卯月の能力
あれから、卯月を抱き上げて座布団の上に座り、宥めようと頭を撫で続けてやると、次第に涙は引っ込み、笑顔を見せるようになった。すると、部屋の中に振り続けていた雪が止み、積もっていた雪は溶けて水になるのではなく、何もなかったかのように消えていった。まるで、卯月の気分が暖かくなったことに連動しているようだ。
「えへへ……良辻さん……」
泣き止んでもなお甘えてくる卯月。だが、決してうっとうしいなどとは思わない。それより愛しさが勝っているのだから。
「それじゃあ、私、料理作るから。台所借りるよ」
「あっ、今日はもう遅いし、俺も手伝うよ」
「えっ、いいよ~。……あ、やっぱり、手伝ってもらおうかな~?」
「任せろ」
上から立ち上がると、「あっ……」と悲しげな声を卯月が漏らしたのが聞こえてきた。少し胸が苦しい。
「卯月ちゃんはペットなんだから、主人である俺がご飯作ってくるよ。ちょっと待っててね」
冗談おかしく笑いながら言う。卯月は少し残念そうな顔をして「はい」と沈んだ声で返事をする。
「あっ……良辻さん。あの、わたしのこと、卯月って呼んでもらえませんか?」
「え、うん。いいけど、どうして?」
「……えへへ。その方が、飼われている感あるかなって」
そう言って恍惚とした表情を浮かべる卯月。俺はつい苦笑を浮かべてしまう。
「じゃあ、待っててね、卯月」
「は、はい!」
元気のいい返事をして、卯月はゆっくりと立ち上がり、畳んである布団へ向かった。布団に飛びつき、鼻を布団にあてがい、体をよじらせている。匂いでも嗅いでいるのだろうか、恥ずかしいので少しやめてほしい。
台所へ向かうと、調理器具などを見定めるように見ている春侑の姿があった。
「何してるんだよ」
「うん? いやー、凄い綺麗な台所だからさ。いっちゃん本当は自炊していないんじゃないかと思うくらいだよ、これは」
「不衛生なところで食べ物を扱うとかありえないだろ。普通だよ、普通」
「そんなもんかね~?」
首をかしげて調理器具を取り出す春侑。
俺はまな板と包丁を取り出し、水ですすぎ洗いをする。続いて、袋から玉ねぎを取り出し、皮をむいて、水で洗う。ハンバーグを作るのならみじん切りだなと、まず縦に二つに切り分け、片方に切り込みを入れていく。端からと横に切り込みを入れ終え、ここから縦に細かく切っていく。左手で崩れないように玉ねぎをしっかりと持って、包丁を持った右手を下ろしていく。
「ね、ねえ」
マッシュポテト用のじゃがいもの皮をピーラーで剥いている春侑が話しかけてきた。
「こうしてると、さ。わ、私たち、夫婦みたいだね」
「ふ、夫婦!?」
突然出てきたワードにビックリしてしまい、手元が狂った。
「――痛っ!」
人差し指の第一関節を切ったようで、血が滲み出てきた。
「ご、ごめん! 大丈夫?」
「あぁ。これくらい、最初のうちはよくやったさ」
「わ、私、絆創膏持ってくるね。あ、どこにあるの?」
「ん、そこの戸棚の上」
絆創膏を取りに行く春侑の表情は、少しにやけていた。他人の不幸は蜜の味ということだろうか。なんて、冗談だが。春侑に限ってそれはないだろう。
水道を捻って水を出し、指から出ている血を流す。そこまで傷は深くないようで、安堵する。
「い、良辻さん?」
気づけば後ろに心配そうな表情を浮かべた卯月が立っていた。
「ち、血が、でているんですか?」
「ははっ、ちょっと切っちゃってさ。まあ大したことはないよ」
「ちょっと見せてください!」
そう言って、流れる水に当てている俺の指を近づけるべく、卯月は俺の腕を引っ張った。その際に水が少し周りに散ってしまった。
「うぅ……痛そう、ですっ……」
「血は出てるけど、傷自体は浅いから大丈夫だよ」
「うぅ……あ、そうだ……はむっ」
「えっ!?」
何を思ったのか、卯月はおもむろに俺の左人差し指を口に咥えた。それだけでなく、傷の部分を舌で舐めてくる。
「ちょっと、卯月?」
声をかけてみるが、卯月はそれを無視して舐め続ける。少しこそばゆい。
そんなことをしていると、春侑が絆創膏を持って戻ってきた。
「お待たせ~……えぇ!? ちょっと、なにさせてるの、いっちゃん!?」
「俺がさせてるわけじゃないんだが……」
「いいから、ほら、つきちゃん早く離れて!」
春侑は卯月の小さい体を抱き上げ、無理矢理俺から引き離す。「あっ……」と悲しげな声を上げる卯月。どれだけ俺と密着していたいのだろうか。嬉しいことではあるが。
「もうっ。ほら、いっちゃん、早く切った指見せて。絆創膏貼ってあげるから」
促されるまま、俺は指を春侑の前に出す。
「……あれ?」
しかし、春侑は俺の左人差し指を持って、まじまじと見るだけで、絆創膏を貼ろうとしない。
「どうした。貼ってくれるんじゃないのか?」
「いや……ねえ、いっちゃん。切ったのって、この指で合ってるの?」
「あぁ。間違っていないはずだが」
