裏切りの奥に潜むもの
鮫島視点ラストです。
パーティーの会場はすぐに見つかった。ホテルで一番広い会場だった。さすが柏原、と言っていいほど多くの出席者がいる。煌びやかな衣服を身に纏った男女が、各々話に花を咲かせている。
専務の名代として受付を済ませた俺は、会場内に話すような相手がいるはずもなく、ソフトドリンクに口をつけてラナの姿を探していた。しかし人数が多すぎて、いまだに見つけられていない。
壁際に立って辺りを観察していると、噂好きな女性たちの会話が耳に入って来た。
「聞きまして? 今日のパーティーの噂」
「ええ、もちろん。次男の直樹さんの婚約でしょう?」
「数多の女性と浮名を流したあの方のハートを射止めたのは、どんな方なのかしら」
「あら、政略婚でしょう。だってご長男もそうだったはずだわ」
「どちらにせよ、あの方の妻になれるなら政略だろうが構いませんわ」
「ええ本当に。……あ、噂をすればほら、直樹さんよ」
「隣にいる方が婚約者の方かしら?」
女性たちの視線の方向に目を向ければ、あの男が数人と話をしていた。その隣にいる女性を見た途端、まさかの人物だったことに頭が真っ白になった。
「ラナ……?」
驚愕する俺に再び女性たちの会話が聞こえてくる。
「どちらのご令嬢かしら?」
「ええ。知らない方だわ」
「でもきれいな方ね。笑顔が素敵よ」
「とってもお似合いだわ」
考えられない。あれだけ俺と別れることを嫌がっていた彼女が、どうしてあの男の隣にいるんだ。赤いドレスが妖艶な女性に見せ、メイクも彼女らしくないほど大人っぽい。上品で、普段の彼女と同一人物とは思えなかった。でも本人に間違いない。いっそ別人だったらよかったのに。
あの男の隣にいる彼女はニコニコ周囲に愛嬌を振りまいている。俺の頭の中には「なぜ」「どうして」ばかり浮かんでくる。俺よりも若くて金持ちの彼に乗り換えた、などという考えがよぎる。
――――嫌なことを想像してしまった。そんなことはない、そんなはずはない。
そう思いたいのに、どうしても不安が湧き上がる。あんなひどいことをした俺なんて愛想を尽かされて当然。それに自分から「捨ててくれ」などとほざいたくせに、今更だ。
でもやはり俺は彼女を諦めきれない。会社まで捨ててきたのに、このままのこのこ帰れるわけがない。
自分を奮起させていると、彼が俺に気づいた。少しして彼女も俺に気づき、大きく目を見開いた。
「……慎也さん?」
俺は二人に近づく。すると彼が勝ち誇った視線で俺を射抜く。
「ここに来たってことは、お祝いでも言いに来てくださったのですか? それともそれ相応の覚悟をしてきた、ということですか?」
動揺してはいけない。俺は努めて冷静に言った。
「……先程、社のほうに退職願を提出してきました」
「ちょっ、それって!」
叫んだ彼女を制し、彼は面白いと言わんばかりに微かに口角を上げた。
「成程、喧嘩を売りに来たということですね。……面白い」
「これで社の方に手出しはできない。攻撃するなら私自身にすればいい。――あなたには屈しない」
彼はフッと鼻で笑った。
「何も持たないあなたに一体何ができる。そんなあなたにこいつを幸せにできるとでも?」
そうだな、その通りだ。でも後には引けない。
「確かに肩書きも収入もすべて失う。でも、彼女なら――――『最悪一文無しでもいい』と言って、ありのままの私を見てくれたラナと一緒なら、どんなことでも乗り越えていける。幸せにしてやれないかもしれないけど、一緒に幸せになるために頑張ることはできる」
彼女に視線を移し、真剣な眼差しで訴える。
「何も持たない俺だけど、そばにいて欲しい。もう一度、やり直してくれないか?」
久々に彼女と視線を合わせた。返事が怖い、でもどんな返事でも聞きたい。俺は待った。
彼女は泣きそうな表情を浮かべ、小さな声を絞り出した。
「――――はい」
視線が交差し、しばし見つめ合う。周囲が何やら騒がしいが、それすら耳には入って来ない。一瞬だが二人きりの空間が生まれた。
