荒木さんの店
「美味しかった!」
「美味しかった!なんかチーズがあそこまで伸びるとか思わなかったんだけど」
「私も初めはそう思ってた笑」
「でさ、結音がテレビで観たってパン屋さん、名前なんて言うの?」
「えっとそれがあんまり覚えてないんだよね~」
「え、じゃあ番組名とかは?」
「たまたま見ただけだから覚えてないや!」
いや、そんなドヤ顔で言われましても!笑
「じゃあ伊北着いたら聞き込み調査みたいなのしてみる?」
「あ、そうだね!その手があった」
そんなこんなでまた駅前まで戻ってきた。スマホの時計を見ると11時10分を示している。行きに降りた階段を今度は上り、小さいコンコースの端の方で立ち止まる。列車の時間を見ようと改札のちょうど上にある電光掲示板を見ると、一段目に「普通ワンマン 穂高 11:24」、二段目に「特急きたかもめ3 海中 11:30」の文字が。あと駅に10分早く着いていれば、一本前の列車に乗れたのだが、これはもう仕方がない。ということで、どうするか結音に聞いてみる。
「結音さ、次の電車40分後だってさ!」
「えっ!そんなないの?じゃあ意地でも早食いして間に合わせるべきだったかなあ」
「でもそんなことしてたら喉詰まって今頃ここにいなかったかもしれないから、ゆっくり食べて正解だったんじゃね?」
「いっつも隼人極端だよね笑笑」
「さっきイルカで、食事は生きるために必要だから大食いしても大丈夫とか言ってた人誰だっけ~」
「そ、そんな人聞いたことないよ~!」
いや結音のことだろ!
「で、それ置いといてさ、!もうすぐで特急来るんだってさ。それ乗ったらもう少し早く着けるかもね。でもちょっとお金余分にかかっちゃうけど」
「その店、結構人気店らしいから早く行かないと売り切れちゃうかもだからさ、ちょっと贅沢しない?」
「じゃあそうするか」
俺たちは黄緑色の自動券売機のところに移動し、特急きたかもめ3号の自由席の特急券を買う。冬パスは特急料金が半額になる特典付きなので、切符に書いてあるコードを券売機に入力して、2人分で700円を機械に投入する。すぐに名刺大の切符が2枚出てきた。一枚を結音に渡す。
「まだ時間あるし寒いから待合室で待ってない?」
「うん!」
冬パスで自動改札機を抜けて左手、スライド式のドアを開け待合室に入る。中には老夫婦が1組だけで、その2人と向かい合うような形で座る。
「暖房効いてるね」
結音は多分朝俺のカルピスと一緒に買ったであろうホットのミルクティーをカバンから取り出し飲み始める。
「あれ、それイルカで買ったやつ??」
「そう!チーズハットグ食べてたら喉乾いちゃってね、でもホットにしたのにもう完全にコールドだよ」
「だってもう買ってから2時間くらい経ってない?」
冬の外は風も吹いているし、ホットドリンクがホットであり続けることは到底できない。
「余裕で経ってると思うよ笑笑」
「そこの2人さんはどこに行かれるんですか?」
突然向かい側に座った老夫婦の女性の方が話しかけてきた。それに結音が答える。
「私たち2人は今から伊北?の方においしいもの食べに行ってきます!そちらはどこへ??」
「え?私たちは病院だよ~体が悪いもんでね」
ハッハッハと笑う女性の横でその夫らしき人も苦笑いする。そして
「2人さんはカップル?」
と女性は言う。俺と結音は顔を一旦見合わせる。
「そうです。なんで分かったんですか?」
「それは簡単ですよ。私たちは週一回、毎週土曜日にこうやって夫婦で病院に行かないといけないんですよ。それで毎週特急で伊北まで通うんですけど、あなたたちを見るのは、初めてだったもので」
そういう女性の隣で男性は苦笑いしている。いやただの恥ずかしがりやなのか、、、。
‟あ、この人にパン屋さんのこと聞いてみる?”とヒソヒソ声で結音に伝える。‟それいいかも”
ということなので聞いてみることにしよう。
