Part.94 『魔法』との出会い
母さんは何日かに一度、セントラル・シティに出掛けていた。
セントラル・シティの外れで、小さな仕事を手伝う。それが足が悪くても出来る母さんの仕事で、俺はいつもそう説明されて、人の溢れるセントラル・シティの広場でいつも、母さんと別れる。次に会う時は夕方で、いつも飲まず食わずで働いているのか、母さんは心身共に疲れ切って俺と合流し、あの山小屋に帰る。
「じゃあ、この辺りに居てね」
「うん」
俺はいつも、小さな手提げ袋に味も素っ気もないパンを二個持たされて、広場で母さんに手を振る。当てに出来る人間も、友達も居ない。自分と同じ位の子供に話し掛けると、決まってぼろぼろの服を馬鹿にされるので、こっちから声を掛ける事も無くなっていた。
母さんに笑顔で手を振る時、いつも、胸のあたりがちくりと痛むような気がした。
その感情の正体が何なのか、当時の俺にはよく分からなかった。ただ漠然と、頼りない背中で歩いて行く母さん。俺は後ろから、その姿を引き止めたかったのだろうか。
どうだろう。
手を振った状態のまま、俺は固まっていた。
「……………………」
そうして母さんが居なくなると、手を下ろす。
すると、途端に周囲の喧騒が、耳に付いて離れなくなる。人混みの中央に立たされた俺は、沢山の人に囲まれながら、まるで世界中で一人だけになってしまったかのように、孤独だった。
笑顔で会話している、周囲の大人子供、男、女。ぼろぼろの服を着た俺は、ぼろぼろの母親と別れ、空気と同調する。
独りになる。
人の役に立たず、人から求められない余り物。
俺は通りを見ながら、一人、歩いた。
路上で売っている、野菜や果物。いつも、腹が減っている。昼飯のパンを今食べてしまうと、先がきつくなるので我慢していた。
「いらっしゃい!! セントラル大道芸団、本日で最後、場所を変えちゃうよ!! テントの向こう側には、不思議な世界が待っている!! 一人たったの百トラル、席は早い者勝ちだ!!」
大きな声で手を叩き、細身の男がテントの中に子供を誘っていた。どうやら、何らかのショーがあるらしい。興味はあったが、俺は一銭も金を持っていない。
テントの前で、俺と同い年か、少し小さい位の子供が二人で話をしている。
「百トラルかあ…………今月の小遣い、もうあんまり無いんだよなー」
小遣いって何だ?
「マジで!? お前んち、月の小遣い五百トラルなの!? それは少ないっしょ!!」
幼心に、どうしても気になっていた。
どうして、こんなにも違う?
どうして、俺以外の子供は金を持っているんだ? 裕福そうな服を着て、いつも親と一緒に歩いているんだ? 親はどんな仕事をしていて、どうして彼等は裕福でいられるんだ?
何か、秘密があるのではないのか。この状況を打開するための、何か――……このままでは、母親の足は更に悪化するだろう。もしかして、死んでしまうかも…………あまり、冗談では済まされない所まで来ている。
簡単な話だ。裕福なのは、金があるからだ。
なら、どうやって金を稼げばいい。俺にも出来るだろうか? 俺に出来る、何か――――…………
「君、中に入りたいの?」
その声は、俺に向かって掛けられていた。
先程の細身の男が、俺に向かって微笑を浮かべていた。俺は急に緊張してしまって、その場に足が突き刺さってしまったかのように動けなくなって、頭に血が上った。
母さん以外の人間に話し掛けられたのなんて、いつの事だろうか。
「…………む、無理だよ。お金がないんだ」
「あはは。…………どうやら、そうみたいだねー」
男は苦笑して、テントの中と俺を交互に見ていた。若い男だったから、もしかするとその団体に入ってから日が浅かったのかもしれない。
男は俺にウインクをすると、巨大なテントの入口を開いた。
「ま、いいよ。今回は入れてあげる…………君、魔法なんて見た事無いだろ?」
「…………魔法?」
「凄い力なんだぜ。ま、詳しい事は中に入ってのお楽しみさ。他の人には、ちゃんとお金を払って入った事にしてくれる? これだけ約束」
思わぬ展開だった。いきなりの会話に緊張しながらも、俺は少し興奮して、首を縦に振った。
貧相な格好をした俺を見て、男は少し、同情したのかもしれない。手提げ袋に入った剥き出しのパンも、見られていたような気がする。…………しかし、それは男の気まぐれで、好意だった。俺は子供ながらに、何か重要な事を聞いたような気がして一人、目を輝かせていた。
『魔法』って、なんだ?