無言を貫いていた彼が隣にいる彼女の頭に手を乗せ、何やら小声で話しかけている。触られていることに激しく嫉妬する。それから何かを手渡していた。怪訝そうな表情を浮かべる彼女に、彼は頭の手を離して苦笑していた。その親密なやり取りに腹の中が煮えくり返る。
嫉妬に身を焦がしていると、彼女がようやく俺に近寄って来た。
「二人でちゃんと話がしたいです。ついて来てくれませんか?」
「……わかった」
俺は彼女の後に続いた。会場を出てからホテルのスタッフと二言三言話した後、エレベーターに乗り込む。内部でカードキーを差し込み、押したボタンは最上階。一体、どこへ向かうんだ? 疑問に思うが、訊かなかった。
到着し、ある部屋で立ち止まる。キーを差し込み、中に入る。そこはどうやらスイートルームのようだ。まさかあの男、この部屋でラナと過ごすつもりだったのか? どんどん鬱憤が溜まっていく。
とりあえずソファーに座る。隣に座った彼女と人、一人分空けた。今はこれ以上近づけない。また嫉妬で何かしでかしそうだ。
しばらくお互い無言だったが、その空気に耐えかねたのか、彼女が口を開いた。
「……何か飲みますか?」
「いや、いい」
とにかく空気が重い。会話は短く終わってしまった。だが今度は核心を突く質問をしてきた。
「退職願って、何ですか?」
それは触れられたくないことだ。誤魔化せるだろうか?
「……もう終わったことだ」
「話してくれないんですか?」
「そっちこそ」
「わたしが言ったら、慎也さんも話してくれますか?」
「ああ」
秘密を抱えているのは彼女も同じだ。すると何かを決意したように力強い視線を俺に向け、彼女は話し始めた。
「ずっと怖くて言えなかったんです。直樹くんとの関係を慎也さんが知ったとき、わたしに対する態度が変わってしまうんじゃないかって」
どういう意味だろう。俺が態度を変える?
「直樹くんは、……わたしの母方の従兄です。母は旧姓柏原――――父親は柏原グループの現会長、柏原源太郎」
「ラナが……柏原会長の孫?」
驚いた。あの母親が柏原会長の娘!? だが黙っているほどのことではない。
「どうして黙っていたの? そんなこと隠すほどでもないのに」
彼女は言いづらそうに言った。
「だってこれまでそれを知った瞬間に、態度をコロッと変える人がたくさんいたから……」
その言葉にムッとした。
「ということは、ラナは俺が柏原の名で態度を変えると思っていたってわけ。その名を利用する男だと」
そんな風に思われていたとは心外だ。俺の態度に彼女は慌てて頭を振った。
「違います! 慎也さんが、離れていっちゃうかもしれないって……。ごめんなさい。わたしが隠さずにさっさと言っていれば、こんなにこじれることもなかったんです」
頭を下げる彼女に、少し強く言い過ぎたと反省し、微かに首を横に振る。
「いや、たとえ従兄だと知っても、俺は同じことをしていたと思う。従兄とは結婚できるしね」
そう言うと、不思議そうな顔をする。
「結婚!? 意味がわからないんですけど」
「だって彼はラナが好きなんだろう? 今日だって婚約披露するって……」
「いやいや、それはありえませんって。確かに近々婚約するみたいですけど、相手はわたしじゃありません」
ならばどうして彼は、あんなに俺を挑発するようなことを言ったのだろう。
「でも彼、ラナにキスしただろ?」
「あれは……確かにそうですけど、唇じゃないです。ギリギリ外してました。多分嫌がらせです」
嫌がらせで果たしてそんなことができるのだろうか? 三田さんもそう言っていた。
「じゃあ彼はラナの何を欲しがっているんだ?」
「えっと、説明すると非常に長くなるんで、また今度ということで……」
そんなことで誤魔化されるか。睨みつけると観念したように首をすくめる。
「短く説明すれば、わたしに仕事を手伝わせたいってことなんで、恋愛がらみじゃありません」
仕事? まだ納得はできなかったが、ここは一旦引き下がる。
