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過去のトラウマ

過去話、開始。

 うちはいたって一般的な家庭だった。会社員の父、専業主婦の母、大学生と高校生の姉、そしてわたし。母が特売チラシを眺めながら献立を考え、たまの贅沢は月に一、二度の外食。それが普通。友人たちの家とほとんど変わらない生活だった。


 ちょっと違うと思ったのは、従兄と会うときはいつも強そうな男の人がついてきていたこと。恐らくボディーガードだ。幼心に不思議だとは思っていたけど、いつもそうだったからそういうものなのかなと納得していた。本音としてはついてきてほしくなかったけど、そう言えば怒られそうで言えなかった。

 それに何かと特別扱いを受けることが多かった。それも従兄と一緒のときだけ。


「ねぇ、どうしてわたしたちは、ほかの人たちと同じように列に並ばないの?」

「どうして大人なのに、子供のわたしたちにペコペコ頭を下げるの?」

「どうしてわたしが悪いことをしたのに、謝らせてくれないの? おじさんのほうが謝ってくるの?」


 疑問に思ったことを訊けば、周囲は口をそろえてこう言った。


「それはね、おじいちゃんが偉い人だからだよ」

「おじいちゃんを怒らせると怖いからだよ」


 その頃は祖父が偉い人かどうかなんて、わからなかった。それでも顔を合わせれば、いつも睨まれるので怖いのは理解できた。そんな祖父に、当然いい感情なんて持てるはずもなかった。


 周囲から聞かされたことを両親に尋ねれば、こう言い聞かされた。


「でもね、偉いのはおじいちゃんであって、ラナはみんなと一緒なんだよ。だから特別なことが当たり前だと思っちゃいけないよ」


 うちの両親はほとんど駆け落ちのように結婚したため、折り合いの悪かった母方の祖父とは普段から会うことはなかった。従兄ともたまに遊ぶだけで、わたしの日常生活には“特別”なんてものは一切なかった。仲の良い友人と勉強して、遊んで、それなりに楽しい毎日だった。





 その日常が壊されたのは突然だった。親戚に柏原に勤める人がいるクラスメイトが、何気なく言った一言がその始まりだった。


「ラナのじーちゃん、怒らせるとヤバイらしいぜ」


 その言葉がどんどん大げさに膨れ上がり、気づいたときにはわたしに何かすると柏原の権力で親に被害が出るとか潰されるということになっていた。

 これまで仲の良かった友人も手のひらを返したようによそよそしくなり、腫れ物に触れるような対応しかしてくれなくなった。先生ですら気を使いだす始末。わたしに近づいてくる物好きはほとんどいなかった。


 しかし唯一優しくしてくれた男の子がいた。嬉しかったけど、すぐにそれも裏切られた。ある日、偶然聞いてしまったのだ。


「お前さ、よくラナと話せるよな。怒らせて、親がどうなってもいいのかよ?」

「バカだな。ラナと仲良くして気に入られれば、おいしい思いできるかもしれねーじゃん。だってあいつのじーちゃん、金持ちなんだろ?」


 ショックだった。


 ……馬鹿みたい。結局この学校に、わたしの味方なんて誰ひとりいなかったんだ。いいように騙されて、浮かれて、本当に馬鹿。


 その出来事から軽い人間不信になり、わたしはあまり学校に行かなくなった。当時小学六年生の二学期。あと半年なら、学校なんてもうどうでもいいと思ったからだ。


 わたしが不登校になった理由を知っていたのか、両親は口うるさく学校へ行けとは言わなかった。父はわたしが「行かない」と言えば「そうか」と一言で終わる。母は心配そうだったが、無理に行かせることはしなかった。

 美羅ちゃんは「そんな学校、行かなくていい!」と激怒し、自分の友人と遊ぶときに一緒に連れ出してくれた。姉ちゃんは何も言わずに勉強を教えてくれた。今思えば、かなり甘やかされてると思う。






 しかし中学生になってもその環境はあまり変わらなかった。受験の関係もあり、小学校みたいに頻繁に休むわけにはいかない。ただ、違う小学校からの生徒もいたし、先生も普通の対応だったからましだった。


 それでも簡単に人間不信は治らなくて、やはりクラスでポツンと一人ぼっち。しょうがないかと諦めていると、一人の女の子が声をかけてきた。


「一人なの? 暇なら一緒に来て」


 それがみちるだった。世話好きで、きっと一人ぼっちのわたしが放っておけなかったのだろう。嬉しかったけど、このときはまだ信用できなかった。みちるの善意の裏に何かがあるのではないのかと変に疑ったのだ。


