10.
バサッバサッバサ。
不吉な羽音がしたかと思うと一瞬、あたりが暗くなった。
草むらに身を隠し、固唾を呑んで見守っている三人の傍の台地に、三頭の翼竜が降り立つ。
ジャバーウオック達は、そのまま台地の三方に立ち、真ん中に背中を向けて、周囲を睨みつけた。
虹色にひかる不思議な羽と、銀色のボディに時折太陽の光がキラッ、キラッと反射する。
長い、ねじ曲がって天に向かって伸びている角がまるで悪魔のようだ。
真っ赤な虹彩。
鋭い眼光。
ふいごのように鼻から激しく吐き出される息。
恐ろしげな頬髯。
口を開いた拍子にずら、と並んだ牙が並ぶ。
大きく開けた口腔内は真っ黒く、呑み込まれたら地獄まで一息にたどり着けそうだ。
(ひ・・・!)
有珠は目を見開き、硬直した。
口に掌を押し当て、悲鳴を押し殺すので、精一杯。
(こんなに獰猛そうなんて、聞いてないよ!)
有珠は怖さを紛らわそうと、一生懸命、ファンタジーなことを考えていたのだ。
”実は友好的で、人間が大好きで。”
”もっと怖いものから私を護ってくれるの”
そんな自分の願いが単なる妄想であったことを有珠は知った。
確かに目の前のジャバーウオックは人間の事をとても好きそうだ。
・・・食用という意味で!
有珠の主観からすると、凶暴化したウーパルーパの顔に東洋の龍のボディをくっつけ、それにプテラノドンの翼をつけた感じだ。
・・・あの可愛いウーパルーパを、何をすればこんなに凶暴な顔に出来るのか、よくわからなかったが。
例えどんなに有珠が、
『一度でいいから生きたドラゴンと遭遇したい!』
とか、あるいは、
『出来ればそのドラゴンの背中に乗っちゃったりなんかして、そのまま大空を飛んでみたい!』
と願ったことがあったとしても。
その獰猛な貌に似合わず猫や犬より臆病で、見た目タンポポのような植物を主食にしている、と言われたとしても。
生まれて初めて見たドラゴンに怯えずにいよう、というのは土台無理な話だ。
ジャバーウオック達に危害を与えるつもりがなくても、あの牙やあの爪にかかれば、有珠の皮膚など、紙を破くよりあっさりと裂けてしまうだろうし、これから昼寝を邪魔される筈の予定のジャバーウオック達は、きっと有珠達をその牙や爪にかける気満々になることだろう。
・・・そして、ハンプこと、ハンプティ・ダンプティの風貌については。
つるつるな頭部。
両耳と団子鼻に金色のピアス。
上半身裸で、分厚い筋肉に覆われており、腕に巻いた革が、はち切れそうだ。
腰に巻いた幅広の革のベルトには、斧にナイフが差し込んである。
そして貌は。
・・・有珠は自分の次元で、凶悪者ファイルを見るのが好きであったが、ファイルの中でも、こんな凶暴な貌は観たことがない。
(卒倒しなかった自分を褒めてやりたい)
彼女はそう思った。
ハンプが二頭のジャバーウオックが握っていた“卵”達のリボンを引き取り、適当に何束かに分けると、花に結わえると、そのままごろり、と寝転がると、すぐさまいびきをかき始めた。
“卵”達はふわり、ふわり、と浮いている。
トーマとユニコーン、そして有珠はジャバーウオック達が寝付くのをじっと待った。
やがて一頭が首を垂れはじめ。
二頭目も、うつら、うつらし始める。
そして。
三頭目が完全に寝入り。
チャンス!と思ったのもつかの間。
一頭目がか、と目を見開き、辺りを見回すではないか。
「!」
失望のあまり、叫び出しそうになった有珠は、慌てて手で己の口を塞いだ。
「「「 ・・・・ 」」」
3人はなおも待った。
ようやく、ハンプも、三頭のジャバーウオックたちも眠りについた。
トーマが合図をだし、有珠とユニコーンが頷く。
そ、と三方から”卵”達に忍びよった。
・・・なんと言ってもスリリングなのはジャバーウオックの傍を通り抜ける時で。
どきん、どきん。
心臓の音で、ジャバーウオック達が目を醒ましてしまうのではないか、と心配になる程だった。
ガサガサと音をたてぬよう、最大限に気を遣う。
”卵”達の束に近づいて、リボンをゆっくりと解く。
有珠は、はあ、と安堵のため息が出そうになって、慌てて口を噤んだ。
・・・たまたま、リボンを解く経路の都合で有珠はハンプに接近した。
何気なくハンプの顔を覗くと、その眼がじい、と有珠を見ているではないか。
「!」
有珠の鋭い呼気が聞こえて、トーマとユニコーンが有珠を振り返った刹那。
にんまり。
ハンプが嗤った。
と同時に3匹のジャバーウオック達も目覚め、羽ばたくと耳をつんざくような声を上げた。
「罠だ!」
トーマの声か、ユニコーンの声か、どちらか有珠には判別つけられない。
有珠は慌てて二人の傍に駆け寄ろうとしたが、行く手を阻もうとハンプが有珠に手を伸ばす。
と、トーマがその間に割って入った。
そのままハンプとの戦いになりながら、トーマは二人に怒鳴った。
「ユニコーンっアリスっ!とにかく“卵”をっ」
「トーマっ!」
「捕まるなっ!
