Part.73 俺に、『優しさ』をくれ
聞こえてくる。
…………聞き間違いじゃない。確かに、聞こえてくる。何度も泣きながら怒った、ヴィティアの声が。
そうか。姿が見えないから分からなかったけど、檻の向こう側にも実況の声は聞こえているんだ。
俺が一方的にやられている事が、檻の中のヴィティアにも伝わっているのか。…………それは、不安にさせているのだろう。大口を叩いてまるで歯が立たない俺の事を、嘆いているに違いない。
「――――――――!! ――――――――!!」
血で、前がよく見えない。……折角回復した身体だったが、骨が何本か折れているように感じた。その状態のままで俺は首を締められ、持ち上げられていた。
いつの間にか、呼吸が止まっている。苦しいような気はしていたが、もう感覚自体が遠くなってしまっている俺には、よく分からなかった。
「ふむ…………」
確かめるような声が、ギルデンストから漏れた。
「――――――――!!」
ヴィティアが泣いている。檻を一生懸命に叩いて、俺の身を案じている。
俺はヴィティアの忠告を無視して、決勝戦に出た。そうして今、結果は見ての通りだ。命からがら逃げていれば、俺の事だけはどうにかなったのかもしれない。人の事なんて考えている場合ではなくて、どうにかして自分を護れ。……ヴィティアは、ずっと俺にそう言っていた。
弱い俺では、他人の事なんて気に掛けている暇は無いんだと。……それ程に、組織というものは強いものなんだと、言われていたようにも思う。
歯を、食い縛った。俺の首を掴んでいるギルデンストの腕を、握り返す。
「…………じゃっ…………!! …………ろうがっ…………!!」
ひどく掠れた、声にならない声は、俺の唇から漏れて、虚無の空間に消え去る。ギルデンストは怪訝な顔をして、俺を見詰めていた。
一対三だ。俺は様々な罠を張り巡らされ、とんでもない強さの敵を連続で三人も相手にしていた。対して正面突破を試みた俺は、まんまと仲間を減らされ、一人で戦う事になってしまった。
どうやるかは分からなかったが、その最悪の結果は予想していた。それを考えた上で、俺は正面から行かなければ意味がないと思って、このコロシアムに参加した。
分かっていただろう。その上で、どうして俺はこんな状態になっているのか。…………俺が、弱いからだ。
…………何で。
何で、何で、何で、何で、何で。
何でだ…………!!
「む…………?」
どうして俺は、強くなれない!? 土壇場で大切な人を、護ることができない!? 全力を振り絞っても、目の前の障害を取り払う事ができないんだ!?
俺はずっと、強くなりたかった……!! 大切な人を護れる強さでありたかった!! その為には何を犠牲にしても構わないとさえ思っていた!!
なのに、どうしてなんだ…………!!
「…………じゃ…………なんだっ…………!!」
ギルデンストの腕を握る手に、力が入った。
涙が溢れる。血と混ざり合って不愉快な色に変化し、俺の頬を伝って地に落ちる。
何の為に俺は、これまで努力を続けて来たんだ…………!! そこに奇跡が無いのなら、奇跡だって起こしてみせる。そう決意して、今まで頑張ってきたんじゃないのか…………!!
頼む…………!!
俺に、『優しさ』をくれ!!
変わらない優しさをくれ!! 大切な人を護れる優しさをくれ!! 大切な人が離れて行かない優しさをくれ!!
『優しさ』を、くれよ!!
「このままじゃ、駄目なんだ――――――――!!」
全身が、脈打つのを感じた。
何か、言いようもない感情が爆発したようにも思えた。次の瞬間、俺は全身を震わせる程の莫大なエネルギーを感じ、それを体内から絞り出した自身の魔力と混ざり合わせていた。
ギルデンスト・オールドパーの、腕を握り潰す。
「なっ…………!?」
驚いたようで、ギルデンストは俺から咄嗟に離れた。可視化したエネルギーは俺の周囲を竜巻のように回転しながら取り囲み、ステージに嵐を巻き起こしていた。
俺自身、一体何が起こっているのか、まるで見当が付かない。だが、怒りと無念の感情は更に増大し、俺の全てを支配していた。
…………スケゾー?
