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捨てる決意

あとがきに小話あります。

 数日後、昼休みに社外へ出て歩いていると、すっと横に車が止まった。車から出てきたのはあの男だった。


「鮫島さん、先日はどうも」


 笑顔なのだが、目は全く笑っていなかった。


「どうも。今日はどのようなご用件ですか?」


 そう訊くと、彼は一通の封筒を手渡してきた。何かの招待状だった。


「これは?」

「うちのグループのパーティーです。ぜひ鮫島さんにも出席していただきたくて」

「私が、ですか?」


 一体どういうつもりなんだ? 怪訝な表情を浮かべると、彼は頷きながら言った。


「このパーティーで婚約者を披露するつもりです」


 そこでラナを自分の婚約者として紹介するつもり、ということか。ラナは了承したのか? いや、強引に婚約を交わして既成事実でも作ろうということか。三田さんの言っていた嫌がらせではなく、本気ということか。


「私の婚約を祝福していただけますか? もしくは指を咥えて見ていますか? なんなら邪魔をしに来ていただいても構いませんよ。もちろん、その度胸があるならば……ですが」


 穏やかな表情ながらも、俺を挑発している。忌々しい男だ。


「出席させていただきますよ」


 売られた喧嘩は買ってやる。その覚悟はできていた。


 俺の返事に満足したのか、「ではお待ちしています」と言い残して、彼は車に乗り込んで行ってしまった。

 








 奇しくもパーティーと同じ日、俺はもう一つの厄介事と向かい合っていた。


 会社の応接室。俺の目の前にはやたら派手な身なりをしたあの社長令嬢。本来ならば他の社員も同席するべきなのだが、令嬢の我儘でこの部屋には二人きりだ。


 今日は契約締結をする最終の打ち合わせ。あの会社は本当にこんな小娘に大事な契約を任せるつもりなのかと不安になるが、そんなことはもはやどうでもいいことだ。この件をすべて片付ける。背広の内ポケットにはその切り札が入っている。


「さぁ、鮫島さん。今日こそ良いお返事、いただきたいですわね」


 笑顔で話を切り出すが、俺の返事はわかりきったことだろうに。本当にしつこかった。


「ですから私には大切な人がいます。あなたとはお付き合いできません」

「わたくしがその方より劣るとでも?」

「劣る、劣らないの問題ではありません」


 きっぱり言い切った俺に、令嬢は憂いのある表情でため息をついた。


「……あなたがわたくしを選んでいただけるなら、将来的には弊社の重役になっていただこうと思っておりますのよ。平々凡々なあなたの彼女を選んで、何の得があるというのかしら」

「損得など考えていません。たとえ平々凡々でも、私には彼女しか考えられません」


 俺の意思が変わらないと感じたのか、令嬢はすっと表情を引き締め、高圧的な口調に変わった。


「ではこの契約自体、なかったことにさせていただきますわ」


 そう告げられても俺に焦りはなく、顔色一つ変えなかった。やはりそう来たか、とやけに冷静だった。


「そうですか。この契約は両社にとっても大変有益な話なのですが……」

「ええ、でも仕方ありませんわ。あなたが条件を呑みさえすれば丸く収まる話ですが、嫌なのですものね。会社にとっても大損害。あなた、どう責任を負うおつもりなのかしら?」


 ああ、うるさい。癇癪を起こすクソガキだな。こんな娘を野放しにするとは、松浦もたかが知れている。

 俺は懐から切り札を取り出す。


「責任なら、言われなくても取りますよ」


 机の上に置いたのは退職願。どう転ぼうが、そうするつもりだった。

 それを見て、なぜか令嬢の表情が青ざめた。


「退職願……? あなた、正気なの?」

「ええ、もちろん」

「たかが女のために、人生を棒に振るつもり?」

「たかがじゃない。会社には私の代わりはいても、私に彼女の代わりはいない」


 わかってもらおうなどとは思わない。しかしこの件をこじらせて、これ以上会社に迷惑はかけられない。


「それに私が辞めれば、私が自分になびかないから契約を白紙にする、などというあなたのふざけた考えなど通用しない。あなたの私情が存在しなければ、この契約は両社において利害関係は一致する。この契約は成立させますよ、私の首と引き換えに」


