-The distortion world.5-
麻理がいた場所に直撃した岩がもうもうと土埃を立てているのを見て、赤髪の少女がにやりと笑む。
「ばかね。余計なことするから大事なお仲間に危害が及ぶんだよ?」
「それはどうかな」
赤髪の少女がいる岸に辿り着いた一重が呟きながら、能力を解き地面に降り立つ。赤髪の少女はその一重を睨む。
「どういうこと?」
「見てみなよ。その間に不意打ちするなんてことしないから安心していいよ」
「そしたら真っ先にボコにしてあげるわよ」
いいながら赤髪の少女は素早くそこを一瞥する。
巨大な岩の元には砂埃も、麻理もいなかった。
「ふん。どうやったかは知らないけど、逃げられたってわけね」
赤髪の少女はつまらなそうに呟く。
「面倒だから三人まとめて相手にしようと思ったのに。いいわ、あんたらから相手になるよ!」
そういって赤髪の少女はまず、近くにいる一重に向き直る。それと同時に離れている灯馬が先手を打つ。
「はっ!」
灯馬の掌から朝方一重が出したものと同じ風を生み出す。いや、厳密にいえば同じではない。灯馬の薄く研ぎ澄まされたその形状から、かまいたちを連想させられる。しかしそれは日頃使い慣れた一重や灯馬はもちろん、それ以外の人間にはあくまで空気の流れでしかないそれを見ることはできない。毎日積み重ねにより、ようやく音や空気の流れで風の輪郭を感じ取れるようになるのだ。
灯馬はそれを赤髪の少女めがけて投げ飛ばす。
放たれたかまいたちが赤髪の少女の足元に迫っていく。戦闘において、相手の脚に負傷を負わせることができるか否かで、勝敗の行方が大きく左右されるからだ。
赤髪の少女が「ふっ」と素早く跳躍し、標的を見失ったかまいたちが空を切る。それを読んでいた一重は、灯馬と同じそれを避けた少女に当たる位置を予測し、事前に放っていた。しかし、赤髪の少女は跳躍したまま、伸ばした腕で頭上にあった木の枝を掴む。そのまま片腕で体を引き上げるようにして、かまいたちを避けながら木の枝に着地する。
「挨拶程度じゃこんなもんか」
「だね」
短く言葉を交わす灯馬と一重の二人には、それぞれ左の頬と右手の甲に能力の代償である傷を負っていた。そこから鮮血が滴り落ちるが二人は気にもとめない。
そして時間をおかずに第二波を放つ。先程のかまいたちの形状とは違い、今度の竜巻を模したそれは赤髪の少女のもとへとまっすぐ伸び、それぞれ彼女の右足首と左肩を狙う。
赤髪の少女はかがむように素早く右手のひらを地面にたたきつけると、その勢いのまま真上に脚を蹴り上げて、体を捻りながら一瞬だけ倒立の形をとる。その一秒にも満たない刹那の間に、少女のすぐ両脇を竜巻がすれすれのところですり抜け、後ろにあった木の幹に大きな音とともに吹き飛ばす。
赤髪の少女はそのまま一回転して体勢を立て直すが、灯馬の「甘いぜ!」という声とともに、避けたはずの竜巻がUターンをして、再び少女の背後に迫る。
「!?」
赤髪の少女はとっさにそれらを交わすが、その顔に先程の余裕はない。もし竜巻のなかで蠢く砂塵と灯馬の声がなければ、目視して避けることも気付くこともできなかっただろう。
もともと負傷を負わせるつもりはなく、疲れさせるつもりなのではないか。と、赤髪の少女は思考する。そうであれば長期戦に持ち込まれるのは危険だ。少女は目の前で弧を描きしつこく迫ってくる竜巻を見据えながら、一気に決着をつける機会を冷静に探っていたが、竜巻に翻弄され思うように集中できない。
「ちっ」
赤髪の少女は舌打ちしながら、別の木へと飛び移り、竜巻もまたそれを追う。少女はそれを木の枝や幹を蹴りわたりながら、紙一重で横にかわす。竜巻の速度は目測で時速三十キロ程。前後に避けないのは竜巻に追いつかれてしまうからだ。
