心と死神
心ってなんだろう、と思って書きました。
死神の仕事は人を殺すことです。
ある死神はとても優秀で成績のいい、みんなの憧れの死神でした。
死神は目にします。
人の苦しむ顔を。
死神は耳にします。
劈くような悲鳴を。
死神は口にします。
「ごめんなさい。僕は人の心が分かりません」
死神には心がありませんでした。
人の心が分からないので、人を殺すことを厭いません。
なので仕事の成績はいつも一番。死神はとっても誇らしげです。
ある日、死神に上司から仕事が入りました。
「女の子を殺してきてくれないか」
死神は頷きました。
死神は女の子に出会いました。
病院の白い部屋で、窓の外を見ていました。
女の子は死神に気付きました。
「あなたはだれ?」
「僕は死神。君を殺しに来た」
「あら残念。わたしの命はあと一月しかないの。
死神が殺してくれなくても、あとちょっとで死んじゃうわ」
死神は驚きました。女の子の体から生える管ではなく――
女の子の顔は、死神が見たこともないくらいの笑顔だったからです。
女の子は言います。
「死神さんは笑わないの?」
「僕は心が無いからね」
「それは、何だか損してるわね」
女の子は病室から見える空を指さしました。
「あれは何?」
「空だよ」
「どう思う?」
「空は空じゃないか」
「違うわね」
女の子は笑いました。
女の子はベッドの隣に置かれた花瓶を指さしました。
「これは何?」
「花瓶だよ。赤い花がささってる」
「どう思う?」
「花は花じゃないか」
「やっぱり違うわ」
女の子は笑いました。
「僕は君を殺さなくちゃならない」
死神は仕事を思い出しました。
手に持った鎌を女の子に向けます。
死神は心が無いので、女の子を殺すのに躊躇いはありません。ですが女の子は言います。
「それなら、一月後に殺してよ。今死ぬのと後で死ぬの。死神さんにとっては変わらないはずだわ」
死神は考えます。
確かに、そんな人は殺さなくてもいいかもしれない。
死神は長い時間を溜めて頷きました。
「一月後、僕は君を殺すよ」
死神は女の子の病室を出ようとしました。
しかし背後から、女の子の声がします。
「暇ならここにきて頂戴。わたしは毎日、とっても暇なの」
死神は少しだけ女の子を見て、そのまま部屋を出ていきました。
死神は仕事の暇を持て余しました。
今まで多忙の中を過ごしてきた死神には、久々の休みが訪れたのです。
ですが死神は今まで自由な時間を過ごした事がありませんでした、
だから遊びを知りませんでした。
死神は女の子のところへ行きました。
「君を殺すまで、僕は暇になってしまった」
死神の顔を見て、女の子は笑います。
「それなら丁度いいわ。わたしとおしゃべりしましょう」
死神は女の子の近くに座ります。体から生える管が、増えたような気がしました。
それからというもの、死神は女の子の場所に通いました。
女の子は死神が来るたびに、色々な話をしてくれます。
「心を教えてあげる」
女の子はそう言って、死神の手を握りました。
女の子の手はとても温かいのです。
「人は温かいの」
女の子は言います。
「あなたは冷たいのね」
「心が無いからかな」
死神は呟きます。
「そうかもしれないわ。ううん、そうに違いない」
女の子は死神に心を教えてくれました。
「人はね、笑ったり泣いたり怒ったり喜んだり、そうしながら生きているの。
もしあなたが温かくなるものを見たら笑えばいいの。
口の端を上げてわはは、と声を出せばいい。
そうすればあなたの心には黄色が染み出すわ。世界で一番きれいな色よ
もしあなたが冷たくなるようなものを見たら泣けばいいの。
目から水を落して声を枯らせばいい。
そうすればあなたの心には青色が染み出すわ。世界で一番、深い色よ
もしあなたが震えるようなものをみたら怒ればいいの。
眉を顰めてがおーと叫べばいい。
そすればあなたの心には赤色が染み出すわ。世界で一番、明るい色よ。
もしあなたの心が生まれるものを見たら愛せばいいの。
顔を緩ませて、愛してると声をかければいい。
そうすればあなたの心には白色が染み出すわ。世界で一番、汚れの無い色よ。
人はみんなそんな心の中で生きている。
世界は全部、これだけで出来ているの。
