Part.56 狂気の街、ウエスト・タリスマン
ウエスト・タリスマンに行こう。
俺からそのように切り出し、スケゾーの言った通り、二、三日程の時間を掛けて、俺達はその場所に辿り着いていた。
あちこちで走り回る馬車。街とは言えど、セントラル・シティのように統率された様子がない――……また、随分と忙しないようにも見える。どこから来たのかも定かではない商人が所狭しと走り回り、屈強な男達は笑いながら通りを歩く。女性の姿が殆ど見られないのも、この街の特徴だ。
俺やトムディのような存在は、ここでは珍しい。通り掛かるのは、剣士や武闘家などの筋肉にモノを言わせる連中ばかりだ。俺達の格好を一瞥しては、通り過ぎていく。その迫力からか、既にトムディは怯え、俺の背中に隠れていた。
「おら、邪魔だよあんちゃん!!」
誰かが馬に乗って俺に声を掛け、砂埃を撒き散らして通り過ぎた。こんな事は日常茶飯事だが、トムディは衝撃を受けたようだ。
「な、何だよ、この場所は……!! 冗談じゃないよ……!!」
「とにかく、宿を探さないとな。トムディ、ビビッてないで歩くぞ」
「ビビビってないよ!!」
「一体何を受信したんだ……」
俺の後ろを、トムディが続いて歩く。
『ヒューマン・カジノ・コロシアム』の開催は三日後だ。開催の前日までは、登場する奴隷を冒険者が選別するため、面会が可能になっている。今日の内に、ヴィティアに会っておく必要があるな。
そこで、これまでの出来事について聞くことができる。どうして唐突に姿を消したのかも、説明があって然るべきだ。
知らず、俺は気が立っていた。道中の宿はセントラル・シティと比べても一泊あたりの料金が高く、余計に苛立ちを覚える。
「お菓子売り場とか……当然、無さそうだよね……」
サウス・マウンテンサイドから持ち出していたハイボールキャンディーが遂に底をついたのか、トムディは珍しく空手で通りを見回していた。
「需要がないからな……酒場なら沢山あるけどな」
「うー、殺伐としているなァ……」
トムディなんて、当然こんな場所に来たのは初めてだろうからな。緊張もすると言うものだろうか。ビビリにビビッているトムディを見ると、こんな状況でも、不思議と心が和んでしまう。
「皆と言うほどじゃないけど、多くの人間はここに一攫千金の夢を賭けて来ているからな。コロシアムだけじゃなくて、周りもカジノばっかりなんだよ。高確率で勝てる店・勝てるギャンブルを探してから挑戦する奴もいるし、一発勝負で全財産を賭ける奴もいる。そう考えると、ギスギスして当然だろ?」
トムディは全く理解出来ないといった顔で、眉をひそめていた。
「何で、たかがお金の為なんかに精神をすり減らしているんだろう……」
「…………お前は一度、本気で飢餓の境地にでも陥った方が良いな。金が無いと飯が食えないだろ?」
「お菓子を食べれば良いじゃないか!!」
「それ本気で言う奴、初めて見たわ」
……まあ確かに、年中飴を舐めてるような奴には、言っても仕方がない話だったのかもしれない。
暫く歩くと、価格的にも手頃な宿を発見した。それでもセントラルより高いが……まあ、仕方がないと割り切るべきだろう。こういう街であんまり安い所を選ぶと、設備が悪かったり、対応が悪かったり、治安が悪かったりと色々あるからな。
タリスマンの宿は、富裕層向けと低所得者層向けに二極化されている。俺達はそんな富裕層向けの宿の中でも、安い方を選んだ。手早くチェックインを済ませると、今度はコロシアムに向かって歩き出す。
ヴィティアとの接触が近付くに連れて、俺達の言葉数は少なくなっていった。あちらこちらの建物から聞こえる、勝利の雄叫びや、敗北の叫び声を聴きながら――……気が付くと、コロシアムの前まで辿り着いていた。
中に入ろうとすると、不意にトムディが立ち止まった。面会料を払う為に財布を出した俺は、トムディの不審な行動に気付いて振り返った。
「トムディ?」
すっかり不安そうな顔をして、トムディは俺を見ていた。やがて苦笑すると、トムディは口を開いた。
「グレン。…………僕、ここで待ってるよ」
そう切り出したトムディの瞳には、明らかに迷いの意思が込められていた。
「…………そうか」
「グレン、正直に言うよ。……僕、まだヴィティアが裏切った可能性を捨て切れてないんだ。グレンは優しいから、もうヴィティアを助ける気でいるのかもしれないけど」
優しい? …………俺が?
