僕と彼女の走馬燈
風が僕の頬を撫でる。4月の風は気持ち良い僕の眠りをさらに快適な物へと…
「冴木ぃ、俺の授業は聞く必要ないってかぁ?」
…してはくれなかった。眠たい目をこすりながら声の主へと目を向ける。このやくざのような言葉をかける教師こそ僕のクラスの担任だ。ちなみに見た目も髪は逆立っていて目は鋭いためやくざにしか見えない。
さらに小言を漏らそうとするところでチャイムが授業の終わりを告げる。担任教師は溜息を吐きながらも教室から出ていく。退屈な時間から解放された僕は大きく伸びをした後教室を見回す。生徒たちは仲の良い友人同士で机を合わせ弁当を食べたり食堂へと向かっている。
僕は教室を出るべく弁当を持ってドアへとと向かう。しかし教室を出るというところで邪魔が現れる。
「流くん…」
黒い髪を肩のところで切り揃えた少女が僕を悲しげに見つめている。瀬川三奈、幼馴染だ。昔はよく彼女のことを「みーちゃん」と呼んで一緒に遊んでいたのを覚えている。とはいえそれは昔の話だ。
「どいてくれないかな?」
「でもその…話だけでも」
「どいてくれないかな?」
何かを伝えたい様子の三奈だが、生憎僕は話を聞く気はない。僕は彼女を押しのけて教室の外絵と出る。
後をついてくることがないように足早に屋上へと向かう。
鍵の掛かっていないドアをあけ屋上へと足を踏み入れる。ここにはベンチ一つなく来る人も少ないため僕のお気に入りの場所だ。適当な場所に胡坐で座り弁当を開く。
「はぁ~、なんでこんなことになったんだろう」
そんな言葉を漏らしながら唐揚げを口に放り込む。その後十分ほどかけ弁当を平らげる。
屋上の地面に寝転がると三奈のことが頭に浮かぶ。三奈のことはそこまでひどい人間とは思っていない。しかし彼女のした裏切りは絶対に僕にとって許せないものだ。そこでいったん思考を中断し、屋上から出る。
ちなみに屋上は4階で僕のクラスの教室は3階だ。僕はさらにその下の1階へ降り後者の端にある図書室へと向かう。図書室は食堂の横にあり高校の図書室にしては規格外の大きさだ。
扉を開けるとカウンターの図書委員の生徒がけだるげな声であいさつしてくる。
僕はその声を聞き流しながら通路の奥へと向かう。棚によって囲まれた通路は大量の本を効率よく探せるように木の根のように枝分かれしておりある程度奥まで行くと人はだれ一人いない静かな空間が広がっている。壁が薄いのか聞こえてくるのは外の喧騒だけだいつものように奥から一つ手前の棚で本を手に取ろううとすると棚の奥のほうで見知らぬ女子生徒がいることに気付いた。
僕は目的を今果たすことができないことを残念に思いつつも適当に本を選び読み始める。しばらく待っても生徒がどこにも行く様子がないためあきらめて今まで来た道を歩き出す。人が多くみられるようになってきたあたりで何か妙な臭いが僅かにすることに気付いた。よく見ると生徒たちも皆落ち着きがない。妙な様子に思案していると
「火事だ!早く図書室から出ろ!」
教師が避難を促す声が聞こえる。僕はここでやっとこの臭いが火事によるものだと気づく。おそらく火元は食堂だろう。僕も避難すべく歩こうとした時に奥の棚にいた女子生徒の存在を思い出す。
「君!どこに行くんだ!」
僕は教師の制止を振り切り通路の奥へと駆け出す。
「はあ、はあ」
ほとんど走っていないにもかかわらず息が上がってくる。今更高校で運動部に入ってなかったことを後悔する。急げ急げと心の中で自分を急かしながらついに女子生徒のもとへたどり着く。
「きみっ…はやくっ…逃げるんだ!」
「な、なんですかいきなり」
僕の唐突な言葉に彼女は困惑している。僕は彼女に逃げるべき可能性があることを提示する。
「だからっ…火事なんだ」
「!…それは本当ですか?」
「ああ、だからついてきてくれ」
僕は彼女がついてきてるのを見て駆け出す。上を見ると煙が天井を薄く覆っている。カウンターの近くまで来ると出口上部が燃えて危険な状態になっているのに気づく。急いで図書室から出るべく女子生徒の手を引き出口をくぐろうとした時、天井が崩れ落ちてくる。