 これが一番丸く収まる方法だ。あの男が会社に圧力をかける心配もなくなる。これで、いいんだ……。


 令嬢はというと真っ青な顔をしたまま無言。そうそう、言い忘れるところだった。


「それから彼女に危害を加えるような真似、しないでいただきたい。もし聞き入れていただけないようなら、容赦はしませんからそのつもりで」


 もしそんな真似すれば、あらゆる手段を使ってこの女を潰す。たとえ犯罪に手を染めても構わない。


 話は済んだと退職願を手にし、この件は部下に任せようと立ち上がる。すると突然、部屋のドアが開いた。


「待ちなさい、鮫島君。話はまだ終わっていないよ」

「専務……」


 竹田専務が秘書と共に部屋に入って来た。俺に座るように言い、自分も腰かける。そのすぐそばに秘書が立つ。

 専務はまず俺が手にしているものに鋭い視線を向けた。


「退職願、ね。……鮫島君、私は今、怒っているのだよ。誰の相談もなしに一人で相手方と交渉などとは言語道断。『“報・連・相”は迅速かつ確実に』などという、新入社員に教えるようなことを君に言わなければならないのか?」


 まずい。かなりご立腹だ。専務の言葉の端々に怒気がこもり、部屋の温度が下がっていく。ここまで怒られるのは久々だ。


「君にとって上司は頼りないのか? 部下は信用できないのか? 一人で抱え込む必要など、どこにもない。ましてやこの件の担当は森口君だったはずだ。なぜ君が矢面に立っているのだ。ある程度部下に任せることも、上司の務めではないのか?」

「おっしゃる通りです」

「ではなぜ今、君一人でここにいる? 相手方が彼女一人しかいない? そんな商談ではないことぐらい、君だって理解しているだろう。いくら坂田部長が喚こうが、君なら自分で考えてしかるべき対処ができたはずだし、そのように厳しく教育したつもりだったが。君に期待したのは私の見込み違いか?」

「申し訳ありません」


 確かに相手方がこの令嬢一人で済むような規模の商談ではない。考えれば容易に判断がつくのだが、いろいろと混乱していた俺は相手の意のままに動いてしまっていた。叱責を受けて当然だ。


 専務は俺の手から退職願を取り、自分の懐に収めた。


「とにかく、これは一応預かっておく。それからこの場は私に任せてもらう。――その代わりと言っては何だが、君に頼みがある」

「何でしょうか?」

「私の代わりに、とあるパーティーに出席してもらいたい」


 専務が手渡してきた招待状には見覚えがあった。


「これは柏原の?」

「ああ」

「専務、この招待状は私も持っているのですが……」


 専務が強い口調で俺の言葉を遮った。


「鮫島君。君は私の招待状を持って、私の名代で参加するんだ。いいね?」


 有無をも言わせぬ口調に、これは逆らってはいけないと素直に聞き入れた。


「じゃあ準備してきなさい。それから受付を済ませたら自由にしてくれて構わないよ。帰るなり、食事を楽しむなり、お目当ての人物を探すなり……ね」


 最後の言葉に驚いた。まさかすべて知っているのか? 

