シアの行く先
「そっちを探せ」
「おい!見つかったか!」
「見逃すなよ」
「おーい、こっちに来てくれー!」
「まだ何も見つからない」
「これはなんだ?」
森の中を大勢の兵士が歩いている。ここは、ゴート城裏の森である。
この森を通ったとされる脱走者を捜索しているのだ。兵士たちは披露を隠せずに途中途中、休憩を挟んでいる。それもそのはず、この森に兵士たちが入ってから裕に五時間は過ぎている。
「ホントにこっちに逃げてきたのかよ」一人の兵士がそんな事を口にしながら地面に座り込んだ。
「おい!みんなそういうこと言わないようにしてんだよ。ほら、立てよ」
もう一人の兵士が近寄ってきて注意する。
「いや、だけどこんなに探していないってことはさ、もういないんじゃないか?」座っている兵士は立つ事もなく、はぁぁ、と深いため息を吐いた。
「いなくても、なんか手がかりとか、痕跡とかあるかもしれないだろ?みんな頑張ってんだから、ほら、早く立てよ」
立つ気のない兵士腕をもう一人の兵士が引っ張る。
「わかった、わかったから。立つ立つ。立ちゃあいんでしょ。立ちゃ」嫌々立とうとする兵士は、立つ動作の途中でピタッと静止した。
「なんだよ、まだ立たないのかよ。ほら、立て」
もう一人がまた腕を引っ張ると、「待て、ちょっと待て」とさっきの気だるさが吹き飛んだようなはっきりした声で
「あそこ、なんか道ができてないか?」と言った。
もう一人の兵士も「あそこ」が指す場所を見てみると確かに道ができている。道というほどではないかもしれないがそれでも草花が回りのものより少し沈んでいる。明らかに怪しいその怪しい「道」をたどるとなんと、森の外に出てしまった。兵士たちは同じタイミングでピンッときた。二人で顔を見合わせて、すぐさま捜索隊の隊長に報告をすべく来た道を全力で戻った。しかし、前を走っていた兵士が何かに躓いて転んでしまった。
「おい、なにやってんだよ。早く立てよ!」この「道」 を見つけた兵士が手を差しのべる。しかし、転んだ兵士は、手を取ろうとしない。いや、取れなかった。見てしまったのである。「何」に躓いたのか。
「おい!早くしろよ!」
転んだ兵士があまりにも動こうとしないので、見かねた兵士は強引に腕を引っ張った。しかし、兵士は立たなかった。立てなかった。明らかに様子がおかしい兵士をよくみると、冷や汗をかき、口をあんぐりと開けて、目には涙が溢れている。兵士の目線の先を恐る恐る見た瞬間、何かが足に噛みついた。足元を見ようとすると、今度は、腕に激痛が走った。急な出来事で頭が追いつかない中「あ、あぁ、ああああああああ!!!!!」と後ろから声が聞こえた。振り替えるとそこには、泣きながら口をカタカタと動かす兵士がいる。一人ではなく三人も。みな同じ顔をしており、ズボンの真ん中には大きなシミが出来ている。瞬間、目の前が暗くなった。
毒蛇に噛まれた兵士が最後に見たのは、恐怖で腰を抜かし、泣き喚いている無様な男の顔だった。
どこからか悲鳴が聞こえた。異変を感じ取った捜索隊の隊長は、すぐに部下を連れて悲鳴の場所へと向かう。途中には脱走者の痕跡のようなものがあったが今は後回しである。
悲鳴の場所に近づくとなんだか異臭がした。臭い。足を早めて歩くと森の出口が見えてきた。まさかと思い、出口に向かって走る。と、なにか地面とは違う感触のものを踏んだ気がした。止まって見てみると異臭の正体がそこに転がっていた。
「…んん」
そこには、首を切られて死んでいる蛇と、失禁している二人の男の死体があった。
スープを食べ終えてソロン達三人は椅子に座りながら談笑していた。残りの一人のワイホは、別の部屋で洗い物をしている。
「あぁ、そうだそうだ。シアさんよ。さっきはすまなかったの。あまりにもデリカシーに欠けておったわい」
いいえ、とシア。
「私の方こそあんなに声を荒げてしまって。本当に申し訳ないです。助けていただいた恩人方にあのような怒声をあげてしまって。パシオ族のそういう噂を流されていたなんて知らなくて。頭に血が昇ってしまいました。本当にすいません」
長々と謝罪の気持ちを伝えたシアは、深々と頭を下げた。
「いやいや謝ることないよ!あんなにデリカシーのないジジイ、怒って当然だよ。年をとると怒られる回数が減るからさ、あれぐらい怒った方が年寄のためだよ」
そうですか、と苦笑いを見せるシア。ソロンは、うっかりセイロンをジジイ呼ばわりしてしまったことでセイロンの怒りが爆発しないか不安だったがやはり、ジジイ。耳が遠くなってきているらしい。
ホッと安心していると、外からゴンゴンッと扉を叩く音がした。ワイホが「はいはい、ちょっと待ってね」と言って扉を開いた。誰だろう、と壁に隠れて扉の先を見たソロンは、外にいた人を見た瞬間に背筋が凍りついた。城の兵士だ。なにやらワイホと揉めている。
