Part.187 まさか、それは無いでしょ!
思わぬ人物の登場に、ヴィティアは心臓が止まるような思いだった。
相手からは、こちらの姿は見えない。……それは分かっていたが、ヴィティアはつい緊張してしまう。
まさか、姿が見えてはいないだろうか。ヴィティアは聞いた事が無いが、例えばハイドボディを見破るような魔法が、常時掛かっていたとしたら。
――もしも、自分が見付かったらどうなる?
そう考えただけで、身体が震える。既に一度、ヒューマン・カジノ・コロシアムに売られている身だ。今度はいつ殺されてもおかしくは無いだろう。
この状況なら、グレンが助けに来る事は絶対に考えられない。
「まあ、そう焦るなって。まさかリーガルオン・シバスネイヴァーがやられるとはね。さすがの俺も予想してなかったわ」
旧友に話し掛けるような態度で、ウシュクは黒いローブの男にそう言った。
「グレンオード・バーンズキッドの勢力は、底上げを続けている。ついにこうして、ギルドリーダーになろうとしている訳だが……」
黒いローブの男は凍り付くような声で、ウシュクに言った。
「――まさか、何事もなくそのままギルドリーダーにしようなんて事は、考えていないだろうね?」
やっぱり。
ウシュクはへらへらとした笑みを浮かべて、黒いローブの男の話を聞いている。どうしてこうまでに威圧感を放っている男の言葉を聞いて、まるで動じずにいられるのか。ヴィティアには、ウシュクの事がまるで理解出来なかった。
しかし、ウシュク・ノックドゥがグレンを敵に回そうとしているという事が、これでようやくはっきりとした。
外側では仲間の顔をしながら、本音ではグレンに敵意を抱いている。その事実が、ヴィティアの心を更に凍り付かせた。
「まさか。一度ギルドリーダーになっちまえば、国民の目に触れる事になる……権力が増す。あいつの協力者はどんどん増えるだろうし、そうなったら叩くの難しいぜー。やるなら今っしょ」
「でも、君は今、何もしていない」
「へっへっへ。そうは言っても、あんたもよく知るクラン・ヴィ・エンシェントの前だぜ。そう簡単には動けないんだ、分かってくれよ」
「くだらない言い訳は聞いていないよ」
黒いローブの男が、ウシュクに向かって殺気を放った。
「ウシュク。……君の回りくどいモノの言い方は嫌いなんだ。早く本題に入れよ」
ウシュクは溜息をついて、椅子に座った。
「やれやれ。余裕のない大将だな」
気を抜くと、冷や汗を垂らしてしまいそうになる。ヴィティアはぐっと堪えて、深呼吸をする。
いくら姿の見えないヴィティアと言えど、汗はアウトだ。どうにか呼吸を整えて、気を落ち着けようとする――……が、中々うまく自分をコントロールする事ができない。
ウシュクは黒いローブの男に向かって、左手を広げて見せた。
「そんなにさっさと仕留めたいなら、あんたが『翼の兵士』を使えば良いだろ?」
「まさか、本気で言っているんじゃないだろうね」
今自分は、とんでもなく大きな事件の渦中にいる。そのようにヴィティアは確信した。
そしてそれは、自分だけではない。グレンやリーシュやトムディ、そして沢山の仲間達。
椅子に座ったウシュクが苦笑して、溜息をつく。
自分が脅威に思う男を前にして、へらへらと笑う。
「でも力押しで勝てるとするなら、あんたの兵力をぶつけるしかない。リーガルオンや俺じゃない、純粋なあんたの兵力をね。でもあんたは、そうしなかった。……それは、『まだできない』からさ」
誰もが、巻き込まれている。
――――セントラル・シティも。ノース・ノックドゥも。
「ウシュク。……君は、お喋りが過ぎるな」
ヴィティアの心臓の鼓動は、どんどんと速くなっていく。
「わぁかった、わかったって。まあそう、殺気を出すなよ。俺は別に、あんたの敵になろうなんて考えちゃいない……ただあんたが、いつまで経っても俺に情報を公開してくれないからさ。そろそろ、どうやって最強の兵隊を作っているのか位は教えてくれても良いんじゃないの?」
「……私が約束できるのは、革命を起こした後の、君の立場だけだよ」
「だったら俺があんたに探りを入れるのだって、そりゃあ当然の事だと思うぜ。いつ裏切られるとも分からないんだろ、俺は……ま、知らんけど」
黒いローブの男は、それでも口を開かない。ウシュクは再度溜息をついて、笑った。
「グレンオード・バーンズキッドをぶち壊すのは、簡単だよ」
どこか、ウシュクは悲しそうな表情を見せた。
「……簡単? リーガルオンでさえ太刀打ちできない程に成長した彼を、どうやって殺す?」
