5.
夕食に魚とそこらに生えている木の実を食べる。
トーマは眠りに入った。
今日はユニコーンが最初に寝ずの番をするのだという。
トーマの安らかな寝息を聞きながら、有珠は寝付けなかった。
昨日迄の安穏とした生活はいきなり波乱万丈になった。
行方不明になった世界では、今頃大騒ぎだろう。
元の世界では、どれだけの時間が経過しているのだろうか。
そして。
元いた世界にはいつ、戻れるのだろうか。
「・・・。」
(心配しても仕方ない。
私が今することは、この世界に早く順応することだわ。)
有珠はそ、と起きだすと、洞窟の外に歩いて行った。
岩陰に、布にくるまったユニコーンがいた。
「眠れないのか」
「うん。」
有珠は正直に頷いた。
見上げた空には星が瞬いているが、どの星座一つとして、己のいた世界で見慣れたものはなく。
今は黒に近い濃い緑色の空には、黄色い月のような天体が三つ、殊更に大きく浮かんでいる。
・・・そのどれもの一つとして満ち欠けが一緒ではない。
風に吹かれて、さわさわと髪が頬を撫でる。
そんな有珠の横顔をユニコーンはじっと見ていた。
暫くそのままで。
ようやく有珠は視線を隣の少年に戻した。
「・・・なに?」
(綺麗だ)
女の子を久しぶりに見たせいだろうか。
素直にそう考えている自分に戸惑う。
あまりに自分と、そしてトーマとも勿論違う。
ムカつくことに自分と同じ位の身長だが、彼女の躰のパーツを仔細に検分していくと、筋肉は勿論自分のほうが勝っているが、なんというか躰全体が丸みを帯びていてとても柔らかそうだ。
そして、くるくるとよく動く表情。
ユニコーンが、何度か彼女の顔に見とれていたことは内緒だ。
少年の中では、彼女は宝物に思える。
それはたまたま、珍しい鉱石を発見した時とか。
思いもかけなかった事に出逢った時のワクワク感にも似ている。
大事にして、とても大事にして、そっと手の中に収めて、何度も何度も在ることを確かめたくなるような。
有珠がこちらをじっと見ているので、口に出しては。
「なんか・・・変なことに巻き込んじまってごめんな」
ユニコーン達と一緒にいること自体が既に危険であった。
消極的な見方をすれば、女王に捕まれば地球滅亡のスイッチを次元管理官が押す迄は、確実に有珠は生きながらえることが出来た。
今となっては、女王側に捕まった後、どうなるか想像もつかない。
何せ、ユニコーンも有珠も、”卵”ではなく、時間を操ることが出来る者。
この世界にとって害をなすだけの存在にしか過ぎないのだ。
おまけに、次元管理官にとって、女王に知られたくない事象に勘づいている人間なのだ。
有珠は頭を振った。
「ううん。どっちにしろ、巻き込まれてただろうし。」
おそらくユニコーンに会わなければ、女王側に捉えられていたのだ。
そうすれば、仕組みも知らず、地球を破滅へ導く歯車になっていたのだから。
立ち向かう脅威の大きさを考えるとそら恐ろしくなるが、ユニコーン達の陣営側に居られてよかったのだと思う。
「・・・ユニコーンはこの世界、長いの?」
「ああ」
ため息のような返事。
(・・・元の世界に帰りたいだろうな。)
「どれくらい?」
有珠の問に、
ユニコーンは暫く考え込んで。
「太陽が昇って、沈んで。それすらもこの世界では、出鱈目なんだ。
曇りかと思ったら、太陽が上がったけど、すぐ沈んだ、なんてこともしょっちゅうだ。」
きっと彼は事態を把握してから、死に物狂いで元の世界に戻る方法がないか探したのだ。
その中には女王側に投降する、という選択肢もあったに違いない。
しかし、トーマと話し合ううち、今の段階では女王側に降ることは出来ない、と判断を下した。
・・・おそらく、断腸の想いでその考えだけは捨てて。
だが、トーマにも気づかれないよう、どれだけ自分が元の世界から離れてしまったか、せめて時間的な距離だけでも知りたかったに違いない。
「それでも、太陽の上り、沈みを記録してた時期もあるけど、諦めた」
「諦めた・・・。」
有珠はぼんやりと、ユニコーンの言った言葉を繰り返した。
(還るのを諦めてしまった、ということ・・・?)
時空震の揺り戻しは100%ではないと、授業でも聞いていたではないか。
(私も。還れないの)
飛ばされてから気づいたのは、座学とリアルは大違いだった、ということだ。
・・・今更ながらに、時空震の授業の講師の口調がどこか、まるで冒険談や、浪漫譚を語っているかのように憧憬が込められていたことに気づいた。
おそらく、講師は自身はおろか、周辺にすら時空震の経験者がいない幸運な一人だったに違いない。
経験者がその特異な経験を語ることは少ない。
まして、時空震に巻き込まれた肉親の、安否どころか生死すらわからぬ家族にとっては、恐ろしい奇禍以外の何物ではないのだ。
(お母さん!お父さん・・・!)