「他の家を当たってみたのだが、ある家がここに肌の白い女が運ばれていったのを見たと言ってな。恐らく手配書が渡っていると思うのだが、少し家を確認するぞ」
「ちょっと、肌の白い女?ここの村は、肌が白くなるときなんてあるわけないだろう?寝言は寝て言ってもらいたいね」
強気のワイホに兵士は動じることなく「ここにいることはわかっている。先ほど手配人の脱走の経路と思われるものが発見された。崖に落ちて川を下ったらしい。崖下の川は、ここに続いている。それに加え手配書と全く同じ姿の女を見たときた。お前がどんなに否定しても私たちにはこの家を確認する権利がある。そこをどけ」
強引に家に入ってきた兵士たちはワイホが「ちょっと…!」と進路を塞いでもズカズカとこちらに近づいてくる。まずい。足音をたてないように出来るだけ早く二人の元へ戻った。
「まずい、シアの居場所がばれた。すぐそこにいて、もうすぐここに来る!」
シアは、さっきまでの穏やかな顔が嘘のように凍りついている。
セイロンは「まず落ち着け」とソロンをなだめ「お前の出番じゃろ?」とソロンを指差した。
ソロンは「わかった」とシアに「こっち」と言い、シアの手を引いて急いで2階のの部屋に向かった。
シアは絶望していた。こんなに早く見つかるなんて…。正直なところ3日は安心だと思っていたが城の兵士を舐めすぎていた。また、あそこに戻るのか。いや、もう戻ることはないかもしれない。今、捕まったら殺されることはなくとも今よりもっと厳重な監視をされるだろう。ソロンに手を引かれながらも彼にあまり期待はしておらず半分諦めていた。
力を持たないパトム。すなわちこの大陸上で一番身体的に劣る部類のソロンはこれから何をしようというのか。『お前の出番じゃろ?』『わかった』何が?シアは心の中でつっこんだ。
2階の一番奥の部屋につくとソロンはベッドの下に潜り込み、シアにも来るように促した。とりあえず従うことにしたが、こんな古典的な方法で捜索の目を欺けるとは思えない。やはり、期待はしない方が良いみたいだ。シアは、初めての経験を最後に噛み締めようとしていた。
熱々のスープはあんなにおいしいんだな。ワイホさんは、包容力すごかったな。話もおもしろかったし。マグカップが飛んで来たときは驚いた。そんな事を思い返していると階段を上がってくる音がした。来た。見つかることがわかっているからといって恐怖がなくなるわけではない。ガチャ、と隣のへやが開く音がした。コツコツと足音が聞こえる。十秒くらい音が止まった。そこからコツコツと足音がまた聞こえてくる。廊下をゆっくりと、コツ、コツ、と歩く音がして止まる。ガチャと音がした。ベッドの下からドアが開くのが見えた。3人ほど部屋に入ってきて辺りを見渡している。一人がベッドの前で止まる。ゆっくりと屈んできているのが嫌でもわかる。見つかる。そう思った瞬間、ぬっと男の顔が目の前に来た。ランプをベッドの下に置き、こちらをじっと眺めてくる。目があった。終わりだ…。
恐怖で泣きながらじっとしていると、兵士たちはそのまま何事もなかったように部屋を出ていった。
シアは混乱した。さっき目があったはずである。確実にこちらの存在がばれたはずだ。もしかして夢なの?そんな仮説を考えていると床から小さく声が聞こえてきた。
「すまない。手配書の女はいなかった。見間違えだった。無礼を許してくれ」男の声だ。
「わかりゃいんだよ。いないんだから。じゃ、さっさと帰っておくれ」ワイホの声もする。
わかった、という男の声がして数秒ドアがガチャンとしまった音がした。
「行ったね」
そう言うとソロンはベッドから出ようとする。
「シア?ちょっと早く出ようよ。ほこりくさいし、ここ」
ソロンが喋りかけても動かない。なぜかほっぺをつねっている。「シア?」背中をつつくと「うぅわ!」と変な声を出して「な、何ですか!?」と言ってきた。
「いや、早く出ようよ」
あ、とシアは今、自分がベッドの下に居ることを思い出した。
「すいません、今出ます」
シアはベッドの下から出てもぼーっとしたまま動かない。また、ほっぺをつねっている。
「シア、早くみんなのところに行こ?」
返事も反応もせずにシアはほっぺが千切れんとばかりにつねりながら部屋を出ていった。
「これは、夢ですか?」
夢の中で「これは夢か?」と訊くのは何ともおかしいように感じるがシアには、確認せざるを得なかった。ほっぺは何度つねっても痛いし、両頬がつねりすぎで真っ赤に変色している。
「夢?なんで?」ソロンが聞き返す。シアはこの光景に見覚えがある。マグカップが飛んできた時と今の光景はよく似ている。また今回も自分がおかしいのか。
「いや、だって私…城の兵士と目があったのに…何もありませんでした」
「あれ?」ソロンが言う。
「ばあさんから聞いてないの?何かスープ食べるときに僕の話してなかった?」
シアは思う。したから混乱してるのですが?