「そういえば、伊北で美味しいパン屋さんとかって何か知ってたりしませんか?」
「伊北、、、?パン、、、。ねえ、あなた何か知ってる?」
そういって女性は男性にも聞いてくれた。すると俺たちに向かって
「伊北でパンと言ったらやっぱり荒木さんの店じゃないか?ワシも食べたことがあるけど、おいしかったぞ。あそこの売りはフランスパンなんだけど、ワシは歯がないから食えんけどな!だからいつもはクリームパンを買っておる。ハッハッ」
「荒木さん、ですか?ちなみにお店の名前とか分かったりしませんか??」
「あーこの前家に来たお前さんとおんなじくらいの孫に言ったらおんなじこといってたのう。荒木さんの店っていう店なんだよ。珍しいだろ」
「そんな名前の付け方したお店僕も聞いたことないです」
「そのままですね」
男性は”うむ”というようにうなずく。その老夫婦と俺と結音でしばらく話をしているうちに、列車の時刻がやってきた。
「じゃあそろそろ行こっか結音。パン屋さんのこと、ありがとうございました」
結音も続いてお礼を言い、小さく会釈する。
「気をつけてな」
そういう男性と隣の女性に別れを告げ、結音と2人、老夫婦より一足早くホームに続く階段を降りる。
「こんな偶然あるもんだね」
「それは普段の私たちの行いがいいからじゃない?」
「そうかもな笑」
そんなこんなでまた風吹きぬけるホームに着いた。俺たちが乗るのは自由席なので2号車のドアの位置で列車を待つ。すぐに接近放送が掛かり2両編成の短い特急「きたかもめ3号」がホームに静かに止まった。この列車は目的地の伊北のまたさらに先海中駅まで行く。
ドアが開き二人で乗り込む。そして5秒もしないうちに俺たちの後ろのドアが静かに閉まる。
触れて開くタイプのドアを開け、客室に入る。特急といえばこれ、というような左右に2席ずつ並んだ座席の配置だ。座席の色は青色と白寄りのクリーム色でまだまだ新車って感じだ。見た感じ、この号車には20人くらいのお客さんが乗っている。
あっ、と小声でつぶやくと同時に俺の肩に手をつく。列車は港北駅を出発した。とにかく転んでしまってはいけないので空いている2人掛けの席に腰掛ける。結音が窓側、俺が通路側だ。
列車は港北町の住宅街を抜け、田んぼや畑が広がる平野を駆け抜ける。
「チーズハットグおいしかったね!」
結音はご満悦のご様子。何より。
「ね。俺は初めてだったけどおいしかった」
「私、今ここでもう一本出されても食べれる自信あるなあ」
「今食べたら後でパン食べれなくなるよ」
「スイーツは別腹だよ」
「いやスイーツって。あれどう考えても揚げてるしカロリーヤバいそうだし」
「ドーナツだって揚げ物だけどスイーツじゃん」
「いわれてみれば、、、」
「あーあ中で食べるようにもう一本買っておくんだったな」
この先の恋の浜駅あたりでこの伊北線は数百メートルだけだが海岸沿いを走る。その先が穂高駅、人口3万7千人の穂高町の中心駅だ。
「あ、海だ!」
結音が指さすその先には、わずかな岩場とその先には寒々しい海が広がっていた。
「二人で写真撮ろうよ」
結音は続ける。そう来たら断る理由はない。
「おっけ。結音海側だから俺スマホ持つよ」
シャッターを切った瞬間海は遠ざかっていった。もちろん、ここは列車の中なので音が鳴らないアプリを使った。
そうして撮った写真をLINEで送り、しばらくしゃべっていると列車は減速し始め、やがて穂高駅に止まった。穂高駅はさっきまでいた港北駅と同じくホームは地上にあって、そこから階段を上った先に改札がある構造をしている。駅直結の商業施設であるIrustaMiniが併設されていて、駅前は割と栄えている。
一分ほど停車したのちに列車は再び動き始めた。
「家の周りにはこんな畑とかいっぱいないから新鮮だよね」
結音が言う。
「わかる。空気も新鮮そうだし、こういうところで一回暮らしてみたいわ」