奴の援軍が到着する迄に、少しでも多く“卵”を自由にするんだっ」
「わかった!」
ジャバーウオック達も闖入者を捉えるべく、かぎ爪を伸ばしてくるが、いかんせん、翼と大きい図体が邪魔をして、方向転換もままならないらしい。
なまじ懐に飛び込んでしまったのが3人にとっては、幸いしたようだ。
その時。
大きな影が3人を覆ったかと思うと、有珠が宙に浮いた。
「!」
見ると別のジャバーウオックに乗った女王の部下が、有珠を横抱きに抱えている。
「「アリスッ!」」
「ユニコーンっ、トーマっ!」
有珠が二人の方に手を伸ばした。
少女を捉えたジャバーウオックは、力強い羽ばたきでぐんぐん上昇していった。
ユニコーンがぎり、と唇を噛みしめた。
空中にいる者の時間を止めてしまっては墜落してしまうかもしれない。
「ユニコーンっここはオレ一人で十分だっ、アリスを追えっ」
「生意気なっ・・!」
ハンプが歯茎を剥き出しにしながら、トーマとユニコーン、二人に突進してくる。
ユニコーンが躊躇しているのを見てとり、トーマがもう一度叫ぶ。
「早くっ!」
「・・・わかった!」
ユニコーンはぴゅい、と口笛を鳴らすとトーマの翼竜を呼び出し、その背中に飛び乗って、有珠を攫ったジャバーウオックを追った。
ハンプはトーマを捕まえようと無駄に手を振り回した。
奴の木の根のような太い力こぶが浮き出た腕につかまれば、トーマとて、ひとたまりもない。
だが幸いハンプは動きが鈍かった。
トーマは、ひょい、とハンプの腕の下をかいくぐりながら、残りの“卵”達のリボンを解き続ける。
解かれた”卵”達はふわふわと浮きながら、飛散したりはせず、仲良く固まっている。
ジャバーウオック達はハンプとトーマの追いかけっこを固唾を呑んで見守っている。
元々ジャバーウオック達は相手に攻撃を仕掛けるようには躾けられていない。
強面な顔であるが、猫や犬に吠え掛かられるだけで羽の間に頭を入れてしまうし、鋭い爪は硬いタンポポの茎を握るのに適しているだけだ。
トーマ達がジャバーウオック達を凶暴、だと思っていたのは、悪童達に胡椒をかけられ、悪戯されて怒ったジャバーウオックの姿を見かけたからだ。
(・・・この世界の住人のトーマがジャバーウオックが大人しい竜であることを知らなかったのはちょっとした不運であった。)
ジャバーウオック達にも、闖入者が主人の”卵”を狙っている悪いヤツだという認知はあるのだが、長い前脚を台地の中央に向かって繰り出せば、“卵”達にも、彼らの飼い主のハンプにも、そしてお互いにも傷をつけ合ってしまう。
・・・ジャバーウオック達なりに、美味しいタンポポを毎日バケツ一杯持ってきてくれるハンプに懐いているのだ。
なので、せいぜい出来ることと言えばトーマが近寄った時に、転ばせたり、あわよくば捕まえようとして前脚を伸ばしてみる程度だった。
そもそも、反乱者がいないと女王が信じ切っているこの世界、“卵”達を盗みにくるというのは想定外の出来事だったのだから。
次元管理官も、トーマ達一行は逃げ回るのに精一杯で、反撃するとは計算していなかったらしい。
「・・・おのれ、ちょこまかと」
ぜえぜえ。
ハンプの無尽蔵のスタミナも切れてきたようで、悪態を吐く間も、虫の息だ。
「ふ」
トーマは不適に笑った。
ハンプに追われ、三頭のジャバーウオックの前脚をかいくぐって捕まるのを避け続けてきたトーマも無傷な訳ではない。
長時間に亘る追いかけっこは彼の体力も消耗させていたし、ハンプに腕を掴まれた時は腕ごともぎ取られるか、潰されるかと思った。更にはジャバーウオックに捕まえられそうになって、すんでで逃れた背中や腹からは長い爪痕による血が滲んでいて、トーマの躰にも確実にダメージは蓄積されていた。