「いや、あの、ソロンには、物を宙に浮かせることができないと聞きました。たまにそういう人が生まれるって…」
ソロン達ヨゴ族は、触れたものをを宙に浮かして操れるのだが、ソロンにはその力がない。それについて、かわいそうに、と思ったことをはっきりと覚えている。
「ワイホさんが、ソロンはパトムなのに何の力もたないって…」
「ん?何を言ってるんだい?私はそんなこと言ってないよ?」
?
どういうことだろう?
「私は、宙に浮かせる力がないとは言ったけど、全く力がないとは言ってないよ?」
ほぉー、なるほど。確かにそう言われるとそうだった気がする。
「え、じゃあ、ソロンが持つ力って…?」
シアがそう言うとソロンは机にあった本を手に取った。それをシアの目の前にやるとフッと消えてしまったのである。
「え!?」これにはシアも驚きを隠せない。
「僕は、触れたものを見えなくすることができるんだ。ほら、触ってみて」ソロンが見えない本をシアに触らせる。
ある。ちゃんと本の感触がある。
「自分の姿も消せるんだよ。ほら、すごい?」ソロンは笑いながら本を持っていた腕を消した。
「すごい…」思いもしなかった特殊能力に出てくる言葉は、それしかなかった。さっきまでソロンの事をとやかく思っていた自分が恥ずかしくなり「ごめんなさい」とシアはソロンに謝った。当のソロンはなぜシアが謝るのかわからないがなんとなく「いいよ?」と答えを返した。
しかし、待てよ?シアはある疑問が浮かんだ。じゃあ、なぜさっきベッドの下に潜り込んだのか。姿を消せるならそんな事はいらないように思える。
その理由をソロンに訊ねると「いや~、もし見えなくなってなかったら心配じゃない?ほら、あんまり実感がないし?それに万が一ぶつかったりしてバレちゃうと怖いじゃん」
あまり大した理由でもなかったのでシアは「はぁ…」と反応するのが精一杯だった。
改めて、シア達は今、これからのことについて話している。
「とりあえずここに留まるのは危険だね。さっきは、見つからなかったからよかったけど、シアをここに運び入れるところを見られてるわけだし」ソロンがそう言うとシアは「…はい」と俯き返事をした。
「でも、じゃあどうすんだい?ここには居られないから他所に行けって追い出すつもりかい?」ワイホが嫌みったらしく言う。
「そんなこと言ってないだろ。だから、どうするのか考えるだよ」そんなワイホに少し腹をたてながらソロンは答える。
「でも、一番安全じゃないかい?ここが。私は匿う気満々だから絶対に人は入れないよ?」ワイホの提案をソロンは反対する。
「いや、目撃証言があるし、だいたいばあさんは医者だろ?人いれない訳にもいかないだろ?」当然の意見である。
「最近は、誰も来ないよ?大戦の影響でみんな病院にかかってる暇があったら稼ぎたいのさ」
「でも…」やはり、ソロンは心配である。仮に見つかったらワイホまで捕まるだろう。村でたった一人の医者をなくすのは賢明ではない。
「わかった!じゃあ、あんたの家はどうさ?あんな大きな家でじいさんと二人暮らしだろう?匿う部屋ぐらいあるんじゃないかい?」
「そうしたいのは山々じゃが、恐らくこの村に留まること自体シアにとっては危険じゃ。この村、いや…、この『国』を出なければ安全とは言えない状況じゃ」ワイホの提案は、セイロンが現実を突きつけたことによりまたしても却下された。ワイホは「そうかい…」とまた、別の方法を考える。
「国を出るなんて、それこそ危険だよ!国を出れば無法地帯だよ!?山賊とか、猛獣とか襲われるに決まってるよ!」
国を出ろ、というセイロンにソロン反は猛反対した。あまりにも無慈悲すぎる。そんなソロンをなだめ、セイロンは、ある提案をした。
「なにも一人で行けとは言っとらん。ヨゴが誇る最大戦力をつける」
その言葉に一番反応したのは、ソロンでもなく、ワイホ出もなく、シアだった。
「最大戦力…?」シアには、見当もつかず首を傾げる。そんなシアには気づかず、ソロンとワイホは目を丸くして「最大戦力」について反対している。
「あいつらがいなくなったらこの村はどうなるんだい!?ただでさえ辺境の村なのにあいつらがいなくなっちまったら山賊どもの格好の餌食だよ!」それに続きソロンも「そうだよ!しかもあれが消えたら城の奴らもすぐ気づくよ!異変に気づいたら、この村はおしまいだよ!」二人ともすごい顔をしている。
「最大戦力」とは、二人があんなになるほど失いがたいものなのか。
「あの…その『最大戦力』って…」シアがそう言葉にした瞬間、二人が同時にギュルンッとこっちを見てきた。数秒して、興奮状態が解けたのか「あ、そうか」と説明を始める。
「ヨゴ族は普通、あんたも知っている通り『物を宙に浮かして操る』という力を持っている。だけど、たま~にソロンみたいに姿を消したり、触れたものを透明化させる力を持つ奴らが生まれてくるのさ。その力を持って生まれた者は、王から依頼を受けて諜報活動や汚い仕事をする『ヨゴ隠密隊』として育てられるのさ」
「『ヨゴ隠密隊』は、すごいんだよ!姿を消すだけじゃないんだ!戦闘能力もずば抜けて高いんだよ!」ソロンは、憧れを持つ子供のように目をキラキラさせている。
