Part.162 ヒーローだ
俺の眉間に、銃は構えられた。……にも関わらず、ミューの腕は止まったままだった。
その視線は、俺のロケットに向けられている。ロケットの先の――……俺と、母さんの写真に。
……ミューから、殺意が抜けたような気がした。
ミューが何を考えているのか、手に取るように分かる。……それは、『持たざる者』の想いだ。人に利用され続ける事を知らなければ、決して理解する事のない想いだ。
あの日、俺がミューに言った言葉。
血塗れの俺を見て、ミューは俺の眉間に、銃を押し付ける。
俺は、言った。
「撃たないのか」
ミューは、苦し紛れに口を開く。
「……撃つわ」
後ろで、リーガルオンが頬杖をついて見ている。……やらない訳には行かないんだろう。それでも、出来なくなってしまったのかもしれない。
どうにか押し殺していた心が、開かれてしまった。
それは、コップに水を注いだようなものだ。一度倒れれば、元の場所には収まらない。流れ行く水は本人の意思とは関係無く、高い所から低い所へと向かって行ってしまう。
ただ一度、蓋を開けてしまったから。
押し付けられた銃口が震える。俺は既に、無力だ。スケゾーを奪われ、既に身動きが取れる状態じゃない。やがて傷は回復するかもしれないが、自分からスケゾーに働き掛けられない今の状況では、すぐに傷を塞ぐ事は不可能。
たった一度だけ、銃の引き金を引くだけだ。
今の今まで、ミューが俺にやってきた事だ。
だが、それが出来ない。
俺は、どうしようもなく、悲しくなった。
「…………じゃあ、どうしてお前は、泣いてんだ」
俺の頬に、涙の雫が零れ落ちた。
ミューは泣きながら、俺に笑みを見せた。
「……面白い、冗談ね」
自虐的な笑みだと思った。
見ていられない。思わず、そう思ってしまった。心と身体が一致していない。どうにか俺を殺そうとする一方で、俺を殺す事に戸惑いを感じている。
……いや、それはもう、『戸惑い』なんて曖昧な表現では語られない。
ミューは抗っていた。ただ、『俺を殺す』という、現実に。
「人を、殺したわ。……同じように……同じ手法で……同じ意識で……何度も、何人も、殺したわ」
本当は、そうしたく無かったんだろう。
ドライじゃない。……そうなんだ。ミューの心の内側は、とても繊細な感情に包まれていて。あの孤児院にあった幸せが忘れられなくて、ずっとそれを追い掛けて、遂にこんな所まで来てしまった。
きっと、『平常心』だった事なんて、一度もなかった。
リーガルオンに拾われてからは。
「……今だけ、出来ないなんて……虫が良すぎる話だと……思わない……?」
それみろ。
だから、『死んだように生きる』ってのは、死ぬのと同じ位、辛いんだ。
そんな状況で生きなければいけない事が、どれ程辛い事か。
俺は、知っている。
「ここは、寒いの。……いつも、冷たい風ばかり……吹いていて……とても、冷えるの」
やるせない想いが、頭の中を駆け巡る。ミューをこんな所まで歩かせてしまったのは誰だ。無理をさせ、或いは心を壊してまで、駒として扱ったのは。
そのどれも、本人にはどうしようもない事ばかりで。
「手が、かじかんで……銃を……引けなくなったみたいで……」
俺は、歯を食い縛った。
そんな事ばっかりじゃないか。
だから、死んだ方がマシだなんて考える奴が出るんだ。
「一人だからだ……!!」
胸が抉られているせいで、腕がまともに動かない。
その代わりに、声を張った。この、どうしようもなく吐き出したくて仕方のない想いを、言葉に。
「それは、一人だからだ……!!」
ミューが、俺の目を見る。
そうだ。それだけでいい。
「ずっと、一人なんだ。俺もそうだったから、分かる。……街に居ても、酒場に居ても、沢山の人が話していても」
自分が、心を塞いでいる限り。
「本当はずっと、一人なんだ」
これまでにミューが、一体どれだけの不安を抱えて来たのか。俺には、分からない。
だが、その心だけは。言われた通りにしか動く事が出来なかったミューが、心の内側で示していた抵抗だけは、真実で。
それはきっと、かけがえの無いものだ。
涙が、溢れる。ミューの銃は遂に、俺の眉間を滑り落ちて、地面に落下した。相変わらず表情を見せないミューは、声もなく涙を流していたが。
きっと、昔はそうではなかった。ミューにも、表情豊かな時があった。
「一人は、寒いな。……泣くなよ」
これはその、裏返しだから。
俺は、微笑みを見せた。
「お前の居場所を、作ろう。……みんなで」
きっとそれは、あたたかい。
ミューは――……俺に、微笑みを返して――……。
「…………!!」
直後、血を吐いた。
背中を斬り付けられた。何処からともなく、いつの間にか。近寄りもしない。相変わらずそいつは、王座に座ったまま、死んだような目でミューを見詰めている。
覚悟はしていた。きっと俺だけではなく、ミューも。今のは、覚悟をした者の微笑みだった。
もう、十分だと思ったのだろう。『奴』が、動き出す……!!
