第五話 『現実』
書き貯めの分はこれで終了です。毎日投稿は難しいですが、よろしくお願いします!
ルウスブ大森林には、森の管理者“ドリアード”がいると噂されている。
曰く、人間に牙を剥く獰猛な肉食動物がいないから。
曰く、迷い込んだ人間は、不思議と生還できるから。
曰く、食料も寝床も、欲すればすぐに手に入るから。
以上のようにその森は、人間に多大な恩恵を与えているからだ。だが、ドリアードとは本来、物語にのみ登場する架空の生命である。その証拠に他の地域でも未だ目撃情報はなく、ここルウスブ大森林でもその例に漏れない。
だがとある物語には、人々が自然を守っていくことを条件に、ドリアードもまた人々に自然の恵みを与えるという“契り”が成立する場面があった。そしてその“契り”は一度も破られることはなく、また、人々と自然の歩みは止まることがなかったとも。
その物語があってこそ人々は、彼女の存在を疑うことなく信仰してきた。
しかし今になって、その“契り”は破られてしまった。凶悪なる未知の屍人によって、彼女との契約が破綻してしまったのだ。そして非力な人間もまた、屍人の力を恐れ、森を守るという役目を放棄した。
管理する者も、守護する者もいなくなったその場所が、屍人増殖の温床となり果てるのは最早、当然だろう。
その人間の無力さと非力さに失望しながら、マイナは王都“アリアマナ”の南方へ走っていた。避難勧告を受けた住民、そして彼等を誘導する兵士たちに不思議な視線を寄越されるも、気にすることはない。
彼女の目的地はただ一つ。現在も熾烈な戦闘が繰り広げられているだろう戦地だ。彼女の胸の内には、戦場に残る冒険者たちへの期待があった。特に、Sランクという過去にダイスたちと肩を並べただろう存在が華麗に戦う光景は、是非とも目に刻んでおくべきだろう。自分が将来、冒険者として大成する為にも、だ。
ーーだがそんな彼女の期待は、簡単に打ち砕かれた。いや、現実を思い知らされたと言うべきか。
息を切らすことなく走り続けたマイナが城門の隙間を潜り勢い良く飛び出した時にーーその惨状を目の当たりにした。
孤軍奮闘状態にある少数の冒険者たちに、身体の大部分を失い横たわる容姿の判別もつかない者たち。そしてたった今、この世のものとは思えない断末魔を上げながら死に、そして屍人へと変貌していった元人間。
目の前の地獄を前にただ――警鐘が響く。呼吸が早くなる。心臓が大きく鼓動する。全身は震え、歯はカチカチと無様に音を鳴らしていた。
彼女はたった今、本物でしか体験できない、戦場の本当の恐ろしさを知ったのだった。
「う、あ……」
先程までの威勢は無様に胡散し、自分に気づき接近する屍人の姿を、身動きもできず見守ることしかできない。マイナは脳でこそ対処すべき事柄だと認識しながらも、それを実行に移せなかったのだ。
屍人は近づく、近づく。次第に足音が聞こえだし、次には細かな容姿を確認できるようにまでなる。その過程がマイナに、着々と死の恐怖を突き付けていく。だが依然としてマイナは、まるで太い縄に縛られたように身動きが取れずにいた。
前世はその大きな体格が自慢だったのだろうか、肉と骨の屍人は、手に持った大槌を難なく振りかぶる。ケタケタと何もできない少女の無様な姿を笑いながら、そして――得物を振り下ろした。
まともに受ければ致命傷――いや、少女の体では死は確実。頭上に、死が近づいていく。
マイナは自分の愚かしさを恨み、記憶の中の彼――ダイスへと幾度もの謝罪を述べた。
――馬鹿な私で、ごめんなさい……。
やっとの思いで目を瞑る。だが不思議なことに、涙が出るほどの猶予があった。何故だろうか、僅かに生じた疑問は、次に目を開けたときに明らかとなった。
――目の前には、少女がいた。
自分のように背が低く、自分のように身が細い。自分となんら変わりのないような彼女はしかし、片手で持った真紅の剣で、屍人の一撃を容易く受け止めていたのだ。目の前の光景に言葉を失うマイナを他所に、その少女は次には屍人を簡単に切り伏せて見せた。
倒れ伏し、次の瞬間には灰と化した屍人を確認した少女――マドルは振り返る。その表情は、鬼の形相。ただ茫然とする少女に、正気を取り戻させるだけの怒気を纏っていた。
「どうして魔法学校の生徒がここにいるの!? ここがどこだか分かるでしょ!?」
「……は、はいっ!?」
その細身に似合わないのは筋力だけではなく、その声量もらしい。今の一言で、マイナは先ほどと違った恐怖を、その顔に浮かばせた。
「だからぁ! ここがどれだけ危険かわかってるのかって訊いてんの!」
「えっと、強力な屍人たちがたくさんいて――」
「分かってるじゃない! じゃあなんでこんな所に来たのよ!」
「……っ」
詰め寄るマドルへの対応に困るマイナだったが、僅かに再燃する戦闘意欲に身を任せ、恐る恐る返答した。
「私は……奴らを葬る為に、ここに来ました」
「葬る為って君、ただの屍人を前にして、何もできなかったじゃない!」
「っ! ……そうですけどっ! でも、次こそは、やってみせます……!」
その言葉を受けて「本当かしら?」という疑問を、短絡的なマドルは意外にも口には出さなかった。マイナの意志の強い視線を受けて、否定する気が失われたからだ。それに魔法学校の生徒であれば、少なくとも荷物になる可能性は薄いだろう。そしてこのまま一人で放置しても、この場から離れようとはせず、結果悲惨な目に遭ってしまうはずだ。
この短時間でマイナの人柄を見抜いてしまったマドルは、僅かな沈黙の後に口を開いた。
「……分かった。貴方の意思を尊重する」
「ただし」と続けたマドルは、自分から極力離れないことと、生き残ることを最優先に考えることを条件に、マイナとの共闘を選択した。
「まあ、まずはパーティに合流しないとだけどねっ」