あまりに予想外な一言に、俺は思わず笑ってしまった。分かっていた事だが、トムディは俺に無類の信頼を寄せていた。
本当に、俺の事を信頼し過ぎな程に。
「だから、僕が行くと、変な事を言っちゃうかもしれないから。……グレンの目で、確認して来てよ。僕はグレンの決断に従うから」
最終的には何があっても、俺がどうにかしてくれると。そう、考えているのだろうか。
俺は笑みを浮かべたままで、そう言ったトムディの瞳を見ていた。
「…………分かった。セントラルと違ってあんまり治安が良くないから、気を付けろよ。……スケゾー、トムディのそばに居てやってくれるか?」
「あいあいっス。……ご主人、くれぐれも無茶はしないように、っスよ」
「ああ、分かってる」
スケゾーがトムディの肩に移動する。こいつが居れば、何があっても安心だ。最悪の場合でも、俺に通知は来るようになっている。
俺はトムディとスケゾーに軽く手を振り、背を向けた。
「あ、それとな、トムディ。…………悪いが、俺はそんなに優しくねえよ。買い被りすぎだ」
「グレン?」
何でも出来るなんて、下らない戯れ言を吐く気はない。最強だと自惚れるつもりもない。……実際の所、俺はこのように、まだまだだ。
俺がちゃんとしていれば、リーシュやヴィティアが俺のそばを離れる事なんて無かった。
油断していた訳ではない。……ならば、俺にはまだ、穴が多すぎるのだ。
「優しいだけじゃ、人は救えないだろ。優しくある為には、強くならなきゃいけない。……だからきっと、俺はまだ、優しくなれてないんだ」
その言葉は、トムディにどこまで理解されたのだろうか。
俺はそれだけをトムディに伝えて、コロシアムの中に入った。
腹の底に溜まった、言葉にならない緊張感と、静かな覚悟を決めて。
*
受付に金を払うと、コロシアムの細い通路に案内された。『ヒューマン・カジノ・コロシアム』に参加する冒険者の為の受付は人で賑わっていたが、こちらは殆どが見尽くされた後だったのか、閑散としていた。
飄々とした雰囲気の男がやっていた受付。どこか本心では笑っていないような、気持ちの悪い笑みを浮かべて俺を迎えた。光の当たらない細い通路では自然と警戒してしまったが、何処からか水の落ちる音がしていただけで、特に誰かに襲われる事も無かった。
蝋燭の炎で前を照らし、受付の男は先を俺に示した。
「この先が、奴隷の格納されている檻でございます」
なるほど、小窓の向こう側から漏れる薄っすらとした明かりだけで、特に照明も設置されていないようだが――――通路の両端に牢屋が並んでいる。その向こう側からは、魔力を感じない――……奴隷には、時折強者が混じっている事もある。簡単には脱出されないよう、何か牢屋の方にも細工がしてあるんだろう。
「面会時間は三十分です。奴隷のリストはご入用でしょうか?」
「いや、必要ない。ありがとう」
俺は受付の男に頷いて、歩き出した。受付の男はそれきり、俺の後ろを付いて来る気配もない。自由に見て回る事が出来るよう、離れているのだろう。
薄暗い。……何処からか雨漏りのような音が漏れている以外は、何も変化の無い場所だ。この様子だと、日が暮れてしまえば自分の姿を確認する事さえ、出来なくなってしまうだろう。
…………あまり、気分の良い場所ではないな。
靴底の音が響く。……同時に、俺の緊張も高まってきた。
牢屋の連なる道を、歩く。
歩く――――…………
「ヴィティア」
俺は立ち止まり、その名前を呼んだ。
小窓から漏れる光の当たらない場所に、倒れるようにして眠っていた。……いや、眠っていたのか、目を閉じていたのか。俺が声を掛けると、暗闇の中で起き上がった。
輪郭だけでも分かる、線の細い身体。少し覚束ない足取りで、牢屋の柵まで歩く。小窓から漏れる光がようやく身体に当たり、逆光気味にその姿を照らした。
向こうも目を凝らさなければ、俺の姿が分からないのだろう。目を細めて、可能な限りまで俺に近付く。
柵を握り締める、両手。
「……………………うそ」
俺の顔を確認して、驚いているようだった。
聞かなければ。どうして、こんな状況に陥ってしまったのか。助ける為には、一体どうしたら良いのか。……いや、その前に謝るのが先か? ……こんな状況になるまで気付かなくて、悪かった。が、先だろうか。