普通ヨゴ族は、その力に依存して、肉体的な疲労が低い分、体力や筋力が普通の人間より少し劣る。しかし、希に生まれるいわゆる『亜種』は、普通のヨゴ族が持つ力を持たないため、体力、筋力共に劣ることはない。つまり、まさしく諜報活動や暗殺に適した存在なのである。
「そんなすごい人たちが…!」シアは驚いた。辺境の村にそんなすごい人たちがいるなんて…。
驚きがなくなるとシアはふと、おかしな点に気づいた。ソロンだ。ソロンもヨゴ族の「亜種」である。つまり、ヨゴ隠密隊の一人であるはず。なのに、どうして『ヨゴ隠密隊』について語るとき、あんなに子供のようにテンションが上がっていたのか。自分が属する部隊のことを普通、あんなになって語るだろうか。
「ということは…ソロンも『ヨゴ隠密隊』なのですか?」
シアの質問にソロンは「いや」と言葉を続ける。
「僕は、村長の孫だから。僕の両親はどっちも大戦中に死んじゃったから、じいちゃんが村長を退いたら次は僕が村長になるんだ」だから、と。「次期村長候補をそんな危ない隊には入れられないってことで隠密隊の育成メンバーを途中でやめることになったんだ。小さい頃から見てた隠密隊の人たちは皆、かっこよくて憧れだったから残念だったけど、正直なところ少しほっとしてるんだ。憧れでもあったけど隠密隊の仕事は危険だからね。命を懸けるまでの覚悟が僕にはまだなかったから、結果的によかったんだ」そう言うソロンは、笑っていた。シアにはそれが作り笑いだということが痛いほどわかった。危険な仕事とはいえ、夢を崩されるショックは大きいだろう。シアには「そうなんですか…」と答えることしかできなかった。
ソロンの話の後、部屋は、気まずい雰囲気でいっぱいだった。そんな中、最初に沈黙を破ったのはシアだった。出来るだけ明るい声で「そ、そういえば、その『ヨゴ隠密隊』について話してましたよね!な、何でしたっけ?」と言うとセイロンが「おぉ、そうじゃったの」と続けて言った。
「何も全員をつけるとは言っておらん。ヨゴ隠密隊最強のゼンをつけるのじゃ。奴であれば、一人おるだけで百人力ならぬ千人力じゃろう」
ゼン。なんだか凄そうだ。名前だけでもとんでもなく強そうだ。
「で、でも引き受けるかな。融通が利かないじゃん。あの人」そう心配するのはソロンである。
「大丈夫じゃ。あいつなら、絶対に引き受ける」なぜかセイロンは自信満々だ。
とりあえず詳しいことは明日また話すことにして、ひとまずシアは、村長宅で預けることとなった。夜になりソロンに姿を消してもらいながら移動した。
家に着くとシアは、「大きい…」とつい口に出してしまった。地下牢から出て来て「家」というものを初めて行った見たシアにとってはその家は予想以上に大きかった。村長宅に向かう途中に通った道でもたくさんの家が並んでいたが、その十倍くらいはあるだろうか。まるで城である。
ソロンに促されて、玄関に入ると長い廊下がずっと奥まで続いていた。シアが驚きで固まっているとソロンがあることに気がついた。
「シア、そういえばずっと裸足だったんだね。今気づいたよ」
そう言われてシアも自分の足を見る。泥だらけで血が滲んでいる箇所もある。この足で人様の家に入るのは礼儀知らずだろう。
「ど、どうしましょう?」シアが戸惑っていると廊下の奥から水の入ったバケツが飛んできた。ぎょっとしたシアは、セイロンがいつの間にかいなくなっていることに気づいた。これは、セイロンが運んできたらしい。「運ぶ」という表現が正しいかわからないが。
「じいちゃんさ、こういう先を見据えて行動するのが、なんかうまいんだよな。ちょっと腹立つけど」そう言ってバケツを取りシアの足元に置く。
「これで洗ってみて多分石鹸混ざってるはずだからきれいになると思うよ。あ、傷口に滲みるかもしれないから気を付けてね。あと冷たいからゆっくり入れたほうがいいよ」
ソロンの言うとおりにまずゆっくりとバケツへ右足を入れる。確かに冷たいけど慣れればどうってことない。痛みにも耐性がついているシアには石鹸が滲みる程度の痛みは十分に耐えられる。ゴシゴシと右足を洗い、左足も同じように洗っていると廊下の奥からまたバケツが飛んできた。なんでだろう。シアが疑問に思っているとソロンは、バケツをとり「これで足流してだって」といってシアの近くにバケツをやった。
流す?シアには洗った足を流す意味がわからなかった。シアはこれまでに「洗う」という行為をしたことがないため、流す意味がわからなかったのである。
「流す、のですか?」ソロンに訊ねると首を傾げて答えてきた。
「え、流さないとヌメヌメして気持ち悪くない?」
気持ち悪い?確かに多少ヌメヌメして違和感があるが気にするほどでもない。だが、ソロンが当たり前でしょ?という顔をしており、なんだか恥ずかしくなってシアは、慌ててバケツを足に向かってジャバー!と流した。それに驚いたのはソロンである。
「ちょっと!シア!流してとは言ったけど玄関の中でやる!?それ!あーあーあー。靴がびしょびしょだよ…」