列車は田畑の中を走ったり小さな住宅地の中にある小さな駅を通過し、しばらくして今まで地上を走っていた線路が高架になる。それと同時に列車が減速し始め車内放送が鳴る。
「急に都会っぽくなってきたね」
「てっことはもうすぐ伊北着くよ」
「やった!私お腹すいたから早く食べたい」
「早すぎだろ!!」
そんなこんなで列車は南いほく駅に到着した。人口3万5千人、伊北地方の県庁にあたる合同庁舎のおかれるこの市の南の玄関、そして南の中心市街地だ。この駅周辺には大型商業施設るるモールをはじめ、多くのチェーン店やマンションが建ち、合同庁舎所在地にふさわしい風格を漂わせている。
そして、列車はまた動き出し高架上を進む。隣には片側2車線の国道92号線が通っているが、交通量はあまり多くはない。
「あと5分くらいで着くから準備しよう」
結音に声をかけ、テーブルにおいた飲み物をカバンにしまう。列車は目的地伊北の一つ手前、新伊北駅を発車した。
そして自動放送がかかるとかなりの人が下りる準備をし始め、中にはデッキに向かう人も出てきた。
「私たちももうすぐ降りれるようにする?」
「そうだね。終点じゃないし、降りれなくても困るし」
ということで俺と結音は各々荷物を持ち、デッキの方へ向かう。やがて列車はゆっくりと止まった。前の人に続いて列車から降りる。時刻は11時55分、ちょうど昼時だ。
「うわ寒っ」
「イルカも寒かったけど、伊北はもっと寒いね」
乗ってきた2両編成の列車はぱっと見で1両に5人程度のお客さんだ。そして二人は高架のホームから1階の改札に向かうエスカレーターに乗る。列車のドアが閉まる音がする。これから海中までラストスパートだ。
「あとで荒木さんの店の場所調べようよ」
「私地図苦手だから隼人任せた」
軽く敬礼されそうな口調で結音はにこっと笑う。エスカレーターの前の方には先ほどの老夫婦の姿もみえた。
ここ伊北駅は伊北線だけではなく最初言っていた春音牧場のある春音に行く春音線も乗り入れる。正確に言うとここ伊北から一駅北に行った雨別駅から西の方に分かれていく。ちなみに昨年までは「春音高原線」の愛称があった。2面4線の高架駅だ。高架はかなり高く3回の位置にホームがある。今年の2月にリニューアル工事が終了し、伊北市が地域の特産品を独自に認定する「伊北ブランド」にも認定された伊北杉をアクセントに使った空間に生まれ変わった。
「駅めっちゃおしゃれだね」
結音は言う。ガラス張りで、白を基調に随所に木材を取り入れたおしゃれな空間だ。
「ね。インスタ映えじゃね?」
改札は一か所で5通路の自動改札がある。結音と俺で並んで、港北で買った特急券と冬パスを重ねて通る。その先には開放感のあるコンコース、観光案内所、コンビニ、商業施設のIrusta伊北への入り口などがある。
「場所、確認しなきゃね」
俺は結音の手を引いて人の邪魔にならないところに寄る。俺は地図アプリを開き、‟荒木さんの店”と入力し、決定をタップする。
「ここから歩いて5分くらいだって!」
「え、じゃあすぐじゃん!早く行こうよ私おなかすいたよ」
スマホの時計はちょうど12時を指している。結音がさっき食べたチーズハットグは4次元に転送でもされたのだろうが、俺はちょっとキツイ。
「まず駅から出ないとね」
結音と一緒に駅の西口から出る。すると乗り場が5つあるバスターミナルがあるが、パン屋はすぐそこなので乗らない。街の人通りは思ったより多くて意外とにぎわっている。さすがは伊北地方の経済の中心地だ。ビジネスホテルや雑居ビル、チェーン店、マンションが多く立ち並ぶ片側2車線の通りに沿って北に進む。歩道は広く、経済の中心とはいえ田舎の感じがする。
「今調べたんだけど、荒木さんの店、イートインやってるらしいよ?」
「じゃあそこで食べていこうよ」
「あとまた後で食べたくなったとき用に持ち帰りでも何個か買って帰ろ」
「いいね!私そうするよ」
