彼の実家にて その1
滞在一日目です。
それから約束通り、菜月さんの買ったパソコンの設定をすることになった。ちなみにおうちは実家から歩いて十五分という、かなり近い場所にあるそうだ。
「じゃあ、お兄ちゃん。ラナちゃん借りるね」
菜月さんの言葉に慎也さんは不機嫌そうに頷いた。「さ、ラナちゃん行きましょ」と車に乗って菜月さんの家に行った。菜月さんの家も鮫島家までとはいかないけど広い庭のある大きな家だった。おじゃまします。
「とにかく全部がわからないの。パソコンの設定とプリンターとインターネットにつないで欲しいな」
「わかりました」
パソコン関係は得意ですから、お茶の子さいさいですよ。
「いつもはね、拓也にやってもらうんだけど受験生でしょ? あの子、自分の成績よりもかなり上の大学狙ってるから、今は勉強漬けなのよね」
「そうなんですか」
設定しながらも菜月さんとおしゃべりタイムだ。姉と話しているみたいで楽しい。今が慎也さんのことを根掘り葉掘り聞くチャンスかもしれない。
「あの、昔の慎也さんってどんな感じだったんですか?」
「昔のお兄ちゃん? そうねぇ、基本的には今とあまり変わらないかな」
「やっぱり昔からモテモテだったんですか?」
「モテたことはモテたわね。でもね、信じられないかもしれないけど高校卒業までは女の影なんて一つもなかったの」
信じられなくてわたしは目を丸くした。菜月さんはわたしの様子を見て「だよね~、無理もないよ」と笑った。
「不思議なことに彼女すらいなかったもん。その反動で大学入学と同時に一人暮らしを始めてからは凄かったらしいわ。入れ食い状態ってやつ」
やっぱり人間、我慢のし過ぎは駄目だね。そのときの慎也さんが我慢していたかはさておき。
「でもこんな話、ラナちゃんは嫌がるよね? ごめんね」
すまなそうに謝る菜月さんにわたしは首を横に振った。
「平気です。ある程度は聞いてましたし。モテない方がおかしいですもん。それに今でもよく逆ナンされている現場を目撃しますし」
「えぇっ! 今でも? 何やってるのよ、お兄ちゃん……」
菜月さんは呆れたようにため息をつく。逆ナンは慎也さんが悪いわけじゃないしね。しいて言えばフェロモンのせい。
ここで菜月さんが急に真面目な顔をしたので、わたしも少し気を引き締めて菜月さんの話に耳を傾けた。
「でもね、お兄ちゃんが選んだのがラナちゃんみたいな子でよかったって思ってるの。何というか、話で聞いていたときはこれまでの人たちとタイプが全然違って驚いたんだけどね。会って話してみて、どうしてラナちゃんだったかわかる気がするの」
おおっ! これは褒められている? 鮫島家の影の実力者を味方につけたかも。照れるじゃないですかっ!
「菜月さん、言い過ぎですよ」
「いや、言い過ぎじゃないわよ。お兄ちゃんって入れ食いのくせに、ろくでもない女ばっかり近寄ってくるから、女運ないんじゃないかって思ってた。正直言ってみんな諦めてたの。もうお兄ちゃんは一生独身で通すんじゃないかって。特に両親はお兄ちゃんの孫の顔が見れないかもって嘆いてたし。だから『結婚前提に付き合っている人がいる』ってお正月に告げられて、みんな大喜びしてたの」
ま、孫ですか!? もうそこまで期待されているんですか? 気が早すぎです。
「ラナちゃん。お兄ちゃんみたいな年の離れたオジサンを選んでくれて、ありがとね。お兄ちゃんをヨロシク!」
何と! こんなことを言われるとは思ってもいなかった。とっさにこう答えてしまう。
「はい! 幸せにします! ……って違うか。こちらこそこんな小娘を選んでくれてありがとうございます! ……と言いたいです」
ヤバイ。照れる。赤くなって俯くと菜月さんが「やっぱかわいい~!」とぎゅうぎゅうに抱き締めてきた。む、胸が当たって苦しいです!
