Part.109 リベット・コフールの誕生祭
『マックランド!? …………あんたがっちぃっ!!』
あまりにも激しく反応したので、手に持っていたスープを零してしまった。その反動でスープの器を落としてしまい、更に被害が拡大した。
『ギャ――――!!』
『ああっ、ちょっ…………何してるんだ馬鹿者ォォォ――――!!』
慌ててマックランドが、スープの器を取る。俺は激痛に身を捩らせたが、すぐに熱いスープを受けた身体は、マックランドの手によって冷やされた。
熱くない。…………そう思い、俺は少し、冷静になった。
『大丈夫か?』
『あ、うん…………』
『気を付けたまえ。一体どうしたんだ、急に』
だが、マックランドと視線を合わせた時、俺は再び沸騰した。
冷静になっている、場合じゃない。
『あ、あんたが噂の魔導士なのか…………!? 俺、あんたに会いに来たんだよ!! そのために、山を登ってたんだ!!』
そう言うと、マックランドは怪訝な表情になって、俺を見詰めた。
『私に? …………何の用だね』
変わった話し方をする人だ。俺の知る限りでは、女性でこのような言葉遣いをする人間は少ない。
噂に聞いていた通り、変人なのだろうか。こんな山奥に家を作って住んでいるのだから、それはそうなのかもしれないが。俺は胸の内で少し動揺しながらも、マックランドに向かって身を乗り出した。
迷いも、不安も、躊躇いも要らない。俺は今、行動しなければならなかった。
『俺を、弟子にしてくれ!!』
何かにかまけて、タイミングを失う訳には行かない。そのような思いから、ストレートに自分の要求を打ち明けた俺。マックランドは俺の言葉をすぐには理解できなかったようで、暫くの間目をぱちくりとさせて、それから再び、怪訝な表情になった。
マックランドの都合は関係ない。ここで首を縦に振らせなければ、俺に未来はない。
母さんにも――――…………。
『…………いきなり、何を言い出すかと思えば。そんな理由で、ここに来たのか』
マックランドは、迷惑そうな顔をした。
だが、その表情に。幼いながらもずる賢い俺が、勝機を見出した。
その手前、一瞬だけ――――マックランドが悲しそうな顔をしたことを、俺は多分、生涯忘れる事はないだろうと思う。
『悪いが、今はもう弟子は取っていないんだ。…………他を当たってくれ』
『もう、他に行くところなんてないんだ…………!! あんたじゃなきゃ、駄目なんだよ!!』
『見込み違いだ』
そう言って、マックランドは俺に手渡したスープの器を下げる。煮え滾る鍋の隣で、器を洗い始めた。
俺は、焦っていた。どうにかしてマックランドの興味を引かなければ、ここまで来た事が無駄になってしまう。山小屋に住み、ろくに飯も食べられない母親のために、俺は引き下がる訳には行かなかった。
マックランドは少し寂しそうな笑顔で、振り返った。
『体力が回復したら、家まで送ってやろう。それまでは、ゆっくり休むといい』
そんな事を言われても、俺は弟子に取ってもらう以外、もう道はない。
頭の中に引っ掛かっていた言葉を、すぐに形にした。
『む…………昔は、取っていたのかっ!?』
咄嗟の発言だった。だが、俺の言葉にマックランドの表情が変わった。俺はベッドから降り、炎の輪を幾つも身体の周囲に出現させ、それを操ってみせた。
『セントラル・シティの魔導書は、全部読んだ…………!! 魔法だって、まるで使えない訳じゃない…………!!』
マックランドは、驚きを隠せない様子だった。
『き、君は――――…………』
『俺は、グレンオード・バーンズキッド!! どうしても、魔導士にならなきゃいけないんだ!! そのために、あんたに手伝って欲しいんだ…………!!』
『バーンズキッド…………!? バーンズキッドって、まさかあの、バーンズキッドか…………!?』
何の事だろうか。まさか? …………あの、『バーンズキッド』って、なんだ?
