8.
次の野営地に着いた時。
3人は思わず安堵のため息を漏らした。
軽口を叩いていても、いつ何時襲われるかわからない行軍は緊張を極めた。
トーマは周囲を確認しつつ、時空震が起きていないか見回りに行き、ユニコーンは有珠の護衛の為に残った。
トーマが夕飯に食べる物を採ってきて3人で食事をすると、今度はユニコーンが時空震を見張りに出かけた。
次の日の行軍は、鏡のような山を登る、というものだった。
今度はトーマが先に上り、彼が支えているロープを手繰って登っていたのであるが、有珠が脚を滑らし、あわや漆黒の闇と化している岩肌の裂け目に落ちそうになった。
咄嗟にユニコーンが彼女を抱きとめ、事なきを得たが。
・・・以来、何かあるとユニコーンが有珠を率先して抱きかかえた。
トーマも『自分が彼女を運ぶ』とは一切言わなくなった。
有珠は、当初。
どう考えても、不本意ながら自分のほうがユニコーンより重そうだし(彼女の次元では彼女は美容体重のカテゴリーに入るが、いかんせん、ユニコーンが骨と皮過ぎた)、トーマに抱きかかえられても緊張しないから彼に助けて貰ったほうが楽なのだ。
それに何故かユニコーンに抱きかかえられると、煩い程に心拍があがる。
(私、心臓病?!)
それに頬が燃える程熱くなる。
(ついでに発熱もっ・・!)
それでいて、ユニコーンの薄い、固い、でも温かい躰に包まれていると、とても安心できる。
(ずっとこのままで・・・って、何考えてるの、私?!)
そして相当に面はゆい。
なので、彼に抱え込まれるのは嬉しい反面、躊躇していたのだが。
頑張ってもどうしても無理な時はあり、救いを求めるようにトーマを見上げても、悪い大人は口笛なんぞを吹いて、どこ吹く風だ。
段々、有珠はユニコーンが助けてくれるのを受け入れるようになった。
そんな時、彼は有珠を抱えたまま、先頭を歩く。
真っ赤な頬をして、ユニコーンの肩にかじりついている有珠。
二人の後ろ姿をトーマは、内心にこにことして見守っていた。
トーマには見えなくても想像がついた。
ユニコーンが怒ったような顔をして、でも頬を染めて。
大切な宝物のように有珠を抱きかかえていたことを。
(耳まで赤いもんな、ユニコーン。ばればれだぞ)
・・・有珠にとってありがたいことに。
家庭科(という言葉を二人が知っていたとしても)は女子のもの、という認識はユニコーンやトーマ、どちらにもないようだ。
家では食事を作ったことも裁縫をしたこともないうえに、この次元の家庭科は真剣過ぎた。
有珠は、二人が捕まえてきた魚や獣を捌くやり方も知らなかったし、燻製にする仕方も知らなかった。
ましてやマッチも燃料もない処から火を生み出すことも出来なかったし、獣から剥いだ皮をなめすことも出来なかった。
(獣皮は物入れや履物、躰を保温する為の毛布や敷物になるのだ)
また、樹皮から繊維を取り出してそれを苦労して撚り、織りあげることも出来なかった。
(この次元の時代背景は何時代なの)
有珠の次元では犬、猫、金魚といった動物以外は都心部以外に棲息している為、立体映像動物園にしかおらず、リアルな遭遇はほぼ、ない。
というのも、彼らの繁殖を管理していた人間が激減し、他の動物たちを狩ることもなく、動物園で展示する為に捕獲することもなくなったからだ。
(そんな訳でその他の動物も個体数が少ないなりに、結構幸せに繁殖しているのだ。)
食物や衣服は工場で作られて、オンラインで運ばれてくる。
異次元の物語で、女子が好きな男子のハートを射止める為にスイーツを作ったり、セーターを編んだり、などという物語は、有珠の世界では『究極のファンタジー!』と銘打って電子書籍としてベストセラーである。
・・・『アラジンの魔法の絨毯』のほうが『ある、ある!』で科学的根拠に基づいたモノなのだ。
そもそも彼女の次元では、家庭科、という授業は存在していないのだ。
ユニコーンの世界でも、そうだったらしく。
最初こそ、有珠に自分で食料を取るよう強要してきたものの、有珠が生き延びる為のスキルを身に着けていないとわかると、『俺も最初出来なかった』と言いながら、獲物の捌き方に火の起こし方、皮のなめし方などをぶっきらぼうながら親切に教えてくれた。
(なんかキレイ)
手際よくそれらを行っていくユニコーンの手を有珠はじいと見ていた。
細くて筋張っていて、器用な手がさっさと煩雑な作業をこなしていく。
おそらく、ユニコーンはこの次元よりも、有珠の次元に近い次元の人間であるだろうから、二人から見れば狩猟生活に等しいこの生活に慣れることは、有珠以上に厳しかったことだろう。
そ、と彼の横顔を見ると、無表情に、そして涼やかだ。
有珠は手元でなく、彼の横顔をずっと見つめていた。
彼女は知らないことだったが、有珠に憧れの目で見つめられることに少年もまんざらではないようで、彼の耳が赤くなっていた。
・・・そんな二人をトーマが生暖かく見守っている、というのがこの次元での『授業』風景だった。
ある晩有珠は2人に尋ねた。
「ねえ、“卵”達をどうやって元の世界に還すの?」
「・・・それは・・・」
トーマとユニコーンは顔を見合わせた。
有珠が次元の穴に堕ちていっている最中は、色々な思想が、映像となって自分を取り巻いてきた。
意識を向けると、その映像が目の前に現れる。
目まぐるしく、色々な空間、土地、時間、次元をあの一瞬、通り抜けた。
あの時の自分は、全てを手中に収めていた。
理性と知性は覚醒しているとあの時の有珠は思い込んでいたが、もしかしたらトランス状態に陥っていたのかもしれない。
(”卵”達に呪縛が効いているのは、彼らがトランス状態だからではないの?)
