Part.129 か、かわいい……
「……ごめんなさい」
とにかく、俺はリーシュにそう言って、謝った。本当は土下座したい所だったが、水中ではそういう訳にも行かない。
リーシュは顔を真っ赤にして、もはや何も言えない様子で固まっていた。……こんな顔のリーシュは、久し振りに見る。リーシュの首から下は海の中だから、他の人間には何も見えてないだろうが。
ラグナスが遥か遠くまで進んで行くのが見えた。……リーシュはただ、俺から顔を背けた。
「……あの、ごめんなさい。その………あんまり強く握られると、痛くて」
「すんませんっしたァッ!!」
言われるがままに、手を離す。……だが、離したところでここは海だ。どうしようもなく、その場で再びもがき始める。
「うごっふ!! わああっ……!!」
「ああっ!? グ、グレン様!! 大丈夫ですか!?」
再び、今度はリーシュに抱き留められた。
……胸が。……顔に。
どうにか顔だけ水から出して、呼吸を復活させる俺。少し身を乗り出せばキスしてしまいそうな場所に、リーシュの口がある。
いかん。この状態で意識を失ったら、リーシュの腕力で俺を海から出せるとは思えない。
意識だけでも、保たなければ……!!
「あの、どうして……?」
俺は少し泣きそうになってしまったが。……どうにか、言葉を紡いだ。
「……………………泳げないんだ」
「えっ?」
「俺、山育ちだったから。海に入ったことなんて、数える程しかないんだ。……だから、泳げないんだよ」
リーシュは目を丸くして、俺を見ていた。
穴があったら入りたい。……こんな事、誰にも言わなかった。知っているのはスケゾーと師匠くらいのもんだ。
零の魔導士、第二の汚点。……まさか、こんな状況で言うハメになるとは。
リーシュは頬を染めて、俺の頭を抱えている。……な、なんだ? 急にリーシュが俺を、少し優し気な瞳で見詰めている。
「……か、かわいい」
えっ。
リーシュが俺の頭を、大切なものでも抱えるようにして、引き寄せる。リーシュの体温と、心臓の鼓動が聞こえてくる。
頭がどうにかなってしまいそうだ。
「あの、グレン様、そしたら……砂浜まで泳ぎますので、それを取って貰っても、良いでしょうか」
「そ、それ? ……って、どれ?」
リーシュの指さした方向を、俺は見て…………。黄緑色の、バンドゥビキニ。リーシュの胸を隠していたものが、水面に浮かんでいる……。
……ああ、そうか。さっきの激突で、外れて……えっ? いや、ちょっと待ってくれ。……じゃあ、今、俺は。
「足が付くところまで泳いだら、直します……ので」
海の中に居るはずなのに、もう頭が沸騰して何も考えられない。
*
「どうやら、俺の勝ちなようだな」
「ああ、完敗だ。もうそれで良いし、何を言うつもりもない」
俺がビーチパラソルの下で休んでいると、ラグナスが戻って来た。得意気な顔をして、俺を見ていたが……しかし、不意にその表情は驚きのそれに染まり、俺を見詰める。
「何故、貴様は鼻に紙を丸めて入れているんだ?」
「ちょっと、のぼせてな」
「温泉でもあったか……?」
うるせえな。放っておいてくれ。
どうにか意識こそ失わなかったものの、俺はすっかり頭に血が上って、この有様だった。暫くは動ける気配も無いし、俺にとっての今日のビーチはこれで終いだ。
ヴィティアが慌てて、リーシュと上がって来た俺を介抱してくれたが。もう放っておく以外にどうしようもないと分かり、今ではリーシュと再び、海で遊んでいる。……体力があるな、本当に。
さっきの、紫髪の女の子は……いた。他のギルドメンバーだろうか、複数の女の子と共に遊んでいるようだ。
……俺の思い過ごしだろうか。
「なあ、グレンオードよ」
脱力していた俺は身体を起こして、ラグナスの言葉を聞いた。
「なんだ?」
「……いや。先に、貴様には断っておこうと思ってな」
一体どうしたんだよ、急に改まって。
ラグナスは明後日の方角を見詰めていた。つい先程までふざけていたのに、どうしたんだろう。……リーシュとヴィティアが居なくなったからか?
