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Part.77 あまりもの達の温泉旅行③

 ふー。


 既に時刻は、朝方だ。酔い潰れたまま全員ゾンビ状態になった俺達は、結局そのまま眠ってしまったようだった。という訳で、まだ朝日が昇って間もない頃に、こうして温泉旅行の本来の目的である、温泉に浸かる、という行為を実践している俺である。


 風呂の中に設置された巨大な岩は、背中を預けるのには都合がいい。そんなものを利用して、他のメンバーを差し置いて、ちゃっかりと朝風呂をしている俺。


 結局、男部屋と女部屋と分けて貰ったのは良いけど、この宿って移動する仕切りが何枚か間にあるだけで、あんまりきちんと部屋分けされていなかったな。従って、仕切りを移動してしまえば広い大部屋が一つある、という状態になるので、そうやって騒いでいたのだが。


「……ヴィティアの目が覚めたら、発狂しそうだな」


 思わず、苦笑してしまう。


 今はスケゾーも眠っているし、珍しく一人だ。朝方の温泉に浸かる人も少ないのか、全く貸し切り状態で使う事ができている。……いや、一番人気の宿にしなくて正解だったな。あっちは色んな温泉が選べて楽しいらしい、という話はあったが、俺としてはこうして人気の少ない中で、のんびり浸かる事ができるだけで幸せだ。


「ちゃんとフラグも回避して来たし、な」


 温泉と言えば、男湯と女湯を間違えて大変な事になる、というのが定番だ。そうならない為に俺は、わざわざ宿の人間に確認を取って、きちんと男湯に入っている。人間、やはりチェックというものは大切だ。


 人の居ない、のびのびとした空間。朝焼けが青空になっていく、まだ空気の澄んでいる時間に入る温泉はまた、何とも格別である。


 そもそも前日は温泉にも入れず、王様ゲームもあって大騒ぎだったからな。変な奴ばかり集まって来ている俺だが、たまにはゆっくりとしたいものである。


「いやー。トラブルが無いって素晴らしい…………!!」


「ほんと、癒されますよねっ!!」


 ふと、背中から声がした。


「えっ?」


「えっ?」


 振り返り、思わず目を合わせてしまう俺。何の事情も理解していないのか、ぽかんと口を開けて、首を傾げる…………リーシュがそこにはいた。


「きゃっ…………グレン様!?」


「いや遅すぎるわ!!」


 そんな馬鹿な…………!? いや、俺は確かに男湯である事を確認して入ったはずだ…………!! 女の苦手なこの俺は、間違っても女湯に入って全裸で気絶なんていう酷い展開になってはならないと、そう胸に誓っていたのに…………!!


 男湯だろ!? ここは男湯なんだよな!? まさか宿の人間が間違えて俺に教えるなんて事、ある筈がない…………!!


 リーシュは今更驚いて、胸元を手で隠していた。


「ご、ごめんなさい!! まさかグレン様が入っているとは思わず…………」


「いや、思わずも何もここは男湯だぞ!? そうだよな!?」


「えっ、別れてるんですか!?」


「そこから!?」


 最初に宿そのものについての説明があったと言うのに、どうやらリーシュはすっかり忘れていたらしい。いや、こいつの事だから、もしかしたら聞いてすらいなかったのかもしれない。アホめ…………!!


 なるほど、という事はリーシュが間違えただけで、ここは確かに男湯な訳だ。女湯に紛れ込む男なんていうのは昔……主にラグナスから……聞いた話だが、男湯に紛れ込む女って初めて聞いたぞ。……ただの痴女じゃないか。


「そもそも一つしか無い場合って時間が決まってるから、事前にちゃんと確認しないと駄目だろ!! 何やってんだよ!!」


「お言葉ですがグレン様!!」


「何だよ!!」


 リーシュは不意に、真剣な表情になった。俺は眉をひそめて、リーシュの気迫に少し身を引いた。


「男も女も同じ人間だと思います!!」


「いやそういう問題じゃねえ!!」


 忘れていた。この街に来てから、まだリーシュが大ポカをやっていない、という事に。新しい場所に来ると、こいつは何か一つは確実に大きな問題を起こすからな…………!!


