熱々のスープ
ここは、ヨーグ帝国内にあるゴート城。その王座の間には一人の青年が背中で手を縛られて正座している。周りには身を鎧で包む兵士が立っている。
空気が凍っているかのようにピリつき、少しの音もないまま沈黙が続いている。
「それでは王よ!この者の罰をお示し下さい!」
凍てついた空間に王の側近の声がピーンッと響いた。
「…この者の右腕を切リ落とすのだ。」
低い声が小さく響く。
ヨーグ帝国は絶対の神アンジャナを信仰しており、死んだ後にアンジャナが天から迎えに来て右手を引いて天の国に連れていく、ということが信じられている。右腕のない者は、アンジャナとの繋がりを切った、すなわち死後にアンジャナは迎えに来ず、代わりに悪魔が左手を引いて地獄に引きずり込むとされている。つまり、アンジャナを信仰している人間にとって右腕を切り落とすということは一番あってはならないことなのである。
「お待ち下さい!どうか、どうかお慈悲を下さい。このような失態はもう二度とないよう精進します!どうかどうか罪を軽くして下さい!お願いします!お願いします!お願いします…!」
そう懇願する男は、昨夜ある女の脱走を許した罪に問われている。男───ノナハの後ろには拷問兵として脱走した女を拷問していた二人の男が立っている。
「切れ!」先ほど王に問うた者と同一の人物が叫んだ。
立っている兵士の一人がノナハを押さえ込み、もう一人ノナハに近づき腕に剣を当てる。
「お願いします!お願いします!右腕を切り落とすことだけは、ご勘弁下さい!お願いします!お願いします!」
ノナハの声は王には届かない。兵士がノナハの腕に剣を振り落とそうとした瞬間、
「お待ち下さい!」ノナハの後ろにいた背の高い男が叫んだ。王座の間にいる全員の視線がその男に向けられる。
「今回の件は一番の年長者である私にも監督としての責任があります。罰は私も受ける覚悟があります。ですから罰を軽くしてあげられないでしょうか。お願い致します」
ノナハは泣いてくしゃくしゃになった顔をその男に向ける。
「無礼な!王の意向に背くなど王に対する侮辱であるぞ!その者の右腕も切れ!」
兵士が男を押さえようとすると「待て」と王が言葉を発した。
「よかろう。では、お前も罰を受けるというならばこの者の罪も軽くしてやる。そうだな…地下牢に二人を入れろ」
「王…!」側近が、驚いた顔をして王を見つめる。そんな事は気にせず王はただ笑っていた。二人が見えなくなると残った一人の兵に王が言い放った。
「その者の右腕を切るのだ」
地下牢へ入れられたノナハは、男に感謝を伝えた。
「ありがとうございます!ありがとうございます!」
ノナハがそう言うと男は「いや、いいんだ」と言葉を返す。
男───ダイナは続けて「お前があの女の事を妙に気に入っていたことには気がついていたからな。気づいた上で何も言わなかった俺も悪い。お前はあの女といると、いつもより明るく見えてな。それを壊すのが悪く感じてしまったんだ」
この男は、なんて優しいのだろう。ノナハは、彼を尊敬し、彼に一生ついていくことを心に決めた。
その頃王座の間では男が右腕を切り落とされ、断末魔の叫びをあげていた。その声は、地下牢にいるノナハとダイナには届くはずがなかった。
「じいちゃん、なんでシアを煽るようなことしたのさ」
鍋に入ったスープをかき混ぜながらソロンは言った。
「あの娘はシアというのか。良い名前じゃな」
「いや、質問に答えてよ…」
セイロンは、椅子に座りふぉっふぉっふぉと笑い声を上げている。
先ほどの一連の出来事の中でソロンは、シアの正体をなんとなく理解した。しかし、セイロンがシア本人の目の前で彼女達を侮辱するような言葉を発したのがなにか心に引っ掛かるのである。仮に、セイロンが言ったことが事実であっても、本人の前で口にするのはおかしいとソロンは思っていた。
「まぁ、いいや。後で謝っといてよ?絶対」
そう言ってスープを少し掬って味見をする。おいしい。途中から引き継いだにしては、良いものができた気がする。サロンは、セイロンにも味見してもらい、OKサインをもらったのでそれをシアのいる部屋に運んでいった。
「できたよー」
シアがワイホと話していると、ソロンが鍋を持ってやって来た。
「良いにおい…」思わず口に出してしまった。こんな美味しそうなにおい今まで嗅いだことない。そう感銘を受けていると、ぐぅぅぅぅっと誰かの腹の虫が鳴いた。もちろんシアである。シアは顔を赤くして小さく「すいません…」と言って俯いた。そんなシアを見て大きな笑い声を上げたワイホは、
「お腹減ってるんだねぇ!ま、そりゃそうか。こんなご馳走始めてじゃないかい?」とシアの方を向いて言った。
さほどのご馳走でもないがワイホが「ご馳走」と表現したのは、シアのこれまでを聞いたからである。シアとワイホは、ソロンとセイロンが出ていった後、ワイホの若い頃の話やシアのこれまでの経緯、ソロンのことなど色々な話して楽しんでいた。
「よかったー!じゃあ、盛り付けるね」そう言ってソロンはマグカップを取る。いや、取ろうとした。なんなら、ソロンはいったい何処に手を出してマグカップを取ろうとしたのか。
「あ、忘れてきた…」ソロンが呟く。
「なにしてんだい!?鍋だけ持ってきてどうしろっていうのさ!早く取ってきな!」ワイホに言われ、「忘れただけだろ…」と小さく愚痴を言いながらソロンはキッチンに向かおうとする。その瞬間、キッチンからマグカップが4つ飛んできた。
シアは、驚いて目を丸くした。一瞬心臓が止まったかと思った。
え?ポルターガイスト?
