Part.98 お前にとって過去とは何だ
「五百年ほど前になるか……我々はまだ、地上で暮らしていた。我々の周囲の一族は、他の人種と比べて高い魔力を持ち合わせていた。他の人間よりもより強い魔法を扱う事が出来、その種類も豊富だった」
長老は一拍置いて、話し出した。
「そのため、魔力の低い人間達は、我々に対して強い恐怖を抱くようになった。我々は自由を奪われ、複数人に管理されるようになった。…………魔力の高すぎる人間は、人間ではないと。魔物であると、迫害を受けるようになったのだ」
俺達は何を言うでもなく、長老の話を聞いていた。
…………そんな事があったのか。スカイガーデンの人間は地上の人間を差別していると聞いていたが、この話を聞いている限りでは、昔は逆だったということ――……差別されていたのは、スカイガーデンの人々だった。
「大陸を追われた我々は、どうにかして、人々の目を忍んで生きる必要があった。…………そうして出来たのが、この島だ。何人もの人間が協力し合い、島を支え、人を守る。最も魔力の強かった『金眼の一族』を王として、このスカイガーデンは、空に浮かぶ事で新たな国となった」
長老は俺達を睨み付ける。…………何者も寄せ付けない気迫があった。それはもしかしたら、様々な困難と戦って来た者の瞳だったのかもしれない。
俺は、拳を握り締めた。
「『地上の人間』と一括りにするなと言ったな、ヴィティア・ルーズよ。お前達現代の子は、この事を知らされていないだろう。『金眼の一族』を始めとするスカイガーデンの人間など、既に居ないものとして扱われているかもしれない…………だが、我々に取ってみれば、それらを隠して子を育てて来た事こそが、『地上の人間』である事の証。一括りにされる事の理由なのだ」
ヴィティアは何も言えず、長老から目を逸らした。
…………どちらの気持ちも、分からないでもない。優れた力を持っている者というのは、誰だって恐ろしいものだ。それが戦力として使えるのなら、尚更――……地上に残った人間の方だって、明日からいつ裏切られ、殺されるのか、そんな事が不安で堪らなかったに違いない。
だから先に手を出して良いのかと言われれば、そうではないと思う。思うが――……人の繋がりを、どこまで信用して良いのかって、そういう話だ。
いつだって、攻撃されれば死んでしまうかもしれない。そんな人間を相手に『裏切られる事は無い』と、どこまで信頼できる? 今日は無事だったかもしれない。でも、明日は?
癇癪を起こして、咄嗟の弾みで殺されてしまったら?
なら、それをどうやって対等な関係にすれば良いか。…………怖いのなら、自分がより大きな力を持って、それを制圧するしかない。
それが、『数』と『支配』だったんだ。
…………泥沼だな。
「マウロとサウロは、永遠に理解し合う事はない。寄ると触ると喧嘩になるのが、当たり前の関係なのだ。…………過去を知らされていない。それは、不憫だったかもしれないな。――――だが、『過去は消せない』」
ヴィティアは下唇を噛み締めて、衝撃を受けていた。
「過去とは、歴史だ。何事にも、そうなってきた理由があるものだ。それを無視して、『一括りにするな』等と――……言う事は、許されないと思わないか。…………のう、ヴィティアよ。お主にとって過去とは何だ」
「過去…………私、は…………」
堪らず、ヴィティアが口籠る。トムディも、何も言えなくなっていた――……過去とは何か、か。俺は人知れず、昔の事を考えていた。
俺だって、消せない過去の一つや二つ、持っている。
「何を言い出すかと思えば…………下らんな」
ラグナス…………!?