「危ない!」
咄嗟に女子生徒を引っ張り出口の外へ放り投げる。そして燃えた瓦礫が彼女と僕の間を塞ぐ。
「くそっ」
僕はほかに逃げ道がないのかとまだ燃えていない奥へ走り出す。
「窓はない、確か保存状態をよくするためだったはず」
冷静になるために声に出して確認するが何の解決策も浮かばない。ついに一番奥へとたどり着いた僕は棚に寄りかかって座る。自分に迫りくる死を前に呼吸が荒くなってくる。そんな時ふと昔の記憶が過ぎ去る。
『ねえ、こんなところで何してるの?』
これは5,6歳の時三奈に初めて会ったときに言われた言葉だ。当時いつも一人で遊んでいたため嬉しかったのを覚えている。
僕はごく普通のサラリーマンの父と主婦の母の間に生まれた一人っ子だった。成績は普通より少し良いくらいでそれが僅かに自慢だった。家族の中もよくて自分でも恵まれた家庭だと思っていた。それが変わったのは中学3年の頃だった。
父が交通事故を起こした。飲酒運転だった。そして家族がバラバラになった。
父は法の制裁を受けた。母は社会的制裁を受けた。僕は母の暴力を受けた。
辛かった今まで優しかった母が豹変し自分のストレスを僕に暴力をふるうことで発散しようとした。
だから僕は親の元を離れるべく、遠い高校を受験した。三奈も同じ高校を受けたというのは高校で会ってから気づいた。僕はやっと解放されたと思った。しかしその平穏も崩されることになった。
一年の二学期の初めの頃に僕の父のことがなぜかクラスの生徒たちに知られていた。それでもクラスのほとんどは普通に接しようとしていた。しかしそんなクラスの中で声を大にして僕を否定するものがいた。
『お前の親犯罪者なんだってなぁ』
奴は嬉しそうに言っていた。それからことあるごとに僕をいびり続けていた。時には水をかけられびしょぬれで家へ帰ったこともあった。それでも僕が屈さなかったのは三奈のおかげだった。彼女はいじめに立ち向かう力も勇気もなかった。しかしそれでも彼女は僕のそばで僕を励まし続けた。僕はそれだけでも嬉しかった。
そして1年が終わるころ珍しく奴が絡んでこないで帰ったため僕は少し上機嫌で家に帰っていた。そして知った僕がなぜ苦しめられ続けたのかを。
奴が三奈と話していたのだ。
『うそ…だろ…』
その日どうやって帰ったのかは覚えていない。三奈が僕のことを奴に教えたということだけはわかった。
そして学年が変わったのか奴のいじめは終わった。しかし僕の心にはぽっかりと穴が開いた。僕はだれも信じられなくなってしまった。そして何となく図書室へ来た時本に紙が挟まっているのを見つけた。それは本を使った交換日記だった。そこには
『これを見つけた人は何か書いてくれると嬉しいです』
と書いてあった。僕はそれ以来交換日記を続けていた。この日記の中では、僕は『誰か』でいれたし向こうも同じく『誰か』だった。内容もただのおしゃべりが多かった。今日もそれをするために図書室へ来ていた。そして現在に意識を戻した僕は立ち上がりはいつも交換日記の紙を挟んでいた本を手に取り紙を開く。
『今日は少し愚痴を聞いてください』
始まりの言葉に少し驚きを覚えながらも次の行に目を通す。
『山崎良哉くんという生徒がいるのですが、彼は父親が警察官らしく…』
山崎良哉というのは僕をいじめた奴のことだ。この文を読んで僕はある可能性に気付く。
「山崎が僕のことを知っていたのは父親が警察官だったからかもしれない、いやでもそうなると三奈のことが説明がつかない。」
僕はぶつぶつと呟きながら目を通す。
『彼は父親が警察官らしく、私の友達の親が犯罪者という情報をネタにその友達をいじめていたのです。私の友達は物静かな性格でいじめに面と向かって反抗することができませんでした。私は彼がいじめられる様子をただ見て彼を慰めることしかできませんでした。私は彼のためにそれしかできないことがとても悔しかった。だから私は山崎くんにいじめをやめるように交渉しました。結果彼にいじめをやめさせることができました。私が山崎くんの女になるという条件付きで。私は友達さえ幸せならば良いと思っていましたが、それから彼に会うたびに彼は私のことを睨み付けてきます。その視線を受けるごとに私の胸が締め付けられるような感覚を覚えます。私は何を間違ったのでしょうか。どうすればよかったのでしょうか。私は…私は…』
