逃亡
足に力を入れようと思った時に彼は悟った。
この足はもう使い物にならぬことを。
必死だった彼にとってそれは、もはや些細なことだったかもしれない。
命のあることが不思議で仕方がなかった。
彼は横たわる自分の身体を一つ一つ確認する。
まずは手だ。しっかり動く。指もおかしなところはない。
多少の擦り傷はあるが大したことはない。
そして身体。
節々に痛みが走る。
骨が折れてるようだ。触らなくとも痛みがじわじわと追い詰めてくる。
幸いにも腹部には外傷はない。斬られずに済んだようだ。
足はどうだろう。左足に感覚はあるのだが、、、
右足に触れても感覚がない。いや、何かに触れているのはわかるのだが、力が入らないと言うのが正確だろうか。
痛みも感じない。
「無駄かな」
彼が力を込めるのをやめた瞬間だった。
ガサっと草むらをかきわける音がした。
彼は死を覚悟した。生い茂る木々に阻まれ月光はか細く、何とも頼りない。このような暗がりでは襲撃者の顔すらわからないだろう。自分は顔もわからぬ者に命を絶たれるのかと考えると、どうせならば、最後の一太刀でも敵に浴びせ、雄々しく散るか、そう覚悟した時だった。
2つの光が目に入った。
青白い、アクアマリンの光。水、透き通った水を連想させる輝きだった。
「美しい」
思わずこぼれた言葉だった。
それと同時に彼は右手に持つ得物を落とした。生への執着を諦めたのではない。戦意が消失したのだ。
「このまま死ぬの?」
その光の所有者の問いに、彼は応えた。
「初めて見た。そのアクアマリンの瞳を。あなたは言葉がわかるようだ。あなたになら殺されてもいい、そう思っただけだ。どうせ放って置かれても、追っ手が来て殺されるだけだ。それならいっそ、、、」
力なく、無力な自分を俯瞰して見てた彼は、アクアマリンの瞳を持つその人を見た。
どうやら、女性なのだろか髪が長く、綺麗に整った顔立ちである。秀麗という言葉が似合うだろう。しかし、その者はその秀麗さには似つかわしくない長槍を携え、彼の傍らに近づいた。
「この目を見て何故あなたは恐れない。知らないの? この目の意味を」
「悪魔と言われたルキフェルの一族なのだろ?
だが、悪魔と呼ぶにはあまりにもあなたの瞳は美しかっただけだ」
相手の表情はよく見えないが、口元がほころんでいるように見えた。
大昔のこと、ルキフェルという堕天使が神を裏切り、軍を率いて神の城を奪った。
神は拘束され、城の奥に幽閉された。
ルキフェルは世界をその手にすることを目論んだ。しかし、彼には不倶戴天の敵がいた。
武の精霊アラミールである。
アラミールは幽閉された神を救い、ルキフェルを遠い地へと追いやった。
そうして、この大地からルキフェルの一族はいなくなり、平和が訪れた。
その後神は大地の統治をアラミールに任せ、天上世界へと帰った。
アラミールは一族と他の精霊と共に大地を守った。
一方、神が天上世界へ帰ったことを知ったルキフェルは一族を率いて何度も、攻めたが、彼はアラミールに敗れ、命を落とした。
そしてルキフェルの一族は散り散りになり、大地を奪おうとすることはなくなった。
しかし、ルキフェルの一族は諦めず、今も大地の支配を狙っているという。
青い瞳の者には気をつけよ。
それがルキフェルの一族の徴しである。
そう語り継がれてきた。
さらにルキフェル一族は人間を圧倒する程の力を持つという。
それ故、ルキフェル一族は忌み嫌われ、遠ざけられたのだという。
「私の名前はアリア」
そう彼女は名乗った。
「あなた、名前は?」
傷ついた戦士は答えた。
「フィルだ、フィル=グラデル」
「武の名門、グラデル家の子息様か。何故
かようなことになったの」
苦笑し、フィルは言葉を吐き出した。
「詳しく話したいところだが、あまり時間はないらしい」
その言葉にアリアと名乗った女性は後ろを振り返った。
「逃亡者は残さず皆殺しとの仰せだ!探せ!」
怒号のように響き渡る悪意が辺りを支配し始めた。
「あなた、追われてるの?」
「その通りだ」
「なるほど、、、ならば、急がなくては」
言い終わると同時にアリアはフィルを手を取り、抱き起こそうとした。
「肩を貸してあげる。立って」
フィルはその言葉に従った。
こうして、軍師フィル=グラデルと武神アリア=リオールは出会ったのだった。