珍しく苛ついた様子で、ラグナスは靴の踵を鳴らしていた。この期に及んで、まだ変な事を言い出すのか――……いや。どうも、そのような様子ではなさそうだ。
長老が、険しい顔でラグナスを睨む。相変わらず怖い者無しか。ラグナスは真っ向から長老の視線に対抗し、腕を組んだ。
「我々の被害が…………下らないと?」
「そうやって被害者面をしていれば、誰かが同情してくれるとでも思うのか。物事には、必ず二面性があるものだ。お前達の中でただの一人も、『自らの意思で』人間兵器として地上の人間を殺した者は居ないと、本当にそう思うのか。そうだとしたら重症だな。病院に行っても治らないだろうから、さっさと死んだ方が良い」
「ラ、ラグナス…………!! 何を言ってるんだよオォォ!!」
辛辣なラグナスの言葉に、トムディが慌てて服の裾を引っ張っていたが。どうやらラグナスは、一歩も引く気は無いらしい。…………トムディの肩に手を乗せると、ラグナスは再び、長老を睨み付けた。
「被害も後悔も弔いも、その時に生きていた自分だけのものだ。五百年…………その『過去の重大な出来事』とやらに、今を生きる貴様等は関わっていないのだろう。――――勿論、俺達も関わっていない。果たしてそれは本当に地上の人間に非があったのか、スカイガーデンの人間に非があったのか。真相は誰にも分からん。つまり、この話に意味などない」
「…………小僧には、分からんのだ。人々の心に根強く生きる恐怖。それだけは、本物だと」
長老がそう言うと、ラグナスはそれを鼻で笑った。
「恐れや悲しみを克服できないのであれば、それは唯の『弱さ』だな。貴様等は自分に甘すぎるのだ。俺には理解できん」
「ラグナス!!」
トムディは長老の顔色を窺って、ラグナスを引き止めたが。…………確かに、ラグナスの言う事にも一理ある。何も知らない俺達に、そんな過去の話を持ち掛けられても困るだけというのは、そうだろう。
しかし、ぶっ飛んだ男だと思っていたが…………意外と、芯の部分では強い何かがあるのだろうか。…………そうなんだろうな。思えばこんなにも執念深く、女女と言う奴を俺は知らない。
自分の欲望に真っ直ぐである分、表裏が無く、はっきりしている奴なんだろう。
長老は、何も言わない。ヴィティアはすっかり意気消沈した様子で、トムディは焦っていたが――……ふと、俺の肩にスケゾーが現れた。
「…………スケゾー?」
「いえ。これだけ魔力を感じる事が出来る人間なら、もうオイラが隠れてるのも、あんま意味ねーかと思ってですね」
確かに、それはそうかもしれない。
スケゾーは、長老に向かって言った。
「オイラは確かに、魔物っスよ。このグレンオード・バーンズキッドと契約を交わしている使い魔っス。…………でもね、全ての魔物が人間を襲う事ばかり考えている訳ではねーんですよ。…………これまでも後ろ指を差される事は何度もあったっスけど、少しでもそれを理解してくれる人間が増えれば、オイラ達も幾らか救われるんスよね。…………それを、可能なら理解して欲しいっスね」
「…………無理だな。不可能だ。風化した人の印象を変える事など、そう簡単には出来ぬものだ。…………お前達は、過去を甘く見過ぎている。親が子供に教える事が、その後子供にどれだけの影響を与えるのかを理解していないのだ。まあ、その年齢では致し方無いのかもしれないが」
長老は、俺に目を向ける。…………俺の意見を待っているように思えた。俺をこのチームのリーダーだと認識しての事だろう。
ラグナスは既に、会話する気を失っているようだった。トムディが、困り果てて俺を見る――……俺も、何かを言わなければならない。そして、俺の一言が今後、この場所で動く事が出来るかどうかを左右しそうだ。
何と答えるべきだろうか。…………確かに、過去は重い。起きてしまった出来事は変えられないし、それがいがみ合う結果になってしまったとするなら、これからを変える事も、そう簡単ではない。それは分かっている。
でも――――…………
「もしも過去に、俺の親の親の…………先祖みたいなモンが、あんた達に危害を加えたんだとするなら。…………それは、申し訳ない事だと思う」
ラグナスが、憎々し気な顔で俺を見た。
違う、俺が言いたい事はこの先にある。…………せめて、俺の素直な気持ちが、伝わると良いんだが。
「――――だけど、過去は過去だ」
地面を強く蹴る音がして、長老が、つい先程まで座っていた椅子から姿を消した。
俺の目の前に現れた長老は、俺の首元に向かって手刀を構えていた――――流石に、速いな。まさか、ただの手刀って事は無いだろう。手の先に、強い魔力を感じる。
…………このジジイ。やっぱり介護される必要なんか無いじゃねえか。
「グレン!!」
すぐ隣に居たヴィティアが、驚愕して叫んだ。
「過去は過去、だと。…………この話を聞いた、お前の回答はそれだという事で、良いんだな」