しかし、敵の攻撃はまったく効いてない、と思わせなければ、作戦は発動しないのだ。
(・・・本当はユニコーンの台詞だったんだがな。)
とりあえず、トーマは勝ち誇って宣言した。
「俺は時空震者だ。
誰かに、“元いた世界に還れ!”と言われなければ、この世界では不死身なんだよ」
それを聞いて、ハンプは勝ち誇ったように、にやり、と笑った。
「語るに落ちたな」
・・・ハンプは元部下の顔を、憶えていなかった。
すっかりトーマのことを、脱走した元”卵”採集官ではなく、彼に捕まった時空震者の方だと思い込んでしまったらしい。
すう、と息を吹き込み。
ハンプの躰が大きく膨らんだ。
「元いた世界に還れ!」
その大音声は、二人の周囲を取り囲んでいた“卵”達にもはっきりと聞こえた。
ぷかり、ぷかり、とたゆたっていた“卵”達の躰が光を放ち始め。
そして唐突に、その光はひゅん、と遥か空高く昇ってゆく。
「あ、ああああ・・・っ!!」
失敗を悟ったハンプが次の命令を放つべく口を開きかけたが、もう遅い。
トーマによって、猿轡をかませられてしまった。
“卵”達が一斉に空間を通る為、空間の穴が拡大した。
その力は、この世界にいる異物達を排出しようとしていた。
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(オカシイ)
ユニコーンは翼竜を駆りながら思っていた。
自分と翼竜の時間を早めているのに、どんどんアリスから引き離されていく。
アリスを連れ去ったジャバーウオックの時間を止めることは出来ないが、遅くすることはしていた。
アリスだってそうしている筈だ、彼女が黄緑色に揺らめいて見えるのだから。
なのに。
(どんどんジャバーウオックのスピードが上がっていく・・・?)
ユニコーンはある可能性に思い至った。
(アリスが。
ジャバーウオックをスピードアップさせているのか?)
まるで引き寄せられる物がその先にあるかのように。
有珠を飛び越したユニコーンの視線の先には、女王の国と、不気味なオーラを放つ、女王の城が聳えていた。
ユニコーンには何故、有珠が急ぎたがっているのか、その理由がわからなかった。
一方の有珠も。
(なんで!
ジャバーウオックのスピードがアップしているの・・・ッ!)
確かに女王の兵士に抱えられていて、しかも空の上だから暴れることは出来ないし、自分はまだ時間に干渉する能力も未熟だ。
しかし、自分を見てみると薄緑色に揺らめいているし、引きずられる躰を踏ん張るイメージでブレーキをきかせているつもりなのに、全く効いていない。
それどころか、ますますスピードアップしている、とはどういう事なのか。
(なんか間違った使い方してるの?!)
救いを求めて後ろを振り返ろうにも、黄緑色の小さな点、すなわちユニコーンが操っている翼竜はどんどん引き離されていく。
(オカシイ)
有珠も怪しみだした。
(私の能力はともかく。
ユニコーンは自分をアップさせて、私達をダウンさせている筈なのに。)
そして。
自分の躰の不可思議な反応に気が付いた。
(早く着きたがっている)
ぐいぐいと引っ張られ、自分も一緒にその方向に走り出している心地すらするのだ。
(何かに引き寄せられている?)
『×××ト、ヒトツニナラネバ。』
唐突にそんな言葉が脳裏に浮かんだが。
『別々ニ存在出来ナイノデアレバ、統合セネバ』
(イヤよ)
ソレと一緒になってはダメ・・・!
有珠の中の何かが、警告を発していた。