「――――――――っは!!」
瞬間、帰って来た。幾度と無く見た、セントラル・シティの宿。俺の両手は…………元通りだ。ちゃんと、成人の大きさを伴っている。
動悸が収まらない。あの日の事を思い出すたび、俺はどうしようもない後悔の念に駆られ、目眩を覚える。
何度か肩で息をすると、俺は自分がきちんとベッドに眠っている事を確認して、額の汗を拭いた。
隣では、昨日眠り損ねたスケゾーが、豪快ないびきをかいて眠っている。
「…………はっ、…………はっ」
眉間に指を当てて、目を閉じる。
落ち着け。夢の中だった。それだけだ。
俺は、何も変わっていない――――いや。
変わらなければならないんだ。
*
トムディとキャメロンは、どうにか無事に『昼の顔』を手に入れて来たようだ。
セントラル・シティの周囲には森があって、若い冒険者が経験値を積むのに最適な弱い魔物が居る。今となっては野兎を狩るようで少し胸が痛むが、そんな魔物でも当時は倒すのに苦労したものだ。
そんな森の中に集合した俺達。『夜の顔』を手に入れて来た俺とスケゾー、ヴィティア、チェリアの三人プラス一匹と、すっかり上機嫌な様子でにやにやと気持ちの悪い笑みを浮かべているキララ、お付きのモーレン。
そして、『昼の顔』を手に入れて来たキャメロンと…………何故かぐったりしているトムディ。その全員が、一堂に会する事となった。
「…………確かに。無事、二つのアイテムが揃ったようじゃな」
キララは二つの顔アイテムを両手に持ち、そう言った。
しかし、トムディの奴は大丈夫なのか。キャメロンの肩に担がれて、青い顔をしているが。
「おいトムディ、大丈夫か?」
頭を軽く叩いてそう言うと、トムディは顔を上げて、引き攣ったように笑った。
「今なら、空も飛べるような気がするよ」
「お前は元々飛べるだろ。尻で」
何だか分からないが、先方で余程酷い目に遭ったらしい。キャメロンが笑って、トムディの尻を叩いた。
「いや、どうやらトムディは、サウス・ローズウッドの王子と仲が良いみたいでな。何度もちんちくりんだと言われていた」
「だからどうしてアレを見て『仲が良い』とか言えるんだよオォォォ!!」
…………何だか分からないが、無事みたいで何よりだ。
「ふふん。皆の衆よ、よく聞け。折角集まって貰って悪いが、妾は伝えなければならない事がある」
全員、キララの方を見た。キララは満面の笑みで、人差し指を俺達に向かって突きつけた。
「この二つのアイテムを使って、『スカイガーデン』に行く訳であるが――――実は、行けるのは四人までと決まっておる」
四人?
思わず、唖然としてしまった。俺だけではなく、ヴィティアやトムディ、キャメロン、チェリアも、目を丸くしている…………そんな、人数制限があったのか? リーシュの婆さんからは、何も聞いていなかったけどな。
チェリアが手を挙げて、キララに問い掛けた。
「あの、四人って、一度に行けるのは、って意味ですか? それとも、スカイガーデンに移動できるのが、そもそも四人だけなんですか?」
「どちらも正解であるぞ、チェリアよ。この『昼の顔』『夜の顔』は、一度ゲートが開くと四人が通過できる仕組みになっている。そして、四人が通過すると二つのアイテムはバラバラになり、またスカイガーデンを知る他の人間の所へと旅立つ」
そうか。バラバラになってしまったら、それ以降はまたアイテムを集めなければ、人が移動する事は出来ない…………だから、移動できるのは四人まで、という事なのか。
何でキララが笑みを浮かべているのかはよく分からないが、とりあえず事情は分かったぞ。
「これは周知の事実であるが、スカイガーデンの人々は地上の人間を酷く警戒しておる。一度アイテムを手に入れたからといって、何人でも移動できたのでは、セキュリティも何もあったものでは無いのでな」
キャメロンが腕を組んで、納得した様子で頷いた。
「そうか、成程な。ということは、この中からリーシュを助けるための面子を四人、選択しなければならないという事か」
「その通りじゃ、マッチョ。ということは、当然移動するのはグレンと妾、そしてモーレンの三人は確定…………!! 後はお前達でじゃんけんでもして、残りの席を争うと良いぞ。ふはは!!」