 わたしがそんなことを思っているとは知らず、みちるは毎日一緒にいてくれた。彼女のおかげで、いつの間にか学校が楽しいとまた思えるようになった。みちる繋がりで、新しい友達もできた。こんなに楽しいのはいつ振りだろうと、戻ってきた平穏に浮かれていた。


 しかしある日、みちるがわたしと同じ小学校だった人たちに呼び出された。気になって後をつけ、こっそり物陰に隠れて耳を澄ませた。


「三田さんさ、あまりラナと仲良くしないほうがいいよ」

「そうそう。あいつのじーちゃん、でっかい会社の会長らしいから、怒らせるといろいろやばいぜ」

「小学校のとき、先生にも特別扱いされててさ。なんかムカつくよな。学校に来なくても怒られなかったし」

「みんな避けてたもんね」


 不安だった。みちるが柏原のことを何も知らなかったから、わたしと仲良くしてくれたのであって、今知ったことによってわたしを避けるんじゃないか。わたしはまた独りぼっちになってしまうのではないか。もうあんな生活には戻りたくない。独りは嫌だ。恐怖で身体が震えた。彼女の言葉が聞きたくなくて、思わず耳を塞いだ。


 しかし、みちるは当時から達観していた。わたしが思い浮かべていた言葉は出なかった。


「――――言いたいことは、それだけ?」


 静かな言葉に、その場にいた全員が唖然とした。


「それだけって……」


 理解できないその様子を一瞥して、鼻で笑った。


「揃いも揃って馬鹿ばかりね。あの子が気に入らないことをわざわざ告げ口するような子だと、本気で思ってんの?」


 そう言った彼女はこちらに視線を向けた。


「いるんでしょ? 出てきなよ」


 隠れているのがばれていた。恐る恐る出ていくと、その場にいた全員が青ざめた。


「言いたいことがあったら、はっきり言ってやりな」


 言ってやりたい、でも……。


 二の足を踏んでいると、ポンと軽く背中を押された。みちるを見れば、大丈夫だという視線で頷いた。わたしはすーっと息を大きく吸い込み、そこにいる同級生を見据えて口を開いた。


「わたしは告げ口なんてしない。それなのに勝手にそうなってて、昨日まで仲良かった友達に次の日になったら急に避けられて、してもいないこと言いふらされて、言いたい放題言われて……。わたしが何したっていうの? すごく嫌だった! じーちゃんに言いつけるなら、とっくに言ってる!」


 なお顔を青くしている人たちに、みちるはニッコリ笑った。しかしその笑みはどこか恐ろしいものだった。


「……だってさ。あんたたちが今のうのうと暮らしているのは、この子がじーさんに告げ口してない証拠じゃない。――――なんならさ、試してみようか? 今からこの子のじーさんのところ行って、あんたたちにあることないこと言われていじめられてました、って。……どーなるかなぁ?」


 その言葉に真っ青な顔がさらに青くなり、ガタガタ震え出す同級生たち。そして彼女はクスクス笑いながら、とどめを刺した。


「この子がいい子ちゃんで助かったわね。わたしがこの子なら、とっくの昔にあんたたちの親を二度と戻ってこられない僻地に飛ばしてやってるわ。でも、今後まだそんなことするなら……」

「しません! 誓います!」

「俺も!」

「わ、わたしも……」


 次々にそう言ってわたしに謝り倒し、尻尾を巻いて逃げて行った。呆然としていると、彼女が寄ってきた。


「ちゃんと言えるじゃない。黙ってるから、状況がどんどん悪くなんのよ」


 これまで言えなかったことを言えた興奮とか、いろいろな感情が入り混じって、わたしは顔を歪めてわんわん泣き出した。もう涙と鼻水で顔はぐちゃぐちゃ。


 嬉しかった。事実を知ってもみちるは変わらなかった。それどころか怖くて言えなかったことを言えるように、背中を押してくれた。家族以外で、こんなに自分のことを考えてくれる人は初めてだった。