赤髪の少女は何度もそれらを華麗にかわし、それでいて息一つ乱れていなかった。それを見た一重と灯馬は、相当闘いなれているのだろうと危機を感じる。これでは相手の体力を消耗させる前に、こちらがばててしまうだろう。しかし同時にある考えもよぎる。
なぜ能力を使わないのか。
正確には始めのかまいたちを避けられた時点で、薄々不審に思っていた。その後も能力を使う素振りも見せずに、体術のみで避けきったのを見て、はっきりとした疑問になったのだ。
あれほど執拗に攻撃を仕掛けたというのに、何故反撃はおろか、能力を使う素振りさえ見せないのか。
あの運動能力そのものが能力の影響を受けているのか。何か使用できない、あるいはしたくない理由でもあるのか。ただ単になめられているだけなのか。と一重は冷静に仮定していく。
なめられているということはまずないだろう。先程の竜巻の攻撃でこちらは多少できることはわかってもらえてるはずだ。それに、この世界は食うか食われるか。赤髪の少女がそれを理解できていないとは一重には思えない。
同時に肉体強化系の能力ではないのだろうと考察する。もしそうであれば脚や腕に強化を施して接近戦に持ち込めばいい。なのにそれがそれができないということは、速さはともかく決定打に欠ける。つまりはあの身のこなしは持ち前なのだろうと、二つの仮定を切る。
だから恐らくは能力を使用する条件を満たせていない。または代償があまりにも重くて使用できないのか、という考えに絞られたところで、一重と同じ方法で川を渡ってきた灯馬が横から耳打ちする。
「このままじゃジリ貧だぞ」
「わかってるよ。今考えてるところさ」
お互いに動きのない状態が続いているが、場数を踏んできた一重らにとっては、慣れたものだった。しかし、それは少女とて同じ。
互いにいつ切り込んでくるかを読みあうのが非常に重要な場面だ。それよりも早く行動に出るか、返り討ちにするか。
「少し、耳を貸して」
「なにか策でもあるのか?」
「まあね」
その隙を赤髪の少女は見逃さなかった。
「そんな余裕してる場合っ?」
木の枝跳躍した赤髪の少女の踵が二人の頭上から急速落下してくる。
「ちっ、短気め! 少しくらい作戦会議させろってんだ」
一重と共に散開しながら、灯馬が叱咤する。
標的を失った少女の踵が重力とともに地面を叩きつけ、抉られた土が少女の周りにぶちまけられる。
「あんなもん食らったら洒落になんねえよ。 …でもな」
「!」
赤髪の少女は悪寒を感じて、無意識に脚を振り上げ跳躍する。宙で逆立ちになった少女は、その真下を風の刃の音が通過するのを視た。
「この程度で作戦? ずいぶん易いわね」
「へっ、そんなわけあるかよ!」
そういって灯馬は再び赤髪の少女の着地点に風の刃を放つ。
それを見た少女も舌打ちしながら宙で身を翻す。そしてそれを紙一重でかわしながら着地する。そしてまた跳ぶ。今度は一重の竜巻が少女の真下を通過して旋回、再び少女に向き直る。さらに反対方向からは灯馬の竜巻が迫っていた。
「避けられるもんなら避けてみやがれってんだ!」
「言われなくたって!」
灯馬の挑発に赤髪の少女は竜巻を避けるべく、身を捻りながら旋回をする。
しかし、二人の竜巻がそれぞれ四方に分かれるように広がり、それは少女を包み込むようにして迫っていく。
「なっ――!?」
少女は驚愕に目を見開く。
灯馬がかすかに笑みを浮かべる。その体には能力の代償である傷から流血しており、それは一重も同様だった。
「一重から考えを聞くことは出来なかったけど、考えてることはなんとなくわかってたぜ。あんたはなかなかすばしこいけど、こうやって四面楚歌にしちまえば後は簡単だ、ってな」
「くっ」
赤髪の少女が灯馬を睨む。
「そんな目ぇしたって無駄だぜ。まあ動けない程度にしかするつもりはないから安心しな」
それを灯馬は冷淡に、一重は無言で返す。そしてついに竜巻の群れが赤髪の少女へ到達しようとしたその瞬間。爆発音が轟いた。