アメとムチ、そして……
鮫島視点です。
ラナから『うちに来て下さいと姉が言ってるんですけど』と言われたとき、正直『来たか』と思った。彼女の姉に会ったのはそれぞれ一回ずつ。沙羅さんはそうでもないにしろ、美羅さんの俺に対する印象は最悪かもしれない。何せ初対面はラナが倒れたときだったのだ。そのときの口調も少々棘があったように感じた。
正直、彼女の両親と対面するより緊張するかもしれない。しかしいつまでも逃げてはいられないし、ラナもきちんと俺の家族に向かい合ってくれたのだ。今度は俺の番。
しかし、両親不在には少々戸惑った。実質一対二。女というのは見ていなさそうできちんと見ていることが多いので気は抜けない。
対面早々から質問攻め。沙羅さんからの質問はよく訊かれることだから問題はなかった。ところが美羅さんからの質問はなかなかされたことのないものだった。あの手の話題は、何も言わずとも相手の方が気をつかって避けてくれる類のもの。美羅さんは構わずに質問をしてくる。おそらくそういう役回りなのだろう。
当然あのときのことも責められた。ラナは庇ってくれたが、美羅さんの言うことももっともだった。あのことは今でも悔やむほど。でも、もう二度と繰り返さない。
一応認められたようで安堵した。やはり反対されるとキツイものがある。ラナはこの姉二人と仲がよさそうだし、俺とのことで険悪になったら目も当てられない。
美羅さんがラナを連れ出した後、沙羅さんがすまなそうな顔をした。
「鮫島さん、申し訳ありません。失礼なことをお聞きして」
「いえ、構いませんよ。沙羅さんも美羅さんも、妹さんが心配でしょうし」
そう言うとホッとしたように表情を緩ませた。
「美羅はラナのことになると心配し過ぎるんです。だから決して悪気はないんです。今後も何かと口うるさく言うかもしれませんが……」
なるほど。美羅さんは少々シスコン気味か。その気持ちはわかるが。
お茶を一口飲み、ふと気づいた。
「そういえば沙羅さん、婚約されたそうですね。おめでとうございます」
「ありがとうございます」
照れたようにはにかむその姿は彼女によく似ていた。
「本当は今すぐにでも結婚したいんですけど、いろいろあって……」
「そうですか」
会話が一区切りしたとき、ラナがやって来た。
「慎也さん、一緒に来てください。姉ちゃん、お父さんとお母さんが帰ってきたら呼んで」
そう言って俺を引っ張って部屋へ向かった。ドアを閉めると、ラナは開口一番謝った。
「ごめんなさい。姉が失礼なことばかり言って」
「構わないよ。お姉さんたちは、それだけラナが心配なんだよ」
「ちょっと過保護気味なんですよ。いつまでも子ども扱いされるんです」
ラナはムッとしていたが、その気持ちはわかる。彼女は自分ではしっかりしていると思っているみたいだが、傍から見ていたら心配で堪らない。
俺に座るように言った後、彼女はクローゼットから大きな包みを取り出した。それを俺に手渡した。
「これ、何?」
「誕生日プレゼントです。ちょっと早いけど。本当はこの週末は二人だけで慎也さんの誕生日を祝いたかったんですよ」
そういえば誕生日は三日後だ。
「誕生日……。すっかり忘れていたよ」
そう言うと、頬を膨らませてむくれてしまった。
「忘れないでくださいよ! はじめて一緒に過ごす、慎也さんの誕生日なのに」
「自分の誕生日なんてそんなものだよ。この年になったらね」
「駄目ですよ! 誕生日は何歳になっても大事ですっ!」
怒る彼女をなだめるように頭を軽くぽんぽんと叩いた。そして素直に謝った。
「ごめん。それからありがとう。これ、開けていい?」
包みにチラリと視線を向ける。頷いたのでラッピングを開けた。そして、その中身に絶句した。
「……何これ」
「いろいろリサーチした結果、慎也さんが一番欲しがっていそうなものをチョイスしました。どうですか?」
「どうですかって……」
その中身は大きな犬のぬいぐるみ。どことなく、はなに似ている気がする。もしかしてまだ根に持っているのだろうか? この年になって、まさか誕生日プレゼントにぬいぐるみを貰うとは……。
「はなちゃんに似てると思いませんか? 慎也さんペット飼いたいって言ってましたし。でも飼えないですよね。だから代わりにこれで癒されてください」
それはそうだけど。しかしな……。
言葉が出ないでいると、それを見てラナは口をとがらせた。
「そんなにガッカリしないでくださいよ。ちょっとしたジョークじゃないですか。これもプレゼントには違いありませんけど、本当のプレゼントはこっちなんです」
そう言って差し出された、小さくて細長い包み。何だ、ちゃんとしたものも用意してあったのか。少し気分が上昇した。
「開けてもいい?」
「どうぞ」
包みの中に入っていたのは万年筆。なかなか高級そうに見える。
「無理したんじゃない?」
「いいえ。そこまでお高くないですよ。こういうものが似合いそうだって思って。それにお義母さんから、少し前に陸くんと塁くんが慎也さんの万年筆をおもちゃにして遊んで壊したって聞きましたから」