 どうする…………!? 今すぐリーシュを脱衣所まで連れて行って、さっさと服を着せて場所を変えたい所だが…………!! もしそれで湯から上がって、何処の誰とも知らぬ男に見られでもしたら…………!!


 いや、それは駄目だ!! 何より俺がリーダーとして駄目だ。男としても駄目。そんな事はあってはならない…………!!


「…………でも、確かにこれはちょっと、恥ずかしいですね」


「ちょっと所じゃねえよ馬鹿!! 俺だけじゃなくて、他の男だって入って来るんだぞ!?」


「えっ…………!?」


 リーシュは驚愕して、今更ショックを受けているようだった。いや、その位予想しとけよ!! リーシュも女である以上、そういう部分にはちゃんと敏感になって貰わないと困る。


 やっぱり、へんぴな村で育ったリーシュでは…………。リーシュはまだ、女として最低限の防御というのか、そういったスキルを一切身に付けていないんだ…………!!


「それはちょっと、嫌ですね…………」


 …………ん?


 今なんか俺、ちょっとだけ嬉しかったぞ。…………何でだろう。


「いやー、結構広いねー」


 俺は入口から見て影になるように、背中でリーシュを岩の向こう側へと押しやった。


「そうっスか? オイラにしてみれば、人間界の風呂って小さいなー、といつも思うんスけどねえ」


「へえ、そうなんだ? 魔界ではどうなのさ」


 スケゾーと、トムディ…………!! くそ、二人共朝が早いじゃねえか…………!!


 幸いにも温泉に設置されている巨大な岩は端の方にあるので、小さなリーシュの姿くらいなら簡単に隠れられるだけの大きさと距離がある。角度的に、普通に入っていればまず見えない位置にリーシュを押し込む事に成功した。


 だけど、このままじゃかなりまずい…………!!


「魔界の風呂はでっかいっスよ、小さなものでもここの四倍くらいはあるっスかねえ」


「そんなに!? すごいな!!」


「その代わり、沢山の魔物が入るもんで、あんまりのんびりは出来ないんスけどねえ。広いけど、数が少ないんスよ」


「へえー、そうなんだ」


 このまま時間だけが過ぎて行った場合、どうなるか。勿論、太陽が昇って行くに連れて、朝風呂を浴びたいと思う客は増えて行くだろう。そうしたら、とてもじゃないがこのままリーシュを隠し切る事なんて絶対に無理だ。


 岩は巨大だが、一つしかない。温泉の中に入っているとはいえ、反対側から覗けばリーシュの姿なんて、簡単に目撃されてしまう。慌ててここに隠したけれど、完全な安全地帯かと言われれば全くそんな事はない。


 当然、リーシュだっていつまでも浸かっている訳に行かないだろう。のぼせてしまうし、かと言ってこの状況では、迂闊に立ち上がる事もできない。


 まずいぞ、絶体絶命だ。どうする…………!? …………そ、そうだ…………!!


 俺はトムディとスケゾーを目視で確認しつつ、小声でリーシュに伝えた。


「リーシュ、良い事を思い付いた。よく考えたらこの向こう側、女湯なんだよ。俺が二人の注意を惹き付けるから、そのうちにお前、向こうに出ろ。服はヴィティアにでも渡しておくから……!!」


 …………なんだ? リーシュの返事がない。


「リーシュ?」


 振り返ると、リーシュはのぼせ上がる程に顔を赤くしていた。…………何だか、さっきまでと随分、顔色が違う。


 そんなに湯に弱いとも思えないし、二日酔いになるような酔い方では無かったように思えるが。


 うげっ…………!!


