Part.87 神などいる訳がなかろう
何やってんだ、チェリア…………? すっかりキララと仲良くなったのか、心なしかキララも表情が柔らかい気がする。
スケゾーも、俺の知らない間にチェリア側に付いていた。
「キャラクター、と?」
「はいっ…………実はぼ…………私、最近影が薄いなあ、と感じる事が多々ありまして…………」
誰に何の相談してんの!? やめてくれよ、チェリアがキララみたいな性格になったら泣くぞ、俺。
いや…………それにしても。今、チェリアは自分の事を『私』と言い直した。恐らくそれは、自分の性別を偽る為なんだろう。キララはまず間違いなく、チェリアの性別を誤解しているからな。そこを敢えて、女だと主張しているのかもしれない。
それは何故か。…………この様子だと、やっぱり俺の予感は当たっているんじゃないか? 女湯しかない風呂場、「男が大嫌いだ」と主張するキララ。このギルドには、もしかして本当に――――…………。
「いや、妾の気品は、天性のものであるからな。人が真似する事は難しいであろう」
「そうなんですか…………残念です」
「強いて言うなら、良い子にしていなければならぬ」
俺は、天井を思い切り叩きそうになった。ヴィティアが咄嗟に気付いて、俺の背中を撫で摩る。
「落ち着いて、グレン。ねっ?」
「お、おおう…………」
誰が良い子なんだ、誰が。終いにゃ怒るぞ、俺も。
しかし、チェリアは一体何を考えているんだ? この会話を聞く限りでは、キララとの仲を育んでいたように思えるが…………俺が居ない状況で、そんな事をして何か意味があるのか? いや、要はアイテムを譲ってくれれば良いんだから、意味はあるのか。
いや、待てよ。その方向だと俺が女の姿のまま、元に戻れないという問題が残るんだが。…………おーい。
「ところで、『夜の顔』というアイテムは、城のどこにあるんですか?」
おっと。チェリアが急に、確信を突いた質問を投げ掛けたぞ。
ヴィティアと俺は、下の会話に神経を集中させる。…………これさえ聞く事ができれば、仮にチェリアが譲渡作戦に失敗したとしても、俺達の方で盗んで逃げる、という手が発生する事になる。ここは慎重にいくんだ、チェリア。慎重に…………!!
「あれは、妾達が認めた者でなければ、見る事さえ叶わない。…………悪いが、今のそなたには教えられぬな」
「ええ、キララさんと私の仲じゃないですか。そう言わずに、教えて頂けませんか?」
おお、チェリアの『下手に出る』作戦は、少し効果を発揮しているように見えるぞ。キララは少し嬉しそうにして、表情を緩めている。
そうか、全く気付かなかったが…………もしかして、キララ・バルブレアも寂しい女なのかもしれないな。あの様子では、ギルドの中にも心を許せる人間が居ないのかもしれない。モーレンにも、命令してばかりだったし。
チェリアのように、人当たりの良い人間が現れれば、少しは仲良くやれるのかもしれないな。
「ねっ、キララさん!!」
「断る」
「えーっ…………」
…………と、一筋縄では行かないようだな。チェリアは少しばかり、ショックを受けているようだ。
「親愛なる空の国の友人達のため、妾はいつ何時も警戒していなければならないのだ。…………これは、少し仲良くしたからどう、という話ではない。妾には血縁が居ないが、仮に居たとしても余程の事がなければ、教える事は無いであろう」
ふむ。
キララは、スカイガーデンの人達との関係を大事にしているようだな。やっぱり、互いに認め合った、という歴史が何か、あるのだろうか。そうでなければ、地上の人間をスカイガーデンに連れて行く権限なんて、キララが持っている筈が無いもんな。
いや、しかし…………そうすると、困ったぞ。仮に『夜の顔』を盗んで逃げたとしても、キララに認められていなければ、スカイガーデンに行った所で追い出される可能性もあるんじゃないか。ちょっと見て帰る程度の用ならそれでも良いかもしれないが、俺達の目的はリーシュの奪還だ。少なくとも、宿には泊まれなきゃ困る。
「やっぱり、キララを説得するしか道は無いかもしれないな」
「えーっ、せっかくここまで来たのに…………」
ヴィティアは残念そうにしていたが。俺は小声で、ヴィティアに言った。
「何言ってんだ、お前が脱走してくれなきゃ、この事情だって分からなかったんだ。感謝してるぜ、ヴィティア」
そう言うと、ヴィティアは少し照れていた。耳まで真っ赤にして、膝を抱える。
…………こういう所は、すごく可愛いんだけどな。調子に乗って、変な事をしなければ良いのに。
「あのう、そう言わずに…………少しだけで良いから、見せて頂けませんか?」
いや、それはちょっと押し過ぎじゃないか…………? チェリア。
キララの表情が、少しだけ硬くなった。チェリアはあざとい上目遣いを見せていたが、急に変化したキララの態度に表情を戻す。
そりゃ、そうだろう。『夜の顔』はそう簡単に見せられるアイテムじゃないって、言ったばっかりなんだ。唯でさえあのキララ・バルブレアだ、言葉は慎重に選ばないといけない。
「妾の前でそのような、発情した雌の顔を見せるな。死にたいのか」
いや、そっち!?
