Part.24 ドキッ! 泥沼だらけの山登り
「ご主人、どうしましょう」
スケゾーが、俺に問い掛ける。
ここから少し進んだ先に、大きな谷がある。リーシュがそこまで辿り着いていたとしたら、捜索は少し困難になる。
一本道だったここまでは、探す場所もそれ程多くはなく、苦労もしなかった。何しろ、トリトンチュラが居ない方向に逃げていると仮定出来るからだ。道を外れれば蜘蛛の巣だらけで、リーシュがそんな所に逃げるとはとても思えない。
だが、谷はまた別だ。『滅びの山』の谷は山の中間地点を囲うように円を描いているから、一度谷に降りてしまえば、山をぐるっと回る事が可能になってしまう。勿論、それも見て回れば良いってだけの話ではあるのだが……時間が掛かる。
どうするべきか。ラグナスとの勝負もあるが、選択次第では先にリーシュを探さなければならない。
「…………そうだな。どちらも優先させたい所だけどな」
まず、リーシュは無力じゃない。最悪の場合、【アンゴル・モア】という最終兵器を持っている。いざとなればリーシュはそれを使う事で、俺に今の居場所を伝える事ができる。それは、リーシュも把握している筈だ。……たぶん。……きっと。…………と、俺は信じたい。
それに、剣士として腕を上げる為にミッションを受けているのだから、少しくらいは戦えるようにならなければ、という事もある。あんまり過保護になり過ぎても良くないという側面はあるのだ。
先程戦って来た魔物……『レア・ゴブリン』『トロール』『トリトンチュラ』『ベビーバット』。見て来たのはこれくらいだ。この四種類なら、多少苦戦する事はあっても、死ぬような魔物ではないとも思える。……しかも、それらは実体ではないのだ。戦力で言えば、数段劣る。
集団で出会したとしても、大した問題ではないだろう。リーシュには回復技もあるしな。……自分に使えるのかどうか、知らないが。
「とりあえず、『巨大トリトンチュラ』とやらを倒すかね。それで、リーシュの安全も確保されそうだしな……どう思う、スケゾー?」
「そうっスね。オイラもそれで良いと思うっスよ」
スケゾーが頷いてくれるなら、この路線で行くべきか。俺は再び、山頂に向かって一歩を踏み出した。
「おや、もう行くのかい? 少し休憩して行っては如何かな?」
……俺は振り返り、今一番見たくない男ナンバーワンのラグナス・ブレイブ=ブラックバレルを見た。
「付いて来てたのかよ。……意外だな」
「フッ、何を馬鹿な。俺があの程度の魔物に手こずる訳も無かろう?」
「ある意味、かなり手こずっていたようにも見えたが」
確かに相手にはなっていなかったが、結果としてラグナスは山を登れていなかった。自身の必殺技名が邪魔して……アホすぎる。
ラグナスは後ろのキャメロン・ブリッツという武闘家を指差して、不敵な笑みを浮かべた。
「あんな魔物、俺の出る幕でも無いからな。マッチョに倒させた」
キャメロンは苦笑しているだけで、特にラグナスの言葉を咎める事もない。……お前、本当に懐の広い奴だな。
「ところで、リーシュさんに危険が無いっていうのは、本当なのかい?」
「分からねえけどな。まあ、一応あいつも剣士だからな。大丈夫じゃないかと思ってるけど」
そう言うと、ラグナスは自身の艶やかな金髪を撫でて言った。
「リーシュさんは、身のこなしが綺麗だからな。きっと、大丈夫だろう」
「…………お前、一体いつリーシュの身のこなしを見たんだよ」
「俺に向かって、お辞儀をした時さ」
ああ、あの腰から直角に折るお辞儀か……あれ? それってリーシュが、ラグナスの申し出を断った時じゃなかったっけ。……意外とそんな事も覚えているのか、コイツは。
都合の悪い事はすぐ忘れる性格のようにも思えたが。
「俺に向かって、『よろしくお願いします』と……あの時の彼女は、綺麗だった」