「…………あんまり、みないで、ください」


 思わず、顔を背けてしまった。


 湯の中に隠れていたから、あまり自覚していなかった。…………今の状況って、相当…………アレじゃないか。湧き上がる湯に隠れてはっきりとは見えないが、リーシュの首から下は、首から上と同じ、少し白目の肌色。


 湯の中は、裸…………。


 顔が熱い。


「あれ? …………もしかして、グレン?」


 冗談じゃなく、心臓が止まるような思いだった。


 トムディが俺の事を発見して、こっちに寄って来る。思わず通路の両端に手を掛けて、背中に居るリーシュを隠す俺。だが、こっちに寄って来るのはやばい。この位置ならまだ見えないだろうが、リーシュが立ち上がれば見えてしまう。


 くそ…………!! 温泉旅行でこんな緊張、要らねえんだよ…………!!


「おおっ、トムディッ!! ちょ、ちょっとそこで待った!!」


 首を傾げて、その場に立ち止まるトムディ。…………ど、どうする!? 留めたは良いけど、なんて言い訳すりゃ良いんだ!?


「どうしたの?」


「お、俺昨日、ちょっと飲み過ぎたみたいでさ!! 寄って来ない方が良い、下手するとちょっと……戻しそうだからさ!!」


「ええ――――っ!? 何でそんな時に朝風呂なんか入ったんだよ!!」


 全く、その通りだ。自分で苦しいとは分かっていながら、ぎこちない笑みを浮かべて頭を掻く俺。


「いやあ、入る前は大丈夫だったんだけどさ!! ちょ、ちょっと今は、やばそうな感じで」


「さっさと出た方が良いよ、それ!! 出られないの? 手を貸そうか?」


「あーいやいやいやいや!! 良いよ、自分で出られる!!」


 別に、そこまで酒に弱い訳じゃない。スケゾーはそれを知っている…………気付かれていなければ良いんだが。当のスケゾーは…………良かった。あんまり、こっちには興味が無いみたいだ。昨日買った酒を持って来たようで、温泉の湯で熱燗を作っている。…………まだ飲むのか。


 良かった。幸いにも、事態は俺に味方しつつある。この状態で俺が出て、湯から上がった所でトムディに助けを求めれば、リーシュがフリーになる。


「リーシュ、行け。…………こっちは、大丈夫だから」


「は、はいっ…………!!」


 どうにかそれで、リーシュを女湯まで動かせれば。…………よし、リーシュは既に、俺から離れつつある。角度的に、トムディの位置からならリーシュの姿が見える事はないだろう。


 動かなければ大丈夫…………!? いや、こっちに来る…………!!


「良いよ、無理しないでよ。グレンに倒れられたら、こっちが困るんだからさー」




 ――――――――思わず、声が出そうになった。




「だ、大丈夫!? グレン!!」


「いや、良い、トムディ!! こっちに来るな!!」


 男の質感とはかなり違う、女性の肌というものが、背中に触れる。


 俺の背中に、リーシュがいる。…………逃げる事が難しくなったリーシュは、トムディから見えないように、俺に抱き付いた。…………確かに、これなら横から見られない限り、リーシュの姿が他者に見られることは無い。


 背中に、柔らかい感触があった。自分の物ではない、心臓の鼓動を感じる。


 リーシュの体温を感じる。俺の背中に、リーシュの頬が押し付けられている。


 …………や、やばい。このままじゃ、やばい…………!!