言われた通りに足を水で流したのになぜか驚かれていることにシアは混乱した。何が正解だったのか。初めての経験をしているシアに対してソロンも言葉が足りなかったという非がある。しかし今のシアには「ご、ごめんなさい…」という言葉しか出せなかった。
「じゃあ、まず、ここで休んでね。ご飯出来たら呼ぶから」
というソロンに「はい」と返事をして、ソロンがドアを閉めると、ゴロン、と床に寝転がった。
「はぁぁ…」シアは深いため息を吐いた。地下牢から抜け出してきて今まで体験した事のないことの連続で正直なところ、ものすごく疲れている。さっきは、「ご飯が出来たら呼ぶから」というソロンに対して「はい」と答えたが、心の中では「またご飯食べるの?」と思ってしまった。確かにお腹は減っているが、好きなときにご飯を食べれた記憶が無いために疑問が浮かんでしまった。
もしかしてこれは幻で、自分はまだ、地下牢にいるのではないか。そんな不安が何度も襲ってくる。そんな不安を紛らそうとシアは、窓から空を眺める。無数の星が青黒い空に散らばっていてきれいだ。月も、半月でもなく満月でもない中途半端な形だったがそれでも、今のシアにはとても美しく見える。
「きれいだな」シアはボソッと言う。
こんなにゆっくりと空を眺めたのは初めてである。空を見上げればこんなにきれいな世界が自分を包んでいるなんて知らなかった。ひとりぼっちの地下牢の暗闇とはまるで違う。空には暗くても暖かさがあるような気がする。そんな事を思いながらシアは空を眺めていた。
「シア~!出来たよ~!ご飯だよ~!」
ソロンの声が聞こえてきた。ご飯が出来上がったらしい。「わかりましたー!」と返事をしてソロンの元へ向かおうとする。がピタッと止まった。そういえば、どこに行けばいいのか。声は下から聞こえてきたが、この広い家の中のどこに行けばたどり着くのか。ソロンからご飯を食べる場所を聞いていなかった。どうしようと頭を巡らせる。そうだ。ずっと待っていればソロンが迎えに来てくれるかもしれない。いや、でもそれは、なんだか申し訳ない気がする。しかし、ここから動いて迷ったらそれこそ面倒くさいことになる。もしかしたら心配になって迎えに来たソロンとばったり会えるかもしれない。だが、もし会えなかったら?すれ違う可能性だって十分にあるはずだ。それはリスクが高い。ならばいっそのこと、どこか分からないから迎えに来てくれと言ってしまおうか。いや、それは、教えなかったソロンが悪いんですよ?と言っているようでダメである。それにとんでもなく恥ずかしい。じゃあ、いったいどうすれば…
その時、ガチャッと音がした。音の方向を見てみると暗闇の中を黒い何かが蠢いていた。「何か」はそのまま止まって動かない。と思いきや
「「「「「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」」」」
と突然叫びだした。シアも恐怖のあまりに同じ様な悲鳴をあげた瞬間、体が宙に浮いた。
ソロンは謎の悲鳴に気付いて急いでシアの部屋に向かった。部屋に着くと、暗闇の中で背の高い誰かがシアを押し倒し「誰だぁ!お前ぇはぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」と今にもシアを殺さんとばかりの怒声をあげていた。慌てて部屋の明かりをつけた。
シアを押し倒し興奮状態だったその人は明かりが点いたことによりはっとする。そしてソロンの方を見て口を開いた。
「おい!こいつが私の部屋に入っていた。今から尋問をする。お前も手伝え!」
シアを完全に敵と見なしているその人にソロンが落ちつくように頼んだ。
「違う違う、ごめん。まず、落ち着いて。ここってゼンの部屋だっけ?誰もいなかったからお客さんを入れちゃった」
「お客さん?」その言葉を聞いたゼンは一瞬泣き叫んでいるシアの顔を見て、はっとする。「まさか、こいつが例の…」そう呟くとシアを持ち上げる 。どうやら、シアの事情を知っているみたいだ。じいちゃんかな?ソロンがそんな事を思っているとゼンは持ち上げたシアを立たせた。そして自らは正座をして自分の頭を思いきり床に叩きつけた。
「申し訳ございませんでした!!」
先程とはうって変わって謝罪をされたシアは、固まる。頭が追い付かないのだ。
「客人とは露知らず、どうか無礼な振る舞いをお許しください!」
そんなシアに、許しを乞うゼンに近づいてソロンも
「ごめん、許してあげて。びっくりしただけみたいだから」と笑いながら言った。完全に責任転嫁する姿勢ができている。しかし、それを許さない者がいた。頭を床につけているゼンである。他人事のように振る舞うソロンの腕をガッとつかむとゼンは鬼の形相で
「元はと言えばお前のせいであろう…?逃げられると思うなよ…?」と言葉にした。ソロンはまだ、笑顔を崩さない。恐怖という感情に、ソロン自身が気づいてしまえば確実に漏らしてしまうだろう。そのまま腕を捻られグルンと一回転して背中を床に叩きつけられる。しかし、ソロンは、まだ笑顔を崩さない。痛いという感情をソロン自身が気づいてしまえば確実に漏らしてしまうだろう。そのまま腕を捻り上げ「客人よ!手伝ってくれ!」とシアに、加勢を求める。シアはその言葉ではっとした。そして状況を確かめる。固まってしまう前とだいぶ状況が変わっていることにまたフリーズしそうだったがソロンが不気味な笑顔をしながら「ハハハハハハハハ」と笑い続けているのが怖くなり、シアは「あの、離していただけないでしょうか」と言った。
