3 偽
南の島かどこかの綺麗な砂浜、青から淡い紫に変わりつつある空、海岸線に半分沈みオレンジ色の空間をふわりと広げる太陽。
そんな写真の裏には、見ず知らずの宛名があり、僕の住むアパートの住所と名がある。だが、部屋番号は101とある。僕の部屋番号は103であるから、郵便屋の配達ミスということだろうか。
ポストには名前もでていないような二階建てのぼろアパートだから、両端にある101号室と103号室を間違えてしまったということだろうか。
きっと、地域の担当者が変わって間もないとか、新人さんだったとか、そんなところだろう。
あらためて書かれている部屋番を確認した。
今、101号室は空き室である。確か、二、三カ月前に引っ越していった気がする。二十代中頃の肌が浅黒くて一見、遊び人といった印象の男だったと思う。このアパートにいたのは半年くらいと短かったはずだ。顔を合わせたことはほとんどないし、それに入退居時の挨拶もなかったので、なんとなくしか覚えていない。
添えられた短い文に目を向けると、何だかよく分からないが、御礼の葉書のようだ。写真の風景からすると、旅行先か何かで、この手紙の女性が、あの男に助けてもらったとか、世話になったとか、そんな感じだろう。
どこの誰だが知らないが、南の島かなんかで楽しんで、ふと、その時の興奮が蘇ってきたりなんかして葉書をだしちゃいました、そんなところだろう。
無性に腹が立ってきた。こっちは、桜だ、花見だ、宴会だ、と浮かれているやつらを横目に、採用試験に会社訪問、面接と歩きまわっているのに、こいつらは楽しくやっていたんですね。はいはい、旅行ですか。海にビーチに水着の女の子ですか。
あの男がここにいた頃の旅行か何かの話しのはずだから、実際は僕もまだまだ遊んでいた去年の夏の話かもしれない。でも、昨日今日の話に思えて腹が立つ。
夏になったら僕も海に遊びに行けるのだろうか。その頃には内定がもらえているだろうか。三か月後、自分はどうなっているのだろう。
そろそろ就職戦線も体勢を決しようという時期なのに、たいした手ごたえはなく、不安が押し寄せてくる。思うように進んでいかない、この状況が歯がゆく息苦しい。
僕は無意識に絵葉書を握りつぶしていた。部屋に入るとゴミ箱に向かってほうり投げた。くしゃくしゃに丸まった絵葉書は力なくゴミ箱手前で落下した。
「まったく、何をやってもダメダメか」
仕方なく近づいていき拾い上げると、なんとなくお手玉のように投げ上げ、手で弄んだ。そして、ふと、思った。
「からかってやるか」
こんな絵葉書がうちに届いたのも何かの縁、ちょっとからかってやりますか、憂さを晴らすように何気ない気持ちでペンを手にした。
会社への御礼状を書くために買って置いたレターセットをだしてきて机に並べた。
だが、ペンが動かない。当たり前だが、手紙を送ってきたこの人のことも、あの男のことも何も知らない。当然、何を書いたらいいのか分からない。つい、思いつきで手紙でも書いてみようかと思ったのだが、何をしたいのか、自分でもよく分からない。
別に嫌がらせをしたい訳ではないし、あの男のふりをして、いい思いがしたいと企んでいる訳でもない。ただ、ちょっとからかってみたいと思っただけだ。だけど、そのからかい方が分からない。何だか、いろいろ考えるのが面倒くさくなってきた。だったら、と今の自分をそのまま書いた。
『僕は今、大学の四年生です。三年生の正月明けから就職活動が始まり――』
就職活動に対する愚痴や不満をだらだらと書いて、絵葉書に書かれていた住所へと送った。封筒の裏面には、あの男の名前、そして、アパートの住所を書いた。
手紙の書きだしは、面識のない人への手紙そのもので、そこから続く内容を見ても、きっと彼女は不審に思うだろう。
もう、葉書を送ってくることもないだろうし、僕の手紙は破り捨てられるだけだ。それはそれでかまわない。今の自分の思い、不満や不安、それを文字として吐き出したことで、少しだがスッキリできた。
それだけでも、よかった、そんな気がする。
だが、それから一週間くらい経った頃、驚くことに手紙が送られてきた。あの男宛てで住所はこのアパートになっている。そして、部屋番は103とある。
驚き、戸惑いながらも、片隅に嬉しさがある。送る時に部屋番は自分の部屋番で送っていた。間違って101号室に送られないように……僕はどこかで何かを期待していたのかもしれない。
だが、冷静になって彼女の気持ちを想像してみれば、送られてきたこの手紙の内容は苦情や文句といったもので、もしかしたら、他人になりすました輩を訴えてやる、といったものかもしれない。封筒だけ入れ替えて、僕の書いたものを送り返してきたってこともありえる。
少なくとも、友好的なものではないはずだ。
とりあえず書くだけ書いて送った以上、手紙が送られてきたのだから開けるしかない。仕方がない、そんな気持ちで封筒の端を千切っていった。
読み始めると、その内容にさっきの倍驚き、読み終わった時には四倍驚いていた。そして、十六倍、嬉しかった。
彼女は文句をいうどころか、僕を応援してくれている。
この手紙に、がんばれ、といった直接的な言葉があるわけではない。周りの仲間や両親は今の僕の状況に、がんばれ、と声を掛けてくる。だが、がんばれ、という言葉が素直に受け取れず、プレッシャーとなって逆にイラつきが増してしまう自分がいる。
だから、彼女の手紙にある――『気楽にいこう。大丈夫』
そう書かれた言葉は胸にすっと流れこんできた。
そこから応援してくれている気持ちが伝わってきて、手書きの文字は、じわじわと胸にしみてきた。
手紙には、彼女の自己紹介のようなものが書かれていた。僕と同じ二十一歳で、食品加工会社で事務の仕事をしていることなどが書かれていた。
偽物であることが、ばれたのかどうかは分からない。自己紹介のようなものがあったといことは、ばれたということか。だが、返事はきた。嬉しくなる手紙が僕の手元にある。
すぐにペンとレターセットを机の上に並べる僕がいた。そして、配達ミスがないように郵便ポストにデカデカと〝103号室〟と書く僕も。
それから、彼女との文通が始まった。
僕の手紙は、どうも話題に乏しく、就職への弱音ばかりになってしまう。それに対し、彼女の手紙には、ちょっとおバカな上司の話や、はりきり過ぎてカラ回りする同僚の話、ちょっとドジな母親、女二人に責められていじける父親、ゴキブリとの大格闘など、彼女の日常と周りのちょっと笑える話が書かれていた。
そして、いつも励ましの言葉があり、手紙の締めくくりには同じ言葉が添えられていた。
『気楽にいこうよ』
胸が軽くなり、何だかホッとする言葉だった。
僕たちは電話番号を交換することもなければ、最近よくするようになったメールアドレスを交換することもなかった。手紙という不便で面倒なものでの交流を続けた。
僕らは慌ただしく時間が流れていく日々の中で、ゆったり時が流れる心地良さを共にしていた。待つ楽しみと受け取った時の喜び、そして、開ける時の胸の高鳴りを味わいながら。