「な、なんだ、この魔力は…………!? 先程までは、確かに瀕死だったが…………!!」
更に、魔力は増える。微かな地響きと、天候を変える程の強大な力に包まれる――――まるでそれは、俺の感情を表しているかのようだった。今にも俺を誘い、爆発してしまえと内側から唆す。
スケゾー、お前なのか。
俺の中には、まだ絞れる力が残っている事に気付いたのか。……俺自身も、気付いていなかった。それとも、たった今、何かが覚醒したとでも言うんだろうか。
まあ、いい。
そのまま、爆発してしまえ。
「『二十%』…………!!」
俺は、体内の全てに呼び掛けた。この強大なエネルギーを、俺がコントロールする。嵐を操作し、竜巻を生み出し、天災にも匹敵する程の何かになって、俺は変わる。
――――――――変わらなければ。
「【悲壮の】――――――――【ゼロ・バースト】オォォォォッ――――――――!!」
視界が、弾けた。
広い。何だ、この視野は…………三百六十度? 目が後ろに付いている訳じゃない。周囲の空気に過敏になった俺が、まるでその目で見ているかのように、空気を感じ取る事が出来ているんだ。
言いようもない高揚感に包まれた。祭を始める前のような、遊びきって疲れているのに遊び足りない子供のような、例えようもない衝動が全身を襲う。
目の前のギルデンストの、魔力を感じる。目に見えるものではないのに、はっきりとその規模を特定する事ができる。
大した事はない。俺の魔力の方が、圧倒的に高い。
笑みがこぼれた。
「キヒヒ…………俺を怒らせたなァ、ギルデンストよぉ…………!!」
鮮やかすぎて、視界が揺らぐ。何か、強すぎる酒でも飲んだかのような感覚だ。それでいて思考は澄み渡り、同時に幾つもの事柄について考える事ができる。
分からなかったが、先程までは剣を抜いていなかったようだ。ギルデンストは剣を抜き、俺に向かって構えていた。弱々しい、ちっぽけな魔力が俺に牙を剥く。
弱い――――弱過ぎる。そんな虫ケラのような力で、この俺に抗おうと言うのか。
ならば、潰してしまえ…………!!
言いようもない高揚感は、どろどろとした殺意に変わった。顔面を手で抑えると、笑いが堪え切れずに、口の端から漏れ出てしまう。
笑っている筈なのに、俺は泣いていた。
「そうか。お前の肩に居た魔物、あれはまさか…………『スケルトン・デビル』か…………!?」
殺せ!!
構わねえ殺せ!!
俺のものとは思えない声で、俺は嗤っていた。やけに甲高い、聞いた事もないような声。だが、脳の回路を焼き切るような衝動に、俺は支配されていた。
両腕に、炎が纏わり付く。今までのような、生温い炎とは訳が違う。青白く、どこまでも凍てつくような炎だ。一度触れれば最後、灰になるまで消えない炎だ。
俺の前に立ちはだかる愚か者。鉄槌の裁きを受けて、その身諸共、ただの肉塊になればいい。
ヴィティアを助ける。何があってもだ。そこに障害があると言うなら、俺がそれを殺して行く。
歓喜は、激昴に変わった。瞬間、俺の中の全細胞は衝動に打ち震え、殺意を剥き出しにして猛り狂う。
「アアアアアアァァァ――――――――!!」
憤怒に、俺は叫んでいた。ギルデンストの剣が、まるで止まっているように見える。その目玉をくり抜いて、指の爪を全部剥がして喰ってやる。
ギルデンストの額に、冷汗が見える。
「笑え!! 笑え!! 笑え笑え笑え!! 笑えよオォォ!! ギルデンストオォォ――――!!」
真正面から跳び込んで、拳を叩き付けた。ギルデンストはどうにか剣を動かし、俺の攻撃を受け止める――――が、無駄だ。受け止め切れず、どうにか攻撃を弾くに留める。
俺の勢いは止まらない。そのまま、ギルデンストを殴る。――殴る。――殴る。――殴る。――殴る。
ああ、邪魔だな、剣が…………!!
「ぐっ!! ――――きっ、さま、正気を…………失っているのか…………!?」
俺の大切な人を、俺が護る。――――何があっても、だ。その為になら俺は、鬼にでも悪魔にでもなってやる。
助けなければ。…………俺を信頼してくれる人間に、俺は返さなければならない。
信頼の証明を、しなければならないんだ。
俺の大切な人を傷付ける奴は皆、死ねばいい。不必要なモノを全て排除して、俺が丸ごと新しい世界を作ってやる。
そうだ。気に入らないモノは全て、ぶち壊して行け。もっと、もっとだ。それを達成するには、まだ力が足りない。もっと、圧倒的な力が必要だ…………!!
「ギブアップだ、グレンオード!! 一旦体勢を立て直す!! 小娘からは手を引こう!!」
そう、その気になればこの世界そのものを壊してしまえるような、何か強大な力が。
もっと共有率を上げるんだ。スケゾーが居れば、俺は無敵だ。スケゾー自身にも扱えない、圧倒的な魔力を引きずり出せ。
ギルデンストの剣を、叩き折る。
足りねえ。まるで足りねえ…………!! もっとだ!! もっと殺せ!! もっとだ!! 構わねえ殺せ!!