物思いに沈んだ有珠にユニコーンが声をかけた。
「アリスは動じてないんだな」
(そんな訳はないけど)
還りたい、今すぐ。
自分でも情けないが、冒険が楽しかったのは『絶対に還れる』という前提が毀れる前迄だった。
『還れない』とわかっているのならば、それは冒険ではないのだ。
だが。
(そんなこと言えない、この人の前では)
還ろうとして還れないことに恐怖と諦めを抱きながら、生きていくことに勇気を喪なわない人に。
勁い瞳に、自分を案じる光をも浮かべてくれている人に。
改めて目の前の人を見つめ直した。
(ユニコーンは、すごいな)
目の前の少年のことを、素直に尊敬することが出来た。
そして。
(すぐには見習えないだろうけど。
時々は愚痴ってしまって、たまに冷たい目をされるかもしれないけれど)
口に出しては。
「これでも“不思議大好き研究部”の一員ですから!」
えっへんと、有珠は意味もなく、胸を張ってみて、言ってから気づく。
(・・・こんなこと、クラブを知らない人に言っても何の自慢にもならないけど。)
だが、ユニコーンが意外にも食いついてきた。
「オレも!
ていうか、オレが自分の中学に、不思議大好き研究部を作ったんだ!」
(え?どういうこと?ユニコーンはうちの学校の先輩なの?)
お互いに出身校や、色々な事象を語り合った結果、有珠のいた次元と、ユニコーンのいた次元は極めて似通った次元のようだった。
ユニコーンは化学と物理が好き。
有珠も化学と物理が好き。
だが二人共、国語は苦手、ということでも盛り上がった。
しかし、流行のアイドル一つとっても共通で知っているアイドルはいなかったし、お互いに住んでいる処の地名や学校名を言っても、それぞれ自分が住んでいた地域の情報しか持っていなかった。
・・・有珠のいた次元では旅行は禁じられていた訳ではないが、時空震に巻き込まれるのを恐れるあまり、皆、遠出をせず、せいぜい会社や学校等に通う程度。
というのも、電波衛星がくまなく地球を網羅している為、衛星通信で行ったことのない地域の画像を取り寄せたら、それを立体映写機で体感できるので、事足りているからだ。
ユニコーンの次元でも、似たような風潮であったらしい。
そんな訳で二人共、きわめて小さな範囲しか、土地勘を持っていなかったのである。
最後の切り札!ということでお互いに時空震に巻き込まれた時点での地球統合年号を言いあってってみたが、それも違う。
(おそらく、元年である『インパクト・ゼロ』からの数え方の相違だろう。
次元によっては大被害を蒙った次元もあれば、何も変わらない日常が続いていた次元もあり、統一年号にした年が次元毎に違うのだ)
それに、どれだけ酷似していても、たとえ地球統合年号が合致していても、自分が属している次元とは、全く別の次元があることを二人は知っていた。
・・・だから、
『じゃあ、お互い無事に元の世界に還れたら、会ってお祝いしようよ』
などとは冗談にも言えず。
また、ユニコーンが時空震に巻き込まれたのは彼が15の時であったようだが、それからどれくらいの時間が経過したのかについては、ユニコーン自身が語ったように定かではなく、そして測る術もない。
奇跡的に同じ次元からこの次元に飛来したのかもしれないが、同じ次元に戻ってみたとしても、二人の間には、何年、何十年もの時間が横たわっている可能性もある。
しかし、有珠の中で、ユニコーンへの警戒心が急速に薄れていった。
そして、それはユニコーンも同じであったらしい。
有珠はユニコーンに尋ねた。
「女王の追撃は厳しいの?」
「ここは時空震の揺らぎが多いからな。
”卵”達がこの世界を通過している時に起こしている揺らぎか、別の次元の揺らぎが映し出されているのか、一つ一つ見て回るのは大変だ。
俺達も明日には移動するし。それにほら」
自分を差し、この世界の布に隠していた躰をほんの少し、この次元に顕した。
星明りの中、ユニコーンの姿が黄緑色に、揺らめいている。
あたりを見回すと、さわさわと風鳴りしていた周囲の音が途絶えている。
少女が少年を見ると、彼はうなづいて見せた。
