もしかして自分って
授業が終わると、一斉にクラスの連中が俺のもとに群がってきた。
「あの子、黒柳くんの従妹なんだって?」
「ペットって、『可愛がっている年少者』って意味だったんだね。いやぁ、僕知らなくてさ、黒柳くんは変態なのかと思っていたよ。ごめんね」
「愛されてるんだねぇ、あの子!」
「ちなみに『年下の愛人』という意味もあるけど……」
「それは違うから!」
すると生徒は笑い始め、「やっぱり噂は噂だな」「俺は信じてたぜ、黒柳」「ありえないよね~」と口々に言い始める。
どうやら春侑は上手くやってくれていたようだ。
「なあ、ヤギ。オレにもその子と会わせてくれよ!」
大神が席を座った状態でそんなことを言ってきた。大神も噂を耳にしていたのか。なら、どうして春侑みたくメールしてくれなかったのだろうか。……いや、不可能か。たしか大神は携帯を持っていない。持っていたら、女子から連絡先を聞かれて面倒らしい。俺にはよくわからない。
「まあ、いいけど」
「おっほー。やりぃ!」
大神は無邪気に喜ぶ。こいつが他人に、ましてや女性に興味を持つなんて珍しいな。
「で、今はどこにいるんだよ」
「体育準備室で風早先生に預かってもらってる」
「おっ、まじか。風早先生と……」
「私たちも会いに行っていいかな、黒柳くん」
「うーん。人見知りだから、あんまり無理はさせないであげてね」
「わかった~」
女子群は手をひらひらと振って各々の席に戻っていった。一方、残された男子は悔しそうな顔をしている。
「どうして黒柳にあんな可愛い従妹が……!」
「どうしてと言われてもなぁ」
「くそっ……俺にくれ!」
「無理だ」
項垂れる男子に「授業始まるぞ」と声をかける。少し勝ち誇った気分だ。……いかんいかん。卯月をこんなことに利用してはならない。
すごすごと各々の席に戻っていく男子。後ろからは大神の鼻歌が聞こえてくる。話しかけようとしたところで、チャイムが鳴り、同時に教科の担任が入ってきた。今日、日直の男子が号令をかけ始めたので、俺は諦めた。
放課後になって、俺は超特急で体育準備室へ向かった。大神も一緒についてくる。「失礼します」と言って中に入ると、俺に気づいた虎子が手を振る。その横では、例のソファの上で卯月は体を包ませて寝ていた。気持ちよさそうに寝息を立てている。
「なんかさっきから色んな奴がこの子を見たいって訪問してきてな、疲れて寝ちまったんだ」
「そ、そうなんですか……」
気持ちよさそうに寝ている卯月の顔を見て、少し罪悪感を覚える。言わなきゃよかったかな。
そして今やっと気づいたが、卯月はジャージを着ていた。それは見覚えのあるもので、確か虎子のやつだ。少し大きいが、俺のよりぶかぶかではない。下には無地のシャツが見える。前まで着ていた俺のシャツは、抱き枕のように抱えられている。
「ん、あぁ。着替えさせてやったんだ。いやぁ、ヤギ。あの格好はねぇよ」
「は、ははっ。そうですよね」
卯月のわがままによってなったあの姿はなんとも滑稽なものだったが、年中ジャージ姿の虎子に言われても説得力はないと思う。
そういえば、さっきから大神が一言も話していない。どうしたのだろうと顔を覗くと、これほどかといわんばかりに緩ませた表情をしていた。
「か、かわいぃ。可愛いぞ、ヤギィ! なんだよこの子、天使かよ! ウハァ!」
「ど、どうしたんだ。お前のいつものキャラが見当たらないぞ」
「スベスベな肌……穢れを知らなそうな無垢な寝顔……ハッ! ここが狩場か!?」
さっきから大神の言っている意味が分からない。しかしやけにテンションが高い。こんな姿、昔以来だ。
大神の大きな声のせいか、卯月が目を覚まし、ゆっくりと目を開ける。
「……んっ。うぅ……あっ、良辻さぁん」
「あっ、起きた? 大変だったらしいね」
「うぅ……そうなんですっ……わたし、いっぱい触られちゃいました……良辻さん! あたま、撫でてください!」
「え? あ、うん」
卯月から要求されるのは初めてだなと思いながら、卯月の頭を優しく撫でてやる。「んっ」と声を漏らして卯月は目を細める。
「羨ましい! 羨ましいぞヤギィ!」
「ちょっとうるさいぞ、大神」
数十秒間撫でてやり、手を離すと「あっ」と悲しげな声を出す卯月。
俺はフリーになった手で、虎子に渡していた弁当箱を回収する。中は綺麗に空っぽで、かなり軽くなっている。
