Part.142 ただの強がりですよ
「なんっで!! よりにもよって、私とこいつが入れ替わるのよっ!!」
ラグナス……の姿をしたヴィティアは『赤い甘味』のテーブルをばんばんと叩いて、俺に抗議していた。
いや。俺に抗議されても困るんだが。……第一、俺は今、それ所じゃないんだが。
「ヴィティアさん。ここはむしろ、俺で良かったと思うべきだと思いますが」
「冗談じゃないわよ呆けてんのあんた!! よく見てみなさいよ!! メンバーの中で一番駄目でしょ!! ふざけてんの!?」
ヴィティア……の姿をしたラグナスは、自身の胸に手を当てて、神々しく輝いた。
「入れ替わったのが俺である以上、ヴィティアさんの身体はこのラグナス・ブレイブ=ブラックバレルが、全身全霊を掛けて守り通してみせましょう……!! 美しいボディラインを保つための、完璧な食事バランス!! 適度な筋力トレーニングにストレッチ、そして勿論アンダーの処理もばっち」
「いやああぁぁぁ!! もう何も喋るなあぁぁぁ――――っ!!」
涙ながらに、ヴィティアはラグナスに言っていた。いつもなら苦笑する所だったが……俺は正直、胃が痛くてそれ所じゃない。
……まあ、これも仕方のない事だ。皆はスケゾーがそう簡単には死なないと思っているだろうし、俺の命に関係しているなんて思っていない。あのリーガルオンという男が俺の弱点を知らなかったように、後から来たリーシュ達もまた、俺とミューの会話を聞いていない。
これは、不幸中の幸いと言うべきか。……いや。俺はもう、仲間を信じて俺の弱点について話すべきなのか。
別に、仲間が俺を裏切るなんて思っていない。何かの拍子に、俺の知らない範囲にまで話が伝わりはしないかと、恐れているだけだ。
人の口に戸は立てられない。知っているだけで、絶対にどこかでヒントが出る。……そういうもんだ。
……やっぱり、皆に今話すのは、やめておこう。
この事を知っているのは、俺とスケゾーと、後は師匠くらいのものだ。それでいい。
ミュー・ムーイッシュは……。
「グレン。彼女は一体……何者なんだい?」
俺の様子を気遣ってか、トムディが神妙な顔をして俺に、そう聞いた。ミューに撃たれたトムディの左肩は、チェリアの協力を得て、素早く治療された――……そもそも全員、あの見た目程、大した傷は負っていなかった。それもまた驚きだったが。
「マリンブリッジ・ホテルで出会った、『ギルド・ストロベリーガールズ』のメンバーだよ。ちょっとした事があって、仲良くなったんだ」
「そうなんだ。……始めから、こうするつもりで近付いたのかな」
トムディの言葉に、俺はどう答えて良いのか分からず。ただ、黙っていたが。
「皆……特に、グレン。本当に、すまなかった」
不意に、話を聞いていたキャメロンはそう言って、俺達に頭を下げた。
口喧嘩をしていたヴィティアとラグナスが動きを止め、キャメロンを見た。トムディとチェリアは、事情が分からないようだったが。
リーシュは澄んだ瞳でキャメロンを見詰めて、そして――……口を、開いた。
「キャメロンさんとミューさんは、どんな関係なんですか」
その言葉に、キャメロンは頷いた。
「俺の祖父が昔、孤児院をやっていた事があるんだ。俺は、祖父の手伝いをしていた」
俺達は、キャメロンの言葉に聞き入った。
「俺が、病気で医者にかかっていた時のことだ。何者か知らないが、祖父の孤児院に火が点けられた。祖父は焼け死に、俺と子供達は取り残された――……。ミューは、その時の一人なんだ」
思わず、眉をひそめてしまった。……そういや昔、そんな事件があったな。確か、魔物に村が襲われて、そこに住んでいた子供が孤児になって……その孤児を拾った孤児院があった。だけど、その状況は長くは続かなかった。
孤児院は焼け、院長が死んだ。そんな情報がセントラル・シティに飛び交っていた事がある。村を襲った魔物が生きていたんじゃないか、と噂されたものだが。
あの時の孤児が、ミュー。孤児院を手伝っていたのが、キャメロンだったという訳なのか。
ラグナスの姿をしたヴィティアが、会話に参加して来た。