そして、自分の上に毛布を纏った。
と。
葉擦れの音が立ち戻ってきた。
「こっちの世界の布を纏うと揺らぎが消えるんだ。
その代り、時間に干渉することは出来なくなるけど」
(それで、私にすぐ服を替えさせたんだ。)
「・・・だからユニコーンは今も、元いた世界の服を着てるんだね。」
「ああ」
(それだけじゃないのかも。
元の次元への唯一のつながりだもんね)
有珠は口に出しては。
「ふうん・・・。羽衣みたいだね」
「羽衣?・・・確かに、そうだな」
ユニコーンの次元にもそれに近しい話があるようだ。
天女が地上に降りて水浴びしていた処、その美しさに男は天女の羽衣を隠した。
羽衣がなければ、天女は還れない。
そこで天女は男の妻になったが、羽衣をみつけて天に還っていった、という物語だ。
「どうしてこっちの世界の服に着替えてしまうと時間を操れなくなるのかわからないんだけど」
「洋服迄着替えると、”完全にこっちの次元に定着してしまった”てことになるのかな」
「かもな」
「トーマに貸してみた?」
「貸してみた。
アイツと俺ではサイズが違うから、素っ裸になって、腕を通せる部分だけ通して貰ったんだけど」
彼は時間を操ることが出来なかったという。
「じゃあ洋服とユニコーンがセットでないとダメなのね」
「らしいな。」
「じゃあ」
有珠の言葉の意図を読み取って、ユニコーンは頷いた。
「おそらく、アリスが自分の服に着替えれば時間に干渉することは出来る。
だけど今は服の上からこれも羽織っておいて」
ほら、と乾いた服を返してくれ、合わせて布を渡してくれた。
少し離れたところで着替えて、その上から毛布替わりの布を被った。
戻ってきて、ユニコーンの傍らに腰を下ろした。
「時間に干渉て、どうやるの?」
有珠が自分の躰を見乍ら尋ねた。
と、ユニコーンが有珠の両腕を掴んで、彼女の視線を上げさせた。
黒々とした双眸の真剣さに怖さを憶えた反面、思いがけず、どきん、と心音が一つ跳ねた。
「まずは自分に危険が及ばない限りは使うな。
時間に干渉すればするほど奴らに発見されやすくなる」
「うん」
「基本的には自分の時間を早めるとか、遅くするとか。
相手の時間を止めるとか。
念じればいい」
「・・・例えば。
私がユニコーンの時間に干渉することは出来るの?」
少年は頷いた。
「ここまでの道のり。
周りの時間を止めて、アリスとオレの時間だけ早めた。
だから、アリスもオレの時間に干渉することは出来ると思う。」
有珠はユニコーンの言葉を噛みしめ。
(自分の時間を早める)
念じてくるくると回る。
恐ろしい程の高速回転となった。
(バレリーナはこの技術、欲しがるだろうな)
次にユニコーンの時間を止めさせて貰い、隣の木にタッチしてまた戻ってくる。
ふう。
と息を吐くと、ユニコーンの時間が動き出した。
「時間が停まったことによって、ユニコーンの躰に影響は出ないの?」
有珠は恐る恐る尋ねた。
「俺にとってはもの凄く長い1秒だっただけだ」
(なるほど)
ふと、訊ねてみた。
「時間干渉能力は、“卵”には、効くの・・・?」
ユニコーンは厳しい顔になった。
「わからないな。
時間の上に君臨するのが次元だ。
あいつらは時間に干渉は出来ないが、空間に干渉が出来る」
有珠は頭の中を整理しながら、首を傾げた。
「空間=次元?
確かに時間の上位は次元だと思うけど・・・空間は次元よりも上位かな?」
有珠の言葉を聞いて、ユニコーンも考え込んだ。
「あいつらを発動させて複層次元ごと地球を無くしてしまおうと次元管理官は目論んでる。
・・・確かに次元より空間が上位なら、既に奴らをここに集めた時点で、他の次元に影響を及ぼしている筈だ。
それを確認する術はオレ達にはないけど、次元管理官だって、更に宇宙の次元を歪ませるようなことはしたくない筈だ。
・・・てことは“卵”達の干渉範囲は、一つの次元内、つまりはこの世界の空間のみ、と考えていいかもしれないな」
「空間に左右する力をいくつも集めると次元に影響を及ぼす物なのかな・・」
「例えば、一枚の紙の上に何百枚も重ねたら、いずれ天井に届くだろう」
「んー・・・?
