夢で逢えたね
二人がいよいよ再会します。
仕事を急ピッチで終わらせて、ラナの家へ向かう。
症状は栄養失調と睡眠不足で、抵抗力が落ちた上に風邪をこじらせて高熱が出ているらしい。気が気じゃない。そんな状態になるまで、ラナは悩んでいたのだろうか? もしそうなら、そこまで追い込んだ自分を殴りつけてやりたい。
ラナの家に到着し、チャイムを押す。すると出てきたのは、まさに無表情のときのラナそっくりの、眼鏡をかけた女性だった。頭を下げると彼女は口を開いた。
「鮫島さん、ですね? 初めまして。ラナの姉の美羅です」
「鮫島です。初めまして」
「どうぞ、お入りください。ラナはさっき薬を飲んで寝ついたばかりですけど」
美羅さんに案内されてラナの部屋に向かう。ご両親は外出中らしく、一人暮らしをしている彼女がやって来て、ラナの看病をしているらしい。
部屋のベッドで眠るラナの姿を目にうつす。ベッドサイドの明かりしかついていないため、部屋が薄暗い。だから顔色はよくわからないが、頬がすこし痩せたようだ。熱が高いのか、汗をかいていて呼吸が荒い。その姿に胸が痛んだ。
「本当に馬鹿な子。ろくに眠りもせず、食事もとらずに働いて……。今日まで倒れなかったのが奇跡です。なんでも今日出家しようと家を出るときに倒れたそうですよ」
美羅さんがラナを見ながら独り言のように呟く。俺は彼女の言葉に耳を疑った。
出家ってどういうことだ? 俗世間を捨てようと思うほどに悩んでいたというのか!?
困惑している俺をよそに、美羅さんは「この子のそばにいてあげてください。ごゆっくり」と言い残して、部屋を出て行った。
一人残された俺は、そっとベッドの脇に腰を下ろした。
こんな状態になるぐらいならラナの意思を尊重して待つことなく、さっさと会いに来ればよかった。会ってきちんと誤解を解いていれば、こんなことにはならなかった。後悔しても後の祭りだが…。
そばに置いてあった冷たいタオルでラナの顔の汗を拭いていると、うっすらと目が開いた。熱に浮かされているからか、薬が効いているからか、焦点が合っていないようでその瞳は揺らいでいた。それでも俺をぼんやり見つめる。
「……鮫島さん?」
掠れた声で呼びかけられたが、とっさのことで言葉が出なかった。するとラナはフッと小さく笑った。
「夢か……。ここにいるわけないもんね……」
ラナは自問自答で勝手に納得したようだが、ここでもし『本人だ』と言えば症状が悪化するような気がする。ここは夢のままにしておこう。
「……夢でもいいや」
荒い息づかいのままラナは話し出す。
「ずっと……逢いたかった。謝りたくて……、謝っても許してもらえないかもしれないけど。きっと何が嫌だったか知らないもんね……」
俺は無言でラナを見つめた。熱に浮かされているとはいえ、これは紛れもない彼女の本音だ。
「あの場所、元嫁との思い出の場所なんでしょ? だから……、そこでするのは嫌だったの……」
設楽と酒井の予想的中。やはり勘違いしていたのか。
「似てるって言われて……、身代わりかもって……。鮫島さんのこと信じられなくなって……。最悪だよね。こんな真っ黒な自分……見られたくなかった、知られたく……なかった」
彩と似てなんかない、身代わりなんてありえない。俺はラナがこんなことを思っていることに全く気づけなかった。本当に馬鹿だ。
ラナはうっすらと目に涙を浮かべた。
「許してくれるまで謝りたい……。ごめんなさい……。何も訊けないくせに勝手に拗ねて、突き飛ばして、拒絶して……。鮫島さんのこと……、いっぱい傷つけた」
彼女の頬に涙が流れた。必死に絞り出したような、震える小さな声が耳に届いた。
「……好き、大好きなの……。このまま終わりなんて嫌……。別れたくない……」
その言葉を聞いて堪らなくなり、俺はラナの腕を引き、身体を起こしてそのまま抱き締めた。その身体は以前より華奢になっていて愕然とする。
されるがままのラナは未だに夢と思っているのだろうか。俺の腕の中でぼんやりしたままだ。
「リアルな夢。鮫島さんの匂いだ……。ねぇ、何かしゃべって……。声が聞きたい……」
俺はラナを抱きしめたまま、耳元にそっと囁いた。
「俺も逢いたかった……。別れてやれない……。俺が今大切なのはラナだけだ」
その言葉は俺の本音。別れることなんてできない。笑顔が見たくて、大切にしたくて、この手で幸せにしたい。そんな思いを抱くのは今俺の腕の中にいるラナだけ。
しかしラナは小さく笑う。俺の言葉を信じようとしない。
「ふふっ。都合のいい夢……。わたしの夢だもんね……」
夢なんかじゃない! そう叫びたかった。ラナの身体を少しだけ離し、顔を近づけた。すると彼女は驚いて俺の口元を手で覆った。
「駄目……。風邪うつる……」
俺はその手を掴んで剥ぎ取り、その甲に口づけた。涙を浮かべたままの彼女に言い聞かせる。
「うつる? これは夢だろう?」
そう言って唇を塞いだ。ラナを苦しめる風邪など、俺が貰ってやる。ラナが元気になるなら、俺は寝込んだっていい。彼女の苦しみをすべて奪い尽くすかのように激しく唇を貪る。ただでさえ荒い呼吸がさらに荒くなる。
しばらくすると腕の中のラナは脱力した。唇を離して様子を窺うと彼女は目を閉じてぐったりとしていた。
病人に何てことをしたのだろう。これは明らかに酸欠。途中からキスに夢中になってしまった。俺は自分を叱る。今は理性を飛ばしていい状態じゃないだろう!
ラナをそっとベッドに寝かせる。布団をかけてから、額にキスを落とす。
「ラナ……。体調がよくなるおまじないだよ。今度は夢と間違えないでね……」
その言葉を残して、部屋を後にした。
次の日、ラナの母親から電話がかかってきた。
『鮫島さん、昨日来てくれたそうね。美羅から聞いたわ。だからかしら、あの子体調がよくなってきているわ。少しだけど食事もしてくれたの。熱も徐々に下がってきて、大人しくしているわ。ありがとう』
少しだけ明るいその声にホッとする。
「私が訪れたこと、ラナさんは……?」
『それがね、『夢で逢った』なんて言っているの。本人だって気づいてないみたい』
「そうですか。それならそのままにしておいてください」
そう言うと電話口からクスクスと笑い声がした。
『いいわねぇ。“夢の中の逢瀬”なんて。ロマンチックだわぁ~』
からかわれるのは勘弁したい。また見舞いに行くと言って、早々に電話を切った。
おまじないが効いたかな、と思わず笑みがこぼれた。ラナがもう少し元気になったら、きちんと話して仲直りをしよう。それまでは夢で我慢してくれ。
どちらかといえばラナの独白でした。
次回ラナ視点。ラナにとっての鮫島との再会です。




