12.どこにも行かないで
「ただいま」
ようやく家にたどり着いたと、奏士はホッと胸を撫で下ろす。
「美雨ちゃん無事だったのね、よかった……! 奏士があんな電話よこしてきてから、全く連絡取れなくなったもんだから、本当に心配したのよ!!」
優子は奏士をギッと睨んだ。
「悪かったよ……。でも無事だったからよかっただろ」
奏士は淡々と答えて靴を脱ぎ、家の中に入っていく。
「全く! ご飯できてるから、すぐに食べなさいね」
優子は両腕を組んで安堵のため息をついた。
「おかあさん、心配かけて本当にごめんなさい」
ぺこりと頭を下げて謝る美雨。
「いいのよ。悪いのは奏士なんだから。朝あんなに美雨ちゃんの事お願いねって念を押したのに!!」
優子の怒りはまだおさまらないようだ。
「奏ちゃんは悪くないんです。私が勝手な事したから……。明日からは気をつけます」
美雨の反省している姿が痛々しく見え、
「もう一度、奏士にしっかり言っとくから安心してね」
優子は穏やかに微笑んだ。
夕食を終え美雨の部屋をノックする音がする。
「はい」
ドアを開けると奏士が立っていた。
「奏ちゃん!!」
美雨は満面の笑みで奏士を迎え入れる。
「今、大丈夫?」
遠慮がちにボソボソと呟いた。
「もちろん! 入って入って!!」
この家で、唯一シンプルだった客間が、たった数日で女子高生の部屋に変わっている事に奏士はまず驚きが隠せない。
「すげーな……」
あまり人の出入りもなく、グリーンの渋いカーテンがぶら下がっていたのに、可愛らしい色取り取りの水玉模様に変わり、鼠色の地味なラグは円形の白くてふわふわした素材の物と取り替えられていた。
「母さん、女の子欲しいって散々言ってたからな……」
美雨が来てくれた嬉しさがひしひしと伝わる部屋の机の上には、見覚えのある猫の置物が並んでいた。
「これ、全部で5種類あるんだよ。今日行った雑貨屋で全種類見つけて、なんか嬉しくなっちゃって……」
美雨の机の上には4体並んでいる。
「それ、元々俺が集めてたんだ。みんなあの雑貨屋で買ったんだよ」
奏士が照れ臭そうにカミングアウトするものの、実は美雨は自分が『みゅう』だった頃から奏士が集めていたのを知っていて、口には出さないでいた。
「ねぇ、奏ちゃん。どうして全部揃えないの?」
あの店に行けば全部揃うのに……そんな疑問が湧く。
「みゅうと一緒に……5体目買いに行こうと思ってたんだ。お前じゃなくて猫の方だぞ? すごい気に入ってたんだ、みゅうがその置物」
奏士は自分が気に入っていた事を気づいてたんだ……と嬉しくなる。
「……きっと、この猫ちゃんたち、笑ったり泣いたり怒ったりしてる顔でしょ? 見ていて飽きなかったのよ。自分もこんな顔をしたりしてるのかなって想像したりして。友達みたいな感覚だったんだと思うよ?」
猫だった自分が思っていた事を、人間の言葉にして奏士に伝えられている不思議な感覚に美雨は喜びを隠せない。
「確かに、そういう顔して見てたな……。そんな姿が凄く可愛いらしくてさ……」
みゅうの姿を思い出しながら微笑む。
「奏ちゃん……」
美雨は奏士の『可愛らしい』という言葉に反応して顔を赤らめる。
「おい、なんで美雨の顔が赤くなるんだよ」
そう言って奏士は美雨を優しくコツンと小突いた。
「………と、そんな話をしに来たんじゃなくて、帰りの事なんだけど……。今日みたいな事があるとまた大騒ぎになるから、母さんにちゃんと迎えに来てもらうか、美雨は本番やる頃にはもういないだろうから、あんまり意味ないかもしれないけど……一緒に合唱の練習に参加して、俺と一緒に帰るか、どっちかにしてくれないか?」
今から自転車の練習をしても乗れる頃にはいなくなってしまうんだろうし、だからといって歩くにはちょっと距離があり過ぎるし……、奏士は考え抜いた結果それが一番だと思った。
「いいの……? 一緒に練習して」
美雨の顔がパッと輝く。
「別に……いいんじゃないか? 学校行事だし」
逆にダメだと言われる理由も見つからない。
「じゃあ、明日有田さんに言っとくーー」
そう言いかけて、『美雨が居なくなった騒動でバタバタしていたけど、そういえば瑠美に告白されたんだった……!』と突然思い出す。
「そうだ……、やっべぇ……どうしよう……!」
奏士の顔がみるみる赤くなる。
そんな奏士の異変に気付いた美雨は、
「奏ちゃん、耳朶まで真っ赤だよ? 急にどうしたの? 具合でも悪いの??」
奏士の顔をじーっと覗き込んだ。
「いや……、具合は悪くはない。………なぁ美雨、誰かと付き合った事ってあるか……?」
奏士の突然の質問が理解できない美雨。
「……ん? 付き合うって、恋人になるって事??」
首を傾げて聞き返す。
「……あぁ」
恥ずかしがりながら返事をする奏士に違和感を持つ美雨。
「そんなのないよ。私はずっとひとりの人に片想いしてるから……」
この恋が叶わなかったら……一ヶ月後には永遠のお別れになることを思い出す。
「そっか……。美雨も好きな人いるのか……」
同士を見るような目で奏士は美雨を見た。
「ごめんな、変な質問して。じゃ、俺もう寝るわ」
ふうとため息をついて立ち上がる。
美雨は嫌な予感がして、
「奏ちゃん!」
思わず名前を呼ぶ。
「ん?」
そう振り返る彼の顔は何か決意を固めた眼差しをしていた。
「……おやすみなさい……」
不安な気持ちを必死に押し込めた。
「あぁ、おやすみ」
背を向ける奏士に、思わず背中からギュッと抱きつく美雨。
「……?!」
突然の事に戸惑う奏士。
「おやすみ……なさい」
もう一度奏士の匂いを刻み込むように彼の背中に顔を押し付けた。
(……なんだ、また挨拶か……)
そう思って美雨の手を解く。
「ここは日本だって言ってんだろ?」
穏やかに微笑みながら部屋を出ていく奏士が、どこか遠くに行ってしまうような気がして、美雨は急に言いようのない寂しさに襲われるのだった。




