第三話 『リッチキング』
暗闇が支配するルウスブ大森林。管理人が姿を消し、いつしか魔物の棲み処と成り果てた此処は、弱風に煽られた木々の音と真っ黒な鳥類の鳴き声も相まって、まさに不気味の一言に尽きた。そして――。
その地は現在、無数の屍人で溢れ返っている。依然として増殖する彼等の数は、およそ300体ほどで、その誰もが生者への憎しみを燃料に、怨念を晴らすべくとある方角へと進行していた。
その大群を一般人が目にすれば、その単純な恐ろしさに悲鳴を上げることすら忘れてしまうだろう。
その大群を知識人が目にすれば、その不可解な光景に恐怖、そして疑問を覚えることだろう。
その光景は幾らか、いや非常に異様だった。普通の屍人は、その頑丈さの欠片もないような、骸骨を露出させた外見をしている。だが彼等は赤、青、白、黄と可視化された様々な魔法を纏っているばかりか、その手には剣や盾、そして魔法使いが所持するような杖を持っている存在もいるのだ。
下級冒険者一人が通常の屍人2体と渡り合えるというのが、下位の屍人討伐難易度の目安となっていたが、異常や物理への耐性を獲得し、更には腕力や敏捷の向上といった支援を受けた彼等には、その常識はまるで通用しないだろう。
その原因になる存在は果たして、大群の遥か後方――騎士風の屍人に警護されるようにして、歩んでいた。
周囲の屍人同様に人型だが、身長は2メートルを超えているだろう巨体。それを禍々しい漆黒の鎧が包み、腰には鎧と同色の、不気味だがどこか見入ってしまう見事な長剣が携えられていた。そして外見に決して似付かわしくのない生気を感じさせる言葉が、静かに、だが十分な声量で発声される。
「決戦の時は、近い」
彼の異様さはその外見だけではなく、態度にもあった。知性を大いに感じさせる言葉遣いに、支配者然とした堂々たる所作。まさに一群の指導者に相応しいものだと言えよう。
「ついには成しえなかった生前の復讐。今度こそ、果たして見せよう……っ」
圧力のある言葉を紡ぐ彼の言葉は、つい先日に誕生した屍人とは思えないような重みがあった。その言葉を背に、屍人の大群は人々の暮らす平穏の地へと、更に突き進んでいった――。
✳︎
翌日の早朝、早起きをしたダイスは、昨日とは違った盛り上がりを見せる酒場にいた。依頼の発注に来たであろう商人や旅人がおり、中には年少の冒険者の姿も散見される。目の前に広がる新鮮な光景に浸っていたダイスは、だが疑問を消化するべく受付へと向かった。
「おう、ダイス。今日は早いな」
「ああ、少し気になることがあってな」
接近する彼に気付いたギルザは作業をしている手を止めて、「どうした?」と器用にも愛想のある笑みを作った。それが実に不自然で不似合いかを指摘するべきか真剣に悩みだしそうになったダイスは、またもや目的から脱線してはいけないと言葉を続ける。
「身内から聞いた話なんだが、ルウスブ大森林の付近に屍人の群れが発生したというのは本当か?」
「……ああ、事実だ。それに今朝に届いた情報によると、屍人共は更に数を増しているらしい」
「昨夜の情報だと100~150だったから、もう200以上にはなりそうだな」
「それに支援魔法の類が掛かっているとすると、それこそ休む暇もなく急いで王都に引き返した“姫騎士団”も苦労するだろうな」
「がはは」と豪快に笑うギルザを半眼で睨むダイスだったが、彼自身もその程度のことしか考えなかったのは事実だ。強力な支援魔法を受けた屍人であっても、技量のある魔法使いが数十人集まれば、対処できないこともないだろう。
「じゃあ、俺も安心していつも通り過ごせるな」
「――いや...」
ダイスは今夜迎えるだろう心地の良い安眠に胸を高鳴らせつつ、依頼がある掲示板に向かおうとしたが、そこをギルザに呼び止められる。振り返ってみれば、いつになく真剣な表情のギルドの長たる人物がそこにはいた。
「俺も国民の平和を願う一人だ。それを実現する為にある程度の地位も手に入れた。もし件の状況が難航すれば、お前に討伐を強制するかもしれない」
「だから、そのことも念頭に入れておいてくれ」とギルザは罰の悪そうな顔をした。久方ぶりに目にした彼の様子に、ダイスは嘆息する。その口元は、うっすらと笑みを含んでいた。
「世話になっているからな...了解した」
「恩に着る」というギルザの声を背にダイスは今度こそ、日課の依頼を確認しに向かった。
――その様子を、怪しげな相貌が捉えていることも知ることはなく。
✳︎