すべての設定が終わって鮫島家へ帰る道中、菜月さんに謝られた。
「そういえば急に連れてきてごめんね。用事なかった?」
「大丈夫です。ノープランでした」
その言葉に菜月さんはホッとしたようだ。
「よかった。それにね、あんなに急だったのに実家に行くことを了承してくれるとは思っていなかったの。だからよりラナちゃんの好感度がグッと上がったんだ」
あ、それは慎也さんへの嫌がらせを含んでたんですけどね。しかも家に帰ったらあの人は確実にわたしを陥落させるつもりだったでしょうしね。でもそれは言えないなぁ。だから当たり障りのないことを答えておいた。
「慎也さんのご家族に紹介していただけたら嬉しいですし。それに少し喧嘩してたんです、あのとき。だから二人きりは気まずくて……」
「喧嘩? 原因は?」
「犬です」
そう言うと「あぁ……」と菜月さんは納得した。
「お兄ちゃん、無類の犬好きだしね。もう溺愛の域だもん」
「そうなんです。仔犬とじゃれあっていて放置されたんで、イラッとしちゃったんです。あてつけにカメレオンと浮気しようとしていたら店員さんに話しかけられたんですけど、どうやらわたし、その店員さんにナンパされていたみたいですごく怒られました」
「なるほど、それで喧嘩ね。ラナちゃん、気をつけた方がいいわよ。お兄ちゃんって人とか物にあまり執着するタイプじゃないけど、気に入ったらすごい独占欲の塊に変化するから。気をつけないと、そのうち部屋から一歩も出してもらえなくなっちゃうわよ」
怖っ! そんな犯罪まがいなことをするとは思えないんですけど。
「じ、冗談ですよね?」
恐る恐る尋ねるけど、菜月さんは「どうかな」と意味深なことしか言わなかった。
そうこうしているうちに鮫島家へ戻って来た。慎也さんは庭で犬とじゃれあっていた。また犬ですか……。いい笑顔で笑ってるじゃないですか。陸くんと塁くんも一緒だった。
彼はわたしを見つけて手招きした。
「おかえり。これが“はな”」
“はな”というのがこの柴犬の名前らしい。わたしは近寄って犬のそばにしゃがみ込む。
「はなちゃんはメスですか?」
「そうだよ」
……ライバルですね! 強敵になりそうです。ここは挨拶しておきましょうか。
「はなちゃん、はじめまして。ラナです」
そう話しかけるとはなちゃんはゆっくりわたしに近づき、足元でコテンとひっくり返ってお腹を見せた。これは服従の行動ですね。お腹を撫でると尻尾を振っている。むちゃくちゃかわいい~! もう勝ち目はありませんね。完敗です! 白旗あげます。
「すごいわ。はなが初対面で懐くなんて」
菜月さんが後ろからそう声をかけた。どうやら、はなちゃんは人見知りが激しい子らしい。そう言われるとよりかわいく見えちゃう。わたしに懐いてくれてありがとう!
しばらくはなちゃんと遊んでいると、陸くんと塁くんが駆け寄って来た。
「ラナ、明日いっしょに虫とりにいこうぜ!」
「いこうぜ」
虫取り……。よく父の田舎で虫取りしたなぁ。懐かしい。
わたしは二人に即答した。
「いいよ」
そう言うと二人は「わーい」と喜びながら庭を駆け回る。もう、かわいいんだから!
すると縁側からお義父サマが声をかけてきた。
「ラナちゃん、畑に行ってみないかい?」
「畑ですか? はい! 行きます」
もう、いろんなお誘いで身体が一つじゃ足りない。お義父サマのところに行こうとして慎也さんに止められた。
「そんな格好で行くつもり?」
自分の服装を見返すと、スカートにミュールだった。こんな格好で畑に入ったら確実に土に埋まる。
「着替えてきます」
わたしはダッシュで服を着替える。クロプトパンツしかないけど、仕方ない。虫刺され覚悟です。上もTシャツに変える。上に薄いパーカーを羽織って完了。靴下も何とかあったけど、靴がない。するとお義姉さんがスニーカーを貸してくれると言ってくれたのでお言葉に甘える。日焼け止めを塗りなおして帽子をかぶり、準備完了!
