嫉妬も時に甘いもの
さて、彼の好感度は元に戻るのでしょうか?
離婚以来、はじめて元妻の彩と再会した。それも中原さんも一緒に。
彼には離婚直後に会ったことがある。彼は俺に謝罪しにやって来たのだ。律儀な人だと思った。放置し続けた俺とは大違い。
昼食に誘われたときに、ちょうどいいと了承した。ラナが中華のオーダーバイキングに未練たっぷりな顔だったから。
でもその選択は間違っていたとすぐに理解した。彼女が不機嫌そうに黙々と食事をしていたから。
これはまずいと思ったときには遅かった。無表情になり、お金を置いて出ていってしまったのだ。彼女の無表情は危険だ。それは嫌というほど理解している。
「……行っちゃったわね、彼女。追いかけなくてよかったの?」
扉を凝視したまま意地悪そうな顔をして、彩が訊いてきた。
「俺より先に飛び出していったのは、お前の旦那だろう」
彼の行動は素早かった。悔しいほどに。
「あの人、誰にでも優しいからね」
「だから妬かせたかったのか?」
そう訊けば、「バレたか」と開き直る。
「だってあの人、わたしが何をしていても何も言わないんだもん。さすがに元旦那と仲良くしていたら怒ってくれるかと思って」
そんなことだろうと思った。いいように利用されたってことか、俺は。
「でも怒ったのはあなたの彼女だったわね。わかりやすい子だわ。わたしと違って」
「お前はいろいろわかりにくいよ」
見た目と性格が逆で本当にわかりにくい。儚そうな外見なのに中身は強い。猫かぶりが上手い女だった。
結婚当時、俺の実家でも借りてきた猫のように大人しかった。それゆえ一線を引かれていると家族は感じたわけだが。
「だからあの子なの?」
「どういう意味だ」
「だってあなたって、大抵見た目で女選んでいたじゃない。特別美人ってわけじゃないでしょ、彼女」
「お前は大概失礼なやつだな。ラナは十分かわいいだろ?」
その言葉に絶句された。
「……あなた、変わったわね。以前はそんな甘ったるいことは人には絶対に言わないし、どこか秘密主義なところがあったのに。……確かに愛嬌はあるわ。一回りも年下捕まえたって聞いていたから、騙されているんじゃないかと心配したけど……まぁ、安心したわ」
「お前には心配されたくない。そっちはどうなんだ。うまくいっているのか?」
そう尋ねた瞬間、扉が勢いよく開き、すごい剣幕でラナが入ってきた。その後に中原さんも続く。
「ラナ……」
どうしたのか訊こうとしたが、すぐに遮られる。
「何で追いかけて来ないんですかっ!」
そんな言葉がくるとは思っていなかったので、固まった。彼女は顔を怒りで赤くしながら、声を荒げる。
「普通追いかけて来ますよね? たとえ中原さんに先を越されたとしても、来てくださいよ。わたしが追いかけて来て欲しいのは、慎也さんなんですっ!」
……まずい。怒られているのにすごく嬉しい。どうしたものか。人前だけど無茶苦茶にキスして抱き締めたい。
「それに元とはいえ、奥さんだった人と仲良く話されたら嫌なんです。あんなに楽しそうに話されて、わたしが何も思わないと思ってるんですか? どれだけ鈍感なんですか!」
俺が彩と楽しそうに会話? ラナにはそう見えたのか? 一方的にベラベラしゃべるあいつに適当に相槌打っていただけで、楽しくもなんともなかったのだが。彼女の目には、何かのフィルターでもついていたのだろうか?
「子供みたいなこと言ってるかもしれないけど、わたし以外の女の人と仲良くしないでください!」
……なんてかわいいことを言ってくれるのだろう。そんな我儘なら大歓迎だ。満たされていく独占欲。
何も言わない俺に、彼女はつかつかと寄って来て、睨み付けた。
「ちょっと、聞いているんですかっ」
俺は彼女が言い終わるとほぼ同時に立ち上がって、ギュッと抱き締めた。彼女は不機嫌なまま、俺の腕の中で大人しくしていた。
「……今さら機嫌取っても遅いですよ」
「ごめん」
「謝るだけならサルでもできます。ごめんで済んだら警察はいらないんですよ」
「うん。……ごめん」
「今度こんなことがあったら、婚約破棄ですからね」
「うん」
「美羅ちゃんに肋骨折られてくださいね」
「…………」
それは嫌だな。
彼女はようやく俺の腕の中で顔を上げた。ちょっと拗ねた顔もやっぱり愛しい。
「……わかったならもういいですよ。わたしも大人げなかったです。ごめんなさい」
俺たちのやり取りを黙って見ていた彩は、呆れた声を上げた。
「やってられないわ。いちゃいちゃするなら家でやりなさいよ。心配して損した」
「心配?」
ラナが尋ねると、渋々説明を始めた。
「一回りも年下って聞いていたから、慎也のことをいいように利用しているんじゃないかって……。でもどうやら違ったみたい。ごめんなさい。やり過ぎたわ」
素直に謝る彩。本当に余計なことをしてくれる。だからこっちもお返しだ。