「死ね、ギルデンストオォォ――――――――ッ!! 【笑撃の】オォォォォ――――――――!!」
「待て!! グレンオード!!」
殺せ!!
『グレンオード様が、お優しい方で良かったです』
――――――――声が、聞こえた気がした。
「…………な、何だ?」
そう呟いたのは、一体誰だったのだろうか。
俺の手は、止まった。得体の知れない高揚感は去り、俺は初めて、『まともな頭で』今の状況を確認していた。
ギルデンスト・オールドパーは、既に場外まで出ていた。俺はその上から、ギルデンストに向かって拳を撃ち込もうとしていた。
とっくに、剣は折れていた。…………俺は、その場に膝を付いた。
どうなっているんだ、これは? ギルデンストが場外に出ている、ということは…………俺は、勝ったのか。
待てよ。…………それって、どういうことだ。
「そこまで!! 勝者、グレンオード・バーンズキッド!!」
呆気に取られた集団。…………だが、遅れて小さな拍手は起こり始めた。やがてそれは、より大きなものへと変化していく。
「優勝は――――――――!! グレンオード・バーンズキッドだ――――――――っ!!」
すっかり黙っていた実況も、遅れて俺の事を喋り始めた。
…………なんか、まるで実感が無い。さっきまで俺がどうしていたのか、よく思い出せない位だった。覚えているのは、ギルデンストに攻撃を仕掛けていた自分と、土壇場で聞こえた、リーシュの声。
もしかして俺は、『向こう側』に逝きそうになっていたのだろうか。
そこまで考えた時、ふと込み上げてくるものがあった。
「うげええぇぇぇっ――――!! …………ぐはっ、うぐっ…………!!」
思考の暇は無かった。場外に向かって盛大に吐いた俺は、遅れて全身の痛みに支配された。
蹲り、その場に転がった。つい先程までは鮮明に見えていた視界が、急に朧気な、夢の中のように感じられる。身体は動かない――……筋肉に、酷いダメージが行っている。加えて、頭痛も酷い。
やばい。…………誰に何をされなくても、これだけで死にそうだ。
「き、厳しい死闘の末――――!! グレンオード・バーンズキッド、大丈夫か――――!?」
実況の声が、遠い。
「『零の魔導士』――――!! お前、すげえぞ――――!!」
「頑張れ、まだ死ぬなァ――――!!」
誰だよ、他人事で俺を励ましている奴は。
心配しなくても、こんな所で倒れてはいられないから。言葉には出せなかったが、俺はそう思っていた。…………達成は、もうすぐだ。後もう少しだけ、意識を保っていなくちゃならない。
ぜえぜえと浅い呼吸をしながら、俺はステージの端で悶えていた。…………何か、やばい薬でもやった後みたいだ。こんな事を続けていれば、確実に俺は死ぬ。
…………って事は、俺、生きてるのか。…………そうだ。…………勝ったんだよ、俺。
そうか……………………。
「想定以上に危険な男だな、お前は」
ギルデンストは、そう呟いていた。…………想定って、誰の想定だよ。お前一人の話じゃないんだろ、どうせ。
突っ伏したまま、俺はギルデンストを睨み付けた。
「ヴィティアだけじゃない。リーシュも、必ず取り返す。スカイガーデンで、待ってろ」
「…………ふん」
そうして。
ギルデンスト・オールドパーは、謎の魔法陣を発動させたかと思うと――……その場から、姿を消した。
くそ。信じられないくらい、全身が痛い。三日は絶対に動けないな…………いや、果たして三日で済むのか、これ。あんまり長く寝込んでいる訳にも、行かないんだけどな。
「はなせ!! グレンの所に行かなくちゃいけないんだ!!」
「これから、賞金の授与が行われる!! このまま控室で見ていなさい!!」
「僕は仲間だぞ!? あんなの、黙って見ていられるかァ――――!!」
トムディ。…………その気持ちだけで嬉しいぞ、俺は。
「…………生きてるか、スケゾー?」
掠れた声で、俺はスケゾーに声を掛けていた。
「残念ですが、オイラは死にました」
「意外と元気じゃねえか」
「どういう思考回路してんスか。オイラも、途中から記憶無かったっスよ」
やっぱり、そうだったのか。ということはあれは、スケゾーの潜在意識のようなモノだったのだろうか。
…………危ねえ力だな、本当に。
「これより、表彰式を始めます!!」




