無知の毒とまさかの交際危機!?
前回の続きです。
ラナ&鮫島両視点でころころ変わります。
鮫島さんが真っ青な顔をしてトイレから戻ってきた。脂汗が出ていてとても苦しそうだ。薬もいらないというし。本当なら救急車でも呼びたい気分だ。目を閉じてベッドに横たわる彼を眺めて胸が痛む。
わたしがぶっ倒れた時、鮫島さんもこんな気持ちだったのかな? すごくつらそうなのに何もしてあげられない無力な自分、彼の体調の悪さに気づいてあげられない自分に嫌気がさした。
救急車はそこまで重症じゃない(だろう)からもちろん呼んじゃ駄目だし、薬も飲んでくれない。でも寝て治る保証もない。怖い病気だったらどうしよう……。一気に不安になった。
わたしは寝室を出て、かばんから携帯を取り出して電話をかけた。
『はい、樫本で……』
「お母さん? 助けて! 鮫島さんが死んじゃう!」
電話口で驚く母に事情を説明したら来てくれるらしい。家の場所を説明して電話を切った。数十分後、母は父を伴ってやって来た。
「鮫島さんは今どうしているの?」
「寝てる。ご飯を食べてすぐ真っ青な顔して吐いちゃったの。何かの病気だったらどうしよう……」
涙目になるわたし。父はテーブルに並んでいる料理を一瞥した。それを食べた瞬間、口に手を当てて俯き、身体を震わせた。
なになに? 娘の手料理がおいしすぎて感動?
父は母を手招きして料理を指し示し、トイレに駆け込んだ。母は料理を食べて顔をしかめた後、飲みこんだ。そしてわたしに視線を移す。
「ラナ、そこに正座しなさい」
指示された床に言われるがまま正座する。すると母が思いもよらぬ一言をわたしにぶつけた。
「鮫島さんの体調不良は病気じゃないわ。ラナ、あなたのせいよ」
わたしのせい? そんな馬鹿な!
「わたしが何したっていうの?」
「この料理よ。これを食べたせいで体調が悪くなったのよ。間違いないわ」
母の言い分が納得できない。そんなはずがない。
「だって鮫島さん、『おいしい』っていっぱい食べてくれたもん!」
「『おいしい』ですって……?」
母が目くじらを立てて、声を荒げた。
「これがおいしいわけないでしょう!? 今日という今日ははっきりさせましょう。ラナ、あなたの作る料理はまずいのよ!」
まずい? マズイ? 不味い? 理解が追いつきません……。
「鮫島さんが無理して、気をつかって『おいしい』って言ってくれたのがわからないの?」
母の言葉に呆然としていると父が戻って来た。そしてとんでもないことを告げられた。
「ラナ、聞きなさい。このままでは父さんは鮫島君とお前の結婚など認められない」
「お母さんもです」
え? どうして今更? 『付き合ってみたら?』って言ったのは二人じゃないか!
「何でよ! そんなの今さらだよ。納得できない!」
わたしの反論に母はため息をついた。
「あのねぇ、よく考えなさい。こんなマズイ料理を作る娘を嫁に出せるはずないでしょう? 鮫島さんにも鮫島さんのご両親にも申し訳が立たないわ」
「そうだ。こんな料理を毎日食べてみろ。鮫島君は身体を壊すぞ。お前は彼を殺す気か?」
『殺す』なんて、それは言いすぎでしょう!? わたしの作る料理って、そこまでの代物なの?
