Part.139 『マナの大木』への誘い
どうやら、現れた男はチェリアの兄弟という事らしい。
チェリアは立ち上がり、ウシュクと呼んだ男を見た。……何だ? 兄弟と出会ったと言う割に……どうにも、空気が張り詰めている。チェリアは喉を鳴らして、自身の兄を見ているようだった。
まさか……さっきの矢を放ったのは、こいつか? ……いや。こいつは弓を持っていないし……俺だって、弓を持つ男の手くらい見れば分かる。マメも出来ていないようだし、おそらくは違うだろう。
ウシュクはチェリアを見ると、少し大袈裟に驚いてみせた。
「チェリィちゃんじゃない。……元気してた?」
チェリィ?
「……ええ。……まあ」
「お兄さん、『零の魔導士』でしょ? そうか、今はこのお兄さんと一緒に行動してんの? 友達できたんじゃん、凄いねえ」
チェリアは苦虫を噛み潰したような顔をして、俯いた。
……事情は、さっぱり分からないが……何だか、チェリアの居心地が悪そうだな。
少し、助け舟を出してやるとするか。
「チェリア、セントラルには戻って来たばかりだろ。宿は確保してるのか?」
「あ、いえ、まだ……」
「じゃあ、俺が泊まってる宿に空きがあるか、見てみよう。……という訳で、悪いな」
俺はそう切り出して、ウシュクに片手を挙げて、謝罪を示した。ウシュクは笑顔で、俺の言葉を受け入れた。
「ああ、いいよいいよ。それよりお兄さん、本当に大丈夫?」
「ありがとう。まあ、これ位じゃ死なないようになってる」
俺がそう言うと、ウシュクは大袈裟に驚いて見せた。
「驚いた。腹貫かれて『これ位』と来たかい。こいつは頼もしいねえ」
……何だか、軽そうな男だな。
まあ、いい。チェリアはあまりこいつと話したくないようだし、さっさとこの場を離れよう。俺はチェリアの肩に手を乗せて、人混みの中に紛れる。
「お! あんた、もしかして『ギルド・ストロベリーガールズ』のミュー・ムーイッシュかい?」
ウシュクは、ミューにも声を掛けていた。どうやら随分と、顔が広いらしい。個別で名前を知っているレベルって事は、セントラル・シティに滞在する冒険者の名前は覚えている、という事なんだろうか。
細身に、細い目。ぱっと見て、ウシュクは狐のような顔をしていたが。
俺は苦笑して、チェリアに声を掛けた。
「大丈夫か?」
「はい……ありがとう、ございます……」
チェリアは、力無い表情だったが。
何だか、調子を狂わされてしまったな。謎の攻撃もあったし……今日はもう、宿に戻って大人しくしていた方が良いだろうか。まだ、連中がどこに隠れているのか分からない。可能なら、こんな所で戦闘になるのは避けたい。誰を傷付けてしまうか分からないしな。
しかし、一発限り、か。始めからそのつもりだったのか。そうだとすれば、本当に一体、何だったんだ。
「グレン」
呼ばれて、俺は振り返った。
「何だよ、ミュー。もしかして、お前も宿なしか? 俺、もう帰ろうと思うけど」
ウシュクと呼ばれた男は、既にそこには居なかった。人混みに紛れて、そこにはミューだけが残っていた。
ミューは、ただ、そこに立っていた。
「……いいえ。帰るのは構わないわ……それより、明日の昼に……待ち合わせを、しましょう」
「待ち合わせ?」
人混みの中でミューの声だけが、何故か大きいように感じられた。ミューは口を開くだけで、他にはぴくりとも動かずにいた。
俺とミューの距離は、近くもなく、遠くもない。だが、買い物に来ている人間が間を通る位には、距離が離れていた。
「セントラル・シティの北に……『マナの大木』と呼ばれる木があるでしょう。……そこで、どう……?」
「ああ、良いけど。それは……」
「ええ……やっぱり『捜し物』、手伝って……欲しいわ……」
どうしてだろうか。
俺には、無表情でいるミューの向こう側に――……何か、通常とは違うものが見えたような気がした。雑踏の中、治安保護隊員が駆け付ける。何か聞かれる前に、さっさとここは退散した方が、面倒な事にはならなくて済みそうだが。
「分かった。じゃあ人数集めて、昼過ぎにでもそこに行くよ」
ミューは、首を横に振った。
「一人で良いわ。大したものじゃ、ないから」
俺は、眉をひそめた。
「そう……。大した用事では……無いわ……」
そう言って、俺に背を向けた一瞬。ミューの横顔に、微笑みが見えたような気がして。
