あとはタイミングだけ
ここから鮫島視点が始まります。
今日、俺は久々に緊張している。竹田専務から『飲みに行かないか?』と声をかけていただき、会社近くの居酒屋に来ていた。何度か飲みに誘われたことはあるが、ラナの父親や他の上司や部下が一緒なことが多く、二人だけというのは久しぶりだった。
「この活気がある雰囲気が好きなんだよ」
専務ならばもっと高級店でも行けるだろうが、誘われるときはいつもこういう大衆的な飲み屋が多い。その方が俺もいいのだが、専務と二人きりならどこでも緊張具合は一緒だ。
俺はビール、専務は日本酒を飲む。つまみを食べながらしばらくは仕事の話をしていた。
酒が進み、専務は今日俺を誘ったであろう理由の核心に触れた。
「鮫島君。ラナちゃんとのこと、今後はどう考えているんだい?」
あの見合いから十ヶ月が経っていた。普通の見合いならば、とうに結婚していてもおかしくない月日だ。しかし専務は彼女と交際したいと告げた俺に、こう言った。
『見合いといっても堅苦しく考えることはない。“即結婚”などと構えずに、ゆっくりお互いを知っていきなさい』
その言葉で、ゆっくりじっくりと交際することができたのだ。その間、何も言わずに見守ってくれた。しかしなぜこの時期にこの話題? と疑問に思ったが、俺は正直な気持ちを専務に打ち明けた。
「お互いの両親にも紹介は済みましたし、あとはタイミングだけと言いますか……」
そう、あとはタイミングだけ。正直今すぐにでも結婚したい。ラナと温かい家庭を築いていきたいし、年が年だから早く子供も欲しい。でもタイミングがつかめない。
「タイミングか……」
専務は俺の言葉に何やら考え込んでいるようだ。まずいことでも言ってしまったのだろうか?
「……専務?」
恐る恐る声をかけるとハッとしたように俺に視線を向けた。
「ああ、すまない。何でもないんだ。確かにタイミングは難しいね」
クイッと酒を煽った専務は、持っていたお猪口を机に置いて、真剣な顔で俺を真っ直ぐに見た。その視線に背筋が伸びる。
「鮫島君。これから何があろうと、私は君達の味方だ。困ったことがあれば何でも言いなさい」
その言葉の真意がつかめなかったが、「ありがとうございます」とその言葉を受け止めた。
数日後、仕事帰りに設楽と飲みに行った。専務との会話が頭から離れなくて、設楽に相談したかったのだ。
「専務が結婚について訊いてきた? ただ仲人がしたいだけなんじゃないのか?」
俺の話を聞いた設楽の見解はこれだった。確かに専務は部下によく見合いを勧めているらしい。だがあのときの専務の様子はとてもそうだとは思えなかった。
「じゃあ何だっていうんだ? 確か専務はラナちゃんの父親と友人だったよな。父親から探りを入れられたとか?」
「そういう感じでもないんだが」
「考えすぎだろ。専務は部下想いだから、そういう意味で言ったんじゃないのか」
設楽の言う通り、俺の考え過ぎなのだろうか。それならそれでいいのだが。
「そうだな。俺の考え過ぎだ。忘れてくれ」
「それはそうとラナちゃんといつするんだ、結婚。もうプロポーズの言葉とか考えてるのか?」
設楽は先程の真剣な様子から一変、明らかに俺をからかうそぶりを見せる。
「『結婚してください』じゃあ捻りがないよなぁ。『毎朝みそ汁を作ってくれ』とか? 『一緒のお墓に入りたい』……」
「どうしていきなり墓まで話が飛ぶんだ。そんなプロポーズなんてするか!」
「彩さんのときはどうしたんだよ、プロポーズ」
その問いには答えられなかった。答えられるはずがない。
「……していない」
俺の言葉に設楽は目を見開いて、その後天井を仰いだ。
「してない? マジかよ。そりゃ離婚されるわ……」
「どういう意味だ」
「だってさ、プロポーズといえばやっぱり女子は憧れるだろう? それをすっ飛ばして結婚して、挙句の果て放置されたら浮気に走るわ。あんな盛大な式、挙げたくせにさ。俺でもするね、浮気。彩さん、かわいそー」
散々な言われようだが、事実なので反論できない。
「じゃあお前はどうプロポーズしたんだ? 酒井に」
「ヒミツ~」
飄々としたこいつの態度に苛ついた。この男の秘密主義はどうにかならないものか。かといって酒井に訊くわけにはいかないし。本当に腹の立つ男だ。
「ラナちゃんにはさ、ちゃんとしてあげろよ、プロポーズ。結構鈍そうだから、ちゃんと言わなきゃわかってくれなさそうだしな」
確かに理解されなかったら悲しすぎる。でも彼女ならそうなりかねない。
「あとはタイミングだけなんだ。だけど……」
それをいつするべきか、わからない。格好悪いが、やはり一度失敗したことが足枷になる。また失敗したら……。そう思うと躊躇してしまう自分がいるのも確か。
そんな俺の様子に、設楽は呆れたように酒を煽った。
「頭でっかちだなぁ、お前は。考えれば考えるほど迷路に迷い込むぞ。肩の力でも抜いてリラックス、リラックス」
「全員お前みたいな性格なら苦労しない」
本当にうらやましいよ、お前の性格が。絶対言わないが。
数日後、ラナとデートしたときに沙羅さんのことを耳にした。
「え、沙羅さん、妊娠したの?」
「はい。母曰く『結婚を早めるための既成事実』らしいですけど」
これでまたプロポーズのタイミングがわからなくなる。姉妹揃って近い時期に結婚するとなると大変だろう。
「まさか姉ちゃんがデキ婚するとは思ってもみませんでした。姉妹の中でも一番しっかりしていて計画性のある真面目人間ですから」
「そうなんだ」
「昔は一番早く結婚するのは美羅ちゃんだと思ってました。でもあんなろくでなしと付き合ってるうちはないですね。もしあいつと結婚するなんて言い出したら絶対反対しますよ」
ああ、あのときの……と、その男をぼんやりと思い出した。
「今のところ美羅ちゃんに結婚の意思がないみたいだからいいですけど。そのうち、竹田のおじちゃん辺りが見合いを持ってきそうですね」
そう言って、小さく笑う彼女。でも俺はこのとき頷きながらも、頭の中では違うことを考えていた。
ああ、俺、もしかしたら何かのきっかけがなければ、彼女にプロポーズすらできないかもしれない。どこかにいいきっかけ、降って湧いてこないだろうか……。
若干ヘタレてきた鮫島でした。
ちなみに美羅のろくでなし彼氏と遭遇したときの話は番外編の「探偵ごっこ」にて(ちゃっかり宣伝です)。
よろしければ覗いてみてくださいね。