朝、家を出発する
『ブルルルルン ブルルルルン』
朝8時。いつ設定したか覚えていないけど、iPhoneのオートバイのアラーム音で俺は起きる。
15㎝ほど空いたカーテンの隙間から冬らしい鋭い光がマンションの7階の俺の部屋に差し込んでいる。
俺は吉野隼人。今年高校生になって早7か月、基準を変えると中学3年生の9月、駅で偶然出会った少女清水結音と訳あって付き合い始めて早9か月が経過した。
もともと彼女とは電車で30分ほど離れた駅が最寄り駅だった関係で中学校は全然違う場所だったけれど、いろいろ話した結果、2人のちょうど中間くらいにある自称進学校である「イルカ市立衣北高校」に一緒に進学した。
進学校ほど大学の合格実績はよくないけれど、偏差値は悪くはない。そんな自称進学校、結音は難なく突破できる学力があったが、問題は僕のほうで、数学が特に苦手で受験直前は最後まで塾に通いつめ、先生に尋ねまくった。その結果2人そろって合格することができたときはホッとした。
そして俺は帰宅部、結音は(俺の高校では割とマイナーな)音楽部に入った。ちょくちょく話を結音に聞くと、どうやら合唱をするらしい。最初聞いたときは「軽」音楽部かと思ったけど違った。
そんなことより、ああ寒い。それもそのはず、今日は11月10日の日曜日。もうイルカではすっかり冬の季節である。しかも暖房はこの前壊れて使えない。頭を触ってみると案の定爆発している。このごろ髪を乾かさずに寝ることが多くなったからか、、、。起きるか。俺はドアを挟んだ向こう側のリビングに行く。
「あ、お兄ちゃんおはよー」
一つ下、中3の妹、梨奈がテレビを見ている。
「ってかまた頭爆発してるよ??」
「知ってる。あ、そういえば今日出かけるから昼ご飯勝手に食べといてね」
「あーまたデートでしょいってらー」
そう、妹に何も隠し事はできないのである。去年俺と結音の初めてのデートの時も、ここから100kmほど南の市である東風谷の旅行ガイドをバレない様に買ってきたつもりが、その次の日中学校から帰るとソファーに座ってそれを妹は堂々と読んでたっけ。
ともかく俺は洗面所に移動し髪を濡らし櫛を駆使し爆発を収めていく。
櫛を駆使する。ただでさえ冷たい水が一気に10度くらい下がった気がする。思いついた自分がバカだった。
そしてトイレを済まし、リビングを通りまた俺の部屋に戻る。今日はさっき妹に指摘された通り、数回目のデートである。この前は10月で、イルカの中心部から南東に10kmくらいのところにあるイルカ空港に行って飛行機を見たっけ。なんか普通のカップルがするようなデートとは違うけどまあそれは置いておこう。そして今回は真逆の北に行く。北に行く、ことだけ決まっている。決まった時はこんな感じ。
「11月はどこ行く??」
「私はどこでもいいけど、、、あ、でもこの前と反対行きたくない?」
「あ、いいねちょうど寒い季節だし」
「わかる。なんかチーズハットグとか食べ歩きしたい」
「あ、めっちゃ伸びるやつだよね!」
「そうそう!いろいろ調べてみたら、コウホク?っていう駅の近くにおいしいお店があるんだってさ」
「それ行こうよ!じゃあ決まりな」
「うん!」
、、、。簡単に決まったのはいいことなのかもしれないが、当日までこのまま特に行くところがない状態だと何があるか楽しみで、逆にいいのかも。ここで言っておくが、決して俺たち2人は仲が悪いわけではない。
リュックサックに財布とスマホ、バッテリー、他いろいろを詰め込み、服を着替える。今日は寒いのでベージュのもこもこをはおり、下もユニークな服でおなじみのあのチェーンの防風パンツ、そしてネックウォーマー。完&璧!
朝ごはんは後で食べるとして、リュックを背負いカギを持ち、リビングに出る。
「あ、もう出るの?」
妹はさっき全く変わらない姿勢でテレビを見ている。
「うん。じゃ、いってくるー」
「いってらー」
玄関で靴を履き、ドアを押す。さっむ!徐々に広がる隙間から冬の風が入り込んでくる。そしてドアを閉め、廊下を進み、エレベーターの「↓」のボタンを押す。
俺の家は北イルカ駅直結のマンションだから濡れずに駅まで行ける。まあ今は降ってないし、降らない予報だけどね。
少し待って上から来た空のエレベーターに乗って2階に行く。そこからはもう2、30mも行けば駅の改札だ。マンションと駅を隔てる自動ドアを出る。
今日は北の方に行こうと考えているので、いるてつが季節限定で発売している「冬パス 北エリア」を買う。この「冬パス」について少し説明が必要だろう。冬パスは、冬の旅する青春フリーパスの略で、2日間決められたエリア内の普通列車(いわゆる各駅停車、鈍行)と快速に自由に乗車できる。特急も7割引で特急券を買えるから、学生の旅行はこれを使うほかない。「北エリア」は自由に乗り降りできるエリアのこと。今回は、日本の東京駅ポジションの大きな駅「イルカ」駅より「北」のエリアのいるてつの路線が乗り降り自由になる。結音の最寄り駅はそのエリアの南端であるイルカ駅なので、都合がいい。ということで、JRのパクリ、ではないきみどりの窓口に入る。
「いらっしゃいませ」
明るい男性駅員が迎える。
「冬パスの北エリアを一枚お願いします」
「かしこまりました。それでは在学が確認できる証明書をお見せいただいてもよろしいでしょうか?」
そんなやり取りをして、2000円と引き換えに定期券サイズの切符と利用ガイド冊子を受け取りきみどりの窓口を出る。駅によくある黄緑色で四角い時計は8時32分を指している。切符も買ったことだし、まずは結音と待ち合わせをしているイルカ駅に向かう。
さて今俺は北イルカ駅にいるわけだが、この駅には4路線が乗り入れている。今から乗るイルカ線、後で乗る伊北線、ザ・ローカル線の新緑線、最後にいるかメトロ衣北線だ。そして駅は、地上にホームがあり、そこから階段やエスカレーターを上った先に改札がある、いわゆる橋上駅だ。3面6線で、イルカ鉄道では大きい部類に入る。地下鉄はこれとは別に地下に1面2線の駅を持っている。
結音が待っているのはイルカ駅だから、イルカ線に乗ればよい。次の発車は8時40分発の普通列車の南岸町行きが、5番線からだ。というわけで改札機に切符を通し、左手に進み、「5・6 イルカ線 イルカ/南イルカ/南岸町方面」の看板を頼りにホームに降りる。玄関前ぶりに浴びた冬の風が、体を吹き抜ける。寒い!!しかし列車はすでにホームに止まっている。今日の列車は10000系だ。この車両は2014年にデビューした車両で、イルカ線の中では割と新しい部類に入る。ドアは半自動なので、ドアの横のボタンを押す。
『ピーンポーン』
やわらかいピアノの音色の開閉音に迎えられ、温かい車内に入る。後ろを振り返ってもう一度ドアの横のボタンを押し、今度はドアを閉める。車内は多分20度くらいはあるだろう。ロングシートのはしっこに座り、リュックを前に抱える。
一度結音を迎えに、南にあるイルカに行くことを除けば、初めて結音と北に行くデートになりそうだ。
しばらくして、外では発車メロディーが鳴り終わり、列車は静かに北イルカ駅を出発した。