殺気を感じる。
俺が抵抗しなければ、長老は躊躇なく、俺の首を飛ばすかもしれない。…………そう考えると、冷や汗が頬を伝うかのようだ。
…………だが。言うべき事は、言わなければならない。
「構わない。…………誰だって、過去は消せない。重い過去を背負ってしまう事だって、あるだろうさ。俺はそれを受け入れる」
長老は、試すような視線を俺に向けている。
少し表情を変えて、ラグナスは俺を見ていた。
「でも、俺にとって、過去は乗り越えるものだ。確かに、後悔は消えない。被害を受けた人間の恨みも、消えないものだろう…………だけど、その先を見なくちゃいけないと思っている」
俺は、真っ直ぐに長老の瞳を受け入れた。
「――――――――明日を、今日より良い日にする為には」
静寂が訪れた。
俺は目を閉じ、長老の判断を待った――……一度失った信頼を取り戻すっていうのは、そんなに簡単な話じゃない。キララのように、生まれた時からスカイガーデンの人間に育てられていただとか、そういった事情があれば、少し話は違うのかもしれないが。
長い。長い静寂だと思った。俺は首元に刃物を当てられた時のような気持ちで、しかし抵抗はしなかった。
「…………どうやら、覚悟は本物のようだな」
やがて、長老の口から、そのような言葉が漏れた。
俺の首から、腕はそっと離れた。目を開くと、ヴィティアが胸を撫で下ろしている顔が見えた。ラグナスは笑みを浮かべていて、トムディは真剣に事の成り行きを見守っていた。
長老は笑わない。俺達に背を向けると、その場に立ち尽くした。
「良いだろう、探してみるといい。…………その、リーシュ・クライヌという娘をな」
「じゃ、じゃあ…………!!」
ヴィティアの表情が晴れた。だが、長老は俺達に背を向けたままだった。それがどういった意味を持っているのか、俺は何となく理解していた。
「だが、私は手伝わない。本当にスカイガーデンの心を傾ける事が出来るのなら、試してみると良いだろう。…………最も、探している娘がよりにもよってその顔では、誰も耳を貸してはくれないと思うがね」
…………どういう事だ?
「話は終わりだ。ここを出て行け」
長老は俺達に、それ以上のヒントを与えなかった。再び椅子に座ると、それきり、俺達とは目を合わせようともしなかった。
ふん、と鼻を鳴らして、ラグナスが真っ先に部屋を出て行く。ここに居ても仕方無いと思ったのか、トムディがラグナスの後に続いた。スケゾーは再び俺の体内に身を隠し、ヴィティアは俺を待っている。
…………仕方ない、行くか。
俺も長老に背を向け、部屋を出て行こうとした。
「グレンオード・バーンズキッドよ」
不意に呼び止められ、俺は振り返った。
長老は、使用人の女性に爪を切って貰っているようだった。自身の指を眺めながら、しかし俺に向かって話し掛けているようだった。
「自分自身と向き合う者に、困難は必ず付いて回る。その困難を前にした時、人は『何故こんなにも自分だけに理不尽な事が起こるのか』と思うものだ。だから人は、自分自身と向き合わない。そうすれば、生きるのが楽になるからだ。そうしてそこに、正義と悪が出来る」
俺は、ただ黙って、長老の話を聞いていた。
「従って、我々は『正義』だ。…………この意味が分かるな?」
「…………うす」
長老は今、とても大事な事を言っている。
「――――私は、その事に気付くのが遅すぎたよ」
それきり、長老は口を閉じた。それ以上、俺に何を言う事も無かった。
一応、少しは信頼してくれたんだろうか。こんな話を、俺にするという事は――……。俺はそんな事を考えながら、長老の家を後にした。
……………………正義、か。
*
「あー、肩こった!!」
家を出ると、開口一番、ヴィティアがそう言って伸びをした。ラグナスの機嫌は少し回復したかのように見えたが、未だに変わらずのようだった。
「グレン、貴様があの長老とやらに同調し始めた時は、どうしたものかと思ったぞ。…………フッ。まあ、俺はフェイクだと分かっていたがな」
ラグナスは何かを勝手に解釈して、何かを勝手に理解したつもりになっていた。
「グレンは、すごいなあ。…………僕は多分、あの場でああいう風には言えなかっただろうな」
終わった後だからそう言うんだろうが。トムディは、あまり気後れしていなかったように感じるが。
俺は振り返って、長老の家を見た。
「グレン?」
「いや――――多分、本当の所では分かっていたんじゃないかな、長老も」
この街を代表して、あのように言ったのかもしれない。…………まあ少なからず、自分自身もサウロの迫害を受けた被害者だと思っている所はあるんだろうけど。
とにかく、スカイガーデンに滞在する許可は貰ったようなもんだ。
一刻も早く、リーシュの居場所を聞いて回ろう。まだスカイガーデンに来て、『金眼の一族』に会えていないのも気になる。
俺達が黙っていても、時間は過ぎて行くんだ。