何やら唐突に勝ち誇って、キララは俺達を見下していたが。キャメロンが微笑みを浮かべて、キララに聞いた。
「スカイガーデンへは、お前が一緒に行かないと中に入れないのか?」
「うむ? …………いや、一応この、妾の紹介状があれば、中には入れると思うが」
「そうか。ということは、無理にお前が必ず付き添っていなければいけない訳では無いんだな」
「うむ、それは確かに…………って貴様、図ったなっ!?」
「え?」
キャメロンは純粋な疑問として問い掛けたのだろうが、その質問はキララが同行している必要はないという、確かな裏付けになってしまった。まあ、そうだろう…………何と言うべきか、浅はかである。
木に凭れ掛かっていたモーレンが、腕を組んだままの姿勢でキャメロンを見た。…………どうでも良いが、今は女の姿なんだな。別に怒っている訳では無いのだろうが、鋭い視線がキャメロンに突き刺さる。元からこういう顔なんだよな、こいつは。
「我々を無理に連れて行け、とは言いませんが。戦える人間を連れて行くべきです」
そして、その発言はとても真っ当なものだ。…………これで中身が変態ロリコン、しかも男じゃなければ。
「グレンさんの一件で、我々も話を伺っています。若しもリーシュ・クライヌが本当に『金眼の一族』なら、リーシュ・クライヌを捕縛している連中とスカイガーデンの人間達との間で、自ずと争いは起こるだろうと予測されます。そうなった時、我々が戦えないのでは話になりません」
…………確かに。そういう観点は一つ、ある。
もしそうでなかったとしても、リーシュが連中に捕まっているのは確かな訳であって。連中と俺達は何らかの形で、必ず戦いになるだろう。四人しか連れて行けないのなら、ある程度の戦力は必須だ。あるに越したことはない。
モーレンは右の手の平を上にして、俺達に向けた。
「その点、我々は冒険者として、ギルドを運営する程度には実力があります。キララ様はレッドスネイクを使い魔に従える、優秀な魔導士です。この私、モーレン・レンジも前衛として、剣の腕にはある程度の自信があります。また、後衛として弓を扱う事もできます」
そうだったのか。意外と戦いの幅が広いんだな、モーレンは。
すかさずヴィティアが前に出て、胸に左手を当てて抗議する。
「ちょっと、勝手に話を進めないでよ。別に魔導士だったらグレンが居るし、そこのキモマッチョはヒューマン・カジノ・コロシアムで真正面から殴り合える武闘家よ。チェリアだって聖職者としてはかなり上位のヒーラーだし、私も運の良さには定評があるわ」
無いだろ、定評。作るなよ。
「…………ヴィティア。そろそろ俺の事をキモマッチョって言うの、やめないか?」
人知れず、キャメロンがショックを受けていた。
「別に、あなた達が弱いと言っている訳ではありませんよ。ただ、折角我々も協力している訳ですから、良く考えて決めましょうよ、と言いたいのです」
目を閉じて言うモーレンの言葉を追い掛けるように、キララがヴィティアを指差して言った。
「妾達と互角に渡り合えると思うなよ、この泥棒猫め!!」
…………追い掛ける所か、全力でぶち壊しに来ていた。
「キララ様…………。どうして貴女はいつも、わざわざ火に油を注ぐような真似を…………」
「ふん!! 妾が手伝ってやると言っているのだから、妾に任せておけば良いのじゃ!! 口答えするでない!!」
慌てて、ヴィティアが反論した。
「わ、私はスカイガーデンに行って、リーシュを見付けたいと思っているから!! 私がどう思われてるか分からないけど、私はあの子、友達だと思ってるから!! ぽっと出の魔導士如きに引っ掻き回されたく無いのよ!!」
「なにをオォォ!?」
「何よ!!」
本当に、キララとヴィティアの間は一向に仲良くならんな。まあ、俺は別に誰が来ても、リーシュを助けられる面子なら良いんだが…………喧嘩はして欲しく無いけどな。
苦笑して、その場の様子を見守る俺だった。
「…………あ、あのー、すいません。ちょっと良いですか」
恐る恐るといった様子で、チェリアが手を挙げた。もじもじと両足を動かしながら上目遣いでそう言うチェリアに、火花を散らしていたヴィティアとキララが振り返る。
チェリアは力無く笑って、言った。
「ここは、グレンさんに決めて貰うべきではないかと…………」
…………えっ。




