3.
少年は、山の頂きから、落下してくる光をみつけた。
(ようやく、見つけた)
彼が座している山は雲からとびぬけ、他の山の追随を許さない。
時間短縮の技を用いて登山してきたが、かなり高度は高い筈なのに、息苦しさを感じない。
・・・尤も。
少年の躰はこの次元では特異体質であるから、異常を異常と感知しないのかもしれない。
この次元は狭い。
雲海が途切れた時に見渡すと山はジャングル、と言っていい程の密林に囲まれており、ぽつぽつと別の山がそのジャングルから顔を出している。
地平線の辺りにこの次元の女王の国が拡がっている。
ジャングルから女王の国迄の間に他に集落はない。
皆、女王の許に固まって生きている。
女王の国から先、青く見えるのは海だ。
少年は女王の国の上空を飛越し、海まで行ったことがある。
何処までも海で、他に陸地は見えない。
時間は出鱈目だが、星の位置や太陽の位置は、なんとか周回軌道、と言ってよい軌道を保っているようだ。
太陽の位置を元に少年は一か八かの大冒険に飛び込んだ。
翼竜に乗って一直線に飛び立ってみたが、海を越え、その海が分断されて滝のように落ちており。
その滝を降りていくと、いつ上下が逆転したのか、大雨が大地に絶え間なく降り注ぐ。
その雲海を抜け、飛び続けていたら、間もなくこの山に戻ってきてしまった。
他に海に潜る事、大地を掘ることを考えてみた。
こちらは、息はせいぜい1分しか続かないし、地面を掘るのは単なる労働に過ぎなくて、諦めた。
空にはどこかの次元の通天閣(次元遺産)が、日没の頃になると映し出される。
そして、天空には大陸が浮かんでいる。
・・・その大陸迄も飛んでみたが、蜃気楼のようで、行けども行けどもたどり着くことは出来なかった。
(結界でもあるのか)
この山から一定の距離しか行けぬよう、結界でも張っているのだろうか。
だとしたら、少年には破る術はない。
いっそのこと、結界が張られる前の時刻に行けるのなら、結界を張り巡らされたかの可否を確認できよう。
しかし、彼には時間を止めることや、そのスピードに緩急をつけてやることは出来ても過去には遡ることは出来無い。
(アレをどちらの陣地が回収できるかどうかで、勢力が決まってくる。)
彼は落下先に当たりをつけ、回収に向かった。
ぴ、と手に巻き付けていた蔓の端を投げつける仕草をすると、蔓はしゅるしゅる、と伸びては数m先の枝に巻き付いては、反対側の端にくっついている少年の躰を引っ張り上げる。
その繰り返し。
光はふわふわ、とゆっくりと落ちていく。
少年が、それが落下しきる迄に自分が落下地点に間に合うように、と強く望んだからだ。
この次元のことを、時間の国、と少年とその仲間は呼んでいる。
過去から未来へ流れる向きは変わらないが、時間の流れは一定ではない。
元いた次元における体感時間の60分が60秒に満たない場合もあれば、瞬きの間が永久に続く場合もある。
そして、時空震に巻き込まれた者は、この次元の時間に干渉する力を持っていた。
だからこそ少年と、彼を助けた仲間は、女王に狙われているのだ。
・・・幸い女王の配下どもは新しい時空震を見逃したらしい。
そうでなければ、ジャバーウオック、という竜に乗った女王の兵士たちがまだ、異次元に定着する前の不安定な段階、”卵”と呼ばれる段階で分捕ってしまうのだから。
バチャーン!