「そういえば、卯月はご飯食べたの?」
「は、はいっ! とても美味しかったですっ!」
「そう、よかった」
「いやぁ、ハンバーグ美味しかったなぁ。あとポテトもよかったな」
「あれ、春侑が作ったんですよ」
「北里が? へぇ」
虎子は意外だと言うように手で口を覆う。
そういえば春侑にまだ礼を言ってなかった。あの後の休憩時間もクラスメイトからの質問攻めにあったため、話すことができなかった。簡単ではあるが『噂の件、ありがとう』とメールしておく。明日買い物行く時、何か奢ろうかな。
「それじゃあ、このへんで。卯月を見てくださってありがとうございました」
「ん、おー。気をつけて帰りなー。あっ次も肉な!」
「はは、善処します」
そう肉ばかり入れてちゃダメだろうと思うが、あの笑顔を見るとどうも甘くなる。あぁ、やっぱりあの人もペットみたいなものだ。……いや、失礼だろ。
「ヤギ……ちょっとオレ、今日は一旦家に帰るわ。この男としての本能を止められるか、オレには分からねえんだ」
「あ、そうか。じゃあな」
はぁはぁと息を荒くしている大神に別れを告げ、俺は卯月と一緒に体育準備室を出る。本当にどうしたのだろうか、あいつは。
ジャージ姿の卯月と帰路につく。前に来ていた服は俺のカバンにぶち込んだ。今、他人に中を見られたら、春侑のスカートを見つけられ、俺は通報されるのだろうか。背筋がゾクッとする。
アパートに向かう道へ進もうとした足を止めて、その場に立ち止まり、卯月に言う。
「ちょっと遠回りして帰ろうか。この町のこともっと知りたいでしょ。ちょっとした散歩」
「は、はいっ! ぜひっ」
卯月はその場でぴょんと跳ねて俺の腕にしがみついてくる。どうも、だんだん卯月のスキンシップが積極的になってきている気がする。
歩を再開して、十数分経ったところでまた俺は足を止める。そしてある建物を指差して言う。
「卯月。あれがこの町のペットショップ『ロア』だよ」
「ペットショップ、ですか?」
「あぁ。卯月に是非知ってもらいたい場所だよ」
昨日立てかけられていた『本日休店』という文字はなく、代わりに『営業中』と書いてある。思わずガッツポーズをとってしまう。
ドアを開けると、ドアに付いているベルがカランカランと鳴る。その音を聞いて、見知った店員が奥から出てきた。
「あら、良辻くん。いらっしゃい」
「こんにちは、鹿子さん」
ここ、俺の行きつけのペットショップ『ロア』の店長である女性、宮島鹿子さん。正しくは、ペットショップの店長というより、ブリーダーらしい。
「また来たのね」
「はい。あ、今日は彼女にこの店を紹介しようと思って」
そう言って俺は、俺の影に隠れようとしている卯月の背中を押して、前に出す。鹿子は卯月を少し頬を緩ませる。
「あらかわいい子ね。はじめまして。私は宮島鹿子、ここの店長をやっているわ。お名前、聞いていいかしら?」
「う、卯月、ですっ」
「そう、卯月ちゃんね。卯月ちゃんは、良辻くんとはどういう関係なのかな?」
その質問に激しくデジャブを感じた。そして嫌な予感がした。俺は咄嗟に、卯月の代わりに答えようと口を開ける。
「う、卯月はですね――」
「わ、わたしは、良辻さんのペットですっ!」
「……へ?」
遅かった。卯月の発言によって、やはり鹿子さんは目を丸くして固まった。
「……ねえ、良辻くん。ちょっと話があるの。こっち来てくれる?」
「はい……卯月はちょっと待っててね」
卯月を玄関付近に置いて、俺は店の奥に進む鹿子さんについて行った。だいたい卯月から離れたところで、血相な顔をした鹿子さんが振り返り俺の顔を見て言う。
「いやぁ……良辻くんがペット大好きなのは知ってたけど、それはないって。ねえ、お姉さんも一緒に謝ったりしてあげるから、まずあの子のご両親のところに行こ?」
「今までよく勘違いされてきましたけど、そこまで親身になられたのは初めてで困惑するんですけど。違いますって。あの子は……えっと、俺の従妹なんです。ペットっていっても『可愛がっている年少者』って意味なんですって」
「……え、そうなの? ご、ごめんなさい! 私、てっきり……」
「いえ……」
自分が周りにどう思われていたのか、ここ最近でよくわかった気がする。そこまで変人ではないと自負していたはずなのだが……、
鹿子さんと卯月の下へ戻る。すると、卯月は少し不満げな顔で俺を見据え、地面を足でダンダンと蹴っている。いわゆるスタンピングというやつだ。