「でも、そうしたら、一緒にいたんでしょ? ……どうして、離れ離れになってしまったの?」
どうしても姿と口調に違和感を覚えてしまうが、キャメロンは気にする素振りも見せない。大したものだ。
「ああ。俺も、子供達と一緒に生きて行こうと考えたよ。……でも、俺の不調を気遣って、病院に付いて来た孤児が十数人居たんだ。……とてもじゃないが、当時まだ子供だった俺には、皆を養うだけの財力は無くてな」
キャメロンは後悔したような様子で、視線を落とした。
「どうにか、セントラル・シティや他の街に居る富豪に掛け合って、子供を育ててくれないかと頼んだんだ。ミューも、その中の一人だった……ミューが最も苦労したよ。あいつには魔力が無いからな。……障害児は要らないと、何度も断られたものだ」
俺は思わず、苦い顔をしてしまった。リーシュが、自身の胸の辺りで両手を握り締めた。
「結局、最終的には、ミューの秘密については黙るしかなくてな。嘘はついていないが、俺は何も言わずにミューを引き取って貰った。……だから、俺がまともに稼げるようになったら、すぐに迎えに行くつもりだったんだ。俺は、身体が弱かったからな」
「……それで、どうしたんだ」
キャメロンは、俺を見た。
「俺が迎えに行った時、もうそこに、ミューの姿は無かった。……分からないが、多分……追い出されたのではないかと、思う。そうか、俺は遅かったのだと――……その時、気付いたんだ」
じゃあ――……それから一度も、ミューとは会えていなかったと言うのか。
いや、待て。そうだとしたら、ミューの態度は……まさか、捨てられたとでも思ったのか? キャメロンがそんな事をする訳が無いだろう。こいつが絶対に自分を曲げない奴だという事は、俺にだって分かる。
……でもそれは、今のキャメロンを見ているからこそ、そう思うだけなのかもしれない、か。昔のキャメロンがどんな人間だったのかを俺は知らないし、ミューにその後、何が起こったのかも分からない。……ミューがキャメロンにどんな感想を抱こうと、仕方のない事だったのかもしれないな。
キャメロンはもう一度、俺達に頭を下げた。
それは、深い謝罪だった。
「俺の、妹みたいな存在なんだ。だから……本当に、申し訳無かった。俺の責任だと思っている……ずっと、探していたんだ。だが……どうやら、力不足だったらしい」
キャメロンは悪くないだろう――なんて無責任な言葉は、そのキャメロンの様子を見ていれば、言ってはいけない事は明らかで。
俺達はただ、キャメロンを見守っていたが。
「いつの間に、あんなにも捻くれてしまったのか……」
「それは、違うと思います」
キャメロンがそう言って苦笑すると、リーシュが反論した。
「ミューさんは、捻くれてなんかいないです。……それに、まだ大丈夫ですよ。スケゾーさんも、まだ無事だと思いますし。……準備をして、早く助けに向かいましょう」
リーシュは、しっかりと地に足の付いた言葉で。
「スケゾーさんと、ミューさんを」
そう、言った。
……スケゾーが死んでいない事は、俺が今生きている事を考えれば、すぐに分かることだ。ミューは今すぐスケゾーを手に掛けるつもりはない。それは、分かる。
だけど……それは、俺だから分かることだ。リーシュは俺とスケゾーの秘密を知らないし、ミューの人格にもそこまで触れた事はない。
「ありがとう、助かるよ。……でも、どうして、そう言い切れるんだ」
当然のように、キャメロンが問い掛けた。その言葉に、リーシュは微笑む。
「それは、ミューさんが、グレン様と一人で戦おうとしていたからです」
どういう、ことだ……? 思わず、俺は首を傾げた。頭の上に疑問符が浮かぶようだ。
「私達や、ミューさんの周りにいる人達が、それを邪魔してしまったんだと思います。……だからミューさんは、グレン様に攻撃できなかったんです」
「ちょ、ちょっと待てよ。言ってることの意味が分からない」
リーシュは一呼吸置いて、今度は全員を見渡して、口を開いた。
