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神を飼い始めました  作者: 土車 甫
第四章 ペットの秘密と飼い主の在り方
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存在の肯定

 長月さんは話を終えると、部屋を出て行った。それから俺は、外の庭をぼんやりと眺めていた。何も飛んでおらず、何もいない庭。さきほど潜ってきた、あの祠の前に現れた歪みを潜らなければこの空間に入ることはできない。すなわち、ここは戌の神様だけの空間なのだろう。


 そんな情報の整理はすぐにできた。しかし、さきほど聞いた卯月の情報が、なかなか頭の中で整理できない。二列に並べるタイプの本棚に本を収めると、それが大きすぎて反対側の本が出てしまう、そんな感じだ。これを受け止めることによって、何かが抜け落ちそうな感じがする。俺には扱いが難しい。


 そんなことをしている内に、巫女服に着替えた卯月が花柴と帰ってきた。白い髪が、巫女服の生地の色と合わさってより一層綺麗に見える。


「い、良辻さんっ。ど、どうですか……?」


 顔を赤らめ、身をよじらせながら聞いてくる卯月。もちろん似合っている。可愛いぞと言おうとした――が、気づけば俺は、無言で卯月を抱きしめていた。


「い、良辻さん!?」


「おいっ、なに卯月に抱きついてんだ!」


 戸惑う卯月の声と、怒ったような花柴の声が聞こえる。しかし俺は、それを気にせず、卯月に言う。


「……聞いたよ、長月さんから。卯月の事」


「も、もしかして……あれ、ですか……?」


 震わせ始める卯月の体をぎゅっと強く抱きしめて、「うん」と答える。卯月の体が一瞬ビクッとなった。


 空気を読んでか、花柴は俺に向けていた牙をおさめ、少し離れたところに座った。目で「ありがとう」と伝えると、気怠そうに手をひらひらと返された。


 震える卯月の頭に手を置き、撫でながら、あやすように俺は言う。


「俺はさ、神様の間のルールとか、役目とか全然分かんないけどさ……卯月は間違ってなかったって事だけは、分かるよ。たしかに、その軍兵の傷を治したせいで、結果的に村を滅ぼしたかもしれない。けど、助けを求めているのにそれを無視するなんて、神様としてできないよな。俺は、卯月のその気持ちを買うよ。神様として、尊敬する」


「……わ、わたし、でも……もう神様じゃないですっ……」


「そうだな、卯月は今、俺のペットだ。なら、ペットの責任は飼い主である俺が持たないとな。……だから、あまり気負わないでくれ」


「……は、はいっ……」


 卯月は目に涙を溜めて、微笑み、抱きついてきた。俺はそれを受け止め、強く抱き返してやる。

 気づけば、卯月の体の震えが止まっていた。卯月が己に降らせて積もっていた雪が、溶け始めているのを感じる。


 しばらく抱き続けた後、卯月は俺から離れて、微笑んで言う。


「良辻さん……わたしを、ペットにしてくださって、ありがとうございますっ……」


 言い終えると、卯月は糸が切れたかのようにふらっと倒れる。俺はそれを急いで抱きとめ、ゆっくりと自分の方に寄せる。


 また苦しくなったのかと思い、顔を覗く。しかし、それは決して苦しいものではなく、むしろ安らかとしていた。


「だ、大丈夫か!?」


 焦って駆け寄ってきた花柴に、頷いて返す。


「少し、寝かせてやってくれないか?」


「……分かった。布団、準備してくるよ」


「あぁ、ありがとう」


「へっ。別にお前のためにやってるんじゃないからな。卯月のためだからなっ」


「分かってるよ」


 足早に部屋を出ていく花柴を見届け、もう一度卯月の顔を覗く。


「……俺の家族ペットになってくれて、ありがとな」


 そう呟いて、卯月の華奢な体を強く抱きしめた。






 その後、布団の準備ができたと花柴に呼ばれて、布団が敷かれた部屋に向かい、布団に卯月を寝かせた。離れようとした時、卯月が俺の服の袖を掴んで放さなかったのは困ったが、愛らしくもあった。


 なんとか卯月の手を振りほどき、その部屋を出る。さっきまでいた部屋に戻り、あぐらをかいて座り、一段落ついたと息を吐いた。


 花柴は俺から少し離れたところに座り、畳表を指でなぞりながら、俺に「ありがとな」と言ってきた。


「どうして?」


「……いや、お前を卯月の飼い主って認めたわけじゃねえけどさ、実際、お前は卯月の支えになっているっぽいし……だから、っつか分かれよ!」


 最後に吠えて、赤らめた頬を隠すように顔を手で覆って「あぁもう」とかぶりを振る。数回ほど往復したところで、止まり、ひとつ間を置いてぽつりと続けた。


「卯月があの事で苦しんでいるのは知ってた。でも、おれは卯月のために何をしてやればいいのか分からなかった」


「俺も分からないさ。結局、卯月の中からあれを取り除くことはできなかった。俺も責任を取る、なんて甘い考えを押し付けたに過ぎないんだ」


「いや、違う。あれで正解だったんだ」


「……え?」


 足元の畳に向けていた視線を、花柴に移す。花柴は手を除けて、真剣な表情をして俺を見ていた。しかし目が合うと、少し視線を逸らされてしまった。


「……卯月にとって必要だったのは、他者による自分の行為の肯定なんかじゃなくて、それでも自分を必要としてくれたり、自分を守ってくれるという存在が欲しかったんだと思うんだ。……まあ、これに気がついたのも、お前がさっき卯月に話していた時なんだけどな」