でもあんな鮫島さんをもう見たくない……。まさかわたしのせいで彼を苦しめているなんて思いもしなかった。ガックリとうなだれて落ち込んだ。
* * *
うっすら目を開けると、目の前に心配そうな顔のラナの母親がいた。驚いて飛び起きた。
「あ、勝手に上がってごめんなさいね。大丈夫? 胃薬よ。飲んで」
差し出された薬を受け取りながら頭を下げる。
「すみません……。ご迷惑をおかけしました」
「謝らないで。元はといえばうちの娘が原因ですもの。あの料理をよく食べたわね。本当に気をつかってくれて……。鮫島さんは優しい人ね」
母親には体調不良の原因もお見通しのようだ。それも当然か。
「でももう気をつかわなくていいの。まずいものはまずいと言った方があの子のためなの。それにちゃんと『あなたの作る料理はまずい』って言ったから。安心してちょうだい」
言ってしまったのか。さぞ落ち込んでいることだろう。それでもはっきりさせた方がラナのためにもなるだろう。俺のためにも……。
「わかりました」
俺は一言だけ返事を返して、彼女の母親に言われるがまま横になり、再び目を閉じた。
* * *
母が鮫島さんの様子を見に行き、リビングに父と二人きりになった。落ち込むわたしに父は声をかけてきた。
「大抵の人間はこの料理を食べて平気ではいられない。どうしてお前の料理を食べても母さんは平気だと思う? それは母さんもラナと同じだからだ。なんでも食べられるタイプみたいだ」
初めて聞くことに興味が湧き、父を見上げる。父は昔を思い出すかのように遠い目をした。
「母さんも料理が下手でな。本当にきつかった。無理して食べたこともあるし、鮫島君のように体調を崩したこともある。でも母さんは料理が下手だという現実を受け入れて、必死に料理を練習した。今はどうだ? おいしいだろう、母さんの料理は」
わたしは頷いた。まさかあの料理上手な母にそんな過去があったとは……。
「だからお前も現実を受け入れて練習すれば、母さんのように料理上手になる。男はな、胃袋で掴むんだ」
父の言葉には重みがある。まさか両親も同じ経験をしていたとは驚きだ。わたしも頑張れば母のように料理がうまくなれるかな?
その後、母が鮫島さん用のおかゆとわたし用の晩ご飯を作ってくれた。わたしは両親の許可が出るまで彼に手料理をふるまうことを禁止された。全く反論はできない。
二人が帰った後、そっと寝室に入る。
鮫島さんの顔色はだいぶいいようだ。汗も引いていて、呼吸も一定でホッとする。ベッドのそばに座って寝顔をじっと眺める。
ごめんなさい。鮫島さんがこんな風になるほど自分の料理がまずいとは思いませんでした。将来のためにも、ちゃんとおいしい料理が作れるように頑張りますから、見ていてくださいね!
* * *
目覚めるとラナが心配そうな顔で俺を見つめていた。俺が目を覚ましたことに気づく。その瞬間、今にも泣きそうなほど顔を歪めた。
「鮫島さん、体調はどうですか?」
「ああ。もう大分よくなったよ。心配かけてごめん」
謝るとブンブン首を横に振る。
「謝るのはわたしの方です。ごめんなさい。まずい料理を食べさせちゃって……」
親の一言は影響力が強いようだ。本人が食べて平気なものをまずいと認識させることは難しいはずだ。かわいそうだが認めてくれて正直助かった。
「鮫島さんはわたしに気をつかって、『まずい』って言わずに食べてくれたんですね……。それもあんなにたくさん。もうまずいときはちゃんと言ってくださいね。こんな風に体調崩す鮫島さんを見る方がつらいです」
落ち込む彼女の頭をそっと撫でる。しょげた彼女もかわいらしい。
「わかった。でも手料理を作ってくれた気持ちは嬉しかったよ」
「わたしもたくさん食べてくれて、うれしかったです」
そう言って小さく笑った。やっぱり笑ったラナの方がいい。
ベッドから起き上がる。もう気分もよくなった。全部吐いてしまったから腹が減ったな。
「夕飯でも作ろうか」
「あ、おかゆありますよ」
その一言にギクッとする。思わず顔が引きつった。まさかラナの手作り……?
その動揺が彼女にも伝わったのかもしれない。ガックリ肩を落としながら言う。
「……大丈夫です。作ったのは母ですから。わたしは両親の許可が出るまで料理は禁止されました……」
「……そ、そうか」
慰める言葉が見つからない。でもラナ作ではないことに安心してしまった。
その後、ラナの母親の料理をいただいた。うまかった。しかし母親も昔は彼女と同じように料理が下手だったことを聞き、驚いた。
ラナも母親のように一生懸命練習すると意気込んでいた。きっと上手になるだろう。楽しみだ。いずれ彼女の両親にはお礼に伺わなければならないな。いろいろと助けられた。
その夜はただ寄り添って眠りについた。ラナが甘えたようにぴったりくっついてきた。やはり落ち込んでいるのだろう。彼女の髪を撫でながらこういう日もいいかなと思いつつ目を閉じた。
一応解決? ですかね。
次回ラナが頑張り始めます。