結婚というもの
お久しぶりでごめんなさい。
新しい章の始まりです。
それは九月になったばかりの、まだ残暑が厳しいある日のことだった。
「ええええぇっ! 結婚!?」
わたしの間抜けな雄叫びがフロア一帯に響き渡った。
それも仕方がないことなんですよ。だってまさかの、ま・さ・か・の・出来事なんだもん。
わたしの目の前には照れながらも幸せそうな一組のカップル。
「そうなんすよ。ラナさん、お先っす」
そのカップルとは野口くんとサヤカちゃん。二人並んで幸せオーラいっぱいに微笑んでいた。
「いやでもさ、早くない?? 二人いくつよ?」
「えぇーっ、早いっすか? しょーちゃんが二十一で、サヤカはハタチっす」
「いやいやいやいや、早いって」
「『いや』多くね?」という、野口くんの呟きはとりあえずスルーする。
だってびっくりするじゃん。ハタチそこそこって法律上大人でも、まだまだ子供だよ。わたしなんて二人より年上なのに、未だに子ども扱いを受けてるもん。
「二人ともフリーターで、これからどう生活するわけよ?」
その至極真っ当な質問にも野口くんは軽~い口調で、でもしっかりとした考えを持っているように答えた。
「実は店長から『社員にならないか』って誘いを受けてたんで、それに乗っかることにしたんすよ。これから家族養ってかなきゃいけねーんで。そのうちサヤカも働けなくなるし」
その最後の一言が引っ掛かった。思わず聞き返す。
「え、サヤカちゃん、バイト辞めちゃうの?」
「今はまだ続けますけど、そのうち辞めなきゃ。準備とかイロイロあるんで」
「何の準備??」
その質問に二人は顔を見合って笑顔で答えた。
「一人増えるんすよ」
「……ってことは、まさか、妊娠!?」
驚き過ぎて目を丸くする。わたしの言葉に少し照れたようにはにかむ二人。
デキ婚!? マジで!?
「そんなに驚くことっすかね? 今は珍しくもなんともないと思うんすけど」
野口くんの言葉は頷ける。でもね、驚くでしょうよ! まだ少々パニック気味なわたしに野口くんは話を続ける。
「ヤることヤってんすから、デキてもおかしくないっすよ。俺もサヤカから聞いたときはビックリしたけど、これから頑張んなきゃなって思って……」
そう語る野口くんは知らない人みたいに大人に見えた。なんだか置いていかれたみたいで少し寂しい。
「サヤカちゃんの家族、怒らなかった?」
そう訊くとサヤカちゃんは微妙な顔をした。
「めちゃめちゃ怒りました。特にお父さん。『うちの娘に何てことしてくれたんだ――――!』ってしょーちゃんのこと殴って、もう大変だったんすから」
そういえば一時期、野口くんの頬に大きな絆創膏が貼られていたのを思い出した。
「でも一発殴ったら納得してくれたみたいで、今は賛成してくれてるんすよ」
そうか。双方の親が賛成してくれているなら一安心だ。
「おめでとう。二人とも、幸せになってね。サヤカちゃん、無理しちゃ駄目だよ」
わたしの言葉に満面の笑みで答えてくれた。
「ありがとうございます、ラナさん」
「結婚式には来てくださいね。ブーケはラナさんに投げるんで」
「ブーケ? いや、いいよ」
「えーっ、貰ってくださいよ。正直ラナさんの方が結婚早いと思ってたんで」
サヤカちゃんの言葉にわたしはすぐに次の言葉が出なかった。
確かに慎也さんとの交際は結婚を前提にしたもので、双方の親にも紹介済み。でも自分が結婚する、というビジョンがイマイチ浮かばない。見合いで知り合ったけど、付き合い自体は普通の交際となんら変わらないものだった。想像の中の見合い結婚って、もっととんとん拍子に結婚まで行くものだと思っていたから。
「で、ラナさんはいつ結婚するんすか? あの彼氏さんと」
野口くんの言葉に小声で返した。
「いや、そんな話は全く出てないし。まだまだ先じゃないかな」
「でもあの彼氏さん、結構いい年っすよね?」
そりゃ君たちに比べたら結構いい年だけど。放って置いてくれよ、そこのところは。
「ラナさん、あの彼氏さん、絶対逃しちゃ駄目っすよ。あの人に逃げられたら、ラナさん結婚できないと思うし」
しっつれーな!! 野口くん、聞き捨てならないよ、その言葉!!