恐るべき事に、事実が捻じ曲がっていた。
「ところで、この清らかな音は一体何だい?」
清らかな音……? ああ、水の流れる音か。ラグナスは、ここに来たのは初めてなのかもしれない。一本道だったから、特に迷う事も無かったというだけの話か。
「近くに滝があるんだよ。実は結構綺麗な水で、飲水にも使えるんだ」
そう言うと、ラグナスは手を叩いた。
「それはいい! そこに行ってみないか? リーシュさんが逃げ込んでいるかもしれないだろう?」
…………む。珍しく、まともな事を言うもんだな。気付かなかったが、確かに……例えば水の中へ逃げてしまえば、トリトンチュラは水に触れられる魔物ではないから、回避する事が出来るかもしれない。
行ってみるか。
*
少し歩くと、砂漠のオアシス……ならぬ、山の中のオアシスが顔を出した。辺りを覆い尽くす木々も、そこだけは少し色合いが明るいようにも思える――――どの道、夜かと思わせる程に暗い山だ。大した違いは無いかもしれないが。
時折、『滅びの山』の空を覆う分厚い雲から隙間が生まれ、その光が滝に当たる。まるで陽光の日差しのような美しさを醸し出す瞬間があるのだ。
「おーい!! リーシュ、居るかー?」
声を掛けてみた。
二秒。…………三秒。
どうやら、ここにも居ないようだ。俺は溜め息をついて、辺りの様子を見回した。
魔物の気配も無い。まあこの辺りの魔物は気配を殺す事が得意だから、どこかに隠れているのかもしれないが……どうするべきだろうか。よく考えてみたら、もしもリーシュに近付いていたとしたら、勝手にリーシュの声が聞こえて来そうな気もする。
諦めて、さっさと山頂へ向かった方が早いかもしれないな。巨大トリトンチュラを倒してから、ゆっくりリーシュを探せば。
「リーシュさんは、居ないみたいだな」
ラグナスがぽつりと、そう呟いた。リーシュが居なくなると、急に落ち着いた態度を見せるラグナスである。……黙っていると、とてつもなくイケメンに見えてくるから不思議だ。
その背後に武闘家のマッチョが居るというのも、妙に絵になるな。
持ち歩いているのか、酒瓶に滝の水を汲んで、ラグナスは飲んでいた。休憩しているようだ。……俺も、少しだけ休むか。
この辺りの魔物でリーシュが苦戦しそうなのは、多分トロールだろうが……だがまあ、奴等は動きが鈍いので、無理に戦おうとしなければ大丈夫な筈だ。
大丈夫だと自分に言い聞かせつつ、少し心配になっている俺だった。
「まあ、リーシュさんなら大丈夫じゃないっスかねえ。何だかんだ、オイラ達の住んでた相談所まで来た事もある訳ですし」
「そう、だよな……」
「へっへっへ、それでも気になっちまうんですね。いやあ、愛ですよねー」
俺はスケゾーを殴った。
「どうも、この辺りに詳しいようだな。経験者なのか?」
キャメロンが滝の水で筋肉を冷やしつつ、俺に問い掛けた。……なんだか、妙な男らしさがある。俺はキャメロンに笑みを向けた。
冒険者は基本的に皆、俺の事を『零の魔導士』だとか言って寄り付こうともしなくなったからな。こうして普通に話し掛けられる事自体が、何だかんだ貴重な経験なのだ。
「ああ、見習い時代に何度か来たことがあるんだ。別に詳しいって程じゃないけど、地形くらいは把握しているよ」
キャメロンも、俺に笑顔を見せる。
「そうか……気を悪くしないで欲しいんだが、『零の魔導士』っていうと、大して実力もなく、プライドは高いというイメージが植え付けられていてな。実際に会ってみて、結構驚いているんだ」
「魔法が飛ばない、っていうのは聞いたか? それで、他の前衛なんかからは嫌われてさ。魔導士は外野から大魔法を撃てって事らしい」
「それは酷い話だな。前衛として戦うなら優秀だって、普通は気付くもんだと思うが」
ああ、キャメロン……!! お前は良い奴だなあ……!!