「中原さん。彩も、あなたに焼きもちを妬いてほしかったそうですよ」
俺の言葉に彼は目を見開いて驚き、彩は「言わないでよ!」と顔を真っ赤にする。
「よかったな、彩。彼はちゃんと妬いているよ」
ラナと彩が席を外したとき、言葉にはしなかったものの俺に対する視線は痛かった。わかりにくいが、彼も俺に嫉妬している。それがひしひしと伝わってきた。
「彩、それ本当に?」
彼の問いに、彩は照れるのを隠すようにそっぽを向いた。
「そ、そうよ。悪い?」
「……悪くないよ」
なんだ、上手くいっているじゃないか。少しホッとした。
何とか和やかな空気になり、食事を再開した。とはいえ、あと三十分しかないのでオーダーストップになってしまった。食べたいものをすべて注文できなかった彼女は落ち込んでいた。
「本当にドレス着られなくなるよ?」
「そうなったら全部慎也さんが悪いんです」
「責任転嫁もいいところだな」
「これでも痩せるために頑張ってるんです。慎也さんはもっと乙女心を勉強してください」
「そうね。女性に体型のことは禁句よ」
「ですよね」
彼女の機嫌も直り、彩とも少しずつ話をしている。別に仲良くする必要はないのだが、この場だけしのいでくれればいい。
時間が来て、会計のとき。レジ前に中原さんと二人で向かった。女性陣は化粧室だ。
「中原さん。気を遣わせてしまい、申し訳ありませんでした」
謝れば、彼も申し訳なさそうだった。
「いえ、こちらこそ、あなたより先に樫本さんを追いかけてしまって……。彩にもよく言われるんです。『誰にでもいい顔をするな』って」
「それは彼女なりの焼きもちですよ」
「わかっているんです。八方美人な性格が、時に誤解を招くことは。まだ結婚していた彩と不貞をしたときに言われたんです。『あなたは優しいから、きっと断らないと思った』って。『見つかってもいい、当てつけだった』って、はっきり言われました。ちゃんと断れない、そういう優柔不断なところがいけないんですよね」
それは初耳だった。当てつけって、あいつはどういう思考回路をしているんだ。
「でも本気になった、それが事実です。優しいあなたに、あいつは惚れたんですよ」
「しかし……」
言いよどむ彼は、いまだに俺に負い目があるのだ。だから籍を入れていないのだろう。
つい最近知ったのだが、どうやら二人は事実婚らしい。
「私に対して罪悪感を持つ必要はありません。もう六年も前のことです。私も彼女と結婚しますし、そろそろあなたも自分を許してもいいのではありませんか?」
子供を望むなら、ちゃんと籍を入れた方がいいだろう。彩もそろそろいい年だ。
俺の言葉にしばし無言の後、彼は頷いた。少しだけ表情が晴れやかになったように見える。
「私が言うことではありませんが、彩を幸せにしてやってください」
「はい、必ず」
真剣なその眼差しに、この人なら大丈夫だと確信した。
店を出て別れ際、彩に手招きされたのでそこへ向かう。
「慎也にしては、いい子を捕まえたわね」
「俺にしてはって、どういう意味だ」
「中身がちゃんとしてるってこと。見かけ倒しじゃない。ちゃんとあなたを見てる」
少し話しただけでわかるのか疑問だ。
「お前もそろそろ籍を入れたらどうだ。子供、欲しいんだろう?」
その問いに驚かれた。
「事実婚だって知っていたの?」
「つい最近な。彼も律儀だな。俺に対する罪悪感で籍を入れなかったんだろ?」
「ええ。でもそれはわたしも悪いの。当てつけだって言っちゃったから、それも気にしていただろうし」
「お前、馬鹿だろ」
ムッとしたように表情を歪めたのだが、図星なので反論は返ってこなかった。
「ええ、馬鹿ですよ。でも彼の優しさに触れて、本気になったの。だから後悔はしていない。あなたを傷つけてしまったけど」
「それはもういいから」
しばらくお互い無言だった。そろそろ行かなければ。
「彩、恐らくもう会うことはないだろうが――――幸せになれよ」
「ええ、あなたもね」
お互い笑顔で、そのまま別れた。
その後、ラナと公園に行った。そこで突然立ち止まった彼女が、急にギュッと抱きついてきた。
「どうしたの?」
「慎也さん、我儘言ってごめんなさい。ちゃんと式、挙げますから……」
「彩に、何か言われた?」
こくりと頷き、口を開いた。
「慎也さんはモテるから、会社の女の人とかに見せつけた方がいいって。ラブラブでつけ入る隙間なんてないって示さないと、狙ってる女はうじゃうじゃいるって」
何を言っているんだ、あいつは。不安を煽ってどうする。
「俺にはラナだけだよ」
「わかってます。――慎也さん、絶対に幸せにしますね。彩さんと約束したんで……」
本当に余計なことを……。
彼女の身体をギュッと抱きしめ返す。
「俺も幸せにする。約束だ」
「慎也さん、好き」
「うん、俺も」
これが二月の、ある日の出来事。
―――――結婚式まで、あと四か月。
次回、最終回です。