「えーっ、でもラナさん、最近ちょっと色気出てきたと、サヤカ思うけどなぁ~?」
おっ、サヤカちゃん、いいこと言うじゃん!
「そうかぁ? ……ああ、あの彼氏さん、色気ハンパねぇから一緒にいるだけで色気うつるかもな」
確かに慎也さんの色気は半端ない。フェロモン大王だもん。未だに慣れない、というか慣れるとか絶対無理。そんな日は来ない。
「しょーちゃん、マジ天才かも~。そうだよね、ラナさんから色気が出るわけないもんね~!」
「そうだろ~。俺ってマジ天才!!」
「……おい、あんたたち……」
黙って聞いてりゃ、好き勝手言いたい放題かよ。くそぅ……。
二人のお子ちゃまよ、こんな性格の人間になるんじゃあないよ。切に願う。
その数日後、わたしはまたもや間抜けな雄叫びを上げることとなった。
「えええええぇっ!? 子供ができたぁぁぁ!?」
場所は家。ソファーに腰かけてニコニコしているのは樫本家長女の沙羅。わたしの横で父は苦い顔をしている。
「ラナ、もう少し声のボリュームを考えなさい。近所迷惑だろう」
父の父らしい言葉も今は右から左。こんなにもわたしの周囲でデキ婚ラッシュがあろうものなのだろうか?
「せっかくの婚約期間すら待てなかったのね。せっかちな子だわ」
母はお茶を持ってきてテーブルに置いた。呆れたような言葉とは裏腹に、その表情は嬉しさでいっぱいのようだ。
「わたしもおばあちゃんになるのね。でも絶対『おばあちゃん』なんて呼ばせないわ。『グランマ』もしくは『あいちゃん』と呼ばせるわ」
おいおい、母よ。『グランマ』はまだしも『あいちゃん』って……。確かに名前は『藍羅』だけどさ。
どうやら姉はすぐにでも結婚したかったらしい。ところが母の例の意味不明な昼ドラ情報により、結婚は一定の婚約期間を過ぎてからと決められてしまったそうだ。しかし妊娠が分かった今、そんな悠長なことは言っていられなくなった。
「待てなかったなんて失礼ね。待たなくてもいいっていう、神様のご指示よ」
ムッとして母に言い放った姉。でも母からしたら既成事実でも作ったと言いたいのだろう。
隣でずっと黙って新聞を読んでいた父が、わたしにだけ聞こえるような小さな声で話しかけてきた。
「ラナ」
「何?」
「お前は順番を守ってくれ」
いつもの無表情だが、少し寂しそうな父の言葉。やっぱり男親って複雑なのかな?
わたしはその言葉に素直に頷いた。
「うん、わかった」
姉妹揃ってデキ婚するわけにはいかないもんね。これ以上、父にこんな哀愁を漂わせるわけにはいかない。
しかしこの周囲のデキ婚ラッシュ、一体何なんだろうか? それを受けて考えた。
わたし、慎也さんと結婚を前提に付き合っているけど、いざ本当に結婚なんてことになったとき、どうすればいいのだろう?
世の中の結婚した女性のみなさん、あなたたちはどんなことを思って結婚したのですか?