「ご、ごめんなさい!! 少し、甘えてしまいました」
「…………今回は見逃そう。…………チェリアよ、態度には気を付けるべきだ。我々のように女らしくない者は、色香など求めた所で焼け石に水なのだから」
…………ん?
なんか今の会話、変じゃなかったか…………? キララの言葉に、どうにも変な違和感を覚えた。
いや、気のせいだろうか? 俺はヴィティアの表情を盗み見た。真剣な様子で、キララとチェリアの会話に聞き入っている。この場に居る誰も、キララの言葉を意識してはいないようだ。
これがおかしいと、はっきりとは言えなかったけれど。どうもなんか、引っ掛かるんだよなあ。
「じゃあ、これから少しずつ、信頼を勝ち取って行ければと思います」
「うむ! 妾とて鬼ではない、危険な人物ではないと分かれば問題ないのだ」
何だか、チェリアとキララの仲は進展しているようだった。
何と言うか。俺は顔の時点で毛嫌いされてしまったから、何も出来なかったのだが。上手いことやっているな、チェリアも。
キララは俺には決して見せない笑顔で、チェリアの手を取った。こうして見ると、仲の良い子供のように見えるが。
「汗をかいたのう。チェリアよ、妾と共に汗を流しに参ろう」
「――――――――えっ」
おお…………!?
一緒に風呂、だと!? そんな馬鹿な…………チェリアは急に狼狽えている。やっぱり、女だって言ってあるんだ…………!! チェリアめ、考えたな。しかし、この状況では…………!!
「そなた、昨日から水も浴びておらぬではないか。この『ギルド・グランドスネイク』の城で、汚い者は許さぬ」
「あー!! そうですね、そしたらキララさんの後に、入らせて頂きますよ」
「うむ? …………さてはそなた、気付いておらんな?」
「えっ?」
チェリアのやや詰まったような言葉に、キララは少しにやついた顔で言った。
「この城には、温泉が引いてあるのじゃ」
裸の付き合いってやつか…………!! やばいぞチェリア、逃げるんだ!!
この状態で、もしもチェリアが男だなどとバレたらどんな事になるか、俺にも予想が出来るぞ。牢屋行きは必死…………!! ここはどうにか嘘を隠し通して貰わなければ困る!!
この調子でチェリアがキララと友達になってくれれば、なし崩し的に俺の目的は達成されるかもしれない訳で…………多分チェリアも、それを作戦として考えている筈だ。
「良いではないか、関係を深くするにはこういう事が、何より大事であるぞ。それとも、そなたは妾と共に入るのは嫌か?」
「あー、えっといえ、そのですね、そういう訳では…………」
「では参ろう!!」
「キララさんっ…………!! あの実は私、人前では素肌を見せられない決まり事がありまして…………!!」
きょとんとして、キララが首を傾げた。滝のように冷汗をかいているチェリアだが、どうにか踏ん張れるか…………!?
「決まり事?」
「あーいえ、あのですね、ぼ…………私の登録している教会では、聖職者は聖水の池で、一人で身体を清めるという風習がありまして、ですね!!」
俺達と風呂に入っていた時点で完璧な嘘だろうが、上手いぞチェリア…………!! それなら、キララもおいそれとチェリアを誘う事は出来ないはずだ!!
キララは澄んだ瞳で、チェリアの事を見ている。チェリアはどうにか人差し指をあっちこっちに振りながら、謎のジェスチャーを交えて説明していた。
「…………そうなのか?」
「そうなんです、そうなんですよ!! いや、私も一緒に入りたいのは山々なんですが、『聖職者は常に、神様に見られている』という教えがありまして、ですね!! これは教会の教えなので、私にはどうする事もできなくて、ですね!!」
「神様に見られている?」
「そうなんですよ!! いやー、残念だなー」
押し切るのか…………!! すごいぞチェリア、咄嗟の思い付きにしては、かなりよくできた作り話だ!! 確かに神の教えという事なら、セントラル大陸に生きている以上、譲歩しなければならない所だろう…………!!