「俺は殺さない。『壊す』って言ったっしょ?」
やっぱり。……ウシュクは、グレンを含む自分達をターゲットにしていたのだ。
そして、『黒い翼の兵士』を動かしたのは、人間だったのだ。……それも、ヴィティアが最もよく知る人間。
最もよく知り、記憶を消され、捨てられた人間だ。
「人が最も弱くなる時って、どういう時だと思う?」
まさか。ウシュク・ノックドゥが、顔も思い出せないあの男と繋がっていたなんて。
ウシュクは底無しに暗い表情に、仮初の笑顔を貼り付けた。
「期待されて、それが折られた時だよ」
ヴィティアは、下唇を噛んだ。
「グレンオード・バーンズキッドは、ずっと孤独に生きて来た人間だ。蜜を知らない……安息の地も、信頼する仲間も、金も立場も無かった。それを魔法に関する天性の才能で覆して、ここまでのし上がってきた存在だ。つまり、どういうことか。……慣れてねえのさ、人に優しくされる事にな。……ま、知らんけど」
「……なるほど」
「だから逆に言うと、期待されてねえ状況には慣れてるんだよ。そこからなら、全力以上の力が出せる。ってことは、一度信頼させてから突き落とす。それが出来れば、後は勝手に自滅するさ」
わざと、信頼させる状況を作る。その上で、それを崩すという事か。
だから、表面上はグレンとも仲良くしていた。リーシュに活力を与えたのも、計算の内なのだろうか。
「具体的には?」
「そうだなあ……」
悩んでいる素振りを見せつつも、ウシュクの意思は決まっているように感じた。吐き捨てるように笑うのは、卑劣な事を考えているからだろう。
「――――ギルドリーダーの就任式で、チェリィ・ノックドゥが死ぬ……ってのはどうだ?」
まずい。
このままでは。……就任式と同時に、悲劇が起こってしまう。
「チェリィは、チェリア・ノッカンドーって名前で冒険者をやっていた。グレンオードとも深い交流がある……勿論、グレンオードが何かする訳じゃない。俺も、何もしない。グレンオードはそりゃあ、びっくりするだろうな……そして、絶望する」
ウシュクは下衆な笑みを浮かべながら、両手を広げた。
「どうしてだ? ……何が起こった? ……誰のせいで? ……俺がもっと、ちゃんと見ていれば」
そうして、笑った。
「……ってな」
今度は両手を握り拳に変えて、黒いローブの男を見る。
「治安保護隊員が見ている中、国王とギルドリーダーしか居ない舞台上で、誰にも触れられずに、ノックドゥの次期国王――チェリィ・ノックドゥが殺されるとすれば。……民衆はどう思うだろうなあ。どう見たって、グレンオードのギルド以外にそれが達成できる人間は居ない。そうだとすれば?」
「……可能なのか?」
「簡単だよ。今この場を録音でもされていなけりゃ、原因を探る事すらできねえ」
ウシュクは俯いて、笑みを浮かべた。
「……ずっと、その為に準備してきたんだからさ」
悲しそうな笑顔だった。
その笑顔は、ヴィティアの目には新鮮だった。どうにも、ウシュク・ノックドゥという男の印象をぶれさせる。
どこかに迷いがあるようにも見える。それでいて同時に、しっかりとした強い意思も感じる。その真意は、見えそうで見えない。まるで深い霧のようだ。
何れにしても、この状態を放置する訳には行かない。事情は分かった、ギルドリーダーの就任式で何かが起こるという事も。後はこれを、仲間に伝えるだけだ。
ヴィティアは、逃げ場を探した。通気口はない、窓は閉まっている。可能性があるとすれば、出入口だろうか。黒いローブの男が出て行くと同時に、人知れずヴィティアも逃げるというのは。足音は殺せる。何らかの事情ですぐに扉が閉まらなければ、逃げ出す猶予はあるはずだ。
間もなく、会話も終わるだろう。座っていたヴィティアはクローゼットの上で姿勢を変え、いつでも飛び出せるように準備した。
……と同時に、ヴィティアは気付いた。
「今この場を録音されている可能性……無いとは言い切れないんじゃないかな」
どこか、愉快な声色だった。それでいて、ぞくりと背筋を寒くさせる程に冷たい。
黒いローブの男が、気配を探っている。ふと、その意識はクローゼットの上に向いた。
陰になっていて見えないが、フードの向こう側から視線を感じた。
「居ただろ……ひとり。情報収取が得意な猫が」
たったそれだけで、ヴィティアは身動きを取ることが出来なくなってしまった。
明らかに黒いローブの男は、ヴィティアの方を向いている。ヴィティアは再び口元を両手で押さえ、固まった。
黒いフードの向こう側から、殺意を感じる……!!