あと少しで時空震地点に到達する筈の少年は、想像していたよりも早く、盛大な水飛沫を浴びた。
・・・どうやら少年が念じたよりも、時空震に巻き込まれた人物は早く落ちるよう、強く念じていたらしい。
(せっかちなヤツ)
そう思いつつ、少年は固唾を呑んで、落ちた人物が、池に浮かび上がってくるのを見守っていた。
と。
ざば、と顔を出した人間は、水中であることにパニックを起こしてはいないようだ。
泳げるらしく、あたりを見回すと、具合のいいことに少年の隠れている岸辺へと手をかけた。
岸部にかけた手をぐい、とひかれて、気がつくと、少女は岸辺に引き上げられていた。
有珠の目の前には。
長い黒髪を後ろにまとめた、ひょろひょろした少年が佇んでいた。
身長は、有珠が162cmだから、そんなに身長差があるようには思えず、170cmにはなっていないように見えた。
色褪せ、ぼろぼろの服から見える体躯は、彼を通して世界が透けて見えそうに幅と厚みがなく、構造成分も、骨と皮のみのようである。
・・・少年、と思ったのは。
髭も生えておらず、日焼けしてカサカサであったにも関わらず、10代特有の滑らかな肌。
そして、澄んだ瞳をしていたからだ。
少年の目の前には。
明らかに学校の制服と分かる白のブラウスに紺のリボンタイ、紺のラインが入った濃いグレーのボックスプリーツのスカート、そして濃い紺地のソックスにローファーの少女。
服が濡れて貼りつき、躰の曲線が顕わになっている。
そして、一目見たら忘れられなくなるだろう、風貌。
どことなくハーフかクオーターのような雰囲気を醸し出している。
明るい栗色の髪は濡れて、くるくるとしている。
す、と通った鼻に小作りな唇。
中でも印象的なのは、その大きな瞳。
虹彩も明るい茶色で、その双眸はとても強い力を放っていた。
(女の子だ)
そんな事は観てわかる。
しかし、普段少年は彼の仲間と一緒に生活しており、極力人目を忍んでいるから、正直、この世界に来て初めての女性との遭遇だった。
二人は暫し、お互いを観察しあい。
互いに殺意が無い、と認めたのかはさておき。
「ええと・・・、貴方はこの次元の方ですよね?
私の言葉は通じていますか?」
少女の第一声は動じていなかった。
時空震について、それなりに知識がある次元から来た人物らしい。
「通じてるよ」
少年は答えた。
不思議な韻を踏んでいるが、なんとか意思の疎通は出来るようだ。
『インパクト・ゼロ』以来、散り散りになっていた人間達はまずは情報共有から始めた。
平たくいうと、言語の統一化である。
故に、有珠達の次元には「外国語」というカテゴリーの授業はない。
代わりに「地方語」というカテゴリーでかつての日本語や英語と言った語学を勉強するものはいる。
ちなみに有珠の言う「国語」というのは世界統一語のことで、色々な言語から単語や用法を取り入れた結果、すっかり難解な学問となりはてていたのである。
・・・おそらくこの次元でもそういった風潮はあったのだろう。
有珠はとりあえず言葉が通じることに安堵を憶えた。
「ここは何という世界ですか?今はいつですか?」
「とりあえず、着替えたら?透けてるよ」
矢継ぎ早に質問する少女に、少年がそっぽを向きながら、服らしきものを渡してくれた。
・・・言われて、有珠が自分を見下ろすと、白いブラウスから、着けていたピンクのブラジャーが透けて見えた。
おまけに水温が低かったから、つん、と尖った先端が存在を主張していて。
有珠は真っ赤になり、慌てて礼を言い、ひったくるようにして服を受け取った。
張り付いた制服を苦労してひっぺがし、濡れた下着のまま、受け取った服の中に躰を滑り込ませた。
数々の疑問を口にしようとすると、少年が有珠の脱ぎ捨てた服を拾い、持っていた袋にしまうや、さっと踵を返して歩き出したので、慌てて後を追った。
少年は普通の速足程度なのだが、風景が飛び退るように過ぎ行く。
周囲を確認したくて、辺りを見回しているうち、少年と恐ろしい程に距離があいてしまう。
その為、有珠は景色に見とれる間もなく、少年の後を必死になって追った。
ふと。
( 何故彼は着替えの洋服を用意していたのだろう?)