「リーシュさんの一件、俺は連中の親玉を炙り出して、仕留めようと思っている」
ラグナスの言葉に、思わず俺は目を細めた。
……そうか。こいつも、気にしていたのか。ラグナスは歪んだ事が嫌いだからな。正々堂々と勝負せず、影に隠れて人を使う。そんな奴等のスタイルは、気に入らないに違いない。
……あれ? 正々堂々? ……うーん。
いつの間にか俺の所に戻って来ていたスケゾーが、腕を組んで俺の腹に座った。俺はラグナスに、言うべきかどうか迷ったが。
「……俺とスケゾーも、同じ気持ちだよ」
結局の所、ラグナスにそう返す事にした。
紆余曲折あったが、最終的にはラグナスも、リーシュを助ける為に誠心誠意、頑張ってくれた。そこは間違いなく確かな出来事で、ラグナスは一度も手を抜いたりしなかった。……俺がこいつを信じる理由は、もう十分過ぎる程にある。
何故かライバル視されていて、ちっとも友達らしくはなれないが。思えばラグナスも、わざわざ俺にこんなことを言う必要はないのに、二人になった瞬間を見計らって、言ってきてくれた。
いつの間にか、こいつとの間にも不思議な関係が出来つつあるのか。
ラグナスは目を閉じ、笑みを浮かべた。
「そうか。……フッ、貴様がどうしても手を組みたいと言うなら、協力してやらない事もないが?」
「こっちの台詞だろ。俺とスケゾーは、別にお前が居ようが居まいが関係無いんだけど?」
「ほざけ、使える魔法が零の魔導士が」
そう言って、俺達はお互いに、笑みを浮かべた。
それは、俺にとって……今までに感じた事のない、不思議な感覚だった。リーシュ、トムディ、ヴィティアは、何れも俺に付いて来た人間だ。ラグナスのように、俺と同程度、若しくは近しい実力を持ちながらも、互いの目的に同調して手を組もうと繋がったわけではない。
家族と言うよりは、連帯感。……もしかしたら、ギルドを作るってこういう事なんだろうか。
「……しかし、どうやって連中の居場所を見付けようと考えてる? 正直俺は、解決の取っ掛かりも無くてな。困ってるんだ」
俺がそう言うと、ラグナスは不敵な笑みを浮かべた。
「フッ。……俺が何かを考えているように見えるのか?」
「……あー、うん。むしろそれを自信満々に言えるお前を尊敬するわ」
俺に宣言しておきながら、プラン無しかよ。……いや、プランが無いのが作戦なのだろうか。見た目はちょっと頭良さそうなのに、こいつはいつもこうだよな……。
「そういう小難しい事を考えるのは、貴様の役目だろう」
「ああ、もうお前には期待しないが……しかし、なあ。今回ばっかりは、何か手掛かりが無いと話が前に進まないぜ」
俺は両手を頭の後ろで組んで、ビーチチェアに凭れ掛かった。
手掛かり……取っ掛かり。俺達が、連中について分かっていること。何か、あるだろうか……いや、待てよ。
「そういえば、『呪い』を使う、って事は分かってる」
「『呪い』? ……と言うと、あの東の島国に伝わる古風な技術の事か?」
何だ、ラグナスも知っているのか。何だかんだ、戦闘に関係する事についてはひたむきな努力をする奴で、ストイックである。
「そうだ。俺は何度か、連中が『呪い』を使っているのを見た事がある。……ってことは首謀者は、少なくとも東の島国について、それなりに知識がある奴だ。魔法だけでは達成できない何かをしようとしている可能性もあるな」
「……なるほど。そうすると、東の島国について情報を集めて行けば、自ずと辿り着くかもしれんな」
ラグナスはふむ、と頷き、立ち上がった。リーシュとヴィティアの所に混ざるつもりなんだろう。
俺は……今日は、もういいや。何だかんだ疲れる事が多かったのと、もう女性の水着を直視したくない。これ以上貧血になるのは、もう勘弁だ。
「では、何か新しい事が分かったら頼むぞ。親玉は俺に任せておけ」
「……おー。期待してるよ」
ひらひらと手を振り、ラグナスを見送る。
しかし、『呪い』か。
俺の知らない領域に足を踏み入れる日も、そう遠くは無いのかもしれない。
*
その日の夜には、立食パーティーが行われた。
様々なギルドやパーティーの人間。冒険者ではない人間。誰もが参加する、バイキング形式の立食パーティーだそうだ。マリンブリッジ・ホテルの二階には、そこだけベランダのように飛び出ている部分があり、星空の下、セントラル大陸きっての有名シェフが腕によりをかけて晩飯を作る。
その時間になる頃には、俺も幾らかは回復していた。星空と月明りに照らされる海を見詰め、ラムコーラを一口。今日は花火大会があるようで、既にパーティーの敷地内は花火を期待した人達で賑わっていた。
花火、ねえ。火を打ち上げるだけの物が、それほど綺麗だとも思った事が無い俺は……どうにも、慣れなかったが。
「あ、こんな所にいた……!!」
俺を見付けて、駆け寄って来るのは……ヴィティア?