 はぁとひとつ息を吐いて、花柴は続ける。


「卯月の中のあれは、もう否定された行為として変わらないんだ。いくらおれたち他者が肯定しようとも、意味がないだろう。でもな、やっぱりその重みを支えてくれる存在は欲しかったんだ。……そして、その存在が、お前なんだ」


 俺が、卯月を支える存在。それは自分で決めたことだ。そして、それが卯月にとっての正解だったのならば、俺は万々歳して喜ぶだろう。


 花柴は最後に、鋭い目をして俺に問う。


「お前に、卯月を任せていいんだよな?」


「あぁ、任せておけ。あいつはもう、俺のかけがえのない家族だ」


 そう間髪入れずに答えると、花柴は「そうか」と言ってどこか安心したという表情を浮かばせる。

 すると花柴は、正座していた状態から膝を崩して、あぐらをかいて、ふへぇーと気の抜けた声を漏らした。


「うん、仕方ない、認めた。卯月に聞いた通り、お前はなかなか見込みがある奴だ」


「卯月に聞いたって、何を聞いたんだ?」


「……あっ、やべっ。これ秘密だったっけか……まぁいいや。いやぁ実はな、卯月を着替えさせる時に、なんで良辻なんかと一緒にいるんだよーって聞いたんだよ。そしたらな、卯月は『秘密だよ』って言いながら、良辻の過去の事を教えてくれたんだ。いやなに、お前も苦労してんのな」


 おいおい、最近で俺の過去がどんどん漏れていってるぞ。これは口止めしとかなければ。


 しかし、花柴の俺に対する態度が変わった気がする。今までどこか警戒しているような節があったが、今はかなりフランクに話しかけている。それに、名前を呼ばれるようになった。少し嬉しい。


「おい、なににやけてんだよ。ちょっと気持ち悪いぞ」


「おっと、すまん」


 顔に出てしまっていたのか……恥ずかしい。


 すると花柴は少し頬を赤らめて、もじもじとした様子で俺のもとに近づいてきた。そして、上目遣いで一言。


「撫でるか?」


 そう言って、恥ずかしさのあまりか、それとも撫でやすくさせるためか、顔を伏せた。


「いやいや、どうしてそうなった」


「だってお前、おれが犬だからにやけてたんだろ!? 過去の事も思い出して……可哀想だから、仕方なく撫でさせてやる! 勘違いすんなよ、別に卯月が『良辻さんのなでなでは気持ちいいですっ』って言ってたからじゃねえからな!」


 ふむ、ツンデレというものは昔からあったんだなと少し感慨深くなりつつ、俺は目の前に差し出された愛おしく可愛らしい耳が生えた頭を、優しく撫でてやる。一瞬、花柴の体がビクッとなったが、構わず撫で続けた。昔、あいつの頭を撫でてやっていたのを思い出し、少し目に涙が浮かんできた。


「……花柴の髪は、柔らかいな。触っていて気持ちいいよ」


「は、はぁ!? なんだよ急に」


「いや、柴犬の毛ってもう少し硬いイメージだったからさ」


「んー、それはあれだ。別にあの姿だけがおれがじゃないってことだ。ほら、今はこうして人間の姿だろ?」


「頭には耳が生えていて、尻の方からはしっぽも生えているけどな」


 チラッと尻尾を見ると、左右に振っていた。


「うるせえ。……まあ、そういうことだ」


「ふーん。短いところは同じなんだな」


「母上が、大人になって愛する人ができるまで短くしてろって言うんだよ。ようするに、たまたまだ」


「へぇ」


 会話が終わったところで、俺は手を止めて「ありがとう」と礼を言った。花柴はどこか物足りなさそうな表情を浮かべて「あぁ」と返してきたので、最後にぐしゃーっとかき回すように撫でてやると「うわっ、やめろ!」と小さく抵抗しながらも笑顔を見せてくれた。


「……はぁ。良辻はちょっといじわるなところがあるな。本当に卯月を任せて大丈夫か心配になってきたぞ」


「大丈夫だ。任せておけって。あと、多分だが卯月は意地悪されて喜ぶ方だ」


「……あー、確かにそうかもしれない。でも、やっぱり心配だな。……なあ、良辻。もし、おれが困っていたら、その時も、良辻はおれを助けてくれるか?」


「あぁ、もちろんだ。頼りにしてくれ!」


「……ははっ、ばーか。試しただけだっつーの。真に受けてんじゃねーよ。……でも、そうか。へへっ」


 見た目から判断した年相応な笑い方をする花柴を見て、俺は自然と笑いが出た。声に出ていたわけじゃなく、顔が笑っていた。


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