「猫……って、あれか? ヴィティア・ルーズのことか?」
ウシュクはそう言ったが、黒いローブの男はヴィティアに狙いを定めたまま。口元を押さえた両手に、力がこもる。
一瞬でも油断した自分を呪った。……まさか、始めから気付いていたのだろうか。その上で、自分を泳がせていただけなのだろうか。
男の右腕が、動いた……!!
「――――――――っ!!」
釘を差したような鈍い音がして、ヴィティアは固く目を閉じた。
……が、自分に痛みはない。
恐る恐る、目を開いた。
「いつどこで、誰に聞かれているか分からない。次からは、城に呼び出すのは止めて欲しいね」
部屋の隅に、蜘蛛がいた。鋭い氷の針が、蜘蛛の胴体をずぶりと突き刺している。
……どうやら、位置がばれた訳では無かったようだ。
黒いローブの男は、それきりこちらに興味を失った。
ずるり、とヴィティアはクローゼットの上にへたりこんだ。
「いやー……まさか、それは無いでしょ!!」
ウシュクは瞬間、少し大袈裟に笑った。
「ヴィティアの事だろ? 魔導士の魔法を失って、スパイの経験を活かして盗賊の真似事やってる。あいつの盗賊スキル、所詮は見よう見真似のコピーだからさ。今ここに居るとしたら【ハイドボディ】だろうけど、あいつが使えるのは服を隠せない中途半端な魔法だぜ」
「そうだからって、居ないとは限らないよ」
「いねえよ!! もしここに居るとしたら全裸だぞ、全裸。もはや痴女を通り越してただの変態だよ」
ヴィティアは、心に深刻なダメージを受けた。
「……まあ、私は行くよ」
「へーへー。まー、期待して待っててくださいよん」
黒いローブの男は踵を返して、出入口の扉を開いた。
そのまま、立ち止まった――動くなら、今。はっとヴィティアは気付いて、クローゼットからジャンプして壁を蹴り、一直線に開かれた扉の隙間に滑り込んだ。
着地して、ごろごろと地面を転がる。……当然、音はしない。
「ウシュク・ノックドゥ」
黒いローブの男は、最後にウシュクを一瞥した。
「君の武運を祈っている」
その声色にも、冷たさは消えない。
ウシュクはふと、軽い笑みに幾らかの重みを乗せた。
「嘘ばっかし。腹の中じゃあ、いつ俺を切ろうかって考えてる癖によ。さすが、立場のある人は言う事が違――」
「ウシュク」
両手を広げて、ウシュクは降参の姿勢を取った。
「……まー、任せとけよ」
黒いローブの男は振り返り、ヴィティアの隣を通り過ぎていく。
ヴィティアは浅くなった呼吸をどうにか整えながら、去り行く黒いローブの男を見ていた。……いつものように、声は変えられていた。どす黒い声の向こう側にはしかし、どこか耳に残る口調があった。
黒いローブの男が居なくなる。ウシュクは扉を閉める。……そうすると、廊下には姿を消したヴィティアだけが残った。
どうしてだろうか。素顔を見たことは無い筈なのに、頭の中の何か、意識の中で霞がかった虚像と被るような気がするのは。
……しかし、とにかくヴィティアは、ギルドリーダー就任式で事件が起こるという情報を手に入れた。何としてでも、それを阻止しなければならないという使命がある。……誰に相談すれば良いだろうか。
作戦を立てられる人間が必要だ。まだ分かりもしない就任式で起こるであろう事件の内容を推理し、更にその上の対策まで考えられるような人間が。
――――そうだ。
ヴィティアは顔を上げた。……ちょうど、適任がいる。まだノックドゥで顔を見せていない、残された仲間がひとり。
彼を、探さなければ。
そこまで考えて、ヴィティアは気付いた。
「……あ」
腰が抜けて立てない。
「ちょ、ちょっとぉ……」
ヴィティアの夜は、まだ長そうだ。