ゼンは「そうですか…」といってソロンに自由を返した。ソロンは数秒ピクッピクッと魚のように小さく跳ねた後何事もなかったように切り出した。
「シア、大丈夫だった?怪我してない?」
こっちが聞きたい。その言葉が口の外に出るのをなんとか阻止して笑顔で「はい、大丈夫です」と答えた。
「そちらの方もごめんなさい。まさか人様の部屋だとは知らなくて。本当にごめんなさい」
「いえ、いいんです。すべての元凶はこいつですから」
「ちょっとゼン?そんなことない言わないでよ~」
さっきのことが嘘のようにソロンは余裕を見せている。そんなソロンを見つめるゼン。
ゼン。この人が…。シアは、驚いた。というのも「ゼン」という名前から勝手に想像して男とばかりに思っていた。しかし、ゼンの胸には女の象徴ともいえる大きな房が2つついていた。忍者服のような服装のせいか大分締め上げられているが大分大きい。シアとは比べ物にならない。顔は目から下を布で覆っておりはっきりと顔は分からないが目が切れ長で大きいためとてつもなく目力が強い。威圧的である。
そんな事を思っていると
「シア、ご飯食べよう?」とソロンが声を掛けてきた。「あ、はい」と返事をしてソロンについていく。
「ゼンは?食べる?」ソロンがゼンに訊くと「いや、やることがあるからな。まだいい」と答えた。やることってなんだろう。シアは好奇心をくすぐられたが今ソロンと食事場に行かなければそれこそ二度と辿り着けない気がしたのでグッとこらえた。
「うわぁ!」
テーブルの上にはシアの見たこともない料理がたくさん並んでいた。もちろん誰でも知っている一般的な料理だがシアにとっては初めてのご馳走といえるだろう。
「これ、全部食べてもいいんですか」
シアが目を輝かせて訊くと
「全部食べれたら食べてもいいよ。まだギリギリ暖かいからさ美味しいうちに食べてね」とソロンが笑って答えた。セイロンはもう食事を食べ終えて、食後のお茶を飲んでいる。
シアがまず目につけたのは茶色くて乾いている謎の食べ物だった。これは唐揚げである。いい匂いがする。シアは1つ指でつまみ、大きく口を開いてそれを食べた。よく味わって飲み込む。
「美味しい!!」
小さい子供のように嬉しがるシアを見て、ソロンはよかった、と胸を撫で下ろした。シアは、箸を扱えないので料理を手で鷲掴みにしてどんどん口に放り込んでいる。ソロンは食事を終えてシアを見た。「驚き」の一言である。口の回りには食べかすがついてたくさんついており手もべたべたで、しかし、シアはそんな事は気にせずバクバクと食べ進めている。これは、服も床も汚くなってるな。後でやる掃除のことを考えながらお茶を飲む。その後も眺めていると、シアに異変が起こった。ピタッと手が止まり一点を見つめている。ヤバい。この状態にはソロンにも覚えがある。
リバースだ。
「じいちゃん!バケツ!」
「そんな急に言われてもの」
セイロンはシアの異変に気づかずお茶をのんびりと飲んでいる。こういうときに限って使えない。
「くそ!シア!まだだ。まだ我慢するんだ!」
シアには、答える余裕がない。ソロンは急いでバケツを取りに行く。一番近いところはキッチンだ。すぐさま向かってバケツを発見し、戻る。シアを見ると口を膨らませて顔が青くなっている。まずい。
「シアこっちだ!」走りながら叫ぶ。シアはこっちを向いた瞬間、ダムが決壊した。こぼれ落ちるそれに向かってソロンはダイビングする。
「…セーフ」
バケツと口の距離が遠いため、跳び跳ねたりしたりするものはしょうがない。許容範囲である。まず、最悪の状態を回避したことにソロンは自分を褒めた。
つい食べすぎて吐いてしまったシアは、スッキリとした顔でごめんなさいとソロンに伝えた。ソロンは「もう食べないよね?」と不安になりながら訊いてきたがここで「食べます」と答えるほどシアはメンタルが強くない。大丈夫です、と食事場をあとにした。
この家は広い。何でもヨゴ隠密隊は代々村長宅で暮らしをしているかららしい。しかし、どこが空き部屋なのか、どこは誰かの部屋なのかソロンもあまり把握していないらしい。それほど大きな隊なのだろう。
シアは、今ゼンの部屋に向かっている。他に向かう場所がないというのもあるがゼンの言っていた「やることがある」というのが気になって仕方がないのである。
