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蝶と蜜の事件簿

夏風邪 

 七月半ば、みつが風邪を引いた。

 めったに風邪なんか引かない蜜が、珍しく風邪を引いたのには理由がある。

 実は、昨日蝶があんまり暑くて、水風呂にしようと言ったせいだ。

 ぬるめのお風呂に蜜がしてくれて、最初に蝶が入ったのだが、なんだかぬるくてもっと冷たくしたくて、それで勝手にドバドバ水を入れちゃって、それで次にお風呂に入った蜜が風邪を引いたのだ。

「大丈夫、蜜?」

 部屋のベッドの横にぺたんと座り込んで、熱を測っているのを見ていると、蜜はフッと微笑んで、

「大丈夫だから、うつるといけないから部屋入ってきちゃダメだ」

 そう言って夏の薄い布団を鼻の辺りまで引き上げた。

 そんなこと言ったって、蜜に風邪を引かせたのは私なんだから、ちゃんと面倒みなくちゃいけない!

 そう決意して蝶は目を閉じた蜜を睨むように見ている。

 ピピピ、ピピピ、とデジタルの体温計が鳴ると同時に、蝶は立ち上がって蜜のパジャマの首元へ手を突っ込んだ。

「わっ! 38.5度だって」

 びっくりして言うと、蜜は目を開けて苦笑気味に蝶を見上げた。

「本当に大丈夫だから、薬だってあるし」

「そっか、薬だ。薬取ってこなきゃ」

 慌てた蝶が薬を取りに行こうとすると、蜜は上半身をベッドから起こした。

「待って、蝶。薬飲むなら、何か食べてからじゃなきゃ、胃に悪いから」

 振り返った蝶が考えるように目を伏せる。

「えっと、何か食べるって・・・・・・」

 蜜はベッドから離れたパソコンデスクの時計を目にして、ゆっくりと足をベッドから下ろした。

「ちょうどもうすぐお昼だし、何か作るよ」

 蝶はベッドから立ち上がった蜜に、慌ててブンブンと首を横に振った。

「起きちゃダメッ、起きちゃダメなの、蜜。ご飯あたしが作るから蜜は寝てて」

 ドアの方から飛んで来ると、蝶は体当たりするように蜜を両手で無理やりまたベッドに転がした。

 ついでに自分もその上に転がってしまう。

「いーい?蜜は風邪引いてるから寝てるの。あたしご飯作るから」

 思いのほか蜜のパジャマ越しの体温が熱くて、蝶は絶対ここから起き上がらせちゃダメだと強く思った。

 蜜の上から退くと、すごい速さでドアまで駆けていく。

 一度振り返って、まだベッドに仰向けになっている蜜を母親のように怒鳴った。

「蜜、さっさと布団に入るっ!」

 あまりの迫力に、蜜の方も慌てて布団に潜り込む。

「ちゃんと寝ててね。起きてきたらスペシャルハイキックくらわすからね!」

 脅しをかけて部屋を出て行く。

 蝶が部屋を出て行くと同時に、蜜はそっと布団から顔を出した。

「なんか、あいつ・・・・・・いつもより元気だな」

 いいことなのか悪いことなのか。



 キッチンのシンクの前に陣取った蝶は、陣取っただけで固まっていた。

「ご飯・・・・・・は炊飯器にある」

 炊飯器には昨日の夜炊いたご飯がまだ残っていた。

「病人といえば、おかゆ。おかゆって・・・・・・ご飯に水入れて炊くんだよね」

 よくはわからないが、そういう感じっぽい。

 ということで、蝶はレンジの上にある棚から適当な大きさの鍋を取り、それを持って炊飯器からご飯を移した。

「で、水を入れる」

 鍋に入ったご飯の上に、水をかけていく。

「どれくらい入れるんだろ」

 恐々なので、水はご飯よりも少ない。なんとか浸かっているといった感じだ。

「ま、いいや。やってみよう」

 理科の実験を思い出して、蝶は一瞬嫌な予感がした。

 実験というと、大抵失敗する。

 同じ班の人がよほどしっかりしていない限り失敗は免れない。

 蝶は理科の実験がキライだった。

 毎回実験すると言うと、記録係になってしまうのも嫌だったが、きっちり測らなくてはいけなかったり、順番通りにやらなくてはいけなかったり、そういうことを適当にやってしまうので向いていないのだと自分でも思う。