「どうした、ミュー・ムーイッシュ」
さも当然のように、リーガルオンが言った。
「急所は外した。まだ、銃は持てるだろう。……あまり、俺を苛々させるなよ」
さて、ここからだ。……大分、スケゾーも疲弊しているな。ここから、逆転出来るだろうか。
俺の上に乗っているミューが、リーガルオンの方を向いた。
「ミュー。スケゾーを解放して、下がってろ。俺が戦う」
一旦、ミューは俺の方を見た。言葉の意味を理解しただろうか……未だ宙に浮かんでいるスケゾーを、手元に手繰り寄せ……よし……!!
蓋が、開かれた……!!
「ご主人!!」
「スケゾー……!!」
長かった。……長い、戦いだった。ここまで来れれば、上出来だ。今の状態で、俺がどこまでリーガルオンと戦えるか分からないが……それでも、まだ希望は繋がっている。
どうにか、ここから逆転出来れば……!!
「お前は、何をしている」
リーガルオンが明らかに不満そうな声色で、ミューにそう言った。
ミューは立ち上がって、そのまま……リーガルオンの方に向かって行く。……おいおい、何してんだ……!? もう、ミューがリーガルオンの所に行く理由はひとつも無い。
こんなんじゃ、ただ殺されるだけだぞ……!?
「耳でもやられたか? ……俺の命令が聞こえないのか?」
俺は起き上がろうとして……何だ。さっきより、身体が言う事を聞かねえ……!!
もしかして、ミューの攻撃だから……!? 何かおかしいと思っていたが、じわじわと体力が奪われて行く感覚がある……!!
このままじゃ、まずい。本当に動けなくなっちまう……!!
「スケゾー!! 回復だ!! ……行けるか!?」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。オイラも魔力が、まだ……!!」
時間が無い……!!
「ミュー!! 下がれ!!」
俺は、ミューに叫んだ。
本当に一体、何をしているんだ……!! ミューは振り返って、俺に向かって微笑み。
「ミ……………………!!」
思わず、声を止めてしまった。
……おい、待て。
そんな笑い方は、無いだろ。
ミューは、リーガルオンに向き直った。
「グレンオード・バーンズキッドを……見逃して」
リーガルオンの額に、青筋が浮かんだ。
ミューは……ミュー・ムーイッシュは……俺をこの場から、逃がすつもりだ……!!
そんな事を言って、リーガルオンが簡単に納得するとは思えない。場合によっては、ミューが殺される可能性も……いや、かなり高い。
ミューがそれを想定していないとは、思えない。……だからこその、あの笑みか……!!
リーガルオンの険しい眼差しが、ミューの方を向く。
「おい、ミュー。お前は一体、何を言っているんだ……? 自分が言ってる事、理解してるか?」
「ええ。……理解しているわ」
ミューはいっそ清々しいとも思える表情で、リーガルオンを見ていた。
「良いか、お前はゴミクズだ。ゴミクズに選択する権利はねえ。……散々、教えたな? 弱い癖に権利を主張するだけの奴は、殺されるだけだ」
「そうね。……そうかも、しれないわね」
「そうかもしれない、じゃねえよ。そうなんだ」
リーガルオンが立ち上がった。その巨大な剣に、手を掛ける……こんなの、黙って見ていられるか……!! スケゾーはどうにか、俺を回復させようと魔力行使してくれているが……俺はついさっき、全身切断から回復したばかりだ。一度に多量の魔力を消費した後でインターバルも無しに再び同じ魔法じゃ、無理があり過ぎる。
だからと言って、これを放置しろって言うのかよ……!!
「……あーァ、まァミューよ、落ち着けよ。死んだら終わりだぜ? 生きてりゃ、いつかはお前にもチャンスが巡って来るかもしれねえじゃねえか。ちっとも賢くねえ。やりたきゃお前が強くなってからにすりゃ良いだろう」
自分の身長の二倍はあろうかというリーガルオンを前にしても、ミューはまるで動じない。リーガルオンを見上げ、しっかりと決意を持った表情。それが、更にリーガルオンの怒りを増長させているように見えた。
「そうね。……そうだと信じて、これまでやって来たわ……あなたの言う通りにして来たわ。……だから、これはずっとあなたに協力して来た私からの……最初で、最後の『お願い』よ」
ミューの意志を、リーガルオンは計り兼ねているようだった。どうやら、理解出来ないらしい。
「……それが叶えられれば、死んでも良いってのか?」
ミューは、頷いた。
頷くなよ……!!
「死んだように生きる方が、死ぬよりも辛い事があるって……分かったから」
話し合いが通じるような相手じゃないし、自分の命を投げ売ってまでするようなお願いでもない……と、思う。だけど……確かに、リーガルオンはああ見えて、感情だけで動くようなタイプじゃない。これまでリーガルオンに協力して来たミューなら、そんな『お願い』が通用する事も、あるかもしれない……あるのか? 俺は、無いと思うが……。
いや、そんな事はどうでもいい……!! そんな願い、ミューが許しても俺が許さない……!!
