七年前の出来事
過去編はこれで終了。
鮫島視点に追いつきます。
本当にどうしようもない男だった。顔がよくて金持ち、だから群がる女はたくさんいる。来る者拒まず、去る者追わず。毎日違う女とデートは当たり前。直樹くんはそういう男だった。
しかし当時そろそろ柏原の仕事を始めるように言われていたため、増えすぎた遊びの女を減らしたかったようだ。どうしたものかと美羅ちゃんに相談すれば、「嘘の恋人でも作って一掃すれば?」と冷たく吐き捨てられたらしい。
そのアドバイスの通り、彼は遊びの女との関係を清算し始めた。それが順調に進んだ頃、彼は学校帰りのわたしを捉まえた。
「飯おごってやるから来いよ。もう一人来るけど、お前は黙って、飯食ってればいいから」
言われるままについて行った。そのときはのん気に「タダ飯~」と浮かれていた。その席に大手銀行の頭取の娘がやって来たのだ。彼女にわたしを恋人だと紹介し、別れると告げる。
彼女は大激怒した。なぜ自分が別れなければならない、そんな小娘に自分が負けるのかと。確かに綺麗だとは思ったけど、所詮化粧のおかげかなってレベルだった。自分に対する罵詈雑言にムカついたものの、黙ってろと言われたためその通りにした。
結局彼女は納得しなかった。それどころか「覚えてなさいよ」と悪役みたいなことを言って、帰って行った。
それからがまた地獄だった。一歩家の外へ出れば、信号待ちをしているときに押されて車に轢かれそうになるわ、上から植木鉢が落ちてくるわ、ガラの悪い兄ちゃんに絡まれるわで大変だった。ただ強運の持ち主なのか、幸い大事には至らなかった。
そんな脅しが効かないとわかると学校にまでやって来て、校門の前で喚き散らされた。泥棒猫だの、お前に彼はふさわしくないから別れろだの。それにキレたのはみちるだった。
「振られたからって、この子にあたるなんてお門違いもいいところ。たとえこの子を排除したって、そんな嫉妬深くて醜い厚化粧の強欲ババアが相手にされるとでも? そんな暇あったら直樹さんの好みでも研究して、励んだほうがよっぽど効率的。そんなこともわかんないような能無しだから振られるんでしょ。馬鹿じゃないの」
みちるは容赦なかった。わたしが危険な目に遭っているのを目の当たりにしているので、キレ方が半端なかった。
あれだけ喚いていた彼女が言葉を失った。年下の小娘にコテンパンにやられ、どうやらプライドに傷がついたようだ。
その後起きたのは、わたしとみちるの父親に会社の部署の移動の話が持ち上がったことだ。栄転ではなく左遷だ。間違いなく彼女が関与していた。だって父親は左遷されるようなことを何もしていない。
自分だけならともかく、みちるの家族を巻き込むのが我慢できなかった。もう我慢の限界で、文句を言うために彼女を呼び出した。待ち合わせた喫茶店で対面し、開口一番言ってやった。
「友人の家族を巻き込むの、やめてもらえませんか?」
怒り顔のわたしを一瞥して、彼女は薄く笑った。
「あなたのせいよ」
とにかく自己中だった。この女は嫌がらせを絶対やめないなと感じた。最終手段として柏原の力を使うことも仕方ないかもと覚悟もした。祖父に頼んでも無駄だが、祖母や叔父とは仲もいい。頼めば、みちるの件だけでもなんとかしてくれると思う。
「手を引くなら今のうちですよ」
その脅しも、わたしが柏原の血縁者だということを知らない彼女に効果はなかった。無駄だと思って帰ろうと立ち上がった瞬間に視界がぐにゃりと歪み、意識がぷつりと途切れた。
次の記憶は病院のベッドの上だった。ベッドを家族とみちるが囲み、みんな泣いていた。そして心配させるなとめちゃくちゃ怒られた。どうやらわたしは彼女に誘拐されていたようだ。あの日からすでに三日が経っていた。
美羅ちゃんは泣きながら必死で謝ってきた。直樹くんに嘘の恋人を作るように言ったのは自分だから、こんな目に遭わせたのは自分のせいだと。別に美羅ちゃんのせいだとは思わない。
あの日、わたしが帰ってこないとみちるに連絡が行き、そこで彼女に文句を言いに行くと出かけたことを話した。そこからどんな手を使ったかは知らないが、わたしは無事救出されたらしい。しかし誘拐されていた実感など、記憶がないから全くなかった。