畑は鮫島家の裏手にあった。とても広い。お義父サマはもともと趣味で作物を栽培していて、定年退職後から本格的に農業を始めたらしい。夏は多くの野菜が実る。ただ、雑草も多いけど。
夏の野菜がたくさん実をつけていた。トマト、キュウリ、ナス、ピーマンなどなど……。
「ラナちゃんは都会っ子かな? 田畑は珍しい?」
「そうですね。家の近くでは珍しいです。でも父の田舎には田畑がたくさんありました」
「そうか。収穫してみるかい?」
お義父サマの申し出に元気に答えた。
「はい! あ、でも草むしりもお手伝いさせてください。夏は雑草がすごそうですから」
そう言うとニッコリ笑みを返される。笑った顔は慎也さんにそっくりだった。
「助かるよ。一人で草むしりするのは大変だったんだ」
それから野菜を収穫させてもらって、ボーボーの雑草としばし格闘。様子を見に来た陸くんと塁くんも一緒に草むしりしてくれた。だんだん日が傾いてきたけど、やっぱり暑い。汗がダラダラ垂れてくる。
ずっとしゃがんでいると足がつらい。でも中腰はもっときつい。日頃の運動不足がここで明るみになるね。立ちっぱなしには慣れてるんだけど。
完全に日が落ちて薄暗くなった頃、お義母サマがやって来た。
「そろそろご飯だから、また明日にしてちょうだい。ラナちゃん、お疲れ様。陸と塁もありがとう」
お義母サマからの労いのお言葉をもらった。やったね! しかし腰も足も痛い。疲労困憊。帰ったら何か運動でも始めた方がいいかも。
家に戻ると今のテーブルには豪華な晩餐。もうお腹がペコペコです。
「遠慮しないでたくさん食べてね」
お義姉さんのお言葉にペコリと会釈して、本当に遠慮なくモリモリいただいた。どれもこれもおいしすぎる。わたしなど、まだまだ足元にも及びません。
食事を終えると陸くんと塁くんが「ラナ、いっしょにおふろ入ろう」と誘ってきた。
が、わたしが返事をする前に慎也さんが二人を両脇に抱えて「お前らは俺と入るんだ」とお風呂に行ってしまった。
その素早さに呆然としていると、お義兄さんがクスクス笑いながら言った。
「慎也のやつ、あいつらに焼きもち焼いたみたいだな」
「そうですか? 二人と入りたかっただけじゃないですか?」
そう反論したものの、その場にいたお義姉さん、菜月さん、太一さんに否定された。
「ラナちゃん、これが昼間に言った独占欲よ」
菜月さん、そんなまさかですよ! まぁ、お風呂はゆっくり入りたかったんで助かりましたけど。
慎也さんが出た後、お先にお風呂いただきます。全身洗ってシャワーで流す。汗いっぱいかいたしね。もう足と腰がだるくて湯船の中でマッサージしまくる。痛いよ~。身体コリまくり。
いい湯加減でした。ありがとうございました。そう一声かけて、寝泊りする和室に戻ってスキンケアしていると、先に部屋にいた慎也さんが後ろから抱きついて来た。でも無言。
「慎也さん? どうしたんですか?」
彼は耳元で小さな声で言う。
「ラナが俺を放置する……」
キュン。胸が締め付けられました。どうやら拗ねたみたい。でもこんなにあからさまに子供っぽいことを言ってくるのって初めてかも。かわいい~!
わたしを抱き締める腕をギュッと握る。
「ごめんなさい」
素直に謝ると慎也さんはわたしの身体を自分の方に向けた。顔がだんだん近づいてきたので目を閉じる。彼の吐息が感じられるぐらい近づいたところで、ドタバタと廊下を走る音がしてふすまがサッと開く。
「ラナ! 本よんで!」
「よんで!」
陸くんと塁くんに邪魔されました。どうしようかと慎也さんを見ると、彼はため息をついて「行っておいで」と言った。部屋を出るとき、彼の方を振り向いていつもじゃ言わないような一言を口にした。
「戻るまで、待っててくれますか?」
彼は優しい笑みで頷いてくれた。わたしだって朝は意地張ってましたけど、慎也さんといちゃつきたいんですよ。だから、ね。あ、もちろんキスまでですけど。
菜月さん家族が泊まる部屋に行き、乞われるままに絵本を読む。でも二人ははしゃぎ過ぎたせいかあっという間に眠りについた。誤算だったのは、わたしも一緒に眠りについてしまったことだ。
慎也さん、ごめんなさい。疲労には敵わなかったようです。
お約束でごめんなさい