「今”卵”達は自我を奪われている状態だけど、元の世界に還れば、自我を取り戻せるよね?」
「・・そうだといいけどな・・」
トーマが呟いた。
「ついでに、次元管理官も元いた世界に追い返せないのかしら」
「・・・確かに。
それだけの“卵”を異次元に放出したら、大きな穴が開いて、この世界にとっての異物を追い出せるかもしれない」
ということは。
自分たちも元の世界に還れるかもしれない。
「・・・それも。考えたことなかったな」
トーマもユニコーンも思ってもいなかった事を言われて、茫然とした。
その二人の様子に、有珠も逆に驚く。
「・・・もしかして。
女王がこの世界の人達に、なんか精神的なロックでも掛けてたのかな?」
トーマもその可能性に思い至り、頷いて見せた。
「可能性はあると思う。
この世界では、誰も女王に逆らおうなんて思ってる奴なんて誰もいないんだ」
「誰も?」
「誰も」
「「「 ・・・。 」」」
「アリス!あんたは天才だな!」
唐突に、有珠はトーマに抱えられて、ぐるぐると回されていたが、流れる視線の中でユニコーンが面白くなさそうな顔をしているのが目に入った。
(自分が思いつかなくて、私が思いついたから不機嫌になってるの?)
なんとなく、その表情を見たら有珠はトーマの腕の中から逃げ出したくなったが、頑丈な大人の腕はびくともしない。
諦めて回されたままになっていると、やがて、少年がむ、とした顔のままトーマに近づくと、彼は大人から有珠を奪い取った。
「トーマっ、アリスが目を回してるだろっ!」
有珠の”眩暈”が収まるまでの間、ユニコーンは少女を離さなかった。
・・・やがて3人は“卵”を元の世界に還す方法、そして、次元管理官をこの国から追い出す計画について検討し始めた。
「“卵”については、何とかなると思う」
トーマが行った。
「“卵”は次元管理官の部下のハンプ、て奴が管理していて。
“卵”達が逃げてしまわないように、この世界に彼らを結わいてるんだ。」
「人間をロープや鎖で縛っているの?」
アリスの目が怒りに燃え上がった。
(なんて卑劣な奴らなのっ!)
かっかするアリスと対照的に、ユニコーンがのんびりと言った。
「“卵”はどこの次元にも定着してない存在、と言っただろう?
定着に失敗したからあいつら、いつもふわふわと浮いてるんだ。
日光浴の為に外に出す時には、この世界に繋ぎ止めておく為にリボンでそこら辺の植物に結ばれてるんだよ。
だから、そのリボンを断ち切れば、“卵”達は元の世界に戻るんじゃないかな」
“卵”達がリボンで花に結ばれてる辺りも、反乱者達が奪還することなんて、髪の毛一筋も考えていない証拠だ。
・・・・誘い水である可能性もなくはないが、それにしても。
(えらく、のほほんとした世界なんだなー・・・)
有珠は自分のいた世界と比較して、この次元に想いを馳せた。
さて、大問題に立ち返る。
「問題がある」
「そう。
“卵”達は捕まえられた時にハンプの顔を見させられているから、ハンプの言うことしか聞かない。
逆に、ハンプに“帰れ!”て言わせることが出来れば確実に“卵”達は還れる」
有珠がううむ、と腕組をして、考え込んでいた。
ふ、と有珠が顔をあげ、二人を見上げた。
「ねえ、こんなのどう?」
「え?それはないんじゃないのか?」
「でも試す価値はある・・・」
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