正月のときのことだ。結構気に入っていたものだったが、出しっぱなしにしていた俺も悪かった。しかし今ではそんな記憶はすっかり忘れていて、まだ代わりの万年筆は持っていなかった。
「……もしかして必要なかったですか?」
反応が全くないのを気にしたのか、心配そうな顔で俺を見る。首を横に振ってニッコリ笑いかけた。
「いや、嬉しいよ。ありがとう。大事にするよ」
そう言うとホッとしたように表情を緩ませた。そのあと急にギュッと抱きついて来て、面食らう。
「……どうしたの?」
そう訊くと俺の胸に顔を埋めたまま、こう言った。
「目、閉じてください」
言われるままに目を閉じると、頬に柔らかい感触が当たった。それが離れた後、目を開けて彼女を見ると頬を赤く染めていた。ああ、まずい。このまま押し倒したくなる。しかしもうすぐご両親も戻るだろう。何とかしなければ……。
少し考えた後、俺はニヤリと笑って見下ろした。
「……まだ足りないな。頬じゃなくてここにして」
そう言いながら指で口を指すと、より真っ赤になって狼狽えはじめた。
「そ、そこですか?」
「できるでしょ? もう何回もしてるんだから」
こちらが主導権を握らないとまずいからな。ラナからの不意打ちはパンチ力があり過ぎる。
しばらくあたふたしていたようだが、観念したのかギュッと固く目を閉じて、自分の唇を俺のそれに重ねた。すぐ離れていくそれに物足りなさを感じ、さらにねだる。
「足りない。いつも俺がラナにしているようにして欲しいな」
「そ、それは……」
「できない?」
そう訊くと茹でタコのようになって唇を押し付けてきた。未だに慣れていないかのような不器用なそれ。でもそんなところもまた愛しい。
二、三回繰り返し、唇を離すとラナは涙目になって俺を見上げて睨みつけた。ああ、やっぱりその上目づかいは反則。彼女の顎を掴み、深く口づけた。
「……んっ……」
俺のシャツをギュッと掴み、甘い声を上げる。俺の腕の中にいる彼女は一時でも離れたくないほど、かわいくて堪らない俺の宝物だ。
これ以上は自分の理性に歯止めがかからなくなりそうで、しぶしぶ解放する。キスの余韻か、ぼんやり俺に身体を預けてくる。ああ、家に連れて帰りたい。
「……慎也さん」
しばらくして声をかけて来たので彼女を見た。すると照れながらも笑顔で一言。
「お誕生日、おめでとうございます」
嬉しい。自分の誕生日がこんなに嬉しいものだと思えたのは、大人になってから初めてだ。
「ありがとう」
そう言って彼女に微笑みかけた。
来年も十年後も、死ぬまで毎年ラナから『おめでとう』と言って欲しい。そんな願望を抱いた、もうすぐ三十六歳になる日の出来事。
はじめはどうなるかと思ったが、ムチの後のアメは極上のものだった。
* * *
ラナが鮫島を自分の部屋に連れて行ったあと、沙羅と美羅はリビングのソファーでお茶を飲んでまったりと過ごしていた。
「美羅、ちょっとやりすぎよ。あなた、ラナに対してちょっと過保護すぎるわよ。あの子も、もう大人なんだから」
沙羅がそうたしなめると、美羅は全く気にしていないような返答をする。
「過保護ぐらいがちょうどいいのよ。またあんなことが起きたら耐えられないもの」
『あんなこと』という美羅の言葉に、沙羅はそのときのことを思い出して少し顔をしかめた。
「それはそうだけど、もう七年も前のことじゃない。それにラナ自身が覚えてないんだから……」
「覚えてなくてもよ。心配なんだからしょうがないじゃない。姉さんだって心配なのは同じでしょ?」
「それはそうだけど……」
美羅はラナをもともと溺愛していた。しかしあの七年前のあの出来事からそれに拍車がかかった。
あのときのことは今思い出しても胸が張り裂けそうになる。心配で、心配で堪らなく、家族全員あの出来事は忘れたくても決して忘れられないだろう。そして美羅はそのことでラナに対して負い目を感じているようだった。美羅が悪いわけじゃないのに……。
「そういえばラナに恋人が出来たって、知ってるのかしらね? あの人達」
恐らくあの出来事で思い出したのだろう。美羅が突然言い出した。
「さぁ。でも知ってそうよね、あの人達なら」
「二人の邪魔、しなきゃいいけど。姉さんはされなかった? 妨害」
「わたしは大丈夫よ。昔、散々迷惑被ったんだもの。それに今のわたしは自立して一人でも何とか戦える地位も術も持ってる。でもラナはわたしや美羅とは違う。あの人たちに対抗するには力不足なのは否めないわね」
「わたし、ああいう人種、やっぱり好きになれない。そういう人ばかりじゃないってわかってるけど」
「そうね。多分あの二人、これから絶対苦労する。でもそれを乗り越えない限り、あの二人に未来なんてないわ」
この先とてつもなく大きな壁に、二人は必ず直面する。どんなに険しい道でもきっと乗り越えてくれるだろう、あの二人なら。
「美羅、出来る限り二人に協力しましょう。ラナの幸せのために」
沙羅の言葉に美羅は大きく頷いた。
「もちろん。せっかく見つけたあの子の幸せ、壊されてたまるものですか」
ラナの知らないところで二人の姉はそう約束したのだった。
ちょっと不穏な気配が漂いつつありますが、その話はまだ少し先かもです。