思わず、その場に固まった。あんなにも自然にミューが笑ったのは、マリンブリッジで一度見たきりだ。
「ちょっと、そこの君!! 撃たれたのは、君か!?」
「ああ……いや、ほんと、大丈夫なんで……」
しかし、胸の奥底がざわつくような。奇妙な笑みだった。
まるで、心が冷え切っているのではないかと思えるような――――…………。
*
ミューの奇妙な様子は翌日になっても、俺の頭の片隅に残り続けていた。あまり寝られず、気が付けば朝を迎えてしまっていた。
ベッドから起き上がると、身体がだるい。答えの出ない事を、延々と考え続けてしまったからだ。結局、眠りに就いたのは朝方だった。
……俺も、見た目の割に神経が細いな。
同じ部屋で、ヴィティアとトムディが眠っている。リーシュは……もう、起きているのか。早いものだな。
「おはようございます、ご主人」
小声で、スケゾーが呟いた。俺は頷いて、未だ眠っている二人を横目に、部屋を替える。
「……なあ、スケゾー。……お前どうして、昨日はずっと黙ってたんだ」
俺は、そう問い掛けてみる事にした。ミューと出会って話している最中、スケゾーがあまりにも無口だったからだ。
確かにスケゾーは俺の人間同士の交流には、あまり口を挟まないものだが。それにしても、食事の場でくらい、会話をしても良いものだと思ったが。
顔を洗って服を着替えると、スケゾーは俺の肩に座った。
「いえ。……昨日、ミューさんがリンゴを食べてるオイラの頬を触ったじゃないっスか。ちょっと、気になっちまいまして」
「気になった? ……って、何が?」
ミューは、『マナの大木』の前に一人で来いと言っていた。……下手に仲間を起こしてしまったら、何かに誘われ兼ねないな。今のうちに宿は出て、どこかで時間を潰す事にしよう。
俺は、宿の廊下へと続く扉に向かって歩いた。
「魔力が無いんだから、使い魔なんて居ないっスよね。……その割には、魔物に慣れてるなあ、と思いまして」
「……確かに、そうだな」
そうか。……それを気にしていたのか。
確かに、世間一般的に言われている魔物への評価からすれば、無闇に触りたいと思うような対象ではないよな。俺と付き合いが長いならまだ分からないでもないが、ミューはまだ出会って日が浅い。
魔物と触れ合うような期間が長かったのか。……まあ、考えても答えは出ないだろうが。
宿の扉を開いた。
「……あ」
ちょうど、扉を開けようとしているリーシュが目の前にいた。
「グレン様。どうしたんですか、こんな時間に。……ミッション探しですか?」
「ああ、いや。ちょっと、私用でな。リーシュは?」
「買い出しに行こうと思っていたのですが、お財布を忘れてしまいまして」
そう言って、リーシュは手早く部屋に入り、自分の荷物から財布を取り出して、再び部屋から出た。俺は扉の鍵を閉めて、宿の出入口に向かって歩く。
リーシュはエプロンを巻いたままで、外に出ていた。
「買い出しって、何を買うんだ?」
「晩御飯の食材です! ……今日は、良いマジックサーモンが入って来ているみたいなんです。早く行かないと、良いのは無くなっちゃいますので」
俺は思わず苦笑した。……すっかり、このパーティーのお母さんみたいな存在になってしまっている。
リーシュは炊事洗濯、何でも器用にこなすからな。剣士として戦っている時が嘘のようだ。……笑えない。
きっと裁縫なんかもやれば出来るんだろうし、良い母親になれそうだ。
リーシュは笑顔で、ガッツポーズを見せた。
「今晩は、マジックサーモンのザビエルにしようと思います!」
思わず、頭に疑問符を浮かべてしまった。
「…………ああ、ムニエル?」
「いえ、ザビエルです」
「ザビエル?」
「はい!!」
一体、何が出て来るんだろう……。まあリーシュの事だから、まずいって事はないんだろうが……。
「グレン様も一緒に、下見に行きますか?」
「ああいや、俺は約束があるから。悪いけど、見て来てくれると助かる」
「そうですか……残念です」
そう言いながらも、苦笑するリーシュ。……まあ、本当の事を言えば食材選びくらい、暇なら付き合ってやりたい所だったが。
それにしても。リーシュと二人でいるとつい、マリンブリッジでの出来事を思い出してしまう。
『……見付からない』
『そ、そうか。悪かったな、変なこと頼んじゃってさ。……さすがに、もう遺体なんか残ってねえよな。……昔の話なんだ』
