかけられた。

 ゴスロリファッションの似合う、比較的まともそうな少女だった。


「お兄ちゃん、かおおにをやってるの……?」


「ん?なんだって?」


 かおおに?


「あぶないからやめたほうがいいよ……」


 それだけ言うと、少女は両親に連れていかれてしまった。


 かおおに……感じで顔鬼だろうか?

 オレの知らない妖怪?

 そんなものに憑かれているんだろうか。


 憑かれるようなことをしたか?なんだろう?

 少し前にポイ捨てしたゴミか?子供のころ潰した虫か?

 そう思って見れば、なんだってそれっぽく見えてしまう。


 思考の迷路だ。

 

 それとも患者の、しかも年端もいかない少女の言うことを、気にするのが間違いか。

 いやそれにしても顔というのは……。


 そのあと父親に虚言壁なのだと、謝られた。

 そんなことだろうと思い直した。いや、思い込んだ。


 こんな場所にいると自分まで頭がおかしい狂人になった気がする。

 いや。オレは頭がおかしい狂人だ。


 フフ、とまた独り言ちる。

 日本で一年の間に精神異常をきたすものは、百万人を軽く超える。

 そして彼らの多くは、自分はまともだと信じている。

 どうやらオレもその一人になったらしい。


 ”それ”と顔を合わせて、同じように笑った。

 いまや自分のそばにいてくれるのはこの顔だけかもしれない。

 

 少女と入れ替わるように、オレの名前が呼ばれる。

 診察室に入るとき、少女とすれ違う形になった。

 何か言ってくるかと思ったが、少女はオレと目を合わさずに、オレの左腕を見つめていた。

 

「鈴木たかしさん。今日はどういった症状で?」


「か、顔が見えるんです」


「……過去に同様の症状が出たことは?」


「ありません」


「今その顔はどこに?」


「今は__」


 辺りを探すがどこにもいない。

 嘘だろ。さっきまで腕時計にいたじゃねえか。


「__どこにもいません」


 なんで今に限っていないんだ、と思っていた。

 こういうときはいていいんだぞ、と。


「それでは少し胸出してくださいね」


 頷いて胸を出す。


 医者が聴診器を近づけてくるのを、じっと待っていた。


 __いた。

 

 医者の聴診器の先に。

 銀色に光るチェストピースに、青白い”それ”が嗤っていた。


 直前の自分の言葉を訂正。

 どんな時だろうとやはりいてほしくなんかない。

 気味が悪い。気味が悪い。

 __怖い。


「や、やめろ」


 どうかしましたか、という医者の声も耳に入らなかった。


 オレは一目散に病院を出て、家に帰った。


 どうやって電車に乗ったのか、どこをどう歩いたのかも全く覚えていない。

 ただ、”それ”から逃げることしか頭になかったんだ。


 そんなオレを”それ”は愉快そうに笑っていた。




 三日目になると、事態はさらに深刻になった。


 気づいたのは、朝に靴下をはこうとした時だった。

 

 __いた。


 靴下に、ではない。

 むしろ、それだったらどんなに良かっただろう。

 それまで味わってきた恐怖を二度とそう呼べなくなるほどの恐怖が、オレを襲った。

 

 「膝に」いたんだ。


 オレは顔が見え始めてから、初めて悲鳴を上げた。

 近所迷惑とか、外聞とか、関係なく。

 純粋な恐怖に対し、腹の底から絞り出したような、汚らしい、号哭だった。


 先輩に連絡することもなく、会社をサボってしまった。

 そんな場合ではなかった。そんな判断はできなかった。


 しばらくすると”それ”は胸に移った。

 ニヤニヤと。勝ち誇ったように。満面の笑みを浮かべて。


 服を脱いで、全身を調べていたことを後悔した。

 見つけた後で、見なかったことにはできない。

 

「あああああああああくるなくるなくるなごめんなさいごめんなさい」


 昼頃までそうしていただろうか。

 眠ろう、と思った。

 もう、泣くのも、叫ぶのも、祈るのも、怒るのも、許しを請うのも、疲れた。

 

 こんな恐怖を感じるのが人間なら、人間なんてやめてしまいたかった。

 恐怖というのは続いたからと言って決して薄まらない。徐々に徐々に心を蝕んでいくんだ。


 胸から消えた”それ”に酷く怯えながら、それでも何も見たくないと目を閉じた。


 __いた。


 まぶたの裏に。

 目を閉じれば逃げられるなんて間違いだというように。


 ”それ”はそれまでで一番醜く、一番愉快そうに、一番化け物らしく、笑った。

 オレは人生で一番醜く、一番悲痛そうに、一番人間らしく、泣いた。


 そしてすぐに、気を失った。

 きっとこの三日間で一番、何も考えずに眠れた。


 そしていま。


 ”それ”はどこにもいない。

 目を覚ましてからずっとどこにもいないのだ。


 解放された。

 長く、悪い夢だったようだ。


 時はもう夕方。

 すぐに先輩に、無断欠勤の陳謝と相談の依頼をして今に至る。



 * * *



「……という事があったんすよ」


「ん~?その話聞くの二回目だぞ、田中ぁ」


 二回目?田中?

 田中なんてもう二か月も見ていないぞ。


「オレは鈴木っすよ。もう酔ってんすか?」


「んー?一昨日電話してきたのが鈴木だろ?」


 先輩が酔っていない?

 じゃあオレは誰だ。いや誰だと思われている?


「……?」


「でも聞いてたらよー。“それ”とやらは段々と顔に近づいてんのな」


 部屋の隅、シャワールームの隅から始まって。

 最後には、膝、胸、まぶた…そのあとは?


「……」


 オレは鈴木っすよ、とは言えなかった。


鈴木オレの顔は……。


「こんどはおまえがおにだ」


 田中オレは嗤った。

 その嗤い声は、”それ”のうめき声にそっくりだった。


 ”それ”が最後に移ったのは、オレの顔面だった。


 昼寝をした後、”それ”が見えなくなったのは。

 なんてことはない。

 自分のそれが自分では見えないというだけだ。


 見えない顔で、田中の顔で、オレは話していたんだ。

 

 そして今、意識も奪われようとしている。

 

 薄れゆく意識の中で、ようやくオレは一つの結論にたどり着いていた。

 取り返しがつかない状況に至って、遅まきながら、全てわかった。


 かおおに__顔を使った、おにごっこなんだ。


 二か月ほど前に田中は前の鬼から捕まった。

 そして今、オレは田中おにに捕まった。

 次はオレが誰かを捕まえるんだろう。

 

 田中はきっと“それ(おに)”に捕まる寸前に、この先輩に相談していたんだ。

 そして、田中じゃなくなったソイツ__田中にとっての”それ”を神隠しにあった人間として先輩が「見つけた」のだ。

 よく考えてみれば、田中が消えたのと、先輩が「見つけた」のは同時期だ。


 そして、オレは”それ”に捕まった後に相談していた。

 先輩はずっとオレを田中だと思い、話を聞いていたんだな。


 次はオレが”それ”になって、誰かの顔面に張り付くのか。


 意識が__

 


 * * *



 こんどはオレが、きみのかおをもらいにいくよ

 

 もういいかい?

 

ここまで読んでくださりありがとうございます。

今後の執筆の参考とさせていただくために、評価・感想お待ちしております。

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