部屋に着き、ドアの前に立つと、なにやらご機嫌な話し声が小さく聞こえてきた。なんだろう、と思い音を立てないようにドアを開ける。部屋の明かりはついており、部屋を覗いた瞬間シアは、驚きの光景を目にする。。見てはいけないもの。そこにはベッドで大きなぬいぐるみに抱きつき、「あ~♥️かわいいなぁ。どうしてお前はそんなにかわいいんだよ~。もう、ぎゅーーー♥️」とぬいぐるみに話しかけているゼンの姿があった。さっきの威圧的なゼンとのギャップが凄すぎて軽く引いてしまった。あのぬいぐるみ、どこから出したんだろう。疑問は尽きないがこれ以上はよしておこうとゆっくりとドアを閉めた。が、ドアが閉まる瞬間ガチャンと音がたってしまった。シアは、固まった。ヤバい。しかし、緊張で足が動かないため、逃げることもできない。そうこうしているうちにドアが開いた。すごい眼力で上から見てくるゼンは、「最強」の名に恥じることないオーラで「入れ」と一言残して部屋に戻った。
入らざるを得ない。従わなかったら殺される。ゼンの「入れ」という言葉がシアから逃げるという選択肢を消し飛ばした。恐る恐る入ると部屋の真ん中でゼンが正座をしている。ゼンの前に座り同じようにシアも正座をする。吐きそうである。少しの沈黙が続き、ゼンがボソッと言葉を発する。シアはそれを聞き取ることが出来なくて「な、なんでしょうか」と聞き返す。
ゼンは、手を自分の前に置き、頭を少し反らす。シアにはこの体勢に見覚えがある。そこからはシアの予想通り、ゼンが床が割れんばかりに頭を床に叩きつけた。
「お願いします。どうかこの事は、誰にも言わないでいただけないでしょうか」ゼンにお願いされたシアは、緊張しながら「そんなに、かしこまらないで下さい。元は、覗き見た私が悪いのですし、もちろん誰にも言うつもりはありません。それこそ、お詫びに何か私にできることはありませんか?」とゼンに訊ねる。ゼンは、ゆっくりと頭を上げて「いいのか」と一言。何だか、嫌な予感がするが「やっぱり無理です」とも言えるわけがなく、「わ、私にできることであれば…」と震える声で答えた。
ここは、村長宅の大浴場の女湯。そこに二人の女が立っている。シアとゼンだ。ゼンからのお願いは「一緒にお風呂に入ってほしい」という願いだった。お風呂、というものがシアにはわからなかったが「わかりました」と答えてゼンに連れられ、今の状況に至る。
「あの、なぜ裸になるのですか?」シアは疑問を口にする。
「なぜって…、風呂は裸で入るものだろう。知らないのか?」とゼン。今は隠れていた顔も見える。きれいな顔立ちをしているシアは初めて顔を見たとき思わず「きれい…」と漏らしてしまった。全身を眺めるとまさに「女の憧れ」という感じだった。
「お恥ずかしながら『お風呂』というものを知らないのです。教えていただけませんか?」そう言った瞬間ゼンは、「いいのか…?」とこちらを見つめてきた。「はい…お願いします…」シアは変なことにならないよう祈りながら答えた。
「どうだ?気持ちいいか?」
「は、はい。初めてなんですが、と、とても気持ちいいです!」
「そうか、それはよかった。もうちょっと力を強めるぞ」
「は、はい…」
「どうだ?痛くはないか?」
「はい、気持ちいいです」
「痒いところはあるか?」
「後ろと横が少し…」
シアは、今、ゼンに髪をもらっている。
「わかった」ゼンはそう言って後頭部と側頭部を重点的に洗い始める。
「いや、しかし、すごい汚れているな。石鹸がもう無くなりそうだ」
「ごめんなさい…」
「いや、謝る事はない。私がやらせてくれと言ったことだしな。だが、まぁ、正直なところひどく臭っていたぞ。頭だけでこんなに時間が掛かるのは初めてだ」
ゼンがそう言って髪を洗い続ける。シアは、「臭っている」ということに対してやっぱり…と思いながら苦笑した。
「どうだ?痒いところはあるか?」もう一度ゼンが訊ねると
「大丈夫です」と一言で答える。
「よしじゃあ、流すから目を瞑ってくれ。髪が長すぎるから少し時間がかかるかもしれないが我慢してくれよ」そう言って風呂桶に水をためて頭を流す。それを何回も繰り返した後、シアの髪をゴムで束ねた。「では次は、体を洗うぞ」といってゼンは新しい石鹸を用意して泡立てる。
「体は自分で洗う方がいいだろう」そう言ってほら、と泡立てた泡をシアに渡す。シアは自分の体を隅々まで洗う。首から足の指まで、念入りに洗う。するとゼンが急に背中を洗い出した。
驚いて振り向くと、ゼンが「背中を洗い忘れてるぞ!」と優しく笑った。食事前に自分を押し倒してきた相手と同一人物とは思えない。変貌がすごいな…。シアはそんなことを思いながら体を洗っていた。
「顔もよく洗うんだぞ」そう言われてシアはゴシゴシ力任せに顔を洗う。
「おい、そんなに強く洗ったらシワになるぞ。もったいない!」
もったいないと言われ手を止めると
「もういいだろう。自分で流せるか?」とゼンが言ってきた。手探りで風呂桶を見つけて水をためる。シアは、それを頭から勢いよくバシャーッ!とかけた。その勢いで頭の上でお団子になっていた髪がほどけてしまった。
「あぁ、あぁ。せっかく束ねたのに…」まぁ、いいかとゼンはシアにまだ泡が残っていると指摘した。そう言われてもう一度頭から水を被る。そのあとにまたゼンが髪をゴムで束ねてくれた。
「先に湯船に浸かっててくれ。結構熱いから気を付けろよ?」ゼンはそう言って自分の髪を洗い始めた。
ゆっくりと右足を湯船に近づける。足の先が触れた瞬間に「あちっ!」と足を引っ込めてしまった。熱すぎる。これに浸かるの?