事件のことは柏原にすべて任せたと言われたが、結局事件はなかったことにされた。腹が立ったが、こんな小娘にどうこうできる力などない。結局泣き寝入りだ。
目が覚めて数日後、病室に頭取夫妻が謝りに来た。だが、わたしに悪いことをしたというより、柏原の名前に怯えての謝罪という感じだった。きっと本当に悪いなんて思ってないはずだ。二人の表情からその様子が窺えて、腹が立って早々に追い返した。
その同じ日、車いす姿の直樹くんがやって来た。美羅ちゃんにボコボコにされ、あばら骨を二、三本折られて同じ病院に入院していたそうだ。いつもの軽い感じは微塵もなく、青い顔をして謝罪された。自分の恋愛沙汰に巻き込んだことと、彼女にされていたことを止めなかったことを。
彼曰く、自分の親戚であるわたしに危害など加えないだろうと思い込んでいたらしい。でも彼女はそれを知らなかった。それに気づいたのは、わたしが誘拐されてからだったそうだ。
自分とみちるの父親の左遷話も立ち消え、一応すべて丸く収まった。
※ ※ ※
「これが七年前のことで、わたしが話せるすべてです」
黙って話を聞いていた彼は、大きく息を吐いた。
「……とにかく無事でよかったとしか言いようがないな」
「そうですね。あの令嬢の怒り具合だと、殺されててもおかしくなかったですから」
現にわたしが見つかったのは人気のない廃工場だったらしい。多分しばらく見つからなかっただろう。今さらながら、ぶるっと震えが来た。
それから彼はわたしを咎めるような視線で見る。
「そんな目に遭いながら、どうして今でもそんなに無防備なんだ? 彼のことといい、大学時代の蛇男といい」
「蛇男……? ああ、ゴンちゃんとむーさんに聞いたんですか?」
「そう」
「それ、直樹くんですから」
「そうなの?」
「そうですよ。あの頃就活してて、直樹くんに自分の下で働けってうるさく言われてましたから。あそこ、IT企業なんで。大学まで来て、しつこかったです」
しつこかったよなぁ、本当に。ストーカーかって思ったもん。
「人気のないところに連れ込まれたって聞いたけど」
「連れ込まれたというか、連れ込んだんです。あまり一緒にいるところを見られたくなかったんで。あの事件以来、柏原の血縁だということはひた隠しにしてましたから。だから自分の口から話したのは、慎也さんが初めてです」
「じゃあ内定取り消しじゃなくて、辞退したっていうのは?」
そんなことも話してたのか、あの二人。おしゃべりめ。
「内定貰った企業に融資したのが柏原でした。わたしは柏原と関わりのないところで働きたかったんです。だからもったいなかったけど、やりたい仕事は諦めました。でもいいんです。後悔はしてません。今度、ソフトウェア開発の仕事をちょっとかじることになったんで」
「そうなの?」
「はい。純樹兄ちゃん――――直樹くんの兄に頼まれたんで」
これは完璧な柏原がらみだったけど、交換条件だからしょうがない。家でやっていいって言われたしね。他ならぬ純樹兄ちゃんの頼みだし。
「彼のお兄さんってことは後継者?」
「そうです。そういえば純樹兄ちゃん、竹田のおじちゃんから慎也さんのことを聞いたって言ってましたよ」
なんかべた褒めだったな。それはちょっと嬉しいかも。
「とにかくこの事件でわたしが学んだのは、奢られるとロクなことがないってことでした」
「だから頑なに奢られるのを拒否していたのか」
「そうですよ。それから慎也さんはわたしのことを無防備ってやたら言いますけど、そんなことないと思うんです」
「どこが?」
「直樹くんはそりゃ従兄だから警戒心は薄くなりますけど、他の男にはそんなことないです。ちゃんと武装してますし」
かばんから太いペンを取り出した。それを見て、彼は不思議そうな顔をする。
「ただのペンじゃないか」
ペン先を机に押し付けると、バチバチと電気が流れた。
「これ、スタンガンです」
慎也さん、ちょっと青くなってる。見た目普通のペンと一緒だもんね。今や防犯グッズは進歩してるんですよ。
「それに美羅ちゃんから護身術も教えてもらいました。意外に警戒してるんですよ」
「でも俺にはまだ無防備に見える」
そんなこと言われたって、どうすりゃいいのだ。鎧でもつけて歩くか?