何ということだろうか。俺は自分から進んでパーティーに参加した時は、周囲から煙たがられていたと言うのに。まさかこんな所で、俺の実力を認めてくれる相手に出会えるとは。
少し照れてしまい、俺は苦笑した。
「戦い方が特殊だから、多分受け入れ難いんだろうな。今ではソロでパーティーに入るんじゃなくて、気の合う仲間を作れれば良いんだと思ってるよ」
ラグナスが自身の剣を手入れしながら、ふと笑った。
「あまりこんな事は言いたくないが、グレンオード・バーンズキッドが無能でないということは、先程の戦いで証明されてしまったからな」
俺は、その言葉に衝撃を受けた。
こいつとだけは、分かり合えないと思っていたが……まさか、陰では俺の努力を理解してくれていたのか。
「……お前、意外と良い奴だな」
「何を言うか。俺はセントラル・シティ一番の美形剣士、ラグナス・ブレイブ=ブラックバレルだぞ」
その言葉に、思わず俺は笑ってしまった。釣られて、キャメロンも笑う。
リーシュと二人だったので、気付かなかったが…………パーティーの暖かさって、こういう奴なんだろうか。知らず俺は、穏やかな気持ちになっていた。
よく考えてみれば、俺達は剣士・武闘家・魔導士の三人だ。これに聖職者関係の回復役が加われば、パーティーとしては能力も申し分無い。これから先、とんでもなくレベルの高いミッションだって、こなせるようになるかも…………しれない。
「しかし、ここの水は美味いな。心が洗われていくようだ」
ラグナスの言葉に、俺は頷いた。
「そうだろ? 修行中、ここが休憩地点だったんだ。たまに光が当たるから、あんまり魔物も寄り付かないしな。良い場所だよ」
そうか――これが、パーティーか。リーシュがあまりにも残念な能力だったので、気付かなかったが……こういうのも、悪くないな。
「グレン、お前も一杯どうだ」
「おお、ありがとう」
女に関しては変態だったが。ここには、キャメロンも居る。このミッションを終えたら、改めて仲間になるのも悪くはないかもしれない。
ラグナスから受け取った水を、俺は一口、口に含んだ。
吐いた。
静寂が訪れた。
キャメロンは何事かと俺を見ており、ラグナスも驚いたような顔をしていた。俺は立ち上がり、ラグナスに渡された酒瓶を、木に叩き付けて割った。
衝撃的な音と共に、酒瓶が割れる。中に入っていた液体が木にぶちまけられ、やがてポタポタと、音を立てて地に落ちて行く。
…………酒瓶の中に入っていた水は、緑色をしていた。
「さて、そろそろ行くか」
何食わぬ顔で、ラグナスが立ち上がった。俺は猛然とラグナスに詰め寄り、その胸倉を掴んだ。
よく見えるように、割れた酒瓶をラグナスの視界へ。俺は、鬼神の如き表情でラグナスへ尋問をした。
「――――――――これは?」
近くの滝に負けず劣らず、ラグナスは汗を垂れ流していた。
「えー? なんだろおー? ラグナスちゃんわかんなーい。キュンキュンッ」
「ふざけんなコラァ!!」
俺はラグナスを殴り飛ばした。
ようやく分かったぜ。…………何がどうだか知らないが、とにかくどうあってもこの男は、俺を踏み越えて進みたいのだと。
そっちがその気なら、俺にも考えがある…………!!
「フッ…………グレンオード・バーンズキッド。俺の下剤を見破るとは、大した眼力だ……だが、お前はここで休んでいろ!! リーシュさんは、その間に俺が必ず助けてやるからな!!」
ラグナスはそう言って、走り出した。俺はポケットに手を突っ込んだまま、不思議と笑いが絶えなかった。
ラグナス・ブレイブ=ブラックバレル。
俺は今、その名を自身のブラックリストに書き込み、そして認定した。
奴は俺の、敵だ――――――――……………………!!
「お、おい、二人共、落ち着いて……!!」
キャメロンが一人、俺とラグナスの様子を心配しているようだった。
*
俺は走っていた。……それはもう、全力で走っていた。ここが山道だとか上り坂だとか、そんな事はもうどうでもいい。
前方を走る憎き金髪変態剣士を追う。ラグナスは後ろの俺を見ると、緊張しながらも、下衆な笑みを浮かべていた。
「フハハハ!! 騙される方が悪いのだよ、半人前君…………!!」
ぶち殺ォォォ――――――――ス!!
目には目を、だ。ラグナスの前方に現れた『レア・ゴブリン』の集団。どうやら、走っている俺とラグナスを止めるつもりらしい。ラグナスは自身の『ライジング恥ずかしい名前ソード』を引き抜き、相対しようとしていた。
俺はその背後からラグナスを追い、思いっ切り明後日の方向を指差して、叫んだ。
「あっ!! あんな所に裸のヴィーナスがっ!!」
「何ッ!? ――――ゴファッ!!」
意識を逸らしたラグナスが、『レア・ゴブリン』に頬を殴られ、背後に転倒する。
「オラァ!!」
俺はその『レア・ゴブリン』を共々殴り飛ばし、ラグナスの前に出た。
「グレンオード、貴様ァ――――――――!!」
いや、まさかこんな事で騙せるとは思っていなかったよ。駄目で元々だったが、案外やってみるものである。
もう、手を組もうなんて微塵も思わない。お前がそこで寝てろ!!