”卵”達は起爆剤を待つ導火線のような物なのかな・・・」
訳がわからなくなって、首を傾げつつ独り言を呟いて、何故か己の言葉に有珠はぞ、とした。
「と、いうことは。
時間が経糸で空間が緯糸だとすると、相互不可侵の関係上、“卵”達にも君たちの力は効く可能性があるかもしれないな」
トーマが起きだしてきた。
「恋語りなら邪魔するつもりなかったんだけどさ。
こんな面白い話なら、オレも混ぜろよ。」
「「こっ・・・!」」
ユニコーンと有珠は同時にどもった。
トーマの目がちかり、と光った。
(二人とも、まだまだウブなんだな)
トーマの次元では、早い者であれば成長期の止まった19位から発情期を迎える。
そして、己が成人と認められ、相手も成人と認められておれば、恋語りをし、求婚を経てそして交尾へと進む。
そして発情期と子供の成育期間が終了すると、また単独生活に戻る。
「あれ?お前らの世界では恋語りってないのか?・・・じゃあ、いきなり発情期に交尾する訳?」
「「はつっ・・・・!!」」
二人は真っ赤になり。
そのリアクションにトーマが首を傾げてみせた。
「え?違う?じゃあ伴侶と番う時はどうするんだ?ちゃんと求婚するのか?」
「「つがッ、ぷろっ・・・・っ!!!」」
トーマは彼の言葉にいちいち過剰に反応し、酸欠のように口をぱくぱくさせ、ついでに目を白黒させている二人をたっぷりと見つめた挙句、和やかにのたまった。
「ここら辺の認識は相違がないんだな」
よかった、よかった、とトーマはにやり、と笑って見せた。
・・・二人はトーマにからかわれていたことを、ようやく悟った。
「トーマっ!
寝ないんなら、オレが代わりに寝るからなっ!」
ユニコーンは照れ隠しに怒鳴ると、洞窟の奥に引っ込んでしまった。
その後ろ姿に、し、し、というジェスチャーをするトーマ。
後には徐々に頬の熱がひいていく有珠とトーマのみ。
トーマがわざとユニコーンを寝にいかせ、有珠と二人きりで話したかったと知れた。
「アリス。
君が来てくれてよかった。
ユニコーンはこの世界に堕ちてきてからこっち、俺以外の人間と接触したことがないんだ。」
その言葉は有珠に、逃亡生活はやはり厳しく、そして外部からの援軍はないのだと知らしめた。
二人で世界を護る、孤独で、厳しい戦い。
(あれ、だけど)
「トーマ?」
「うん?」
「トーマは家族とか・・・恋人は?」
(いるよね?私の次元だと間違いなくモテるタイプだもの)
トーマの見た目は、有珠の世界の24、5歳の男性に見える。
凛々しい眉。
澄んだ、だが厳しい眼差し。
きりりと引き結ばれた唇。
だが、にやり、と笑うと悪戯っ子のようでドキリ、とさせられる。
・・・ただし、水色の髪に紫色の瞳、という映画の中でしかお目にかかれない風貌だが。
(元々同じ地球人なのに、次元が変わると人も変わるもんだなー。
ここ、昼の空の色も薄い緑色だもんね。今は夜で濃い緑色だけど。
植物もどっちかというとブルー系だし)
なんと水はピンク色なのだ。
最初、有珠は口に含むのに勇気がいったが、ユニコーンが「大丈夫だ」と言ってくれたので乾きを癒すことが出来た。
この世界の平均身長がどれくらいかは知らないが、トーマの身長は、たっぷりと2mはありそうだ。
そして、おそらくこの次元では軍人をやっていたのであろう。
その筋肉が飾りではないことは、体育会系でない有珠にもわかった。
話し方にも話す内容にも知性と教養が感じられ、おそらく反乱者となる前は、この次元のエリートコースを歩んでいたのではないだろうか。
「居る・・・というか、居た」
「居た・・・」
(過去形?)
「・・・亡くなったの?」
「生きていれば首都に住んでいる。
・・・会ってないけどな」
(会えないんだ。
トーマは女王から見たら反乱者で。
下手をするとトーマの家族や恋人は反乱者への内通者、という扱いを受けていて。)
人質になっていても今は助けにも行けない。
少なくとも、この世界の安全が保障されない限り。
「この世界の他の人達は?」
有珠は質問を変えた。
トーマもほっとしたようだ。
「皆、女王のお膝元の首都に住んでる」
「他には?」
「他の処には住んで居ない」
トーマはざりざり、と地面に円を描いた。
「女王の城を中心に、国は丸く拡がっている」
自分たちは追撃の目を逃れる為に、人里離れた処を転々としているのだ、とトーマは言った。
更にこの次元の地図を書いてくれた。
ユニコーンが見張っていた山を右端にすると左端に女王の国が拡がっている。
そこから海がある。
「以前、ユニコーンが女王の国を越えて海を越えてみたが、行きついたのはこの山だった」
と、ユニコーンが見張っていた山を再び指さした。
「「・・・」」
世界が本当に小さいのか、元々そう視えるよう結界が張ってあるのかは二人にはわからなかった。
・・・おそらく、女王か、次元管理官のみがその答えを知っているのだろう。
お読みくださいまして、ありがとうございます。