「でも、血は流れてないし、傷も見当たらないよ?」
それを受け、そんなはずはないと自分で確かめるべく指を見る。
「……たしかに、傷がない。消えてる」
「えっ、嘘ぉ!? いっちゃんの再生能力高すぎじゃない?」
「そんなわけないだろ。だったら、昔怪我した時もすぐに治っていたはずだ」
という事は、考えられるのは一つしかない。
卯月の方に顔を向けると、目が合い、卯月は照れながら笑みを見せた。そんな卯月に聞く。
「もしかして、傷が消えたのは卯月のおかげなのか?」
「は、はいっ! えっと、ですね。わたしが持つ力は、さっき見せた雪を降らす力と、今のような傷を癒す、治癒能力なんですっ」
「治癒……へぇ、なるほど」
そういえば、例のペットショップの店員にこんなことを聞いた事がある。うさぎの唾液には、衛生状態を保つ成分が含まれていて、だからウサギは自分の体をよく舐めているのだとか。さっきのは、その習性からきた行動なのかもしれない。
「えっ、じゃあ、つきちゃんにはまだ神様の力があるってこと?」
「は、はい。わたしは一応、ウサギでもなく、人間でもない、神様という存在なので、力は消えることは、ないですっ。立場が神様じゃなくなったってだけなんですっ」
それは実質、卯月はまだ神様だという事か。ううむ、これはなかなか重要だぞ。
「まあ、ありがとね。傷、治してくれて」
「い、いえ~。あっ……えへへ」
頭を撫でてやると、卯月の表情は綻んだ。やはり動物は、頭を撫でられると嬉しいんだな。
しばらく撫で続けた後、卯月の頭から手を離し、料理を再開する。もう一度手を洗う際、怪我した指を動かしてみると、完璧に傷口は塞がれていた。卯月の治癒能力とやらは素晴らしいな。
途中で放置していた玉ねぎを左手で抑え、切ろうとする。すると、隣から卯月が顔を出して、「あのぉ……」と申し訳なさそうな顔をして言ってくる。
「わ、わたし、他は大丈夫なんですが、玉ねぎはどうもダメでして……」
動物は基本的にネギ類はダメらしく、ウサギも例外ではない。
「じゃあ、玉ねぎ抜きにする?」
「は、はいっ。お願いします、ですっ」
了解と返事をして、半分にした玉ねぎを切り終え、もう一つの玉ねぎはラップをして袋におさめた。
「あれ? つきちゃんのは抜きとしても、それだけで足りるの?」
「先生も抜きなんだよ。あの人も玉ねぎだけは苦手らしくてな。今日渡したやつにも、いつもは入れる玉ねぎは入れなかった」
「へぇ~。そうなんだ」
一度、間違えて玉ねぎ入りの弁当を虎子に渡したことがあったが、その時は大変だった。玉ねぎを口にしたのだろう虎子は、涙目にして頬を膨らませ、口を抑えながらトイレとは駆けていった。あれを見て以来、要注意するようにしている。ちなみに、その件について、後に虎子本人からかなり怒られた。
その後、人参も切り終え、さっき切った玉ねぎとミンチをボールの中に入れ、更にパン粉に牛乳、塩、胡椒を入れて、素手でこねくり回す。また、玉ねぎが入ってないバージョンのも同様にして作った。
大分混ぜ終えたら、次に適当な量を取って、手のひらで形を整えつつ空気を抜いていく。
「あ、あのぉ……それ、わたしもやってみたい、ですっ」
「いいよ。じゃあ、はい。玉ねぎ抜きのタネ」
「えっと……これくらい、ですか?」
掬ったハンバーグのタネを手のひらに乗せて見せてくる。卯月の手は小さく、それに従って掬った量も小さい。それが少し可愛く思える。まあ、卯月が食べる量なので「いいよ」と返事をする。
マッシュポテトを作り終えた春侑は、それを皿に移し、ハンバーグ作りを手伝うことに。手馴れた手つきで適量を掬い取り、空気を抜いていく。
「へぇ、やるじゃん」
「なによ。これでも、お母さんの手伝いしてきたんだから。……最初は強制的だったけど。『女は料理ができてなんぼ。男を掴むはまず胃袋から』がお母さんの教えだからね」
「な、なるほどね」
あのお父さんは胃袋を掴まれてしまったのかと苦笑する。
春侑は得意げな顔で、タネをハート型に仕立て上げる。
「へへっ、どうよ」
「自分で自分にハート型を送るってどうよ」
「違うわよ。こ、これはいっちゃんにあげるのっ」
「お、俺に!? なんだよ、恥ずかしいな」
「わ、私の愛だよー。てへっ」
顔を赤くして言う春侑にそっぽを向きながら「はいはい」と軽く流す。自分の顔が熱くなるのを感じる。
「わ、わたしも、ハート型にします!」
春侑に張り合うかのように卯月もハート型を作り出す。しかし、手馴れていない手つきで作られた形は、山の部分が長すぎてうさぎの耳みたいになっている。とてもハート型とは言えない。
卯月は上手くいかないタネの形を睨みながら「う~」と唸り声を上げている。
「また今度、頑張ろうね」
「は、はいっ!」
笑顔を浮かべて元気よく返事した卯月に、俺も笑顔を返す。
その後、焼き上げたウサギ型のハンバーグを、卯月は複雑そうな顔をして食べていた。