「じゃあどうしてこのパーティーにいたんだ?」
「隣でニコニコ笑って遊びの女を一掃するのに協力したら、もう二度とわたしと慎也さんに関わらないって約束させたからです」
俺、もしかして彼に嵌められた? 年下にいいように遊ばれて落ち込んでいると、彼女が言った。
「わたしが柏原の血縁者だと知られるのが嫌な理由……直樹くんと過去に何があったかも、長くなるけど聞いてくれますか? もう慎也さんに隠し事はしたくないんです」
それから彼女は話し始めた。小学生の頃に柏原の血縁者ということで腫れ物に触るような扱いを受けて傷ついたこと、中学に入って三田さんとの出会いで救われたこと、そして七年前の事件のこと。
天真爛漫に育ったと思っていた彼女が心に受けた傷――――聞けば胸が痛くなったが、それをさらけ出してくれたことが嬉しかった。喜び、悲しみや苦しみ、これまで隠してきた事実を伝えてもいいと思えるほど、彼女の中で俺の存在が大きくなっていたのだ。喜ばないはずがない。俺の中の独占欲が満たされた気がした。
「もっと早く話してくれればよかったのに」
「ごめんなさい。慎也さんを信用しきれなかったわたしが悪いんです。そのせいでいっぱい傷つけて……」
「それはもういいよ」
気落ちする彼女に気にしないよう言い聞かせると、今度は俺に質問が投げられた。
「で、退職願とは?」
こうなったら言うまでしつこいだろう。俺は渋々口を開いた。
「写真の女、いただろう? 取引先の令嬢なんだが、交際を迫られて、断ったら脅された。取引を停止するとか、ラナに危害を加えるとか」
「わたしに? でも何も……あ、」
足の怪我を思い出したのだろう。口ごもった彼女に構わず話を続ける。
「会社に迷惑はかけられない。だから辞めることにした」
「そんな! 慎也さんが辞める必要なんてどこにもないじゃないですか」
「もういいんだ」
「よくないですよ! いざとなったら……」
彼女の言葉を遮るように、力なく首を横に振る。
「もう決めたことだから」
そう、これは俺のけじめ。自分で決めたことだから、「気にしなくていい」と声をかけ、小さく笑った。俺のために憤慨してくれる気持ちだけ、ありがたく受け取る。
「それより勝手に突き放したのに、俺を受け入れてくれてありがとう」
彼女はじっと俺を見つめ、思いつめたような表情を浮かべた。
「……慎也さん、触ってください」
突然の発言に、俺は盛大に狼狽えた。
「何を言って……」
「わたしに触れてください。やり直すなら、触って、キスして、抱いてください」
その力強い視線に耐えられなくて、思わず目を逸らしてしまった。
「……できない。触れるのは、まだ怖い」
「そうですか……。それなら仕方ありません」
納得してくれたとホッとしているうちに彼女が寄って来たと思ったら、押し倒され、上に圧し掛かられる。ネクタイを外され、頭上で両手首を締め上げられる。自分の置かれた状況が呑み込めなかったが、理解したときには遅かった。
「こら、やめなさい!」
慌てふためく俺をよそに、彼女はそっと俺の唇に自分のそれを重ねた。その柔らかさに自制心が外れかけるが、すんでのところで止まる。唇を離したかと思えば、今度はワイシャツのボタンをゆっくり外し、露わになった胸元をそっと撫でる。その感触に身体が強張る。
「っ……、やめなさい」
「嫌です。触ってくれないなら、わたしが触ります。わたしにしたことに罪悪感があるなら、わたしも同じことをして罪悪感を持てば一緒です。だから――――」
彼女は俺の首筋に顔を寄せ、思い切りガブリと噛み付いた。その痛みに小さく呻く。首元から離れた彼女が俺と視線を合わせた。
「大人しく、わたしに襲われてください」
放たれた言葉に驚愕する俺を、彼女は微かに口角を上げて見つめた。その姿があまりに艶めかしくて、本当に別人のようだった。
中途半端ですが、一旦ここで止めます。
次回からは時間軸が戻り、ラナ視点開始です。