「へぇ、沙羅さん、デキ婚するんだ。意外」
みちるとご飯を食べに行ったときのこと。最近起こったことを話すと少しびっくりしていた。
「だよね。姉ちゃんは計画性ありそうだし」
「でもおじさんの気持ちを考えるとね。初孫だけど、父親としては複雑……」
「うん。哀愁漂ってた。わたしにもね、『お前は順番守れ』とか言ってきたし」
「そうね。ここで今、あんたが『子供出来ました』なんて言おうものなら、おじさん泣いちゃうわよ」
いや、泣きはしないだろう。さすがにそこまではね。
「ところであんた、ちゃんと避妊してるの?」
突然すぎるみちるの言葉に面食らう。
「えっ……。う、うん、もちろん」
「それってまさか、全部彼氏任せにしてるんじゃないでしょうね?」
図星だ。それが顔に出てしまったようで、みちるは眉をひそめた。
「あんたね……。自己防衛しなさいよ。いざというとき、泣くのは女なのよ?」
「でも慎也さんはちゃんとしてくれるし……」
そう反論するも、みちるは「甘い!」と一蹴した。
「理性がぶっ飛んだ男は避妊なんてしてくれないわよ。万が一のときでも自己防衛さえしておけば安心でしょう? もういい大人なんだから、ちゃんとしなさい!」
嫌に実感のこもった言葉……。こりゃ、菊池くんと何かあったな?
「菊池くんと何かあった?」
恐る恐るそう訊くと、そのときのことを思い出したのか、みちるの表情はめちゃくちゃ怖かった。
「職場の飲み会で遅くなったから、男の先輩に送ってもらったの。家に着いたときに酔っぱらって、ちょっとふらついたのを先輩が支えてくれたんだけど、あいつ、また勝手に人の家に入り浸っていて、その光景を部屋の中から見ていたの。家に入るや否や、わたしの腕掴んでベッドに押し倒して、あいつ、わたしを見下ろして何て言ったと思う?」
こ、怖い。聞きたくない。あの独占欲の塊の菊池くんなら、さぞかし恐ろしいことを言ったんだろう。
「『みちるちゃんは自覚がないみたいだね。それならちゃんとわからせなきゃ。……その綺麗な足に枷でもつけて、この家で永遠に二人きりでいようか? ああ、それとももっと確かな枷でもつける? 子供ができたら、さすがにみちるちゃんでも自覚するよね? 僕のものってことを』とか言いやがったのよ。学生で、経済力のない未成年の分際で。頭きて、拳でぶん殴ってやった。あのときほどあいつを馬鹿だと思ったことはないわ」
怖っ!! さすが菊池くん。でもみちるも負けてない。グーパンチなんてなかなかできないよ。わたしが慎也さんにグーパンチは絶対無理。
「で、そのあとどうなったの?」
「さすがに謝ってきたわ。あのときのあいつは本気で何かしでかしそうだったから、避妊しないで抱かれるかもって一応覚悟したけど大丈夫だった。ただ……」
「ただ?」
みちるはしばらく黙った。目で続きを促すと、うんざりした顔で言い放った。
「しばらくうっとおしいぐらいベッタリ引っ付いて来て、ずっと後をついて来るの。監視よ、監視。紛れもないストーカーね、あいつは」
ひょえぇえ! すっごいな。やっぱり菊池くんの愛は重い。でもそんな彼の愛を上手くあしらってるみちるはもっとすごいけど。
「あんたも気をつけなさいよ、その無自覚の無防備さ。あんたの彼氏はきっとよく思ってないわ。他人への嫉妬で知らずのうちに怒りが溜まって爆発したら、ヤバいかもね」
わたしが無自覚で無防備!? 慎也さんが嫉妬で爆発!? まさか!
わたしは笑って否定した。
「ないない。わたしはこれでもちゃんとしてるし、慎也さんは菊池くんとは違うもん」
忠告を軽く流したわたしに、みちるはため息をつきながら呟いた。
「鮫島さん、かわいそう。こんなわかってない女相手にして。あんた、あとから痛い目見ても知らないわよ」
その忠告を大して気にしていなかったわたしに、のちのちしっぺ返しがやって来たことを、このときは知る由もなかった。
次回、鮫島視点です。