「……もうこの話は終わりです。危機管理の話になったら、きっと水掛け論で終わりません」
彼は渋々引き下がった。
「そういえばさ、かなり前だけど山本親子の件で、部長がいきなり土下座したよね? あれももしかして……」
「多分ですけど、おじちゃんが柏原の名前を出したんだと思います」
だってそれ以外であそこまで態度が変わるはずないもん。だから嫌なんだよ、他人に知られるのは。
話の区切りがつき、彼はため息交じりに呟いた。
「もっと早く話してくれればよかったのに」
「ごめんなさい。慎也さんを信用しきれなかったわたしが悪いんです。そのせいでいっぱい傷つけて……」
「それはもういいよ」
よくはないんだけどなぁ。でもそう言ってもきっと折れてくれないだろう。
とにかく、これでわたしには隠し事はない。今度はこっちが訊く番だ。
「で、退職願とは?」
彼は言いづらそうに口を開いた。
「写真の女、いただろう? 取引先の令嬢なんだが、交際を迫られて、断ったら脅された。取引を停止するとか、ラナに危害を加えるとか」
「わたしに? でも何も……あ、」
足の怪我。そういえばあれを見たときの慎也さん、様子がおかしかった。実際はわたしが勝手に足を滑らせて落ちただけなんですけどね。押された感じもしなかったし。
「会社に迷惑はかけられない。だから辞めることにした」
「そんな! 慎也さんが辞める必要なんてどこにもないじゃないですか」
「もういいんだ」
「よくないですよ! いざとなったら……」
嫌っていた柏原の名前だって使ってやる。権力振りかざしてやりますよ!
しかし、彼は力なく首を横に振る。
「もう決めたことだから」
結局、わたしは彼を守れなかった。あれだけ真剣に仕事をしていた彼から、それを奪ったのはわたしだ。最悪……。
落ち込んでいると「気にしなくていい」と小さく笑った。
「それより勝手に突き放したのに、俺を受け入れてくれてありがとう」
でも彼は未だわたしに触れてくれない。すぐそばにいるのに、とても遠く感じる。
「……慎也さん、触ってください」
突然そんなことを言い出したわたしに、彼は狼狽えた。
「何を言って……」
「わたしに触れてください。やり直すなら、触って、キスして、抱いてください」
真っ直ぐ彼を見れば、視線を逸らされる。
「……できない。触れるのは、まだ怖い」
「そうですか……。それなら仕方ありません」
その言葉に微かにホッとした彼にすっと近づき、身体を押し倒して彼の上に跨る。手早くネクタイを外し、頭上で両手を縛り上げた。……よかった、なんとかうまくいった。
「こら、やめなさい!」
ギョッとして慌てる彼の唇にそっと自分のそれを重ねる。あの日以来だからもう一ヶ月ぐらいぶりかも。
唇を離し、ワイシャツのボタンをゆっくり一つずつ外していく。全部外し、肌蹴たシャツから覗く引き締まった胸板をそっと撫でた。すると彼の身体が微かに強張った。
「っ……、やめなさい」
「嫌です。慎也さんが触ってくれないなら、わたしが触ります。わたしにしたことに罪悪感があるなら、わたしも同じことをして罪悪感を持てば一緒です。だから――――」
首筋に近づき、思い切りガブリと噛み付いた。痛みに小さく唸る彼から離れ、視線を合わせる。
「大人しく、わたしに襲われてください」
その言葉に驚愕する彼を、かすかに口角を上げて見つめた。
次回からようやく甘さ解禁。