『……この人、まだ……魔力を、持ってる。無い訳じゃない……まだ、生きてる』
『――――――――えっ』
関係者なだけに、どうしてもリーシュに話したくなってしまうが。
「グレン様?」
「ああ、いや。何でもない」
俺はリーシュから、目を逸らした。
まだ、確定した情報じゃない。ミューの言葉が正しいのかどうかも分からないし、俺自身の目で判断した訳でもない。……リーシュの事だ。そこに欠片でも生きている可能性があるのなら、今度は一人だって探しに出るかもしれない。
そんな負担は、掛けられないな。
「グレン様は、どちらに出掛けられるんですか?」
「ああ、ミューに呼ばれてさ。昨日、会ったんだ。『呪い』について教えて貰う代わりに、捜し物を手伝うっていう約束になってたんだよ」
「捜し物、ですか……」
リーシュは手を合わせて、笑顔を見せた。……頭の上に豆電球が点いたような顔だ。
「あ、じゃあ食材を買ったら、私もお付き合いしましょうか?」
「あー、いいよいいよ。俺だけでいいって言われてるんだ。適当に付き合って、すぐ戻るからさ」
俺は手を振って、そう答えたが。
宿を出て、セントラル・シティの道を歩く。リーシュはふと立ち止まって、俺を見ていた。それを見て、俺も立ち止まってしまう。
「……リーシュ?」
リーシュは俺のそばにつかつかと歩み寄ると、俺を見上げた。
「グレン様」
うっ……なんだ、この真剣な眼は。
「な、なんだよ」
「何か、私に隠し事をしていませんか?」
なんだこいつエスパーか何かか!?
「してない、してない。な、何でそう思うんだよ」
「マリンブリッジを出た時から、何か変じゃないですか?」
すげえ。どうして分かるんだろうか。俺、何も話してないんだけどな……。しかし、そんな事を問い掛けられたからといって、俺がリーシュに母親の事を話せる訳じゃない。……リーシュは暴走する癖がある。こんなに大きな事を知ってしまったら、俺の言葉なんか絶対に届かなくなる。
どうしよう。……なんとかして、話題を変えないと。
「……何も無いって、勘繰りすぎだよ。リーシュの癖に、らしくないぞ」
「嘘ですね」
「うぐっ……!?」
ここまではっきりと言われてしまうと、もう俺に打つ手が無いんだが。
リーシュは目を閉じて、溜息をついた。
「お食事だって、普段はご飯から食べるのに、最近は目に入った近いものから食べてますし。ミッションに人を誘う事も少ないですし、お風呂の時間がいつもより十分くらい長いですし、スケゾーさんをぶちませんし、ツッコミのキレも悪いです。……何か、考えるような事があったとしか思えません」
……俺はリーシュに、一体なんと答えればいいんだ。
リーシュは頬を赤らめて、少し困ったような顔をした。
「それくらい、分かりますよ。……いつも、見てますから」
思わず、頭に血が昇ってしまうが。
何度か胸板を叩いて、気持ちを落ち着ける。……今のは、不覚にもぐらっと来た。最近、リーシュの俺を見る目が変わっているような気がしてならない。気がするだけだ。そうに違いない。
……これでは、スケゾーにヘタレと言われても言い返せないな。
「そ、そういえばさ。リーシュの技って、【アンゴル・モア】とか、【ホロウ・ゴースト】とか、なんで物騒な名前なんだ?」
「えっ? ……それは、私に剣を教えてくれた方が、そう名付けたからで……幼い頃のことで、もう顔もよく覚えていませんが……」
「だったら、変えても良いんじゃないかな。せっかく自由になったんだしさ。もっと、リーシュらしい名前を付けても良いと思うぞ」
さすがに、話の誤魔化し方が下手過ぎる。……自分でも、よく分かっている。リーシュは少し不安そうな顔をして、俺を見ていたが。
「悪い、俺、こっちだから」
「あっ、グレン様……!!」
俺は逃げるように、リーシュに手を振った。路地裏に入ると、俺は足早に歩いた。
スケゾーが、俺の事をじっと見ている。
「ご主人……」
「仕方ないだろ。リーシュに話すわけにはいかねえよ」
「いや、そっちではなく」
俺は、スケゾーと目を合わせられなかった。
「そろそろ、恋愛偏差値ゼロの壁から抜け出しても良い頃だと思いません?」
「頼む。もう少しだけ……時間を、くれ……」
こんなにいきなり経験値を積む場所ばかり増えても、俺の方が対応できない。
……適当に時間を潰して、頃合いを見てマナの大木に向かおう。