あなたの知らなかった世界はこんなにも単純だけど、これからのあなたは違うはずよ。
あなたは知ったの」
ある日、死神は自分の手を握りました。死神にはいつの間にか、温かさがありました。
女の子は言います。
「あれは何?」
「空だよ。」
「どう思う?」
「青くて、遠くて、とても広い。綺麗な色が広がってる」
女の子は言います。
「これは何?」
「花だよ」
「どう思う?」
「いろんな色の花があって、まるで僕の心のようだ」
死神は感じました。自分の胸にぽっかりと空いた穴に、いろんな色が生まれている事に。
女の子は言います。体から生える管は、日に日に増えていました。
「あなたに心が出来て良かったわ」
女の子は笑いました。
死神が女の子を殺す日がやってきました。
しかし、死神には女の子を殺す気がありません。
死神には心が生まれ、女の子の事を助けたい、と思う様になったのです。
死神は上司に頭を下げました。
「女の子を助けてほしい」
上司は今まで真面目で優秀な死神の言葉に目を丸くしました。しかし、死神は上司にとって大切な部下です。死神の言う、初めてのお願い、くらいは上司は叶えてやろうと思いました。
「だけどこれっきりだ。もう、次はないからな」
死神は、ありがとうございます、と言いました。
次の日、死神は女の子の病室に行きました。手には沢山の綺麗な花を持って行きました。
しかし、そこにいたのはやつれた表情の女の子でした。
体から生えていた管は一本たりともありませんが、その顔は死んでいました。
「あなたが何かやったの?」
女の子は言います。がらがらの声でした。
「そうだよ。僕が、君の命を伸ばしたんだ」
死神は言います。その顔には満面の笑みが広がっていました。
「さあ、きれいな花を買って来たんだ。これを君にあげようと思って」
死神は女の子の教えてくれた笑顔で言いました。
女の子は、違いました。
「なんで、殺してくれなかったの!」
女の子は叫びます。死神の手に会った花は女の子の手ではじかれ、床に落ちました。
「わたしは昨日死ぬ筈だった! なのに今も生きている! わたしは悲しいわ、とっても。心が痛いくらい悲しいわ。わたしは死ぬの、そう思って生きて来たの! 昨日はそう思って、わたしの持っていた大切な物を全部捨てたわ! 大切な友達に手紙をだしたわ! 大切なパパとママに挨拶をしたわ! 全部を全部捨てたのに、なのに生きてる! 嫌よ、いやよ、そんなの。そんなの嫌嫌嫌嫌嫌!」
死神はどうしていいか判らず、その場に立ち竦みました。
女の子は死神の手を握りました。女の子のては酷く冷たくなっていました。
「あなたは死神でしょう? わたしを殺して。いますぐ、早く。あなたの持っている鎌で、わたしの頭を撥ねればいいわ。早くして早くして、早くしてはやくして、ねえはやく、早くして」
わたしは死にたいの
女の子は笑顔で言いました。
ですがその笑顔は幸せな笑顔ではありませんでした。
死神は耐え切れず、病室を飛び出しました。
死神の眼には涙が浮かび、ひらひらと落ちていいきます。
心がずきずきと痛みました。そして気付きました。
「僕は君を愛していたんだ」
それからというもの死神の仕事ぶりは酷くなりました。
真面目で優秀だったころの死神はいなくなり、今や誰も殺せない、劣等な死神になりました。
上司はそんな死神を見て、あっさりと死神を捨てました。
死神に向けられるのは羨望の眼差しから、侮蔑の眼差しになりました。
でも死神はそんな事をくやんだりはしません。
死神の心にはいつだって、女の子がくれた心があるのです。
「今日も空がきれいだ」
死神はゴミ捨て場で空を眺めて
そう呟きました。
おわり
でもよく考えてみると、世の中こんな事ばかりですよね。いい事したのに馬の糞を踏むとか、悪い事したのに空から美少女が降ってくるとか。報われない事って必ずあると思うんです。この物語もそういう結末ですし。ですが幸せも不幸も形は人それぞれなので、僕もこの物語の死神が本当に不幸で報われていないのかは、実際のところ分かりません。あなたはどう感じますか? いずれ理不尽な状況に陥って結末がどんなに悲惨でも、あなたの手に残ったものが幸せな物である事を願います。