 なかなか泣き止まないわたしに呆れながらもギュッと抱きしめて、「よく頑張ったわね」と背中をさすってくれた。


 みちるのおかげで、わたしはまた人と関わることが好きになった。また笑えるようになった。友情って、人間って、捨てたものじゃない。






※ ※     ※ 






「そう、そんなことが……。つらかったね」

「はい……」


 ここまでの話を聞き、慎也さんは優しい眼差しでわたしを見た。


「三田さんの世話焼きは、今も昔も変わらないんだね」

「え?」

「この間、知らないうちに設楽と知り合っていて、励まされた。かなり手荒だったけど」


 みちる、そんなことまでしてくれたんだ。全然知らなかった。こんなにしてもらってもわたし、みちるに何も返せないよ。


「ラナはいい友達を持ったね」

「はい。みちるはわたしの大切な、大切な親友です」


 もしいつかみちるがピンチになったら、絶対力になろう。どんなことがあっても味方になろう。それだけでは足らないと思うけど。


 それから彼は意外そうな表情を浮かべる。


「それにしても驚いた。ラナの両親、駆け落ちしていたんだね」

「そうなんです。母が父に一目惚れしたんですけど、全然相手にされなくて。でも諦めずに頑張ったら、そのうち父もまんざらじゃなくなったみたいで、晴れて両想い。でもその矢先に母に別の人との婚約話が持ち上がって」

「で、駆け落ち?」

「いいえ、まだです。母が家出して父の家に転がり込んだんです。父はちゃんと認めてもらおうと必死だったようですが、母が勝手に暴走したんです。既成事実を作ろうと父に迫ったり、婚姻届を勝手に出そうとしたり、大変だったそうです」


 わたしの暴走癖、きっと母譲りだろうな。


「父の粘り強い説得で祖母は認めてくれたんですけど、祖父はどうしても首を縦に振らなかったんです。そしたら祖母が『駆け落ちしちゃいなさい』って」

「……おばあさんもすごいね」

「遺伝子って怖いですね。ちなみに駆け落ちの協力者は竹田のおじちゃんです」

「え、専務が?」

「はい、面白がって、ノリノリだったって」


 そういうところ、今も昔も変わらないんだよな、おじちゃん。お茶目。 


「ところで、おじいさんとはあまり会わないの?」

「はい、会っても年に一回ぐらいですかね。そんなに親しくないのに、どうやって告げ口しろって話ですよね。祖父もわたしのためなんかに動いてくれないですよ」


 急に黙り込んでしまった彼。気を使わせちゃったかな……。


「それに母も柏原と関わりのない環境で育ててくれたんで、ごくごく普通だったんです。従兄と遊ぶときも、絶対に高級な場所や物には近寄らせなかったですから。それなのに突然金持ち認定されちゃって、戸惑いました」

「子供はシビアだから、一度ついたレッテルはなかなか払拭できないだろうね」


 そうそう。集団だから、よりたちが悪い。


「学校はつらかったけど、美羅ちゃんの友達が仲良くしてくれたから、そこは助かりました。もちろんわたしが美羅ちゃんの妹だからだとは思うんですけど、それでも嬉しかったです。ちょっと見た目怖いですけど」

「……それ、どういう意味?」

「美羅ちゃんの友達って、ちょっとやんちゃな人が多いんです。だから不登校な頃のわたしの生活は、日中は大学の授業がないときは姉ちゃんから勉強を教わって、夜は美羅ちゃんに連れ出されて遊んでました」


 そう言うと、彼は額に手を当てて、苦い顔をした。


「だから夜に出歩くことに抵抗がないのか。小学生になんてことを……」

「でも悪いことはしてませんよ。バイクの後ろに乗せてもらってツーリングしたり、みんなで集まって花火したり……」

「当時の美羅さん、高校一年だよね? 二輪の免許が十六歳から取れるけど、一年経たないと二人乗りはできないんじゃ……」


 そこ、突っ込んじゃダメ!


「そこは気にしないでください」

「気にしろよ……」

「中学の先輩に美羅ちゃんの後輩もいたんで、結構気にしてくれました。だから中学時代は小学校とは違って平穏でしたよ。一番はみちるがいてくれたからですけど」


 話のきりが付いたところで、次の話題だ。


「じゃあ次は、七年前の話です。高校二年のとき、直樹くんと何があったのか」

「それは少し聞いた」


 えっ、嘘。誰から?


「三田さんから。……彼の恋人の振りをして、誘拐されたって」


 聞いていたんですね。それもそうか。従兄だと言えないなら、直樹くんとのことを説明するならあれを話すしかない。


 そしてわたしは七年前のことを話し始めた。




次回で過去話、終了。

鮫島視点に追いつきます。

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