マリンブリッジ・ホテルの室内着で現れたヴィティアは、どことなく色っぽい。フードの無いローブのような室内着は、腰帯で締められるようになっている。独特の雰囲気だ。
「もー、勝手に行動しないでよ……ホテルの部屋に行ったら、もう居ないんだもの……」
「おお、探してたのか? 悪いな。……リーシュは?」
「なんか着替えに手間取ってたから、先に来たわ」
そう言いながらも、ヴィティアの手には既に酒がある。……カクテルか。あまり、詳しい名前は知らないが。
敷地の柵に凭れ掛かっている俺の隣に、ヴィティアは陣取った。ふと、カクテルに口を付ける。
「全然、二人になれない……」
……そういや、これはデートだったな。リーシュとラグナスがくっ付いて来たせいで、あまり実感が無かったが。
まあ、四人で来ればこんなモノだろう。今、ヴィティアと二人になる時間があった事が幸いだろうか。ヴィティアは両手でカクテルを持ち、上目遣いで俺を見詰めた。
「ねえ、グレン。……この後って暇?」
「ああ、用事は特に無いよ。旅行だしな」
ヴィティアは頬を朱に染めて、少しだけ嬉しそうにしていた。
「じゃ、じゃあ、この後、もし良かったら」
「ヴィティアさんっ!!」
不意に、ヴィティアの肩に手が置かれた。背中に居るのは……ラグナス。
「……な、何?」
何やら真剣な眼差しで、ラグナスはパーティーに参加している集まりを指さした。ヴィティアは面倒そうにしながらも、その方向を見る――……。今ヴィティア、俺に何か言い掛けなかったか?
……まあ、仕方ない。この場で余計に詮索すると、ラグナスがまたうるさそうだしな。
「時に、頼みがあるのですが……あそこで、女神達が談笑をしているでしょう」
女神達って……。
「あ、皆さん……!! ごめんなさい、遅れてしまって……!!」
「リーシュさん、丁度良い所に!! リーシュさんも、俺の話を聞いてください!!」
そうこうしている内に、リーシュも到着した。ラグナスはリーシュの肩を抱き、ヴィティアと三人、相談する姿勢になっていた。
……何を始めようとしているんだか。
「聞く所によると、あそこの女性陣は『ギルド・ストロベリーガールズ』と名乗る、女性オンリーのギルドらしいんです。イコール、俺の明日はピンクイルカまっしぐらって事です」
そんなに、「オホーツクホーツクホオォォォォォ!!」になりたいのだろうか。
「分かります。ラグナスさん、見事にピンクイルカを乗りこなしていらっしゃいましたからね」
リーシュが頷いた事で、何だか分からない連帯感が生まれた。
「そこで、俺が彼女達に声を掛けるのを、手伝って頂きたいのです。俺一人では唯のナンパですが、リーシュさんとヴィティアさんが混ざれば、それは『二枚目からの声掛け』に進化する筈だろう、と気付きまして」
どうしてラグナスの頭の中では、女をはべらせていると二枚目なんだろうか。
リーシュが真面目な顔で頷いて、何やら熱を入れていた。
「なるほど……!! 私とヴィティアさんで、二重トラップという訳ですね……!!」
残念ながら、だいぶ違う。
「ごめん、ちょっと何言ってるか全然分からないんだけど……」
ヴィティアの反応が最も自然だな。
「とにかく、五分だけ付き合ってくれれば構いませんので!!」
「はい、お任せくださいっ!!」
「ちょ、ちょっと……!!」
ラグナスに手を引かれ、リーシュとヴィティアが遠くに消えて行った。
くだらねえ……。思わず、苦笑を浮かべてしまう俺だったが。どうせまたすぐに失敗して、帰って来るに決まってる。
「すいません、ご婦人方。……少し、お時間よろしいですか」
俺は腕を組んで、様子を見ていた。今は、楽しそうに会話しているが。
リーシュも混ざって、それは楽しそうだ。ヴィティアは少し、面白く無さそうにしていたが。
あれ……? あそこに座っているのは、先程の……紫髪の女の子じゃないか。ラグナスが、『ギルド・ストロベリーガールズ』とか言っていたな……彼女も、そのギルドの一員なのか……?