外は暗闇だった。窓の外から見える景色に、今は夜なのだろうと察する事ができた。俺は今まで、眠っていたのだろう。
だが、その一瞬、家の中まで明るく照らされる程に強い光が、窓の外で起こった。俺とマックランドはその光に驚き、俺は振り返り、マックランドは水を止め、器を置いた。
『雷…………!? いや…………!!』
雷とは、また少し違うような気もした。
マックランドは慌てて手を拭き、家の外に向かって走った。俺は慌てて、マックランドに付いて行った。
強いのに、淡く、どこか神聖な光。家を出ると、再び光った。暗闇に一瞬だけ青空が戻り、その強い光が、俺とマックランドと、その山を照らした。
マックランドの走る先に、俺は付いて行く。…………何かが、空に居る。光の出現した場所は、途方もなくちっぽけで、そして――――…………
綺麗だった。
*
スカイガーデンの姫君、『リベット・コフール』の誕生祭は、盛大に行われた。
「…………すごいわね、リベットの支持」
「ああ…………」
ヴィティアの呟きに、俺は頷いた。
俺達は城のバルコニーから、下の様子を眺めていた。昨日までの『サイドスベイ』とは打って変わって、街は人で賑わっていて、『金眼の一族』以外の空の住人も多数、訪れていた。
パーティーの最も注目される場所に座っているのは、昨日も話していた国王、ブレイヴァル・コフールと、リベット・コフール。母親である、ミント・コフールの姿もあった。三人とも笑顔で、住民と話している。
この状況なら、俺達が居る事はバレないだろうが――……一応、見えにくい位置から様子を確認していた。どこまで効果があるか分からないが、意識して魔力を抑える。城の中に俺達が居るとは知られたく無いんだろうし。
長老の姿も見えるな。マクダフは…………さすがに居ないか。
「ところで、トムディはまだ戻って来ないのか」
壁に凭れ掛かり、ラグナスは俺にそう問い掛けた。
「さあ…………でも、城の中に居るから、一人でここに来るのはちょっとしんどいよな。どこかで時間を潰してるんじゃないか?」
「そもそも、どうして一緒に来なかったんだ。俺はちゃんと、『これから城に入る』と言ったんだぞ。こうなるのは明らかだっただろう」
「いや、誰に言ってんだよ。俺がトムディに見えるか?」
「そういう訳では無いんだが、少し腹立たしくてな」
ラグナスは下顎を撫でて、言った。
「…………いや。正直、俺は男の顔に関しては、多くの場合皆ハニワに見える」
「もうさ、にゃんにゃんワールドよりハニハニワールドを作るべきじゃないか?」
どれだけ男の顔に対する認識能力無いんだよ。
でも、なあ。スカイガーデンに来る時から、トムディの元気が無いのは気になっていた。まだ地上に居た時、セントラルのはずれで全員が揃った時。あの瞬間までは、まだトムディは元気だったように思えるんだけど。
何か、思うところがあったんだろうか。スカイガーデンに来てからも、妙に勇んだり、怯えたりしているような。何を考えているのか、よく分からない。
…………って、あれ?
「なあ。…………あれ、トムディじゃないか?」
俺の言葉に、ラグナスとヴィティアが寄って来る。リベットの誕生祭が行われている、すぐ近く。こそこそと、小さな茶髪の男が歩いているのが見える。あの王冠は紛れもなく、トムディだろう。
「何してんの、あいつ…………」
ヴィティアが思わずといった様子で、呟いていた。
なんか、金眼の一族に会釈している。あんまり、嫌悪を抱かれている様子じゃないな。それどころか、なんか妙にフレンドリーな様子だけど…………一体、何があったんだろうか。でもトムディは、少し困っているようにも見えるが。
誕生祭の端っこで、隠れるように歩いていたトムディ。スカイガーデンの住民と話した後、なんだか中央の方へと追いやられている。…………おいおい、そっちはリベットの方だぞ。何してんだ。
「…………なあ、グレンよ」
「おう?」
「あれはもしかすると、勘違いされてるんじゃないか。『地上の王』か何かと」
「ええ…………。さすがに、そんな事はないだろうと思うけど…………」
俺は、地上の声に耳を澄ました。
「どうぞディーン王、こちらへ」
「あーいや、なんか賑わってるから、別に今度でも…………」
「国王との会談予定となれば、我々が引き止める訳には参りませんので」
「す、すいません。ありがとうございます…………」
何も言えず、俺はラグナスに向かって苦笑した。
「あったわ、そんな事」
「だろうな…………」
ディーン王って。
おーい。幾ら王冠を被っているからって、アレを地上の王様と勘違いしちゃ駄目だろ、空の国の住人よ。あんなちんちくりんで飴玉食ってる奴が地上で一番偉い奴だったら、今頃地上は壊滅しているよ。
これは何かやったな、トムディの奴…………。個人的に、これ以上スカイガーデンの人間との距離を広げたくないんだけどな。
ああ、でもまあ、国王がああいうタイプの人間だから、あんまり問題はない、か…………?