有珠は思った。
自分が落ちてきた瞬間、傍にいるなんて出来過ぎているし、彼自身はかなりくたびれた格好をしている。
(もしかして、偶然にあの池に洗濯しにでも来てて・・・たまたま私を見つけた、とか・・・)
無理矢理ポジティブに考え、彼を改めて見てみると、どうも少年が来ている服と、有珠が彼から借り受けている服はスタイルが違う。
少年の身に着けている服の形式は、明らかに有珠の存在している次元の形式とよく似ていて、少年も有珠が属している次元から飛ばされてきたのではないか、と思う。
・・・なんとなく、この服は有珠に元々貸す為に持ってきた物で、彼自身は、身に着けている服からこの次元の服(と言ってよいだろう)に着替えたがっていないようだ。
ということは。
(私が落ちるのを知ってた?・・・知ってて私を張ってた?)
いきなり敵に捕まったのだろうか。
有珠はぞわ、と背中を冷たいものが伝うのを感じた。
しかし。
状況がわからない以上、敵でも味方でも、くっついていく他、仕方あるまい。
有珠はふう、と諦めると、少年の背中を追うことに集中することにした。
尚も、ガサガサと、道なき道を行く。
と、草葉に隠れた洞窟の入り口が、唐突に表れた。
中に焔らしき、揺らめきが見え、逆光の中、人影が現れた。
「ユニコーン」
中の人間が、有珠達に向かって声をかけてきた。
不思議な韻は、中の人間の方が強い。
少年の方が、有珠の言語の韻に少しだけ近いようである。
が、まずは聞き取れる。
「おう」
と反応した処を見ると、この少年の名前はユニコーン(と言っているように有珠には聞こえた)と言うのだろう。
ユニコーン。
有珠の次元では、双眸の間に尖った角を持つ、処女にしか懐かない、伝説の獣。
「無事捕まえたんだな、奴らの竜達が見えたから、気が気じゃなかったんだ」
「ああ。
あの後、あの辺りの時間を止めて、自分とこの人の時間だけ動かしてきた。」
時間を止めた。
彼と自分の時間だけ動かした。
(ああ、だから、あんなに空間が飛ぶように過ぎていったのね。)
有珠は納得した。
ということは。
(ここは時間を自由に出来るの?)
こっそりと有珠は試すことにした。
・・・何も変わった様子は見られない。
「随分好奇心旺盛なんだなあ」
どうも時間を自由にしようと念じてた処を見られていたらしい。
ユニコーン、と少年に声をかけた男性が呆れたようにつぶやいた。
「あんた、この世界の服を着てるから、ユニコーンみたいには時間を好きには出来ないぜ」
(そういうこと!
時空震を嗅ぎつけて、こいつらは私を捕まえる為に張っていたんだ!)
き、と洞窟にいる人間を睨む有珠に、
男はまあまあ、と空気をいなすように手をふってみせた。
「ま、いきりたつ前にオレの話を聞いてよ。
オレはトーマ。こっちはユニコーン。あんたは?」
有珠は咄嗟に、アリス、と名乗った。
「時間の国へようこそ、アリス。」
トーマが歓迎の意を示すように両手を広げてくれた。
「時間の国?」
有珠が聞き返すと、今度はユニコーンが答えた。
「そう。俺達はこの次元を、時間の国、と呼んでいる」
トーマがその後を引き取る。
「ああ。
オレは生れた時からここの住人だけど、別の次元に行ったことがある元時空震者だから、ここの時間が狂っていることを知ったんだ。」
「時間が狂っている?」
アリスのおうむ返しの問にトーマが頷いた。
「時の長さが一定じゃない、てことさ。」
ほら、と顎で示した先には、彼女が元いた次元で見慣れていた時計がかかっているが、ぐるぐる回ったり。
かと思うと、秒針が時針よりゆっくりと回っていたり、分針がスキップしていたりと。
・・・有珠でなくとも、時計が壊れている、と思ったことだろう。
彼女がそう思っていることはトーマもわかっていたようで、地面の乾いた砂を一掴み握ると、さらさら、と落としてみた。
と。
ある粒はすぐ落ち。
ある粒はゆっくりと落ちる。
ある粒は早く、遅く。
全てが出鱈目なリズムで落ちていく。
そして有珠が腑に落ちるように、水でも同じことをしてみせた。
「オレ達はこんな感覚の中で生きているから、別にこういうのが嫌いな訳じゃない。
だけど。別の次元から次元管理官がやってきたんだ。」
「次元管理官?」
(・・・話がSFになってきた。)
お読みくださいまして、ありがとうございます。