シアは頭が追い付かなくなりフリーズしてしまった。
「探し物はこれかの?」宙に浮くマグカップの後ろから声が聞こえた。セイロンである。
「じいちゃん!危ねーだろ!当たったらどうすんだ!」ソロンが少し腹をたてる。
「すまんすまん。じゃが、いく手間が省けただろう?」ニヤニヤしながらいうセイロンに軽く舌打ちをしたソロンはマグカップを取り、テーブルに置いた。
未だにフリーズしているシアに気づいたのはワイホである。
「おい、どうたんだい?おーい」
シアはハッとする。
「どうしたんだい?」ワイホは何事もなかったかのように振る舞っている。
シアは、自分がオカシイノデハないのかと心配になり「い、いいえ」と何もなかっことにしようとした。
そんなシアに気づいたのか、ワイホはまた大声で笑い
「そうか、シアは見るのが初めてだもんね」と言った。
シアはキョトンとする。
「私たちヨゴ族は触れたものを宙に浮かせて自由に動かせるんだよ。自分の体重より低ければ何個でも動かせるんだよ。ほら、便利な力だろう?」ワイホは、テーブルに置いてあった本に触り本を浮かして見せた。
この人たちはパトムなんだ。てっきり力を持たないノンパトムだと思っていたのでシアは驚いた。しかし、そうなると一つ疑問が浮かんでくる。
「じゃあ、何故ソロンは鍋を手に持って来たのですか?浮かして運んできた方が楽だと思うのですが…」ワイホは「あー」と言って説明した。
「ソロンは、なんだ、ヨゴ族が持つ力を持っていないんだよ。たまにそういう奴が生まれてくることがあってね。あいつは、物は浮かせられないんだ」
シアは、力のないソロンの事を少しかわいそうに思ってしまった。パトムなのに力を持たないということは、力を持たないノンパトムと比べても弱い人間であるということなのだ。
何だか申し訳なくなって「ごめんなさい」と小さく言った。
そんな話をしているとは気づかず、ソロンはスープをマグカップに入れてシアに手渡した。
「熱いから気を付けてね。よく冷ました方がいいかも」
ソロンからスープを受けとると野菜の良い香りが鼻をくすぐった。またお腹が鳴ってしまう前に食べてしまおうとシアは、ソロンの忠告を無視してゴクンっと一口飲み込んだ。
ゴクン 。!!!!!!!! 。ゲホ!ッ、ゲホ!ゲホッ!!
飲み込んだ瞬間口の中で色々なことが起こりすぎて噎せてしまった。
最初の感想は、まず熱い。その後、生きてきた中で一番の美味しさを感じたが即座に熱さがシアの「美味しい」という感情を投げ飛ばした。驚いたシアは吐き出すのは申し訳ないので一気に飲み込んだ。喉が焼けるのではないかと心配になるほど、シアにとっては熱かった。しかも、食べ物が入ってはいけない場所にスープが侵入したため、噎せてしまったのである。
その一連の動きを見ていたソロン、セイロン、ワイホの三人は、シアの初めて熱々のスープを飲んだ子供のような反応が面白くて大笑いした。
「スープ飲むのもしかして初めて?」笑いながらソロンが訊いた。
「わ、笑わないで下さい!ゲホッ!う、ヴん!熱い物を食べるのは初めてなんです」
シアが言ったことにソロンはハッとなった。
「そっか…ごめん…」
「あ、謝らないで下さい。どうして謝るんですか?」
ソロンが急に謝ってきたことに少し困惑した様子のシアは
「こんなにおいしいもの人生で初めて食べました。まだ一口ですが熱々のものがおいしいなんて知りませんでしたよ!私は今、感動しています!」と興奮ぎみに言った。
「そう?えへへ、そうかな?お、おかわりあるからいっぱい食べてね!」
シアが何も気にしてない様子で味を褒めてくれたことが嬉しくてソロンは少し照れてしまった。そんなソロンを「途中まで私が作ったんだけど」という目で睨み付けるワイホにソロンは気がつかなかった。