キララは首を傾げたままで、チェリアに言った。
「妾以外に神など居る訳がなかろう」
斜め上だァァァァァ――――――――!!
「はっ…………!? …………えぇっ!?」
「よし、これで解決したな。参ろう、チェリアよ」
「い、いやっ!! そういう訳には行かないんですよ本当に!! ご、ごめんなさい!!」
ついにキララは頬を膨らませて、怒りを露わにした…………!!
「しつこいぞチェリア。そなたは妾と一緒に温泉に入りたくないのかっ!?」
どう考えてもしつこいのはお前だよ!!
キララはどうにか、チェリアを風呂に連れて行きたいみたいだが。チェリアは拒む姿勢のままだ、って当たり前なんだけど。随分と強引なキララ、勝手にクローゼットから二人分の着替えを出してチェリアに投げ付ける…………!!
「ほれ!! 主の分じゃ!!」
「こっ、困りますっ!! 聖職者として、私は…………」
「うるさいうるさいっ!! せっかく友達ができそうなのに!! 妾の言う事を聞けえぇぇぇ――――っ!!」
思いっ切り、ただの子供じゃねえか…………って、やばっ!?
上に向かって叫んだキララが、通気口の上を覗いた。俺を発見すると、驚愕に顔色を変える!!
「逃げるぞ、ヴィティアッ!!」
「え、ちょっと、グレン――――」
咄嗟に、通気口を上から踏んでしまった。瞬間、身体の重心が崩れる。
留め具が外れ掛けていたのか…………!? 外れる通気口の蓋、下にはキララ…………って、この状況はやば過ぎるっ!!
「おわああああああっ――――――――!?」
「のわあぁぁぁぁぁ――――――――!?」
俺とキララが叫んだのは、殆ど同時だった。
一瞬、自分がどんな状況下に居るのかが分からなくなる。頭は真っ白になり、その場に埃が舞った。
…………そして。
「いてて…………悪い、だ、大丈夫か!?」
避ける事もできず、キララに激突してしまった。通気口の蓋は咄嗟に蹴ったから、そこまで酷い事には――――…………
…………首筋に、傷?
「んん…………な、何じゃ、もう…………」
キララが、目を開いた。俺は丁度、倒れたキララの上に乗って、四つん這いになって身体を起こした所だった。
これでは。…………誰がどう見たって、組み伏せているようにしか見えない。
さあ、と血の気が引いていく音がするようだった。俺は笑みを浮かべたまま、ただ、キララの表情が驚愕のそれから、羞恥のそれに変化して行く様を、眺めていた。
俺は黙って、キララの上から離れた。
「ヴィティアさん!? 何で上に!?」
チェリアから、当然の疑問が飛んだ。
「ご主人!! それはやばいっス!!」
言われなくても分かっているよ、スケゾー…………!! 俺はすぐに立ち上がり、スケゾーと合流した。遠くから、足音が聞こえて来る。今の物音で、騒ぎを聞き付けたギルドメンバーが集まって来ているんだ…………!!
「ど、どうしよう!? どうしようグレン!!」
「悪い、まさか蓋があんなに脆いなんて思わなかった!! こいつはもう、戦うしかないかもしれないぜ…………!!」
チェリアとヴィティアと、三人で固まる。扉は勢い良く開き、その向こう側にはモーレンを筆頭とする、『ギルド・グランドスネイク』の連中が武器を持って駆け付けた。
「何事ですか!? キララ様!!」
キララは茹で蛸のような顔で頭から湯気を出し、何も言えない状態になっているようだった。
モーレンの鋭い眼差しが、俺に向かう…………!!
「待てっ!! これは事故なんだ!! そう…………計画的事故のようなモノなんだ、落ち着け!!」
と言いつつ、俺はスケゾーと魔力の共有を始めた。こんな状況では、攻撃されたっておかしくはない…………!! チェリアとヴィティアを、どうにかして護り切らなければ…………!!
俺は、スケゾーと『十%』の魔力を共有し――――
「あ、ご主人。魔力共有、できねえみたいっス」
「へ…………?」
「身体が女の子だからっスかねえ」
嘘おぉぉぉぉ――――――――!?
キララが起き上がった。両の拳を握り締め、目尻には涙まで浮かべて…………俺を睨んでいる。恐ろしい凍て凝るような視線ではなかったが、明らかに怒りの意思の込められた、ある意味最も恐ろしい視線が――――…………
「この痴れ者をっ!! 捕らえろおぉぉぉぉぉ――――――――!!」




