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6 .人間になるための代償

 その頃みゅうは、奏士の家の近くの林の中で動けなくなっていた。

 普段外を散歩している時に仲良くなった、野良のトンさんがずっと側についている。


「おい、みゅう大丈夫か……?」

 みゅうの身体を優しく舐めた。


「うん……。側にいてくれてありがとね、トンさん」

 弱々しくも精一杯感謝の気持ちを伝える。


「奏士の所に帰りたいだろうに……」

 あんなに奏士の事が好きだったみゅうの気持ちを考えると、トンさんは彼女が居たたまれなくなった。


「奏ちゃんには……好きな子が出来たみたいだから……。私の事であまり気を遣わせたくないし、こんな弱った姿みたら……、きっと悲しい顔になっちゃうだろうし……。私、もう長くないのわかってるから……このままここで最期を迎える方がいいかなって……」

 途切れ途切れ息を切らしながら話す。


「奏士の事……好きだったんだろう?」

 トンさんの瞳が悲しみでいっぱいになる。


「私は……猫だから……、どうしたって叶わない恋だったし……。今までいっぱい奏ちゃんには幸せもらったからもう十分よ」

 みゅうは弱々しく微笑んだ。



 穏やかな夜風が彼女を優しく包み込む。

 暗闇の中、ざわざわと木々が揺れる音を聞きながら、照らし出す月をじっと眺めた。



「楽しかったなぁ……。贅沢言えるなら……もう少しだけ……奏ちゃんといたかったな……」

 震える鳴き声はすぐに波の音に掻き消されてしまう。




 しばらくそんなみゅうの側でじっと寄り添っていたトンさんは、ふと思い出したように話を始めた。


「なぁ、みゅう。ただの言い伝えとか、迷信なのかもしれないんだが……ここの海の岩陰にしか生えていない、赤色をした海藻があるらしいんだ。昔、それを食べた猫が人間になったって話があってな……。みゅう、そんな赤い海藻見たことないか?」


 突然、非現実的な事を言い出したトンさんに、みゅうはきっと自分を元気付けるために作り話をしているのだと、微笑みながら聞いていた。


「……ふふ、聞いた事も見たこともないわよ、そんな話……」

 そんな事が本当にあればいいのになぁ……と夢を見るように自分が人間になった姿を想像する。



「ダメ元で、明日探してくるよ。俺がしてやれる事なんてそのくらいだしな……」

 トンさんの優しい眼差しを見て、みゅうは例え作り話だったとしても、自分を思い遣ってくれる気持ちに乗っかるのも彼への恩返しかと考えた。


「トンさん……ありがとね……」

 みゅうは疲れ果て、静かに目を閉じた。





 翌朝、早朝から海辺の岩陰をくまなく探して行くトンさん。


 きっと、ないかもしれない……そう心の底では思っていても、彼女が自分と十年以上の月日を仲良くしてくれた感謝の気持ちを、何らかの形で伝えたかった。


(見つかっても、人間になる事なんてあり得ないだろうな……)