様々な言葉は、頭を駆け巡った。
「ヴィティア、あのな――――」
「どうして、こんな所に来たのよ」
冷汗が、頬を伝って落ちた。
…………どうして、だって? …………どうしてって、何だよ。
まるで、俺が来ることを予想していなかったような反応だった。もっと、喜んでくれるとか――……しても良い所だと思う。何故、迷惑そうな顔をしているのだろうか。
どうしよう。……なんて、声を掛けたらいい。
「…………こっちの台詞だ。どうして、こんな所に居るんだ?」
苦し紛れに、俺はヴィティアに笑顔を見せた。
助けに来た。…………もう、心配ない。彼女にそう、伝えたい。
「……………………ああ、そっか。……リーシュの居場所?」
ヴィティアは、笑みを浮かべた。
その瞬間に、俺の思考は完全に固まった。
「私ね、連中に関わっていた記憶が抜けて行ってるの。……だから、完全に忘れる前に、あんたに会えて良かった」
何の話だ。
「何も知らないって言うのは、嘘。悪かったわね、謝るわ」
俺は立ち尽くしたまま、ヴィティアの話を聞いていた。
「サウス・ノーブルヴィレッジに来た時、私にはちゃんと目的があった。……それは、ノーブルヴィレッジに居る『金眼の一族』を連れて帰ること。……リーシュ・クライヌって名前は、後で知ったけどね」
淡々と、ヴィティアは話していた。
周囲は驚くほど、声を出さない。既に諦めているのか、どうなのか……人が居る気配はあるのに、物音一つしなかった。これから誰とも分からない冒険者に連れて行かれる事を、嘆いているのだろうか。
そして、ヴィティアもその内の一人となる。
「連中は、『ゴールデンクリスタル』を集めているわ。途方も無い、魔力を持ったアイテム――……そしてそれは、『金眼の一族』から作られるのよ」
俺は、目を見開いた。
「『金眼の一族』…………!? …………つ、つまり、それは…………!!」
ヴィティアは頷いた。
「リーシュのことよ」
そうか。…………連中は、『ゴールデンクリスタル』だけを求めていたんじゃない。『金眼の一族』を求めていたんだ。
それなら、サウス・ノーブルヴィレッジを襲った理由と、サウス・マウンテンサイドにバレルをけしかけた理由に筋が通る。納得が行く……何か村を襲う理由が無ければ、と思っていた。サウス・ノーブルヴィレッジを支配下に加える事は、やっぱり作戦の一つでしか無かったんだ。
「どうやって『ゴールデンクリスタル』を作っているのか、私には分からない。でも…………もしかしたら、殺すのかもしれない」
「…………そう、だろうな」
「『スカイガーデン』って、知ってる? セントラル大陸のどこかにはね、空に浮かぶ島に続くゲートがあるんだって。ただ、誰にも公開されていない……空の国の人は魔力が人一倍強くて、島全体を魔法で隠しているから、見えないらしいの。……そこに住んでいるのが、『金眼の一族』という噂よ」
空の島、『スカイガーデン』……そんなもの、見た事も聞いた事も無いが……金色の瞳は、確かに稀だと言われる。稀だと言われるのは確かだが、『存在しない』とも、『見た事がない』とも言われない。誰もが知っていて、しかし誰も、実際には見た事がない。
俺だって、リーシュが初めてだった。
「空の国の人が使う言葉で、自分達、空の国に住む人間の事を『マウロ(天上の民)』、逆に私やあんたみたいな地上に住む人間を『サウロ(地獄の民)』と呼ぶの。差別しているから、滅多に地上には降りて来ない……貴重な存在なのよ、『マウロ』はね」
ヴィティアの衝撃過ぎる言葉に、俺は何も言い返す事が出来なくなっていた。そう俺が思ったのも束の間、ヴィティアは俺を真っ直ぐに見据えて、はっきりと、言った。
「あの娘を…………リーシュを、救ってあげて。もう、時間がない…………リーシュは多分、魔界に居るわ。あいつらの拠点は、魔界にあったから」
その言葉には、確かな重みがあった。少なくとも俺には、ヴィティアが俺達を裏切って、リーシュを売ったようには見えなかった――……だが同時に、俺はある重要な疑問を、その胸に抱える事となった。
どうしてその話を今、俺にするのだろうか。