そう躊躇していると体を洗い終えたゼンが近寄ってきた。
「どうした?入らないのか?」ゼンが訊ねるとシアは「ちょっと熱すぎて…」と答えた。
「熱いのか。そうか…。そういえばシアは触った感じ体温が私たちより低いもんな。より熱く感じるのかもしれないな。じゃあ、隣の湯船に入るといい。結構ぬるくなっているはずだ」そう言われてシアは隣の湯船に足をつける。
「どうだ?」ゼンが訊ねる。
「大丈夫です。これなら浸かれそうです」
「よかった。10分くらい経ったら上がろう」そう言ってゼンも熱い方の湯船に浸かる。
なんとなくゼンとの距離が縮んだ気がするシアは、ずっと訊きたかったことをゼンに訊ねた。
「あの、何でさっき、部屋で、あの…あんなことしてたんですか?」あまり訊かない方がいい事だが、ギャップが凄すぎて頭から離れないのである。
びっくりした顔をしたゼンは、「ハハ…、話せば長いぞ?」と語り始めた。
「ヨゴ隠密隊って知ってるか?」訊ねられて「はい」と答える。
「私は、五才の頃に『亜種』ということが分かってな。そこから、村長宅に引き取られて修行を積んできた。最初の頃は大好きな両親と離されて毎日毎日泣いていた。そんなある時、母親がずっと泣いている私を心配してな。村長宅を訪ねてきてくれたんだ」
シアは黙って聞いている。
「私は、もう帰りたいと母親に頼んだ。しかし、そんな私に対して泣きながら母親は、ダメよ、と。『あなたは神様から選ばれた特別な子なのよ。ここで強くなって村を守るのがあなたの役目なのよ』と言われてな。もちろんそんな言葉で納得出来るような歳じゃない。今なら分かるが両親にとっても苦渋の決断だったんだろう。しかし、そんな事を理解できる歳でもなく、母親に拒絶された私は、自分を見捨てた母親を見返すために次の日から人一倍修業に励んだ」
下らない理由だろう?とゼンは苦笑した。シアにはそんな彼女の言葉を肯定も否定もできなかった。
「シアは、今何歳だ?」ゼンが話の途中でシアに訊ねる。
「えっと…13です」シアが答える。
「13歳か…。私もそれくらいの歳になると母親に対する恨み何てものは無くなっていてな。必要とされるために修行を積んでいたんだ。しかし、年頃の女子だから、ぬいぐるみとか、かわいい物を買い集めていてな。もちろんバレたら怒られる。だが、止められなくてな。修行の間の時間に女友達と一緒に雑貨屋へ行っては買い物をする。そういう日々を送っていた。しかし、ある日、買い物から帰っている途中に先生と鉢会わせてな。せっかく買い集めた物をすべて捨てられてこっぴどく怒られた。そこからは自分の中の思いを押さえ込むために修業に没頭した」
シアはのぼせそうになりながら必死に聞いていた。
「私が18歳の時、大戦が起こってな。我々隠密隊は敵国への破壊工作、諜報活動を命じられたんだ。大戦中という事もあり敵国の警備はものすごく厳しかった。失敗をするときもあって何人も仲間が死んだ。私の唯一の女友達も重傷を負って一命は取り止めたんだが、その時の傷が原因で病気を患ってしまって。帰らぬ人となってしまった。その悔しさと怒りを糧に私はとにかく任務に励んだ。何人も、何人も殺した。殺し始めると止まらなくなってしまうんだ。人を殺す瞬間。その一瞬だけが私を苦しみから解放する、忘れさせてくれる。自分が自国に貢献している。そう思えるんだ。仲間の死を無駄にしていないように思えたんだ」
ゼンは顔を曇らせた。
「やがて大戦が終わり、隊一の戦果をあげた私は皆にヨゴ隠密隊最強と謳われた。大戦が終わると私には『目的』というものがなくなった。目的の無いまま鍛練を続けていたある日。私はふと気づいた。私にはもう自分を縛るものがないということを。縛るものがない。つまり自分の上に立つ人はいない。ということは私にはもう甘えられる相手がいない。そう思うと何だか寂しくなった。もう私には私は一番甘えたかった時に甘えられなかった反動、そしてかわいいものが欲しいという感情を押さえ付けていた鎖が解けたことによりかわいいと思うものへの制御が利かなくなりそれを発散するためにぬいぐるみにああやって話しかけているんだ」
話終えて一息ついたゼンは「長かったか?」と笑ってシアの方を見た。その瞬間目を見開いた。シアが現在進行形で風呂に沈んでいた。
「おい!?大丈夫か!?」慌ててシアを持ち上げる。すると小さい声で「はぃ…」とシアの声が聞こえた。意識はギリギリあるようだ。「すまない。話が長すぎて10分を超していたな」そう言うとシアを抱え大浴場をあとにした。