そこから先は読むことができなかった。紙が滲んでいた。僕の視界も滲んでいた。三奈が何に苦しみ何を犠牲にして何を守っていたかを僕は1パーセントも理解できてなかった。
「僕は、ぼくはっ、ぼくはあぁぁっ」
僕は自分の頭を棚に打ち付け叫ぶ。視界がチカチカと点滅してくるが、それが火事によるものなのか、頭を打ち付けたためなのか判断できないし、したくない。
「ねえ、こんなところで何してるの?」
僕は動きを止める。そしてゆっくり振り向く。
「な、んで」
三奈が、いた。僕が裏切った彼女が、信じることすらしてあげられなかった彼女が。
「心配になってついて来ただけだよ」
「そう、か」
それだけしか言えなかった。彼女の悲しみの前では「すまない」の一言ですら禁句だと思った。僕が棚に背を預けて座ると、三奈も同じように僕の隣に座る。
「これ、流くんが書いてたんだ」
「まあ、ね…話し相手がほしくてさ」
「私もおんなじかな」
「……あのさ」
「ん、なに?」
息をゆっくり吐いて、吸う。そして僕の信念に従って発言する。
「…今まで信じてあげられなくてごめん」
たとえ罵声を浴びせられようと僕は彼女に償いたいと思った。
「…っそんなこと!いまいわれても!どうにもならないのっ!」
「わかってる、それでも言うべきだと思ったんだ」
「いつも流くんはそうっ、私のことなんか見てないのっ」
興奮する彼女の肩に手を置く。そして引き寄せて抱きしめる。何よりも大切に、優しく。
「すまない、三奈の気持ち、考えてあげられなくて」
「そうじゃないのっ、私が言いたいのはっ、」
彼女の言葉に内心首を傾けながらも彼女の言葉に耳を澄ます。
「私にとってっ、流くんが大切な人だってことっ」
「………………………は?」
一瞬頭が真っ白になったがかろうじて疑問を返す。
「だから、私は流くんが好きなの、ずっと昔初めて会った時から好きだったの、だから勇気を出して話しかけたし、毎日流くんに会いたいから遊びに来て、できるだけ一緒にいたいから同じ高校を頑張って受けたんだよ!!」
「えっいや、そ、それは本当に?」
「ほんとーに、好きだよ」
驚きだった。予想すらできなかった。しかし
「すごく嬉しいよ、自分の好きな人に好かれるなんて」
「…………………………え?」
今度は三奈が驚く番だった。
「ねえ三奈、ぼくと一緒にいてくれないか、君ともう離れたくはないんだ、あと今までの償いをしたい」
「え、ほ、ほんとに?」
「ああ、本当だ」
僕は彼女だけには嘘はつかないと決めたんだ。
「嬉しい、すごく嬉しい」
「じゃ、ここ出ようか」
「うん、そうだね」
僕と三奈は立ち上がる。見れば隣の棚まで火の手が回っていた。この図書室の棚は高さは3メートルもあり高いところにある本は脚立を使うことを前提としておいてある。さらに外の音が聞こえるくらいにここは壁が薄い。
「つまり、棚を倒すことができれば何とかなるはず」
「わかった、じゃあ倒すよ」
「「せーのっ」」
二人で息を合わせて踏ん張る。僅かに傾く。そしてなんとなく言いたくなった言葉を口に出す。
「青春の、バカヤロー」
「バ、バカヤロー」
そして元に戻ることが難しいほどに傾いた棚は、壁へと倒れる。重力によって十二分に加速した棚は壁に容易に罅を入れそれでもなお運動エネルギーを伝える。
そして壁は崩れる
「よし」
「やった」
その光景は僕にとって何よりも価値のあるものだった。僕の人生にかかっていた靄が晴れたような、そんな感じだ。
「行くよ」
「うん」
僕の差し出した手を三奈が握る。そして僕らは歩みだす。障害はたくさんあると思う。それでも彼女に報いたいと思った。彼女に笑顔でいてほしいと思った。彼女の隣に僕がいたいと思った。だから
「三奈、いつか僕と結婚してくれないか」
僕は僕と彼女に嘘をつかない。