 鍋を火にかけて、蝶はコンロの前に丸椅子を引っ張ってきて座った。

「火は、弱火?」

 誰にともなく聞いてしまうが、もちろん誰も答えてはくれないので、弱火で様子を見る。

「あっ!」

 チラチラと燃えている火を見ていて、蝶はあることを思い出した。

「そうそう、卵」

 蝶が風邪を引いたとき、たまに蜜はおかゆに卵を入れてくれる。

「あれ、美味しいんだよねー」

 フフフーとほくそ笑みながら冷蔵庫から卵を取り出すと、蝶は器に割って、それを箸でくるくるとかき混ぜて鍋に入れた。

「お醤油もいるかな」

 醤油をちょっと落として、蓋をする。

「後はできるまで待つだけ~ルルル~」

 呑気に歌を歌い始める。



 十分後、蝶は蜜の部屋の前にお盆を持って立っていた。

「蜜、怒るかなぁ」

 怒ったらヤだなぁ、とうな垂れて片手でドアを開ける。

 蝶が部屋に入っても、蜜は布団の中で微動だにしない。

 寝てるのかも、と蝶は静かに近づいた。

 お盆をパソコンデスクに置いて、ベッドに近づくと、蜜はすーすーと寝息をたてて眠っていた。

「やっぱ寝てる」

 そのとき、蝶は蜜の額が汗で濡れているのに気づいた。額にかかった髪が汗で固まっている。

「暑いのかな」

 部屋には一応冷房がかかっている。窓を開けることは考えられなかった。

 外は天気予報が正しいなら、蜜の体温よりは低いものの、軽く34度を越えているはずだ。

 冷房をきつくした方がいいのか悩みながら、蝶がリモコンに触れると、蜜が布団の中から声をかけた。

「蝶」

 温度を二度ほど下げた蝶が振り向く。

「蜜、起きちゃった? ごめん」

「いや、それより、ご飯大丈夫だった? ちゃんと食べたか?」

 心配そうに訊ねる蜜に、蝶は胸を張って答えることができなかった。

「・・・・・・あ、あのね、蜜」

 怒らないでね、と前もって言うと、蜜は何かあったのかとピンときたらしい。しょうがないな、と言いたげな表情で頷いた。

「おかゆ、なんだけど」

 パソコンデスクに置いていたお盆を持ってくると、ベッドに上半身を起こした蜜の脚の上に乗せる。

「どれどれ?」

 楽しそうに蜜はお盆に乗ったお茶碗を覗き込んだ。

「・・・・・・おかゆ、だよね?」

「・・・・・・おかゆだもん」

 卵が入っているのはわかったが、蜜にはそれがおかゆには見えなかった。

「これ、水入れた?」

 どう見ても炊飯器のご飯に卵をかけて電子レンジでチンしたものに見える。水気というものが見当たらない。

「水入れたもん」

「ホントに?」

 まぁ、卵かけご飯だと思えば、と蜜はスプーンを手にした。

 口に入れる。

 食べている蜜を、蝶はじっと見ていた。

 なんだか、毒見させられてるみたいだなぁ、と思わず笑ってしまいそうになるのを堪えながら、蜜はそのご飯を飲み込んだ。

「うん、美味しいよ」

 にっこり微笑んだ蜜に、蝶はしかめていた顔を瞬時にパアッと明るくした。

「ホント? おかゆ?」

 いや、おかゆには思えないけど・・・・・・。

 蜜は内心苦笑しながら、それでもお茶碗の分を全部食べた。

 しかし蝶はまだ多少顔を曇らせている。

「蝶? どうかした?」

「あの、あのね、お鍋が、ね」

「鍋?」

「・・・・・・お鍋、焦がしちゃったの」

 まことに申し訳ないと言った態度に、蜜は思わず噴き出しそうになったが、やはりぐっと堪える。

「おかゆ、お水入れたんだけど、足りなかったみたいで。お鍋の底にご飯がへばりついて取れなくなっちゃった・・・の・・・・・・」

 うつむいたままの蝶に、蜜はわざとらしくはぁっと溜め息を吐いた。

「蜜、怒った?」

 ちょっと顔を上げた蝶に、おいでおいでと手招きをして、自分の横に立たせると、座っている自分より少しだけ背の高い蝶の頭に手を乗せて髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜてしまう。

「んんーっ!」

 嫌がってはいるものの、やられても仕方ないと思っているのか蝶はされるがままになっている。

「水張って置いといて。明日になったら取れやすくなってると思うから」

 蜜はそう言うと、ようやく蝶の頭から手を離した。

「うん」

 素直に頷いて、蝶はお盆を蜜の膝から持ち上げる。

 部屋をまだしょんぼりとした背中で出て行こうとする蝶に、蜜はようやく言ってあげる。

「蝶」

「ん?」

 振り返った蝶に、蜜は熱のせいなのか、蝶のあまりの可愛さのせいなのか、自分でもらしくないほど嬉しくて。

「ありがとう」

 満面の笑みで感謝してしまった。

 そんな蜜の言葉とあまりに優しげな表情に、蝶はお盆を落としそうになるほど真っ赤になった。

「あ、うん・・・・・・」

 困惑と照れが混じってどうしようもなく居心地が悪そうに、目を伏せてしまう。

 急いで部屋を出て行く蝶に、蜜はベッドに倒れ込みながら、さっきよりもさらに穏やかに眠りに落ちて行った。


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