「お菓子を買いたいけど、地上の人間に売ってくれない。だから国王と会談予定の王様だって言ったら、お菓子を売ってくれた。そうしたら、無理矢理国王の所に案内されてる最中」
ヴィティアが念仏のように、呟いた。
「…………何言ってんの?」
「って事じゃない? つまり。私、そうとしか見えないんだけど」
「馬鹿言うなよ。幾らトムディだって、お菓子に釣られて『ディーン王』なんて名乗ったりは…………」
トムディの両手には、今日買ったと思わしき菓子の箱が沢山握られていた。
「…………」
いや、まさか予定って、菓子の事じゃないだろうな。そうだとしたら、俺はトムディを殴るぞ。
「グレ――――ン!! どこに居るんだよおぉォォォ――――!!」
いや、そこで俺の名前を呼ぶなよ!!
幸いにも、俺の名前すらちゃんと聞いていなかった連中は、頭に疑問符を浮かべるだけだったが。…………許せ、トムディ。俺は今、そこに行く訳にはいかんのだ。
まあ誕生祭が終わる頃にでも、どこかで回収してやるしかないか。
「親愛なる、空の国の人々へ。本日はお集まり頂きまして、誠にありがとうございます…………」
そうして、国王のスピーチが始まった。
リベットは席に座って、国王の話を聞いている。ここまで空の国スカイガーデンが存続して来られたこと、これからも栄えて行くこと。そんな内容について、国王は話していた。
俺は会場に背を向け、バルコニーの柵に隠れるようにして、座った。あんまり俺が覗き込んでいたら、どこかで発見されてしまうかもしれないからな。国王が話し始めたという事は、ここから先は誕生祭を終えて、リベットと国王が解放されるまで進展は無くなる。
リーシュ探しも、その後になりそうだ。
「…………ふむ。誕生祭、何かあるかと思ったがな」
ラグナスも腕を組んで、背を向ける。
「そうか? ただの誕生祭だろ」
「もし俺が連中の仲間だとしたら、リーシュさんと同じ顔のリベットさんの誕生祭というのは、仕掛けるのに絶好のタイミングだ。空の国の人間が集合する瞬間でもあるし、金眼の一族と空の人間を一網打尽にし易い」
「…………怖い事言うなよ」
確かに、出来過ぎたイベントだとは思ったけど。俺達がリーシュの救出に向かって動き出したって事は、連中もリーシュを利用するタイミングになっている、という事でもある。ヴィティアの殺害が失敗に終わって、連中も下準備とか色々、あっただろうから。
でも、それが今日だなんていうのは、本当に出来過ぎている話だ。リベットの誕生祭を狙い撃ちする為には、まず連中がリベットの誕生日を知らないといけない。幾らなんでも、この短時間でそこまで調べられているとは思えない。
スカイガーデンに入るのでさえ、これだけ苦労したんだ。その条件は、リーシュを捕らえている奴等だって、同じなんだからな。
「気にし過ぎだよ。中に入って、チェスでもやって待とうぜ」
「オイラの出番っスか?」
「引っ込んでろ、スケゾー」
「ぶーぶー」
俺の肩から顔だけ出したスケゾーが、面白く無さそうな顔をして再び引っ込んだ。もうお前との時間を無駄にするチェスは、二度と御免だ。
「グレン、じゃあ今日は一日、時間ができるの?」
ヴィティアが意気揚々と、俺の腕に絡み付いてくる。
「ああ、まあ。誕生祭の間は、俺達もここから動けないからな。城の前でやるってんじゃ、出ようもないし」
「じゃあ、今日は私がお菓子を作ってあげるわ。それで、二人でティータイムしましょうよ」
「…………ああ、まあ、いいけど」
慌てて、ラグナスが駆け寄って来た。
「ヴィ、ヴィティアさんっ!! 二人とはなんですか!! 俺もその、肉欲の宴とやらに混ぜてください!!」
「誰もそんな事言ってないわよ!!」
――――――――不意に。
俺は、自分で考えた言葉が、頭の中に纏わり付いて、離れなくなった。
金眼の一族を襲う事なんて、そんなに簡単な話じゃない。俺達が入るだけでも結構な苦労をしたのに、空の国の人間を一網打尽にしようなんて、それは相当な下準備が必要になるはずだ。
下準備。
リーシュが捕らわれたのは、何の為だ? 空の国の姫君とよく似た顔をしている、しかし姫君ではない、強い魔力を持った存在。サウス・ノーブルヴィレッジで、一番最初にリーシュの回収を目的とした奴等が、次に狙っている事って一体、何だ。
リベット・コフールの、誕生祭――――…………。
「リベット様!?」
「おい、一体何事だ…………!!」
俺は、振り返った。