「そうじゃなくて、冷たい水を取って来て欲しいんだ!!」




 トムディがはっとして、俺の希望に気付いたようだった。…………いや、勿論その希望はただの嘘なんだが。即席で作った話に過ぎなかったが、どうやらちゃんと繋がったらしい。


 湯が波になって、俺の身体に当たり、音を立てる。勿論、リーシュの身体にも。


 一瞬の、沈黙が訪れた。


「わかった!! ちょっと待ってて、すぐに取って来るから!!」


 トムディは立ち上がり、出入口の方に向かって走って行く。


 その姿が隠れると、すぐにリーシュは俺から離れ、音を立てないように、岩陰から木の陰に隠れ、向こう側の温泉へと走って行った。身体は離れたが、俺の肌にはリーシュの感触が、生々しく残っていた。


 ……………………顔が熱い。鼻血でも出るんじゃなかろうか。




 *




 帰りの馬車の中で、俺は一人、悶々としていた。


「…………リーシュ? …………何、ニヤついてんの?」


「えっ!? …………に、にやついてませんよ!!」


 結局、宿の部屋で死んでいたヴィティアを起こして、リーシュが温泉に行って着替えを持っていないらしい、と服を見せ、様子を見に行かせた。寝惚けていたヴィティアは特に疑問もなく女湯へと足を運び、無事にリーシュは事無きを得たようだったが。


 今更、ヴィティアの中には疑問が生まれたようだった。


「ねえ、リーシュ。ちょっと聞きたいんだけど…………よく考えたらあんた、宿の室内着はどうしたの? …………まさか、裸でお風呂まで行ったんじゃ無いでしょうね…………」


「あっ!! えっと、それはですね!! …………実は、先に入っていた子供に、お湯を掛けられてしまいまして!!」


「俺が先に入ってるの、知ってたみたいでさ。それで、リーシュの声を聞いたんだよ」


 これは勿論、俺とリーシュの間で予め打ち合わせておいた嘘である。ヴィティアは結局、温泉に入ったのは最後の最後だったからな。二日酔いでそれ所では無かったらしい。


 そういう意味では、スケゾーの酒チョイスに感謝である。


「ふーん…………まあ、どうでも良いんだけど」


 ヴィティアはそれきり興味を無くしたようで、馬車の外を眺めていた。


 トムディは既に自分用の土産を開けて、饅頭をばくばくと食っていた。俺から見て、リーシュの頬は未だに少し色付いているように見える。


 …………あ、目が合った。


「グ、グレン様!!」


「おう?」


「あの、えっと…………お昼ご飯は、フェアリーラビットでも良いですかっ!?」


「別に良いけど…………」


 今回の事で、リーシュにトラウマでも出来てないと良いんだが。…………と、少し思う。


「…………えへへ」


「何だよ」


「なんでもないです!!」


 この様子だと、大丈夫…………なんだろうか。


 幾ら性格がぶっ飛んでいると言ったって、リーシュだって立派な女の子だ。やっぱり、男に裸を見られるなんて事は相当な羞恥なんだろう。…………俺だって、さすがにかなり恥ずかしかった。今まで通り、リーシュがやってくれると良いんだが。


 そうだ、だってリーシュは、ここに来る前に俺にキスもして。


 …………ああ、もう。


 まあ、良いや。どの道、俺が気にするような事じゃない。今回の件『も』、俺は何も悪くない訳だし。いつも通り、トラブルに巻き込まれただけだ。そう思う事にしよう。


 全く、本当にこいつらは、毎度トラブルを俺の所に運び込んでくれる。本当に、いや実に本当に困ったもんだ。


「あ、そうだご主人」


「おう、どうした?」


 スケゾーが俺の肩に乗ったまま、耳元で囁いた。




「どうでしたかい? リーシュさんのでっかい饅頭の感触は」




 物凄い勢いで、鼻血が出た。


「きゃああっ!? …………何!? あんた何!? 急にどうしたの!?」


 ヴィティアが驚愕して、俺の様子を心配していた。


「あ――――!! 僕の饅頭があぁぁぁ――――!!」


 許せ、トムディ。


「グレン様っ!? 大丈夫ですかっ!?」


 お前のせいだよ、リーシュ。


 やはり、俺には刺激が強すぎた。…………なるべく早く、忘れられると良いが。


「…………いや、ちょっと…………のぼせたかな、温泉で。…………ははは」




 …………多分、当分は無理だろうな。



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