存在の証明
名前もつけてもらえなかったあなた達が、一瞬でも、確かに生きようとした事を、私たちは覚えてる。
人は胎内で妊娠5ヶ月時から、人間としての存在が認められる。
どんなに小さくても、それは確かに人間の姿形をして、胎内から出てしまえば長くは生きられなくとも、懸命に肺を開こうと産声をあげる。
私たちの仕事のルールは、その産声を、その母体に聞かせずに『処理』する事だった。
方法はあえて割愛させて頂くことにする…。
…ねぇ?何故、この母体を選んだの?
毎回そんなふうに思って、キレイに拭いてあげながら、心の中では号泣していた。
当然ながら、この仕事だけは、たとえ仕事だろうと誰もが嫌だった。
結局は、何だかんだと理由をつけ、チームの中でも子供のいない独身者に、この仕事はまわされた。
死亡届の必要な月数。
意外にも頻繁にあるから、精神的に参ってしまう。
『処置』が終わると、3分の1程度の確率で、ふざけた事を笑顔で言う女性がいる現実。
「こんなに簡単に終わるなら早くやればよかった♪あ〜スッキリした♪ありがとうございました〜!」
仕事じゃなければ、その笑顔の横っ面を殴ってやりたい衝動にかられる。
確かに、仕方のない症例もある。
胎児に問題が見つかって、ご両親夫妻も、泣いて泣いて、悩んで悩んで決断に至るケースなど。
ちゃんと名前の候補がある場合が多かったりして、こちらも涙をこらえるのが精一杯になる…
当たり前だけど、今ここで話している、若く可愛い女性の皮をかぶって、命の重さを全く理解できていない人間とは、比べるのも失礼な程の雲泥の差だ。
泣いてもいいなら泣きたいよ。涙の一つくらいこぼしたいよ。殴れるなら殴りたいし怒鳴りたいよ。
だけどそれはルール違反だから、退院時には、背中の後ろで拳を固めて笑顔で見送るんだ。。
どんな患者さんにも、対等に平等に。
複雑な気持ちも全て隠して、笑顔で他の患者さんのケアにあたるのが使命であり仕事。
優しげな笑顔の裏に隠してある、沢山の涙と怒り。
それが私たち、産婦人科ナースの仕事だから。
ねぇ?
あなた達には名前すらも与えられてなかった。
でもね。
私たちは皆、小さな小さなあなた達が、確かにこの世に存在した事を覚えてる。
忘れないし、忘れられない。
もしも輪廻転生というものがあるのならば、今度は、ちゃんとした女性のところに舞い降りてね。
割愛した部分を知ったら、若い方々にはショッキング過ぎるかと思い、また、倫理的に書くべきではないと思い、あえて割愛致しました。
ノンフィクションなリアルは、あまりにも残酷です。