「良辻さん、鹿子さんと何を話してたんですか……」
「うん? いや、卯月について話してたんだよ」
卯月は俺のペットじゃないと説明していたと言うと、卯月が不機嫌になりかねないので濁して言った。
卯月は「そ、そうでしたか」と複雑な表情を浮かべ、自身の体を俺に擦り付けるように抱きついてきた。隣の鹿子さんの視線が痛い。
「そういえば、あの子はまだいますか?」
「ん? あぁ、あの子ね。いるわよ~。ちょっと待っててね」
鹿子は一旦俺たちから離れ、店の少し奥にあるケージから一匹の子犬を抱きかかえて戻ってきた。昨日、春侑に話した子犬だ。
鹿子はその子を俺の前に差し出して「抱っこする?」と聞いてきたので「もちろんです」と返し、抱きかかえた。重さを感じないほどの軽さ、ふわふわした毛並み、つぶらな瞳、潤った鼻、前に突き出した手足の肉球が俺を襲う。
「うおおぉぉぉぉ、可愛いぃぃ」
なんだか、さっき見た大神に似た言動を取っているが、そんなのどうだっていい。今は、俺の腕の中にいるこの子を愛でて愛でて愛で尽くしたい。
鹿子さんはブリーダーとして犬を繁殖させている。といってもその数は少なく、今この店にいるのはこの子を合わせて五匹程度だったと記憶している。どうしてこんなに少ないのかと聞くと、もし飼ってくれる人が出てこなかったら、その犬たちは処分しないといけないからだそうだ。ペットショップ界の闇だと、鹿子さんは苦い顔をして言っていた。といっても鹿子さんは、その犬たちを自身で飼っているのだが。俺が心から尊敬できる人だ、この人は。
「その子以外の兄弟は、もう買い手が出ちゃったのに、この子の買い手はなかなか出ないのよね。どう、良辻くん。その子飼ってみない? 良辻くんになら安心して任せられるんだけど」
「いえ、俺は……」
鹿子さんには俺の過去は話していない。これだけペットに愛情を注いでいる人だ。俺の話に共感して同情してくれるだろうが、同様に悲しみを与えてしまう。それだけは避けたい。
答えをはっきり出さない俺。すると、俺の服を卯月はつまみ、顔を赤くして言った。
「わたしが良辻さんのペットなんですっ! もう必要はありません!」
目をキッとして怒った様子の卯月。
「やっぱり……良辻くん……!」
「違います、違いますって。ほら、卯月」
卯月の機嫌を取ろうと、その場にしゃがみ込み、卯月と視線を同じにして頭を撫でてやる。すると卯月のキッとした目は次第にトロンとして、安らかな表情になった。
「うぅ……良辻、さぁん」
卯月は俺に抱きつこうとするが、俺の腕の中にある例の子犬を見てその動きを止める。数秒睨んで「負けない、ですっ」と子犬に対立を煽る。
立ち上がり、子犬を鹿子さんに返して言う。
「そ、そういうわけで、俺は遠慮しときます。すみません、買わないくせして行き浸っちゃって」
「……ふふっ。そう、分かったわ。いいのよ、良辻くんがこの子たちの相手してくれて助かってるんだから。ケージに入れたままだとストレス溜まっちゃうしね。……それに、私も嬉しいかな」
「ははっ、それはありがたいです」
「あっそうそう。だったらさ、良辻くん、ここで働かない? たまにバイトで来るだけでいいのよ」
「そうしたら、俺、離したくないってこの子たちを売らないかもしれませんよ」
「ふふっ、それは困るわね~。ざ~んねん」
冗談気味に言ったが、実際にそうかもしれない。ここに来て、今までいたはずの子がいなくなっていた時は悲しかったから。
「それだと、家畜とかは絶対無理よね」
「無理ですね。いつもちゃんと『いただきます』って感謝していますが、やっぱりその事実に目を背けて食べているんですよね……ずるいですかね、俺って」
「ううん、そんな事ないわよ。みんながそうだもの。その事を意識している分、良辻くんは立派よ」
「そう、ですかね……」
そんな話をしていると、無性に卯月を抱きしめてやりたくなり、行動に移してしまう。「あらら」という鹿子さんの声と「クーン」という子犬の心配そうな声、「はうぅ」という卯月の恥ずかしがっている声が聞こえてきて、それらがとても、俺には心地よかった。
しばらくして、俺たちはロアを後にした。帰る際、鹿子さんに「バイトの件、待ってるから」と笑顔で言われ、俺は苦笑を浮かべて「分かりました」と言い、鹿子さんに手を振って別れた。