「スケゾー!!」
「……すいません、ご主人……。やっぱり、今のオイラでは……!!」
「頑張れよ、スケゾー!! ……お前の魔力はこんなもんじゃない、それはお前が一番よく分かってるだろ……!? やれるって!! まだまだ限界じゃない、それはお前が無意識にセーブしてるからだって!!」
「時間が必要なんスよ!! また暴走するかもしれねえんスよ!!」
「それは分かってるけど……!!」
くそ……!!
リーガルオンが、笑った。
「……十年だ。……長かったなァ。俺とお前は、十年の仲だぜ。あのクソみてえな孤児院を燃やすのが、どれだけ面倒だったか分かるか? それでも、俺はお前の能力に惚れた。魔力が無かろうが、何でも出来るじゃねえか、とな」
孤児院のワードを出されて、ミューが少し怖気付いた。
……初めて、リーガルオンが『自分がやった』と認めた瞬間だったんだろう。俺の言葉が本当だと、ミューは再確認したんだ。
リーガルオンが、剣を構えた。
「よし、分かった。――――お前を殺してやろう」
瞬間、ミューは壁に叩き付けられた!!
「ミュー!!」
声も無く、ミューは崩れ落ちる。……抜刀が全然、見えなかった。俺と戦っていた時は、まだ本気でも何でも無かったのか……!? ミューは腹を割かれ、だが……俺の時とは違って、まだ繋がっている。
腹から、血が吹き出した。
「……約束よ」
自分が殺されそうになっていると言うのに、ミューは笑みさえ浮かべている。
その笑顔を見て、リーガルオンも笑った。
くそっ!!
「――――お前を殺した後で、グレンオード・バーンズキッドを殺してやろう」
ミューの表情が、固まった。
だから、話し合いが通じる相手じゃねえって。……そいつは、自分の利益しか考えて無いんだ。他の人間の事なんて、どうでも良いんだ。
例えそれが、十年も行動を共にした仲間だったとしても。
何で、身体が動かないんだ……!! 二回目のダウンだからか!! ミューの攻撃に細工がしてあるのか!? それがどうした。こんな状況、俺達は何度だって乗り越えて来ただろ……!!
スケゾーは浅い呼吸をしながら、どうにか魔法を紡ごうと必死になっている。
ミューは、何も言わず。唇を引き結んで、リーガルオンを見て、涙を零した。
「本当にゴミクズみたいな、最低の人生だったな」
そう言って、剣を構えるリーガルオン。
俺の怒りは、既に限界だ。動かない身体と焦る心が一致せず、頭がどうにかなりそうだ。
だが、リーガルオンはミューに攻撃する。くそ……!! 動け、俺の身体……!! 動け……!! 動けよ……!!
ミューが、固く目を閉じた。
リーガルオンの剣が、振り下ろされる――――…………
「【飛弾脚】!!」
……………………えっ?
リーガルオンの剣は、横から蹴り飛ばされた。その衝撃で大きく弾かれ、リーガルオンは体勢を崩した。
ミューとリーガルオンの、間に入り……リーガルオンに向かって、立つ人間がいる。
「遅れてすまない、グレン……ミュー。……だが、遅れて現れるというのも、ひとつのルールだろう」
信じられないと言ったような顔で、ミューが彼の背中を見上げた。
リーガルオンが訝しげな眼差しで、彼を見る。
「月夜に輝く!! マテリアル・パワー!!」
そうして、彼は――……キャメロン・ブリッツは。
「イリュージョン!!」
キャメロンの全身が、光り輝く。やがて、キャメロンの着ている服が入れ替わり、装飾されていく。
場違いな桃色の装飾に身を包み、胸にはリボン、腰にはスカート。服装と全然一致しない体格。この状況で、一体何を……。
……いや。キャメロンは今までもずっと、本気だった。一度も背中を向けず、真面目に『これ』をやって来たんだ。
冗談だと思っていた。
『俺の近くに魔導士って、お前しか居ないんだよ!! 頼む、この通りだ!! どうか俺を、立派な魔法少女にしてくれ!!』
キャメロンは、本当に俺達の前で『変身』した。
『最早俺は、唯の武闘家から魔法少女に『変身』できるのだよ』
俺は、キャメロンの覚悟を、ずっと……冗談だと。
キャメロンは目を見開き、人差し指と中指を立てて目元を強調した。
「まじかる☆きゃめろん!! 只今見参ッ!!」
その表情には、覚悟が秘められていた。真面目な顔で、『魔法少女』に変身する男に。……気付けば俺もミューも、何も言えなくなっていた。
それ所か、感動すら覚える。
リーガルオンは訳が分からない様子で、剣を握ったまま……だが、動揺はしていない。
「……てめえは、何だ」
静かに、そう問い掛けた。
キャメロンは、明瞭に。背筋を伸ばして顎を引き、リーガルオンを前にして仁王立ちすると――――…………宣言した。
「『ヒーロー』だ!!」
強い、意志だった。