 でもトンさんは少しでもみゅうの余命を、期待で溢れるものにしてあげたかった。


 足が棒になるくらい砂浜を歩きまわって、日が落ちる頃、人が入れるくらいの岩陰を見つける。


「ここが最後だな……」

 願いを込めて入り込んで行くと、海藻と言うよりは赤くぼーっと光を放つ苔のようなものを見つけた。


「………?」

 ほんの少しむしり取ると、すぐに光が消えてしまった。


「まさかな……。でも、万が一……? みゅうを……連れてくるか?」

 幸いみゅうが休んでいる林からはそんなに遠い場所ではない。


 トンさんは急いでみゅうの元に向かう。


「みゅう! もしかしたらあったかも知れん!」

 遠くから聞こえてくる息の切れたトンさんの声に耳を疑うみゅう。


「そんな、嘘でしょ?!」

 重い身体にムチを打ちながら起き上がった。


「いいから、動けるか?」

 目を輝かせながらトンさんはみゅうに近寄った。


「うん……ゆっくりなら」

 そう言って一歩一歩、トンさんに支えられながら歩き出す。



 普段なら10分程で着く短い距離を、休み休み止まりながら一時間ほどかけて、ようやくその場所にたどり着いた。



「……ここ…?!」

 みゅうは驚いた。そこは彼女にとって奏士との、あの思い出の岩陰だったのだ。


「なんだ、知ってるのか? ここ」

 トンさんは驚いた顔をして、岩陰の中に連れて行く。



「うん……、この場所には……思い出いっぱいあるんだ……」

 みゅうはまたこの場所に来れたことが嬉しくて、弱々しく微笑んだ。


 どうせ最期を迎えるならここがいいかな……と、奏士に抱きしめられた思い出の場所に、運命的なものを感じるのだった。







「あなた……人間になりたいの?」

 突然奥の方から年老いた猫の声がする。


「……どなたですか?」

 トンさんは突然姿を現したその猫に、みゅうを守ろうとしながら警戒する。


「みゅうさん、あなたがここに来ることは、ずっと前から分かっていたんですよ」

 悟りを開いたような声が岩場に響き渡る。



「どの猫でも人間になれるわけではないのですよ。あなたは、人間に恋をしましたね?」

 みゅうは最期くらい、自分の気持ちに嘘をつかなくてもいいだろうと静かに頷いた。


「貴方はまだ信じられないかも知れませんが、本当に人間になる方法はあるのです」

 年老いた猫は真っ直ぐにみゅうを見た。


「それには、猫としての死期を迎え、その時人間の男性に恋をしている事。雌猫である事。最後にこの苔を口にする事……あなたは今全ての条件を満たして、今すぐにでも人間として生きる選択ができるのですよ」


 みゅうは、まだ夢でも見ているのかと思う。


 そんなことがあるわけない……

 ずっとずっと願っていた事が……


  まだその年老いた猫の言っていることが、嘘か本当か判断に苦しむ。


「ただし……、猫としての生きたまま肉体は私が一ヶ月ほど預かります。一ヶ月の間に、あなたの恋した男性の心を掴めなかったら、あなたの魂は再びこの猫の肉体に戻り、命の終わりを迎えます。もし、猫の肉体に魂が戻ってきてしまったら、あなたの猫としてこの世に生を授かった時から死を迎えるまでの記憶は、出会った人間全てから、消えることになる……」



「それって……、奏ちゃんの記憶から私がいなくなるって事ですか……?」


 年老いた猫は静かに頷いた。

 思い出にも残してもらえなくなる可能性がある事に……みゅうはそう簡単に答えは出なかった。


  今奏士の心は瑠美に傾き始めている。

  彼女に夢中になり始めたら、どっちにしても私の記憶なんて薄まってしまうんじゃないか……?


  だったらいっそのこと賭けてみようか……



「貴方がもし、彼の気持ちを射止める事ができたのなら、そのまま人間としての人生を歩めます」

 年老いた猫はみゅうをしっかりと見つめた。




 一度でいいから、奏士と会話がしたい……

 彼がピアノを弾いている側で、一緒に歌が歌いたい……


 今まで奏ちゃんに伝たくても伝えられなかった沢山の事を自分の言葉で伝えたい……


 たとえほんの少しでも……





「人間に……なりたいです……!」

 全身の力を振り絞って、ありったけの声を出すみゅう。




「そう言うと思ってましたよ」

 年老いた猫は顎を引いてみゅうを側に呼び寄せた。


「……では、この苔を食べた瞬間に、あなたは人間になり彼の元へ移動します。皆さんに納得してもらえるような立場にちゃんと置かれますから、あなたは周りの流れに合わせるだけ。それだけで、生活の場所は確保されるので、暮らしのことは安心してください」

 にっこりと微笑んだ。



「さあ、お食べなさい」

 年老いた猫は彼女を導くように、光る赤色の苔の側に連れて行く。



 みゅうは立ち止まって振り返った。

「トンさん……今までありがとう……!」

 そうお礼を言って苔を口にする。



「みゅう!! 頑張れよ!!」

 そんな声がうっすら聞こえて意識を失った……







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