第四話 『猛攻』
剣が次々に振りかざされ、回避した隙を長槍に突かれる。自分たちからしたら不格好も良いところの連携だが、その粗を屍人たちは数という利で見事に補っていた。
「くっ……! 流石にちょっと、侮ってたわね……」
苦渋の表情を隠しもせずそう絞り出したマドルは、自分を包囲する屍人たちを長剣の大振りで薙ぎ払い、彼等との距離を作る。生じた暇で呼吸を整えながら、彼女は改めて周囲の状況を確認した。
現在最前線で戦闘を繰り広げているマドルの前方は、戦意を消失させてしまいそうなほどの屍人の軍団が支配している。だが後方には、一体一体と着実に屍人たちを葬っている少女たち――頼もしい“姫騎士団”の仲間たちが奮闘していた。
他のA~Sランク冒険者たちも余裕こそないようだが、屍人たちの数を確実に減らしている。
一方でBランク以下の冒険者たちは、まさに悪戦苦闘の只中だった。高性能な支援魔法を纏い連携戦を仕掛けてくる屍人たちへの対応が、彼等にとっては難儀この上ないことだったのだろう。実力不足ともいえるのか、その証明として死亡、あるいは無力化された多くの冒険者が周辺に横たわっている。
つまり屍人たちが僅かに数を減らしていく一方で、冒険者たちも大きな打撃を受けているのだ。この劣勢状態が続けば、全滅はまず確実だろう。再び攻め掛かってくる屍人たちへ地を蹴り反撃に転じながら、その現状にマドルは悪態を吐くことしかできない。
「こんなはずじゃ……一体兵士たちは何やってるのよ……!」
元々、王都の常備軍も戦うはずだった。だが、兵士たちの実力は実に頼りなく、また最低限の組織体制であった為に数も少ない。そして調査によって判明した屍人の強さを顧みるに、戦力になりそうもなかった。そう判断したマイナたちは、彼等を補給や治癒の全般を担当させたのだ。
上手く人材を運用したはずだったが、それはきっと失敗なのだろう。優秀な人物が集結している騎士団に頼り切っていた常備軍は、まさに無能の一言で片付いた。彼等もそれなりに全力で取り組んでいるのだろうが、やはり目の前の屍人と同様に彼等も、悪い意味で予想を裏切っていた。
最早、遠征途中だった騎士団が早く駆け付けてくれることしか、現状を打開できる手立てはない。それにも当然、長期的な時間稼ぎが必要となってくるが、やはり困難であるとしか言いようがなかった。
絶望的な状況。冒険者として大成した自分を久しぶりに襲う、“死”という恐怖。周囲は屍人に有効とされている火炎魔法の影響で暑いはずだが、マドルの身体は僅かに震え出していた。
「でも――」
こういう状況に直面してこそマドルは、更に燃え上がる。仲間たちには面倒くさいと日々文句を言われるが、こればっかりは彼女の性分なので仕方がない。治すつもりがないのは、逆に自分の数少ない良い点だとさえ思っているからだ。
「私が諦めちゃったりしたら、駄目じゃないっ……! 後ろには何十人も、頑張ってる人たちがいるんだからっ!」
次には「もう温存はできないよね」と落ち着いた声音になった彼女は、普段使用している剣の一つ下に提げられた真紅の長剣を抜き取り――目の前の屍人たちに向かって、悠然と構えた。
――其れは、相反するはずの豪華さと質素さが混合していた。
――其れは、矛盾するはずの強さと弱さが合体していた。
――其れは、敵対するはずの正義と悪道が共存していた。
正しくその剣は――魔を操り界を制すもの。太古の昔に“迷宮に隠されたという、魔法を操る剣。
魔剣――レィバテイン。かつて世界に君臨していた火の神が残した、至高の武器である。
その武器の脅威を知らない屍人たちは、急に場を支配するような存在感を放ち始めた少女を前にしても尚、特に気にした様子もないようだった。恐怖という感情の備わっていない彼等は、どれほど脅威を感じようと後退することなく迷わず突貫する。そしてそれを、愚かな選択だと自責することもないのだ。