「ミューさんは、迷っていたんだと思います。グレン様と戦わなければならないのはきっと、ミューさんの意思ではなくて、他の誰かの命令だったと思うんです。だからミューさんは、グレン様と戦わなければならなかった。……でも、グレン様を攻撃したくなかった。だから、一人でこっそり戦おうとしたんだと、思います」
……そうか。もしかして、リーシュも気付いているのか。ミューの仲間がきっと、リーシュを捕まえた連中の仲間だって事に。
「誰にも見られずに、一人で終わらせたかった。なのに、私達がそれを邪魔してしまった。……だから、ミューさんはその場では戦わずに、グレン様を東の島国に呼んだ……こう考えると、すっきりすると思いませんか」
た、確かに。……いや。それは確かにそうなんだが。
全員、唖然とした顔でリーシュを見ていた。リーシュは人差し指を立てて、丁寧に、俺達に説明するように言った。
「ということは、まだスケゾーさんは生きている、という事になるじゃないですか。ミューさんはスケゾーさんを囮にして、グレン様を呼び出して、そこでまた、一人で決着を付けるつもりなんです。……だから、東の島国『カブキ』に行けば、そこで絶対にグレン様とミューさんはまた、二人きりになります。そこで説得ができるなら、まだミューさんを助ける道はあると思うんです」
俺は耐えられず、リーシュの両肩を掴んだ。
多分、全員が同じことを考えていたんだろう。ヴィティアはリーシュの額に手を当て、トムディは頭を抱えて涙を流し始め、ラグナスが顔を赤らめ、チェリアは呆然とし、キャメロンが微笑んだ。
「大丈夫かリーシュ!! 何かヤバい薬でも飲まされたんじゃないのか!?」
「ね、熱はないわよね!? 誰か、医者を呼ばないと……!!」
「嵐が来るウゥゥゥゥ!! セントラル・シティはもう終わりだアァァァァ――――!!」
「リーシュさん!! ああ、やはり貴女は天使だ!!」
「な、なるほど。説得力のある……」
「そうか。……ありがとう、リーシュ」
嘘だ!! こんなのリーシュじゃないっ!!
「えっ……えっと……」
リーシュは人差し指で頬を掻いて、少し戸惑っている様子だった。俺達の尋常ではない驚きっぷりに、逆に驚いている様子だったが。
暫くすると、リーシュは苦笑した。
「いえ、あの……なんだか私、他人事じゃないなあって思ってしまって。少し、似たものを感じるのかもしれません」
その言葉に、俺達は動きを止めた。
……そうか。リーシュは、自分とミューを重ね合わせて見ているのか。それなら、分からないでもない。
誰かに捕まって、利用されること。それを克服するためには、何らかの形で自分の意志を抑制する必要がある。リーシュはどうやら、利用されていた幼い頃の記憶を失っているようだったし。ヴィティアは、下っ端に徹する事でそれを克服していた。
あの無表情が、ミューにとっての乗り越え方だったとしたなら……もしかしたら、まだ希望はあるかもしれないか。
「なので私、早くその、『カブキ』という所に行った方が良いと思うんです。行けるメンバーで準備して、すぐに向かいましょう!」
それは、願ってもいない事だが――……。良いんだろうか、俺一人じゃなくて。
ミューを説得する、という方向なら、確かに人数が居た方が良いのかもしれないが。変に怒らせて、スケゾーが攻撃されるような事態にならなければ良いが。
やっぱり、それは……リーシュの言葉を、信じるしかないのか。
俺の表情に気付いたのか、リーシュは俺の手を握った。
「大丈夫ですよ、グレン様。スケゾーさんは無事です。今も、これからも」
「……あ、ああ」
「ミューさんは、好きであんな事をやっている訳じゃないと、私は思います」
ふと、リーシュの視線が鋭くなった。立ち上がると、リーシュはセントラル・シティの大通りを見詰めた。
それは、今までに見た事の無い表情だった。どこか、覚悟に満ちていると言うのか。俺には分からない、リーシュとミューとの間にある共通点。それを確信しているようにも見えたが。
唯一つ言えることがあるとすれば、それは俺がこれまでに見て来たリーシュの表情の中でも、とびきり剣士に近いものだった。
「あんなものは――――ただの、強がりですよ」




