5 希
僕は向きを変えて、彼女の写真を見つめた。今日初めて見た彼女だけど、その笑顔が愛おしい。苦しいほどに切なくなる。
大きな彼女の写真の傍らには、小さな写真立てがある。彼女に向けられるように横向きに置かれた写真。咲き誇る黄色い花が彼女を見つめている。
彼女が手紙の中で、一番好きな花はヒマワリだといっていた。太陽を一途に見つめながら、真直ぐに伸びて生きる姿が好きだといった。そして、精一杯生き、見上げるほどに大きくなった後は、力を失い、哀れなほどにガクリと大きな頭を落とし、やがて土へと帰っていく、その姿は悲しく切ないけど、なぜだか好きだといっていた。
写真のヒマワリは、太陽ではなく一途に君を見つめているね。
「あなたの手紙をあの子は心待ちにしていたのよ。私が病室に顔をだすと、『手紙は?』っていつも聞いてくるの。それで、何もない時は、あからさまにがっかりした顔をして、封筒を鞄からだした時には、にっこり微笑むのよ。その顔を見ると私もたまらなく嬉しくてね」
振り返ると、目を潤ませながら彼女の母親が微笑んでいる。
もっともっと手紙をだせばよかった。くだらないことでもいい、返事がなくてもかまわない、毎日だせばよかった。
「あの子にとって手紙は楽しみであり、書くことが力の源だったんだと思うの。病状が悪化して、思うように手が動かなくなっても、震える指でキーボードを一つ一つ押しながら何日もかけて手紙を書いていたんだから」
手書きからワープロ文字になった時、何だかショックだった。整った文字の羅列は味気なく、さびしさを覚えた。そして、なかなか返事がこないことに、不満を口にする僕がいた。
そんなふうに思っていた自分が情けなく、恨めしい。
彼女は手で書けなくなっても、必死に指で文字を刻んでいたというのに……。
下を向いてしまった僕に声が降ってきた。何だか雰囲気を変えるような明るい声。
「そうだ。就職どうなりました?」
顔を上げると、母親が、どうだった? といった感じで少し首を傾けている。
そういえば、いいところまではいっていると手紙で伝えていたが、返信がないので、内定通知が届いたことは伝えていなかった。
「無事に内定をもらい、今日、内定式に行ってきました」
「そう、よかった」
自分のことのように、嬉しそうな顔でそう言ってくれた。
ふと、何で彼女の母親は僕が就職活動をしていることを知っているのだろう、という疑問が浮かんだ。
その思いが顔にでたのか、母親は何かに気付いたように、あっ、という表情を浮かべ、
「ごめんなさい。実は、あなたからの最後の何通かは、私が読んであの子に聞かせていたの。文字が霞んでしまうようで、自分で読むのが難しくなってきてね。それに、あなたのことはあの子から聞いていたから」
少し申し訳ないといった表情で母親は言った。
そんなことは全然かまわない。だから、僕は、すぐさま、その気持ちを言葉にした。
母親は、「そう、ならよかった。あと、あの子が送る手紙も、『打ち間違っていないか確認して』って言われて、読ませてもらっていたの。でもね、あの子は絶対に自分で打ち続けていたのよ。苦しそうな姿に『手伝おうか』って声を掛けても、あの子は『大丈夫だから』って笑顔を作って言いながら、ひと文字、ひと文字必死に打ち続けていたの。あの子にとって手紙を書くことは明日へ向かうことであって、希望だったんだと思う」
母親は立ち上がると、祭壇の前へと足を進めた。そして、横に置かれた平たい箱に手を伸ばした。その箱には、見覚えのある封筒の束が見える。
何かを取り出し、座卓の向こうに戻ってきた。座りながら、これを見てください、と僕に一枚の紙を差し出してきた。
それはA4サイズの紙で、ほとんどが真っ白である。上の方にほんの少しだけ横書きのワープロ文字があるだけだ。
「あの子の最後の手紙なの。手紙というほどのものじゃないけれど、最後に打った文字なの。きっと、本当はいろいろ打ちたかったんだと思うの。でも、もう、その力さえ……」
母親は言葉を詰まらせ、机に置かれていたハンカチを手にして目もとを押さえた。
僕は目で文字をおった。その文字がみるみる霞んでいく。でも、しっかりと胸にしみてくる彼女の言葉。
だいじょうぶ きらくにいこう
漢字に変換さえできなかった言葉。最後の最後に彼女が伝えたかったもの。
「きっと、あの子は、あなたへの手紙で自分も励ましていたのね。大丈夫、って言葉も、気楽にいこう、って言葉も、あなたと自分への言葉だったんだと思います」
彼女の母親の言葉に、そして、彼女の思いに次々と涙が溢れてくる。
「あの子の短い人生に楽しい想い出を増やしてくれた、あなたに感謝しています。ありがとう」
「そんな……そんな……僕なんか……」
涙が溢れ、漏れる嗚咽に言葉が続かない。
僕は向きを変え、写真に顔を向けた。
満面に広がった笑顔から、言葉が聞えてくる。胸いっぱいに広がっていく彼女の思い。目を閉じ、両手を胸にあてて、その思いをしっかりと受け止めた。
ゆっくり目を開けると、手で涙を払いのけ、笑顔で堂々と本当の名を告げ、頭を下げた。
そして、彼女の最高の笑顔に、僕は応える。
一番伝えたかった言葉を、天まで届くように精一杯の思いを込めて贈った。
「ありがとう」
傾きかけた陽が、部屋の中に差し込んでいる。
今日は綺麗な夕陽が見られるだろうか。
よく晴れた今日は、僕の部屋の壁にある〝しわだらけの夕陽〟にだって負けない美しい夕陽が、きっと見られる。だって、君がいる空なのだから。
――僕は〝魔法の手紙〟を持っている。
辛い時、悲しい時、挫けそうな時、手紙を開けば、君からの文字が声となって心に響き渡り、力が沸いてくる。
~だいじょうぶ きらくにいこう~




