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1.本当の奏士

 奏士は自分の住む街の高校に通っていた。

 家からは自転車で20分程度だろうか。


 身長は180cmを超えるほどの長身だったが、体育会系のようなゴツイ体つきではなく、どちらかというと色白でモデル体型のすらっとした印象だ。


 黒縁の伊達眼鏡を外せば、簡単に女子の視線を集めることができるに違いない整った顔は、高校に入学して未だ誰の目にも、まともに晒されることはなかった。


 彼は女子という生き物が、とにかく苦手なのだ。


 小学校六年生の時、クラスメイトに告白されたものの、うまく断りの返事が出来ず、その子の女友達に囲まれ激しく責め立てられてしまった事がトラウマになっていた。


 人と喋る事が、あまり得意ではないのだ。


 自分に人を寄せ付けないためなのか、伊達眼鏡をかけていると守られている気持ちになり安心した。

 

 奏士は嫌われているわけでも虐められているわけでもないが、優しすぎるあまり言葉を選びすぎてしまって、いつも友達との会話のテンポについていけない。


 周りからは『天然』だと思われているようだ。

 都合のいい言葉が存在していてよかった……と奏士はいつも思っていた。


 それ故に親友と呼べる友達は当然いなかったが、彼はすぐに家に帰れば愛しいピアノとみゅうと、美しい風景が待っている……それだけで十分満足な毎日を送れたのである。



◆◇◆◇


 奏士は今日も部活などに勤しむ事もなく、何処に寄り道をする事もなく、自転車で海沿いの坂道を一気に駆け上がる。


「ただいま!」

 大好きなご主人様である奏士の声を聞いて、みゅうは一目散に駆け寄った。

 丁寧に抱き上げられた後、いつものようにピアノのある奏士の部屋へ、彼の腕に優しく包まれながら運ばれていく。


「ちょっと待ってな」

 みゅうをベットにそっと下ろすと、奏士は部屋の空気を入れ替えながら窓を全開にする。


「あぁ! 今日もいい天気だな!」

 潮風を身体中に浴びながら大きく伸びをした。


「今日は窓全開でいいか!」

 みゅうに『おいで』と手招きしながら、椅子に座る。

 伊達眼鏡を外し、ピアノの上に置くとすぐに鍵盤の上に手を乗せた。



 奏士が奏でたキラキラとした音の粒は、窓を通り抜け外の花々を揺らしていく。

 みゅうは奏士の温かい膝にいつものように飛び乗り、目を閉じじっくりと耳を傾ける。


 いつもならこの時間が、陽が落ちるまで止まることなく、続いていくはずだったのだ。


 彼女が、この一人と一匹の幸せな空間を見つける事さえしなければ。



◆◇◆◇



 彼女の名前は有田瑠美(ありたるみ)

 奏士と同じクラスの学級委員長だ。


 しっかり者の彼女はほっそりとしたか弱そうな風貌とは裏腹に、スポーツ万能。

 さらに美しい顔立ちは、彼女とすれ違って二度見をしない男子はいないと言っていいほど、魅力的な大きな目に透き通る肌、決して相手に壁を作ったりしない優しげな笑顔を持ち合わせていた。

 小柄ではあったが、そのコンパクト感がより瑠美の可愛らしさを引き立てている。


 HRで配布された、明日提出必須のアンケートのプリントを、奏士がまんまと机の上に置き忘れ、それに気づいた瑠美は先生に頼まれてしまい家までわざわざ届けに来たのだ。



「はぁ……はぁ……、なんてキツイ坂なの?!」

 息を切らしながら果てしなく続く坂を見上げて、自転車を押して行く。



 ようやく登りきった視線の先に、右には広大な煌めく海と、左にはオレンジ色の可愛らしい家が見えた。

 庭一面に咲き誇る花々に目を奪われながら、遠くから聞こえてくるピアノの包み込む様な音色に引き込まれ、足が自然と動いていく。


 音が近づくにつれ、大きく開いた窓の向こうから流れてくるのだと気づいた。


 瑠美はそっと庭の外から覗き込むと、窓からほんの少しだけ鍵盤に触れる男性のような手が見えた。

 そこから徐々に期待を込めて視線を上に移していく。


「波来くん……!」


 学校での姿からは考えられない、生き生きとした表情を見せたと思えば、妖艶な音を紡ぎだしては彼の中から滲み出るような色気を帯びた瞳に、たまに下を向き何かを愛でているような暖かい視線……。


 瑠美は一瞬にして奏士の姿に心を奪われた。

 固まった足元を、深呼吸をしながらやっとの思いで一歩前に踏み出す。


 庭の入り口にあるインターフォンを押すとピアノの音が止み、『はい』と男性の声がした。


 跳ね上がる心臓が聞こえないか心配しながら深呼吸する。

「あ、あの……、プリント届けに来ました」

 あまりの彼のギャップに、まるで別人に声をかけるような緊張感。


『あ、はい』

 そうインターフォン越しに聞こえたと思いきや、すぐに玄関の扉が開く。


 そこには、いつもの伊達眼鏡をかけた冴えない奏士の姿があった。


「これ……、明日提出だから」

 なんだかホッとしたような気分でいつもの自分に戻っていく瑠美。


「ありがとう。わざわざ」

「じゃ、また明日!」


 乱された心を悟られまいと、渡すや否やすぐに背を向け自転車で長い坂道を一気に下って行く。



 そんな風のように去る彼女の後ろ姿を不思議そうな顔で奏士は見送った。





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