 専務に視線を送るとニッコリ微笑まれた。俺は深く一礼をし、応接室を後にした。


 一度家に戻り、ちょっと高級なスーツに着替える。ふと寝室のサイドテーブルに置いてあった小さな箱が目に付いた。彼女にプロポーズをするために買った指輪だ。手に取り、しばしそれを見つめ、元の場所に戻す。これを彼女に渡すのは、ちゃんと話し合って、彼女に触れられるようになってからだ。


 そして俺は敵陣である、パーティーが行われるホテルへ向かった。





次回で鮫島視点終了です。


今回のおまけ小話は鮫島が部屋を出て行ったあと、何が起きたのかという話。


語り手は竹田専務の秘書、菱川さんです(彼女を知らない方は番外編の『竹田専務という人』へGO!)。


  おまけ小話 「鬼の竹田、降臨」



 鮫島課長が部屋から退出された後、専務は真っ青な顔をしている松浦のご令嬢に視線を移されました。


「さて、松浦のお嬢さん。あなたにも少しばかりお灸を据えなければいけませんね」


 専務の鋭い視線を受け、ご令嬢の身体が小刻みに震えはじめました。

 ライオンに狙われた兎ってところでしょうか。ただし兎などというかわいらしさとは程遠い外見で……コホン、失礼いたしました。わたしとしたことが、失言でした。


「お、お灸とは、一体どういうことですの?」


「おや、シラを切りますか? 弊社に対する業務妨害の報告は上がっているのですよ。菱川君」


 わたしは報告書を手渡しました。


 そこには鮫島課長の部下の方々からの訴えが多数載っています。契約を盾にして交際を迫る、脅迫、圧力など、ドラマの悪役がやりそうなことそのものの行為の数々。こんなことをする娘を放置するなんて松浦物産、大丈夫かしら?


「弊社の担当である森口を追い帰し、鮫島一人相手に商談を行うとは……。きちんと担当者を通していただかなければ困りますな。それに御社の担当者も本来はあなたではないそうで。問い合わせた結果、あなたが勝手に社長の名を使って商談に口を挟んだと。契約締結の権限さえ持たないあなたが、どうしてこんなところに一人でいるのですか?」


 突き付けられた事実にどんどん追い込まれていくご令嬢。


 久々に鬼気迫る専務を間近で拝見できるなんて、素敵です、痺れます、どうしましょう。仕事中だというのに、冷静でいられなくなってしまいます。


 無言を貫くご令嬢。専務は核心に迫りました。


「調べはついているのですよ。柏原のご子息が鮫島に交際を迫るよう、あなたに命じたことも。あなたとしては、鮫島とその恋人との間に波風を立てることができればいいと軽く思っていたかもしれない。ところが鮫島が退職願まで提出したとなって、自分のしでかした事の重大さに気づいた。他人の人生を狂わせてしまったかもしれないと」


 もはやご令嬢は蛇に見込まれた蛙だ。専務はなおも追及の手を止めません。


「会社はあなたの遊びの道具ではない。業務の一つ一つに会社の命運、ひいては社員とその家族の人生がかかってくる。大した覚悟もないくせに、それを軽い気持ちで弄んだあなたには同情の余地などない」


 冷たく言い放った専務はわたしに視線を向け、命じた。


「菱川君、すぐに松浦の社長と専務を呼び出しなさい。責任は一族郎党で負っていただきましょう」


「かしこまりました。早急に」


 わたしはすぐに松浦物産に電話をかけました。その間、専務はニヒルな笑みを浮かべてご令嬢を見ていました。電話をしながらも、その表情に釘付けです。


「さてお嬢さん、お仕置きはきっちり受けていただきますよ」


 お仕置きなんて……。専務、これ以上他の女の人にそのぞくぞくするような表情を向けないでください! 嫉妬してしまいます!! 


 電話口では松浦の専務である、ご令嬢の姉の『あの馬鹿、一体何したのよー!』という絶叫が聞こえてきました。さすがです。専務が呼び出しただけなのに、相手方は恐怖でいっぱいのようです。“鬼の竹田”は最近鳴りを潜めていましたが、健在です。


 その鬼の姿を間近で見られるわたしは、なんて幸せ者なのでしょうか。どんな風にこの方たちを追い込んでいくのか、楽しみで仕方ありません。




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