だが、後悔はするのだろうか。果敢に攻め込もうとした次の瞬間にその身が一瞬にして消し炭となったとき、彼等はそろって声にならない悲鳴――悲痛な断末魔を残したのだから。
「重傷を負った者は此処に運べ! 上位のポーションを優先して使用しろ!」
避難所として利用されたラウバール魔法学校の本校舎では、一般兵よりもやや豪華な制服を纏う、壮年の男の大きな声が響いていた。その視線の先では、腹部や頭部から多量の血を流している冒険者たちが、此処へ続々と運び込まれている。
軽傷で済んだものは神官の元で治癒を受けて回復しているが、中には腕や足、またはその両方を失った回復不可能な冒険者たちもいた。その現実を受け入れられず、悲観に暮れ泣き喚く者も決して少ないとは言えない。
「っ……」
戦場の過酷さを再認識してしまった彼等の中で、再び立ち直れる強者はどれほどいるのだろうか。立ち直れたとしても、一体いくつの困難に衝突しなくてはいけないのだろうか。
そして身体を張ってこの都市を守護するはずだった彼のその疑念が露見すれば、実際に戦場に赴いている冒険者たちから多くの反感を買うことになるだろう。故に彼は決してそれを口に出さず、また表情にも表さない。
「すべては我々が、億秒で無能だから、だな……」
後悔が彼の身を蝕む。それは毒牙、それは鉤爪。それは――恐怖を引き連れた自身の鎖。
この世全てが自分の無力さ無能さを非難し精神に干渉してくるような、怖気の走る錯覚に襲われる。自然と力む腕。反して力の抜けそうになる腰。自分の矮小な心が、遂には砕けてしまいそうだ。そして――
「……弱いが故に、生き延びてしまう、か。なんとも皮肉な話だな」
「――全く、その通りですね」
誰に対して言ったわけではなく、自分に追い打ちをかけるようにして出した言葉だったが、鈴の音のような声に返答された。この期に及んで体裁を気にすることはないものの、職務を精一杯こなしていた自分にも譲れないものはある。彼は声のした背後に振り返り、その声の主に威圧的に問うた。
「……何だ、お前は」
「この通り、この学校の生徒ですが?」
「そういうことを訊いているのではない!」と即座に叱咤しようとした男は、しかし声の主である少女――マイナの堂々とした言葉に遮られる。
「別に、この学校の生徒がこの教室にいようが、勝手でしょう?」
「だが周囲を見渡せばわかるだろう!? お前のような子供に構っている暇はない!」
その言葉を受けてようやく表情を変えた少女だったが、顔に現れたのは飽きれだろうか。そして端正な眉毛を大層歪めて見せる少女の発した、現実を尚も突き付ける一言は、的確に男の心臓を射止める矢のようだった。
「すべては常備軍の慢心によるものでしょう? 騎士団に寄り掛からず、せめてもの知識をその固い頭に詰め込むべきだったでしょうに。だから依頼を仕方なく引き受けた冒険者たちが、こうして全面的な被害を被っているんですよ」
有効な言い返しが思い浮かばない。それは少女の言葉を、自分でも心の内で全面的に肯定しているからだろう。だが、彼女の次の言葉で、複雑に絡み合ったその頭が白一色に染まった。
「私は貴方たちと違って、努力を惜しむことはありませんでした。だからこそ今、戦地に殴りこんでいけるだけの実力があるんです」
「何を……言っている?」
最早、それなりに頭の回る自分の脳みそは、まるで機能しない。ようやく絞り出したその一言も、少女の眉を不快気に歪めさせるだけだった。
「何をって、私も倒しに行くだけですよ。あの屍人たちを」
「なっ……!」と見事に主食らった男も遂には、マイナへの制止の言葉を紡ぐことはできなかった。そして彼に一泡吹かせたと自慢気な表情を滲ませた彼女は、そのまま速足でその場を去る。向かう場所は当然、阿鼻叫喚の走る戦場だった。