依頼先から帰還したダイスは、消耗したアイテムを買い揃える為、道具屋へと続く夜道を歩いていた。巨石で舗装された歩道はダイス程度が歩いただけでは音が発生することもなく、その空間を完全な静寂が支配している。
周囲の光源といえば“魔物”から入手できる“魔石”を利用した街灯と、夜光草と呼称されるその名の通り夜の間に発光する植物だった。ダイスは静寂を乱さないように小さく呼気を漏らす。
「ふう……」
自宅にいる時を除けば今は間違いなく、最も心の落ち着く時間だろう。その証明として、ダイスの足取りは軽快なものだった。当然、他人からすれば微々たる差だが、例えばマイナからすれば、歴然たるものだろう。
だが機嫌の良いダイスの心に水を差す、奇妙な視線を感じた。敵意ではないが、的確に心臓を射抜くような気味の悪い視線だ。そして油断もあっただろうが気配に敏感なダイスが気づかなかったという事実は、その正体が暗殺者や斥候として相当高い技術を身に備えているということだろうか。
若干の怖気さえ感じさせる背後を、ダイスは振り返る。果たしてそこには――漆黒の外套で容貌を隠す、小柄な影があった。フードが頭の大部分を覆っているとしても顔の下半分は確認できると思ったが、その奥には更に覆面をしているらしい。フードからはみ出る銀色の長髪から、女性だと辛うじて推察できる程度だ。
「……正体を隠して、何の用だ?」
今度はダイスの殺気を伴った視線が、彼女を一直線に貫く。人が変わったような表情のダイスの声は、大型の猛獣であっても委縮してしまうほど威圧的だった。対する少女は僅かに間を置くと、抵抗の意を感じさせるような凛とした声を発した。
「っ……! 私は、お前に報せを持ってきただけだ。屍人共と冒険者たちの戦況をな!」
「……。」
仮に相対している彼女が敵だった場合、暗殺者の格好の場所となるここで油断していた自分の大敗だろう。だがダイスはそういった危険に遭遇しなかったことを一考するに、少なくとも、彼女の現状は中立または味方側に立っていると結論してもいいはずだ。
「……じゃあ教えてくれ。お前を信用する」
「!? もう少し疑り深い奴かと思ったが、そうでもないのか?」
「覆面をしているからという理由だけで、完全に敵対するのは違うからな」
その小柄な体躯に似合う可愛らしい動作で首を傾げて見せた少女は、「まあ、いいか」と話を続けた。そんな態度になるのはただ拍子抜けした影響によるものか、殺気を感じなくなり急に強気になったからかどうかは不明だ。
「さて、つい先ほど奴らとの戦闘が始まったが、既に劣勢状態になっている。死者や負傷者の増加が急激である以上、極めて不味い状況だ。今は他の地域に救援を要請しているが、このままでは間に合わないだろう」
「――っ!」
「それに援軍が駆け付けてきたところで、火に油を注ぐ事態になるかも知れない」
覆面の少女が懸念していることは、恐らく統治された屍人たち特有の性質によるものだろう。屍人は当然、死体である。生殖機能もその本能さえ失っている。それでは以下にしてその数を増やすのかといえば、“幸福な死”以外の死因。餓死や病死、事故死で死亡した人間の魂が宿主に残存し続けた結果、復讐心や憎悪で穢れていき屍人が誕生する、ということだ。それが一般的な常識だが、上位者によって統治された屍人には感染機能が備わる。死者が持つとされる“負の力”を生者の体内に送り込み、そのまま屍人に変化させる能力を獲得するのだ。神官や僧侶など“負の力”に対しての抵抗力があれば別だが、それらに格闘しない冒険者たちであれば感染する確率は1割を上回る。
「……っ」
普段から冷静沈着なダイスの相貌は、その驚愕から大きく見開かれていた。心臓の鼓動が早くなり、幾らかの発汗もみられる。彼を支配する感情は、まさしく焦燥だった。ダイスの脳裏には、今朝いつも通りに学校へと出発したであろう少女の姿が再生されている。
「私がお前の正体を特定したのはつい先ほどのことだ。だから瞬間移動のスクロールを用いてまでここに来た。全てはお前に依頼をする為だ。」
覆面の彼女はダイスの焦燥を理解しているのか、早口で言葉を紡いでいる。そしてそのまま、彼女は言葉を紡いだ。
「実に興味深く、居心地の良いあの場所は私にとって替えの利かない場所だ。だから、どうか、青の場所を救ってくれないだろうか」
依然として凛とした声を張る彼女はだが、覆面の奥のその大きな瞳で必死に訴えかけていた。
「冒険者ダイス・カルタ―ナ。“黒腕の魔法使い”よ。報酬は望む額を用意しよう。どうか、私の愛するあの場所を救ってくれ!」