「見つけた!」
結音が腕をつかむ。
「負けた悔しい。今回はちゃんと勝ちたかったのに」
調べた通りほんの数分で荒木さんの店の看板を見つける。
「お店全然並んでなくてよかったね!」
「あ、、、、。これってまさかの」
結音が固まる。
「もしやもしやの」
店の前に小さなブランコが置かれたこの店のドアに、張り紙が貼ってある。
~臨時休業のお知らせ~
「まじかよ!せっかく来たのに残念だね。どうしよう結音」
「観光案内所の人におすすめ聞いてみる?」
「そうしよっか。昼ご飯早く食べたいよね」
「もう私おなかすきまくってるから何でも食べられる気がしてきた」
「おいおいこの前東風谷行ったとき結音コンビニで済ませたけd」
「またそうしようよ」
「どんだけ食いたいんだよ!いやコンビニでもいいけど、せっかく来たからには伊北のもの食べたくない?」
「確かに。じゃあ案内所の方に一回聞いて、万が一そのお店が開いてなかったらコンビニにしよう」
「わかった」
人間おなかが空くとイライラしてくるのは共通なことのようだ。ということで、俺と結音は元来た道を戻り始める。ちなみに、臨時休業の理由はそこの店主の妻が出産するからだそうだ。おめでとうございます。
「戻ってきたね」
結音が言う。さっきのバスターミナルを抜け、再び駅の中に入る。入って左手の観光案内所に入る。
「いらっしゃいませ」
机にいる女性と奥の方で作業をしているらしき男性2人が笑顔で俺と結音を迎えてくれる。
「私たち、今日初めて伊北に来たんですけど、何かおいしい、こうなんか地元の名物とか食べられるところってあったりしませんか」
「さっき、荒木さんの店に行ったんですけど臨時休業で」
「そうでしたか。ようこそ伊北へ。この後のご予定とかって、ございますか」
優しい表情で聞いてくる。
「今からお昼ご飯食べたら春音の方の牧場に行くつもりです」
「そうでしたか。私も一回行ったことがあって、あそこの夕日すごいきれいですよ。ウッドデッキがあるんですけど。今からお昼ご飯食べるとすると、14時12分発の特急がありますよ。あ、そうでした。お昼ご飯でしたね」
女性は続ける。
「でしたら佐々木食堂はどうでしょう。最近伊北ではいわゆるB級グルメを作る企画をやってまして、その最優秀賞に選ばれたのがこのお店です。伊北豚、という地元の豚肉を使った黒ゴマとんかつというものなんですけど、普通のとんかつとは違って衣が黒ゴマでできてるんです」
「おいしそうそれ」
結音が俺に言う。
「ね。俺も食べてみたい。地図とかってありますか?」
「はい。こちらに伊北の駅の周りだけなんですけど、いろいろ細かく乗っているのでぜひお持ち帰りください。佐々木食堂さんは、ここ、ですね」
そういって女性はわかりやすいようにボールペンでその場所に丸をしてくれた。こういうのを後で見返すと、その丸と一緒にいろいろな思い出がよみがえってくる、、、気がする。
「「ありがとうございます」」
声をそろえて礼をする。
「こちらこそ。いってらっしゃいませ」
「あ、」
奥の男性が呼び止める。
「佐々木さんに電話したら、今日は臨時休業とかじゃないらしいので安心して食べに行ってくださいね」
「ありがとうございます。いただいてきます」
そういって優しい観光案内所の方に見送られ、結音と2人、いただいた地図を見ながら駅を後にする。
久しぶりの投稿です。こんにちは。筆者も晴れて大学生、にはなったのはいいのですがコロナウイルスでバイトもシフトに入れる日が減り、授業もオンライン、この自粛期間中いいこともある一方、やはり悪いこともあります。そんない誰もが厳しい戦いを強いられる中、日々の暮らしを支えてくださっているすべての方に感謝いたします。
Social Distance、三密を避け、適切な予防で、一日も早く新しい暮らしをスタートできるように、自分も頑張っていこうと思います。